私のうつ病自覚・発症・症状について
うつ病になった人の事、気持ち、体験は、うつ病になった人にしかわからないだろう。私は、今の主治医に聞いたことがある。先生はうつ病になった人の苦しみがわかりますか?と。
もう50年来、地域のために精神科を専門としている年配の大先生だ。答えは、「自分はなったことがないから、正直わからない。しかし、どういった症状が出て、どういう感情になって、どう対処すれば楽にする事ができるかは、わかっているつもりである」と。
先生は、先代の時代からの長きにわたって精神科専門病院を開業され、地域の方を助けてくださっている。しばらくの間、大学病院で研究をされていて、先代の先生がお亡くなりになった際に、病院に戻られた方だ。
しかし、私はこの先生に出会えてラッキーだった。精神科医の中には、入院病棟などで患者さんを診ていると、自分自身もつられて、精神をおかしくされている先生を見たことがある。
入院病棟から外来病棟の、私たちが診察を受ける待合室にきて、
「あー、もう死にたい、死にたい…」
と、待合室においてある水槽にいる金魚に、ブツブツと話しかけ、それこそ患者が見ても、深刻だな、と思う先生を見たからだ。
その先生も、結局のところ、自分で自分の症状を判断し、薬を処方して、また職場に戻るのであろう。辛い現場であると思う。「精神」。神。本当に神のみぞ知る領域なのかもしれない。
話を私に戻すと、私は正直、自分は間違いなく、楽観的な人間ではない、むしろ最悪の事態を想定して行動する慎重派というか、むしろ悲観的な人間であるとの自覚はしていたが、自分自身が“うつ病になるとは思っていなかった”。
もしかしたら、大半の人はそう思っている(いた)かも知れない。私も、最初の症状が出てから、結果、うつ病診断になるまで、1年近くかかった。
記憶する限り、私の場合は以下のような順で身体に症状が出た。
①吐き気、胃痛
食事がほとんどとれなくなる、または吐いてしまう。胃もキリキリと痛い。まあよくある話だ、と、商品名は伏せるが、強めの市販薬(ファモチジン 10mg)を飲んでいた。
なんとなく、胃酸の出るのは少なくなったのだろうか、多少楽に感じた。しかし、夜寝る時になると、妙に痛む。
胃腸科に通院した。症状を伝え、投薬治療となった。最初は何となくよくなった気がしたが、結局1ヶ月以上通ったが良化しなかった。
一番困ったのは、家や職場での吐き気であれば何とかトイレに駆け込むことができるが、電車などの公共交通機関で吐き気を催した時、非常に困り、目的地に着くまでに何度も途中下車するようになった。
次第に電車に乗ること自体が怖くなってきた。自分的には、悪くても胃潰瘍程度であると、勝手にインターネット情報で考えていた。
次は、きちんとした病院で、胃カメラ(内視鏡)検査を実施した。私にとっては、生まれて初めての胃カメラだった。その日は、あまりに私が胃カメラで苦しんだため(田舎の病院かつ昔の話であるので、今のような鼻から細い管を入れるようなものではなく、普通に、直径10㎜はありそうな管を口から入れられた)、全身麻酔となり、数日後、検査の結果を聞きに再度病院を訪れた。
結果は、「綺麗な胃ですね、多少炎症は見られますが。」いやそんなはずは…。と先生に話をしたが、胃に特段以上は見られない、というのが所見であった。
胃薬を飲み続けた。
②全身の痛み
次は、関節などを中心に、全身が痛くなる症状だ。急に訪れる。会社など気が張ったところではその症状が出た記憶は無いが、やはり家に帰って横になったり、少しリラックスした状態で、悶絶級の、どうにもこうにも、動けなくなることがあった。呼吸を整え、何とか数時間で治まる状態だった。
これも内科にかかって診察してもらった。先生の所見としては、検査では特別変わった様子が見られないが、もしかしたら帯状疱疹かも知れない、と皮膚科を紹介された。
皮膚科での診察結果は、少し発疹らしきものがあるので、帯状疱疹の可能性あり、という事で投薬治療となった。
確かに、病名を言ってもらえると安心したからか、それ以降、あまりその症状が出る事も少なく、出たとしても皮膚科に行くことにした。
③左耳の難聴と耳鳴り
その次が、左耳の難聴だ。ラジオやテレビを聞いていると、何か音が割れるような感覚があり、よく聞こえなくなった。
左耳がおかしいと気づいたのは、客先との電話応対をしていた時だ。左耳で電話に出る時と、右耳で電話に出る時で、明らかに聞こえが違うことに気が付いた。
左耳は、低音域しか聞こえない。また、夜など寝ようとすると、左耳から
「ゴォーーー」
という音が聞こえた。
普段の生活だと音があふれているので気づかなかったのだろうが、夜のシーンとした中で、初めて気が付いた。
これも、急いで耳鼻咽喉科に通院した。診察結果は、左耳低音障害型感音難聴。一般的に言えば、「突発性難聴」、との事だった。突発性難聴の特効薬というのは無いらしく、メニエール病の、とてもこの世のものとは思えない、マズいシロップ状の液体薬を処方され、服用した。
この投薬治療も3ヶ月くらい続けただろうか、なんとなく耳の聞こえと耳鳴りが良化したため、病院に行くことを勝手にやめた。
先生からは、突発性難聴の原因は不明で、完治することは無いだろうと言われていたからだ。良化したから、まぁいいや、と。
④咀嚼障害
今度は、最近食べ物の飲み込みが悪くなったな、と違和感を感じた。また、風邪でもないのに、妙にのどが突っかかり、咳ばらいをするようになった。
この症状も1ヶ月以上続いた。会社で、咳払いがうるさい!との苦情もあり、こちらも耳鼻咽喉科に行った。消化管造影検査?なるものを受けた。造影剤を飲んで、撮影する。バリウム検査のようなものだった。
結果的には、特に何も異状は見られない。特に薬も出されることは無かった。長引く風邪か、もしくは咳払いが癖になってしまったか?程度にしか思わなかった。
⑤右手の痺れ
とうとう、右手が痺れ始めた。仕事柄、常にパソコンを使用していたので、異状はすぐに気が付いた。やはりインターネットで調べてみた。
「痺れ」となると、怖い事しか書いていなかった。これも大事に至ったら大変だと思い、脳神経外科に行き、MRI検査をした。
約30分くらい、頭を固定されて撮影。幸い、狭いトンネル状の怖いMRIではなく、新型だったのか、開放的な装置だった。
それでも30分の頭の固定は苦しかった。MRIの予約に数日かかったものの、MRI撮影が終われば、結果はすぐに出た。
最悪、脳梗塞や脳血栓などを心配していたが、結果は、綺麗な脳で、血栓なども一切見られず異状は見られない、と。自分も撮影されたMRI写真を医師と一緒に見て確認しながら、確かに綺麗だ、と思ったくらいだった。
そこで初めて、今までの経緯を脳神経外科の先生にお話しし、脳に異常が見られないのであれば、何が原因である可能性があるかをお聞きした。
そして、脳神経外科医に言われたのが、「うつ病(疑)」だった。
脳は外科的所見では何も異状はないが、ここまでの経緯を聞くと、ストレスが溜まっていたのではないか?そして発症する体調の変化、その各症状に対して通院し、特段変わった症状が見られないのであれば、脳の内科的な病気、すなわち精神的なものが原因であることが濃厚と教えてもらった。
ここまで達するのに約1年近く。当時の私としては、え?俺が?うつ病?ショックでしかなかった。
でも、冷静に考えて、月平均120~160時間の残業をしていたことを考えると、そうかもしれないな、と思うしかなかった。
よくよく考えれば、上記の体調不良が出るので、睡眠も取れていなかった。忙しいから3時間も寝ればよいや、ナポレオンも大丈夫だったのだろうし、と軽く考えていたが、そうではなく、気づかないうちに不眠症でもあったのだと思う。
寝るというより、目を瞑って横になるだけだった。
インターネットで調べ、通院が出来そうな距離にある、心療内科、精神科を探した。電話をすると、どこも予約がいっぱいで、早くても診察に1週間以上は待つ、との事だった。
一番予約が早かった心療内科(メンタルクリニック)に行った。初診はカウンセラーによる1時間近くの面談。今までのいきさつをすべて話し、会社以外でのストレス要因、例えば家族との関係、近隣住民との関係、その他あらゆる不安要素をすべて伝えた。
そして診察。初診だったので長めに30分くらい、カウンセラーの資料を基に、先生と私で話を交わした。結果としては、現段階でうつ病とはすぐに断言しないが、高ストレス状態である、との診断だった。
投薬治療の始まりだった。以降、1ヶ月に一度、通院となった。以降の診察は5分診療だった。
当時、私は車で片道40㎞、時間にして1時間半の通勤だったので、また、薬による眠気(睡眠導入剤など)も影響するため、会社に事情を話し、これも後に述べるが、すったもんだの挙句、とりあえず休職となった。
特に休職期限は決められていなかったが、とにかく、数か月は泥のように、一日中、眠っていた。昼間にずっと寝ているのに、夜も眠れていた。
常に眠い。今まで寝ていなかった分を取り返すがごとく、だった。しかし、その頃はまだ、うつ病の怖さを分かっていなかった。
とりあえず、体調は良くなったと判断し、会社と交渉の末、約半年の休職で復職した。職場も変われば、拠点も変わり転勤となった。
ちょうどその時期、心療内科から精神科(現在通っている病院)へ転院した。
そして、この転勤先の職場で、本当のうつ病の怖さを知る事となった。仕事詳細は後で述べるとして、今まで以上の、高ストレス状態となった。
とうとう会社で倒れ、救急車で搬送されてしまった。ほぼ気絶かパニック状態でよく覚えていないが、救急車で運ばれたまでは良いが、精神科の救急搬送を受け付ける病院など無かった。
当時は幸か不幸か、外れとはいえ職場が都内23区内であったので、かなり遠かったが、飯田橋の大学病院に搬送された。
救急搬送された私を待ち受けていたのは、精神科の医師らしき人だった。かなり激しい喧嘩口調で質問を投げかけられた。
・何でこうなったのかわかってんの?
・ココどこだかわかる?
・会社は何処?
・何でここにいるの?
・あなたは誰?名前行ってみて!住所は!
などなど、マシンガン的に、一方的に質問攻め。
ほぼ気絶というか壊れた状態であったが、質問には答え、最後に、
「あんた本当に精神科医なのか?そんな喧嘩腰で言われたら、頭狂うわ!今までこ
んな医者見たことないわ!」
と言ったところ、その精神科医らしき人は、「ふーん…」、と言い、
「この人の今の状態は精神疾患ではなく自己拡散状態だから、入院の必要なし。
帰らせて!」
と言い残して去っていった。
そして、都内からどうやって帰ったのか覚えていないが、確か元業務課の人で、昔お世話になった人がたまたま同じ職場にいて、救急車にも一緒に乗って病院まで連れてきてくれた方が、とりあえず電車とタクシーで連れ帰ってきてくださった記憶がある。
家について気付いたが、鼻水やよだれだらけの服。しかも室内履きのクロックスのまま。自宅まで連れ帰ってくださった元業務課の方には、感謝しかない。
ここからが本当のうつ病の怖さを知る事となった。会社ではうつ病再発、初犯ではなく再犯だ。無期限休職となった。
社内規定にある休職期間が満了したら解雇だ。最初はまだ自我があったが、長期化する休職で給料は絶たれ、ほぼ寝たきりの父と、それを介護する母、そこに私、だ。母の苦労は見るに堪えない、自分の不甲斐なさも恨んだが、どうしようもなかった。
家にいても全く心が休まらない、薬を飲んでも全く眠れない、一日中夢遊病状態、テレビもパソコンも、とにかく何もできない。
当然本も読めない。外的なもの全てが不快。動きたくないのに徘徊するような行動も良くあった。じっとしていたいのに、じっとしていられない。
何もできないくせに、何をしたらよいのかわからない。瞬間的な考えでうろうろ、ちょろちょろ動き回る。傍から見たら本当に挙動不審に見えただろう。
食事も食べられない、というか、お腹が空かない。普通であれば良い匂いであろう食べ物も、受け付けない。匂いも、味も、本来おいしいもののはずであるのに、外的なものがすべて受け付けられなくなった。
匂いは鬱陶しく感じ吐き気を催す、水までもが変な味に感じられて吐き気を催し、飲めなくなった。
音もだめだ。「うつに効く~」的なCDすら聞くことができない。人の声なんて、とんでもない。劈くような音に聞こえる。全てが騒音に感じた。
とうとう自死感情が強烈に出てきた。うつ病についても、当然のようにインターネットで調べていたが、自死感情が出るのは本当であった。インターネットの情報については、信憑性に欠け、鵜呑みにできるものではないが、簡単になんとなくの情報程度であれば利用できるツールと思っていた。
冷静に、
「これは脳の病気、脳が異常な動作をしているだけ…。」
自分自身に言い聞かせても、どうにもならなかった。
冷静になれない。冷静ということ自体が何であるのかが、分からなくなっていた。リストカットなどはしなかったが、どうやって死ねばよいのか、自分だけ死んでも寝たきりの父の介護は母が全部やらなければならない。一家心中しかない…。
死ぬ方法ばかり一日中、ずっと考えていた。場所、方法、時期などなど。一体、俺は何なんだ?何のために生まれてきたのだ?むしろこれは現実の世界なのか?夢なんじゃないか?夢だったら死んでいいじゃないか?現実であったとしても死んだほうが楽だよな?薬を飲んでも良くならない焦りもあった。
1日が1年かと思うほど長く感じた。そして眠れない夜が恐怖だった。
精神科(現在も通院中)にも、ほぼ毎日のように通っていた。ほとんど外出できる状態ではないのに、無理して、それこそ命乞いをするような気持だったのかもしれない。
その時点で、死にたいのか生きたいのかよく分からなくなっていた。とにかく、今現在、何年何時何分何秒の瞬間的なレベルで、継続的にずっと辛かった。
月単位で考えると、普通の人の、「今月つらかったなぁ」、と同等の辛さではない。うつ病にとっての1ヶ月の辛さは、30日×24時間×60分×60秒=2,592,000回の「つらい」の集合体だ。1秒単位ではないかもしれない。もっと細かい単位だ。
とてもまともにいられる精神状態ではなく、つらいだけで何も考えられず、じっとしていることもできない。横になる事も、座る事もままならない。まさに瞬間的に思いついたことで動いてしまう。思考も行動も錯綜。
「藻掻き苦しむ」。まさにこの言葉が合致するだろう。
「先生、薬が合いません、眠れません、辛くてどうしたらよいのかわかりませ
ん…。薬を変えてください、薬を増やしてください…」。
幻想や幻聴の症状も出てきた。毎日、暗くなると死神が目の前に見えて、騒いでいた。正直、母も入院させるしかないと思ったそうだし、自分もその方が良いと、主治医に言ったのだが、主治医の先生は、
「入院病棟はあなたが思っている以上に、もっと深刻な方でいっぱいです。むしろそ
の光景やその人たちと過ごしたら、恐らくあなたの病状はもっと悪くなる。今は
無期限休職で収入源もなく、解雇されるかもしれない。焦る気持ちは分かるが、
社会復帰を考えている貴方を、今、入院させることはできない」。
との事であった。
今でも、この文書を書いていて、当時の事を思い出すと、フラッシュバックして怖くなっているのが正直なところだ。
一番つらかった時期は冬であった。寒い日、雪などを見ると、やはりその時の事を思い出してしまう。
また再発するのではないか。それは常に恐れているし、心の中で危険信号を発している。
そのうえで、無理のない範囲で、かつ限界近くまで、真実としてこの文書に記録として残しておこうと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます