彼女持ち幼馴染へ本命チョコを作ってしまった女の子のお話
春槻航真
人生最長の2/14
これは本命ではない。
バレンタインデーは告白の場所ではないなんて言ったら、どの世代まで驚かれるだろうか。少なくとも今の2/14は、そんな夢物語や甘酸っぱい出来事のある青春の行事ではなくなっていた。
バレンタインデーとは、既にカップルになっている者達がその愛を今後末長く続けるよう贈呈し合う行事であり、同性同士友チョコをあげてはお互いの女子力を見せつける場であり、更に言うなら明日も見えない現代日本社会で奮闘する大人女子達が贅沢の口実として高級スイーツを買う自己褒賞の場でもあるのだ。
クリスマスが恋人の日になったように、バレンタインも変容して今やただ理由をつけてチョコを食べる日になってしまっているのだ。その方がまあ、わかりやすいといえばわかりやすいのだが。
「つまりこれは、本命じゃない」
この日、魅音は学校に着くまでそう言い続けていた。言い続けることで認識を変えようとした。そんなこと無駄だって、本当は知っていたけれども。
市立第二中。なんてことない公立中学だが、クラスではタッパーを持ち歩く女子が大量発生していた。男子も女子も関係なく、みんなに等しくチョコを分け与えていた。これぞ、現代のバレンタインデーである。それに負けじと、魅音も朝からタッパーの蓋を取っていた。
その時だった。
「魅音おはよう。今日は遅かった?な」
幼馴染の
「まあ、バレンタインデーだし?」
「お、チョコくれんの?」
そう言いつつ、駿平の手は魅音のタッパーへ向いていた。魅音は特にあげるともなんとも言っていなかったのだが、伸びた手は一気に1番大きいかけらへ向かって行き、そして駿平の口の中へ吸い込まれていった。
相変わらず、彼女が想定していなかった展開である。魅音にとって駿平は、いつだって想定外のことしか起こさない存在だった。
「うん、美味しい」
そういってふらっとどこかへ飛んでいってしまった駿平を、魅音は横目で見ていた。しかしながらそれができたのも一瞬で、すぐに面倒な女子達に囲まれてしまった。虐められたのではない。作ってきたチョコの食べ合いっこが始まってしまっただけである。これも立派な、バレンタインデーの形の一つだ。
4歳から隣にいた駿平を意識し始めたのは、何時ごろからなのだろうか。左に1が追加され14になった魅音は、たまにそんなことを考えつつ自分の感情のルーツを探す旅に出るのだ。
結論から言えばわからない。わからないけれど、ひとつだけはっきりしていることがある。駿平のことが好きだ。特にあることをしている時の、駿平のことが大好きだ。
「おい
三限が始まる直前に、クラスメイトが駿平の名前を呼んでいた。つい衛藤という名前が出たので、魅音は目線を廊下へ移してしまった。するとそこには黒髪ロングが艶やかな先輩がいた。恐らくこの日のために美容院に行ってコンディションを整えてきたのだろう。そう思わせるほど彼女の髪は仕上がっていた。
駿平が廊下へ向かっていった。駿平が廊下へ向けて進むたびに、魅音の鞄から嗚咽の声が聞こえてくる気がした。そしてご対面。学校で1番可愛く学校で1番スタイルがいいと評判の先輩は、掌では収まらないくらい大きいハート型のチョコレートを渡していた。それを駿平は、照れた顔で受け取っていた。
告白ではない。想いを叶えるチョコではない。何故なら2人は、もう付き合っているからだ。
ただの惚気だ。冒頭の事例でいくと1番最初の例にあたる、カップル同士の愛を確かめる儀礼だ。だからドキドキもないし、闘いではない。
バレンタインデーとはそういう日だ。闘いの後の祭なのだ。決して、届くかどうかわからない自分の思いを打ち明ける場ではない。ましてや、絶対に届かない想いをぶつけるなど、愚の骨頂もいいところだ。魅音はそう信じて疑わなかった。なのに鞄の中には、本命のチョコがあった。
わざわざ遠くの席に座っているにも関わらず、駿平は魅音の元へそれを見せつけてきた。あーそうね幸せそうでよかったね。魅音はそんな投げやりな感情を顔に浮かべていた。
「どうよ、これ。マジハートマーク」
「そうだね。大事に食べたら?」
やっぱり、
空気読めてない?いやそんなレベルじゃないし。つうかそんかこと、魅音にできるはずがない。相手は先輩で、しかも魅音の部活の先輩で、めっちゃ可愛いしモデルさんみたいな先輩で……
……魅音が彼に紹介したのだから。
「ほんと、疲れる」
だからこそ、彼のたまに見せる小声の愚痴が、聞きたくって、聞きたくなくって、でも聞きたくって……
どんどんと自分が嫌な奴になってきているんじゃないかなって、魅音は何度もそう思った。
お昼ご飯を食べる気分になれなかった魅音は、そのままふらふらとしていた。廊下を行ったり来たりしつつ、たまに窓から映る大したことのない田舎町を見下ろして、もう一度ふらふらと歩き出す。そんな意味のない動作に終始していた。
「何してんの?」
駿平はそう声をかけてきた。ほくほくとしたその笑顔を見て、どうせチョコをいっぱいもらったんだろうなと思って、つい顔を背けてしまった。
「何もしてない」
「知ってる。さっきから行ったり来たりしてるし、いつもより変だぞ」
「……まるでいつもも変みたいな言い方」
「いや変じゃん。挙動不審だし、キョドキョドしてるし。特に先輩の前だと」
うるせえ!!!!!これでも気を使ってんだよ察しろ!!!!!!つうかあんたはわたしのしんぱいなんかすんなよ!!!!もっとのろけろよ!!!!いやのろけんな!!!!メンタルが死ぬからのろけんな!!!!!
言葉にならなければ、想いなど無駄なのだと噛み締めていた。言葉にならなくてよかったと、心底想った。
「もしかして……チョコを渡したい奴でもいるのか?」
いますねえ目の前に。
「んなわけないじゃん。バレンタインデーにチョコ渡したくてモゾモゾするJCとか絶滅危惧種でしょ」
無論嘘をつく。魅音は軽く嘘をつく。こんな言葉が積み重なって、気づけば駿平は別の人の物になっていた。自業自得?それは魅音が1番理解していることだ。
「それもそうか」
「しゅんぺーくん!こっちこっち!!」
駿平はそう言って、遠くから先輩から呼ばれたようで、さっと去っていこうとした。その振り返った姿を見て、いや先輩の声が聞こえた段階で、魅音は踵を返していた。見たくないものには蓋をしよう。だって駿平は……
「放課後、音楽室。何も用事無かったら来て」
耳元で囁やかれた小さい小さい声だった。駿平の声だった。好きな男の子の声を間違えるほど、魅音の心は閉ざされていなかった。
魅音が振り返ったら、もう駿平は先輩の元へ走っていっていた。なんだ、からかっているだけだ。もしくはのろけたいだけか。
絶対行ってやるもんか。無視してさっさと帰ってやる。魅音はぷいっと頬を膨らました。駿平と話して、ようやく売店に行ってパンを買う食欲を取り戻していた。
そう思っていたくせに、魅音は結局放課後になったら音楽室へ向かってしまっていた。馬鹿じゃないかとは、魅音自身が誰よりも痛感していた。でもそれでも、彼の元へ向かってしまうのだ。
ガラガラとドアを開けて、駿平のいる場所を探した。駿平は、部屋の隅っこでアコースティックギターを持って座っていた。スマホのバイブ音がブーブー鳴り響いていた。多分彼のだ。
「おー、早いじゃん」
まだ弦の調整が終わっていないらしく、目線を下に落としつつ声を掛けてきた。
「別に?普通にきただけ」
「そっか」
「何の用?話したいことでもあるの?」
「え?ないけど?」
「え?」
「いやだって言っただろ?暇だったらきてって。何の用事もないなら、ちょっと適当に駄弁ろうぜって」
ほんの少しだけ期待していたさっきまでのバカが馬鹿だった。自分のバカさ加減に、誰よりも魅音自身が唾棄したくなった。例え0%だとわかっていても、僅かな可能性にかけてしまう。
「そっか……」
魅音はわなわなと肩を落としつつ、駿平の近くに椅子を持ってきて座った。
「何弾くの?」
「Hello, Goodbye」
「駿平にしては古いチョイスだね」
「日曜の朝にテレビ見てたら弾きたくなった」
そう言いつつ彼は軽くサビを弾いたかと思ったら、そのままBeatlesを弾き始めた。魅音は音を取りつつ、たまに気が向いたかのように歌詞を口ずさんだ。
「Hello, hello You don’t know why I say goodbye you say hello.」
たまにこんな、少し意地悪な替え歌を入れたりした。気づいたのかどうかはわからない。わからなかったから次は歌詞を変えてみた。
「Hello, hello You don’t know why you say goodbye I say hello.」
You don’t know だけは変えたくなかった。本当はI don’t know かもしれないけれど、それでもそこは変えなかった。駿平は顔色一つ変えずギターを弾いていた。その顔が、本当にかっこよかった。
音楽をやっている人はずるいと思う。どんな面があったとしても、その顔を、音楽と真剣に向き合うその顔を見てしまったならば、もう虜になってしまうのだから。
音楽室に来たのだから、ギターを弾くのだろう。ならばあの顔がまたみれる。ギターを弾く駿平が見れる。そうだ。魅音はずっと、幼稚園の頃からずっと、楽器を演奏する駿平に虜だったのだ。今更になって気付いてしまった。もう全て、手遅れだというのに。
ギターを弾き終わった彼は、大きくため息をついた。
「最近、少しうまくいかなくてさ」
「何が?ギター?」
「先輩と」
めきっ、胸が軋んだ。心が折れそうなくらいGを受けた。その話を自分にして欲しく無かったし、その現実を自分に提示して欲しく無かった。魅音にとってそれは、中毒性の高いものだった。
「仲良さそうなのに?チョコとかもらってたし」
「そこにさ、こう書いてあったんだ。私以外の女子と話すの禁止って」
知っていた。先輩は昔から独占欲が強く、なおかつ強欲だ。だから中3のイケメンはあらかた先輩の手に落ちたし、駿平だって魅音の仲介をきっかけに繋がりを作ったのだから。
「んなこと言われてもなあ」
それはほとんど脅しだった。人間関係において最高の権力者だった先輩に逆らうことは、この学校の女子社会で生きていけないことを指す。魅音は渋々それを受け入れ、2人のマッチングに成功したのだ。
「まあ、それだけ愛されてるってことじゃない?」
でも魅音は、少しだけショックだった。駿平に、そう言った感情があったのだと。そしてその初めての相手に自分が選ばれなかったということは、魅音は駿平にとってその対象では無かったのだ。こんなもの、嫌われるより辛いではないか。
「でも……うん」
だから断言できる。この恋は成就しない。片想いは両思いにならない。そう見ていないのだから、間違いなんて起こらない。
「どんなもんかと付き合ってみたけど、やっぱりないわ。うん……魅音といる方が楽だな」
………嬉しく無かった。魅音にとって、1番聞きたくない言葉だった。
「ほら、もう長いこと一緒にいるし、気兼ねしないでいいし……」
むしろ貶して欲しかった。詰って欲しかった。お前とは今後金輪際話さないと言って欲しかった。
「面倒なこと言わないし、良いやつだし、それに……」
やめてくれよ、やめてくれよ。知ってるんだ。それは恋愛感情じゃないんだろ???
「……魅音?」
魅音は足元に置いてあった鞄に手を突っ込んだかと思ったら、そのまま駿平の前に差し出した。ハートではない四角の箱に入ったそれは、リボンが小さくハートマークを作っていた。駿平は面食らったのか、何も言えなくなった。それに業を煮やした魅音は、ついに溜め込んでいた感情を爆発させてしまった。
「……本命」
「え?」
「本命チョコレート!!!ほら!!あげる!!!」
魅音はそう言って駿平の手にチョコを置いた。その箱を軽く握った駿平に対して、魅音のギアは更に加速した。
「要らないでしょ?要らないでしょ!?!?ほらさっさと捨ててよ!!!ほら!!!ほら!!!」
「はあ!?お前いきなり何言い出してんだ??」
「駿平には先輩がいるから、私の本命チョコなんていらないでしょ!!!握んないでよ!!!受け取らないでよ!!!今すぐ捨ててよ!!!」
すでに泣きぐしゃっていた魅音だが、そのアクセルは留まるところを知らない。
「一口も食べないで!!!!本命チョコは二つもいらないでしょ!!!!わかった???わかったなら……」
駿平はまだ状況を飲み込めていない様子だったから、ついに魅音は言ってしまった。
「あ……ああそうよ!!!私は駿平のことが好きだよ!!!!昔っからずっと、駿平のことが大好きだったんだよ!!!ギターを弾いてる時の顔も、たまにいたずらを仕掛ける時も、ふとした時の物思いに耽った顔も!!!!全部大好きだったんだよ!!!!」
言ってしまった。ついにいってしまった。これで魅音は、彼女持ちに告白する泥棒猫に成り下がった。それでも、もう言うしかなかった。告白しか、魅音は救われなかった。
それから、魅音は鞄を持って、泣きながら音楽室を出て行った。真っ直ぐ家に帰っていった。返事なんて、聞くまでもなかった。期待すらしていなかった。今はこの心の軋みで、全て壊れてしまわないよう耐えるので精一杯だったのだ。
その日の夜、スマホのバイブ音が鳴り止まなかった。相手は先輩だ。用件はわからなかった。何故なら魅音は布団にくるまったまま、ずっと天井を見ていたからだ。晩ご飯すらろくに食べられなかったのだ。スマホを見て用件を理解する労力など、残っているわけがなかった。
遂に言ってしまった。遂に告白してしまった。よく振られたら心が晴れるなんて言う人がいるが、全く何一つ晴れることはなかった。
ずっと鬱々とした気分になっていた。バイブ音がしては相手を確認して、通知が入るまでスマホを開かない。そんなルーティンを繰り返した。
明日から、避けられるんだろうな。駿平からだけではなくて、クラスのみんなからも冷たい目で見られるんだろうな。そう思うと胃がキリキリした。穴が開くほど痛くなった。
どうしてあんなものを作ってしまったのだろう。結ばれる可能性なんてなかったのに。後悔だけが募る中で、とある人から通知が入った。
相手は駿平からだった。
内容を確認することとした。
【チョコレート美味しかった!ありがとう!ちゃんとお返しするわ】
結局食べたのか。むしろ食べないで欲しかったくらいなのに……そう思っていたら、もう一つメッセージが来ていた。
【後、告白の返事だけど……もう少しだけ待ってくれない?まだ自分の気持ちが整理できてないから……ごめんな】
断ってほしいと思った。魅音にとってあれは、諦めるための告白だったのに、こんな少し希望を持たせる書き方をするのはやめて欲しかった。真綿でしめられるような感覚は、もううんざりだ。ああ、ほら胃がキリキリしてくる。
でも、それなのに……笑みがこぼれてしまった。何度も返事の画面を見ては、少しだけ口角が緩んでしまった。どうやら、少しだけ出てきた希望に逆らえない様子だった。
あぁだめだな。いつの間にか、こんなにも好きになってしまっていたんだ。
自分の気持ちの大きさにようやく気付いた魅音は、思わず過去の自分に舌打ちしたくなった。とりあえずの返答として、
【わかったよ】
と返してスマホを閉じた。そしてそのまま目を閉じた。もうこのまま、明日を迎えることにしようと思ったのだ。
こうして魅音の、人生最長のバレンタインデーは終わりを告げたのだった。
彼女持ち幼馴染へ本命チョコを作ってしまった女の子のお話 春槻航真 @haru_tuki
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