第31話 願い(前編) 11/16 (Fri)
「こちらが、オーブを落札された、アーメッド様です」
完全にアングロ・サクソン系白人に見える、執事然とした中年の細身の男が、隣に立っている高価そうなスーツに身を包んだ、フルフェイスに近い立派な口ひげをたたえた四十位に見える男を紹介した。
アーメッドと紹介された男は、俺たちに向かって静かに黙礼した。
側には、車いすに座った、オペラ座の怪人を彷彿とさせるマスクを付けた女性がうつむき加減で控えていた。
三好の勘は当たってるかもな。そう考えながらも俺は首をひねった。
なぜなら、単に外傷だというだけなら、こんなギャンブルみたいなオーブを使わなくてもポーションで事足りるはずだからだ。
オーブを販売する手続き自体は、鳴瀬さんをJDAの保証人に、いつも通りつつがなく終了した。だが、鳴瀬さんが取引終了の宣言を行ったのを合図に、執事然とした男が、突然話しかけてきた。
「あなたたちにもう一つお願いがあるそうです」
「お願い?」
俺は訝しんで、鳴瀬さんを見た。
鳴瀬さんは、何も知らないとばかりに首を横に振って、話を引き取った。
「申しわけありませんが、オーブの売買取引自体は終了しています。何か問題がありましたでしょうか?」
執事然とした男は、アーメッドと早口でなにかやりとりを始めた。
(三好、あれは何語なんだ?)
(ヒンディじゃないかと思うんですけど……なんか違う気もします)
「マラーティー語」
それまで黙って座っていた車いすの女性がそう言った。
「え、日本語がおわかりになるのですか?」
「少し」
そう言った後、英語で『英語のほうが得意だけど』と言った。
素早くゴグってきた三好が、「マラーティー語は、インドの公用語のひとつで九千万人くらい話者がいるそうです」と教えてくれた。
英語はインドの準公用語だから、日本語より英語のほうが得意なのは当然か。
『私は日本語のほうが得意ですよ』と英語で答えておいた。
「でしょうね」
「それで、あれは何を揉めてるんです?」
「ダンジョン。連れていって欲しい」
「は?」
意味が通じなかったと思ったのか、彼女は英語で言い直した。
『父は、あなたたちに、私をダンジョンへ連れていって欲しいのよ』
なんだと?
「三好、今ダンジョンへ連れていって欲しいと聞こえたんだが……」
「残念ながら、私にもそう聞こえました」
満足に動けなさそうな怪我人をダンジョンに連れていく?
そんなの軍にでも頼んだほうがずっとマシだし安全なんじゃないの?
『何故です?』
『簡単よ。私はダンジョンカードを持っていないから』
その言葉に俺たちは絶句した。
アーメッドが超回復のオーブを彼女に使おうとしていることは、ほぼ間違いないだろう。だが、使用対象者がDカードを持っていない?
『ちょ、ちょっと待って下さい』
俺は三好を部屋の隅へと連れていった。
執事然とした男とアーメッド氏と鳴瀬さんは、まだいろいろとやりとりしている。
(三好、どう思う?)
(いきなり言われて、Dカードを二十四時間以内に彼女に取得させるのは、常識で考えれば不可能です)
(だよな)
(それをいきなりこの場で切り出してくるからには、なにかしら意図がありそうですね)
(あの執事風の男、どうにも偉そうに見えるんだよな)
(そうですね。たぶん、なんですけど)
(なんだ?)
(アメリカかイギリスのエージェントくさくないですか?)
(マラーティー語とやらを話せるんなら、イギリス関係か?)
(ありえます。ほら、オーブ保存の技術について、私たちってなにも肯定していないじゃないですか)
(偶然と言い張ってるからな)
(何を他人事みたいに)
(すでにオーブカウントは確認されていますから、ここでこの件をひきうけて、二十四時間以上経ってからオーブを引き渡すと、保存できる事実が確定するってことじゃないでしょうか)
なるほど。賢いんだかあざといんだか分からないが、目的を達成するなら良い方法かも知れない。もちろん雇い主っぽいアーメッド氏にそのことを話しているかどうかはわからないが。
(いっそのこと、このオーブは向こうで消滅してもらって、もう一個売りつけるか?)
(え? 先日先輩が使ったのが最後だったような……)
(クールタイムは十二日だから、そろそろゲットできるはずだぞ)
(それもありなんですかねぇ。だけど彼女にDカードを取得させられますか?)
三好がちらりと車いすの女の子を見て言った。
Dカードは、初めてモンスターを倒したときに得られるカードだ。
ただそれだけのものだが、このカードの取得には、たったひとつだけルールがある。それは、モンスターを独力で倒す、という縛りだ。
一時期流行った取得ツアーで、その条件は徹底的に検証されている。
そういったツアーでは、主に銃器を使って、比較的遠距離からモンスターを倒させる業者が多かったが、その際、弾を込めるのが別人だっただけでNGになった。もちろん銃を他人が支えてもNGだ。
罠類は、設置から起動まで一人の人間が行わなければNGだった上に時間制限まであった。
対象モンスターが他者に攻撃をしただけでNGになるため、ヘイトを集めて養殖することもできなかった。
銃や弾丸を作ったのは別人だが、そこは道具として許されるらしい。
一見厳しそうに見える制限だったが、健常者にとって、それほど大きな障害にはならなかった。ダンジョンには弱いモンスターもいるからだ。しかし彼女は……
俺は彼女の所へ戻って直接聞いてみた。
『君はどこが悪いんだ?』
あまりにストレートな問いに、彼女は一瞬きょとんとしていたが、すぐに答えてくれた。
『右半身ね。右手は上腕から先が、左手は前腕部が義手。足も右足は膝の上からないわ。左足は大丈夫。顔は左側が残っていただけラッキー』
『事故?』
『まあね』
『このオーブが買えるなら、ポーションを手に入れられるだろ?』
『ポーションはすでに安定している体を修復しないんですって』
『昔の事故なのか。残酷だがもう一度腕を落としてポーションを使えば……』
『手足を繋ぐくらいならともかく、何もないところからにょきにょき生えてくるようなポーションは、仮に存在していたとしても民間人には回ってこないわよ』
世の中には金を出せば買えるものと、そうでないものがある。
存在しないものは、どんなに金を出しても買えるはずがない。
センセーショナルだった、最初の上級ポーションの使用だって、あくまでも修復だ。体の大部分は存在していて、モンスターの顎で切断された部分を修復して繋いだだけなのだ。下半身全体が生えたわけではない。
『そう言えば、君、名前は? 俺は芳村圭吾だ』
『アーシャ。皮肉でしょ?』
『なにが?』
『希望って意味なの』
その言いぐさを聞いて俺は決心した。
「なあ、三好」
「なんです?」
「俺は、彼女をダンジョンに連れて行ってやりたいと思うんだ」
「まあ、先輩ならそうですよね。美人に甘いですし」
美人? そう言われれば顔の左半分は整っている。
ちょっと、カトリーナ・カイフの若い頃を彷彿とさせる容貌だ。ハーフなのかな。
俺たちの話を聞いていた彼女が、驚いたようにこちらを振り仰いだ。
「で、どうやって彼女にモンスターを?」
「太くて長めのストローと、ソールに厚い鉄板を張りつけたブーツでいけるだろ」
「はぁ……しかたありませんね。さっそく手配しておきます」
三好は、どこかに電話を掛けるために、こっそりと部屋を出ていった。
『本当に引き受ける気なの? インド軍にもイギリス軍にも断られたのに?』
イギリス軍? なるほどね。
だがまあ普通は断るだろう。ヘタをしたら彼女の命はないし、それどころかまわりの命すら危ない。なにしろ対象モンスターを他人が取り押さえているわけにはいかないのだ。もちろん麻酔など論外だ。
『まあ、俺達に任せておきなよ。藁にくらべりゃ、多少はましだから』
『そう』
俺は彼女の笑顔を初めて見た気がした。
さてと。問題は時間だな。
『ただし、ほとんど時間がないから、これから俺の言うことには、必ず従って欲しい』
『裸になって足を開けって言われても?』
『……そうだ。もっともそんな楽しいことを要求したら、あそこで話している人達に殺されるだろうから言えないけどね。残念ながら』
『わかった、ケーゴに任せる』
『助かるよ』
俺は、鳴瀬さんに歩み寄って尋ねた。
「それで、どうなってるんです?」
「あ、芳村さん。それが、どうも彼女を連れてダンジョンに行って欲しいそうなのです。それ自体は取引と何の関係もないので強要できないと説明しても、頼みます一辺倒で」
「わかりました」
「Shri. Amed」
敬称だってすぐに検索できる、ゴーグル様々だな。
アーメッドさんは、僅かに眉をあげた。
「芳村さん。お話は私が――」
執事然とした細身の男が割り込んできたが、俺は無碍にそれを切り捨てた。
「取引は終わったので、あなたの仕事はここまでです。あとはアーメッドさんと直接話しますから。お疲れ様でした」
「は? いえ、そんなわけには」
「鳴瀬さん、隣の小会議室を使えますか?」
「え? ええ、すぐに」
JDAの小会議室は、すべて盗聴防止に電波を遮断する部屋になっていると以前鳴瀬さんから聞いた。使用予定のなかった部屋をいきなり使うのだから、あらかじめ細工をしておくことも難しいだろう。
相手が録音をする場合は防ぎようがないが、それは仕方がないとあきらめた。そうされないことを祈ろう。
『では、アーメッドさん、行きましょう』
俺はアーシャの車いすを押しながら、強引に隣の部屋へと移動した。
鳴瀬さんが入り口で、通訳の男を遮って、後ろ手にドアを閉めた。
そうして、部屋には、俺と、アーメッド親子の三人が残された。
『お嬢さんのDカードを取得するためにダンジョンに連れていって欲しいということですが――』
『そうです』
アーメッドさんは初めて直接口を開いた。
『それがどれほど困難なことかは、おわかりですよね?』
『取引のオプションなどとは考えていません。新規の依頼で――』
『あの通訳の方がどこの方かは存じませんが、そういう問題ではないこともおわかりですね?』
『……わかっている』
そのとき、アーメッドさんはビジネスマンから父親の顔になった様な気がした。
『結論から言うと、我々はお嬢さんにDカードを取得させることにしました』
『本当か?!』
『ただしそれが二十四時間、いや、もう二十二時間くらいか、内に出来るかどうかは保証できません』
『だろうな』
『もしその場合、あなたが高額の支払いをされたオーブそのものは無駄になりますが――』
『なぜ? あなた方はオーブの保存技術を開発したのでは?』
『通訳の方から、その話を?』
『……そうだ』
『そんな都合の良い技術は、たぶんどこにもありませんよ』
『しかし、オーブカウントは、確かに六〇未満だった』
『それは偶然です』
俺は、口に立てた人差し指を当てて、そう言った。
『偶然』
『そうです、偶然です。神さまもたまには仕事をする』
そういうと、娘のほうが微かに口角をあげた。
『時間の件は全力を尽くしますが、もし間に合わなかったとしても、すぐにもう一つ入手する予定があることはお伝えしておきます』
『なんだと?』
『もちろんただでお譲りするわけにはいきませんが』
『それは、そうだろう。で、Dカード取得の依頼料はいくらだ?』
『そうですね。各国の軍にも断られたはずの、このミッションインポッシブル……結構なお値段になるかと思いますが』
『構わん』
『では、お嬢様が無事Dカードを取得されたら、お嬢様と一緒にお食事をする権利というのはいかがです? もちろんあなたのオゴリで』
アーメッドさんは、何かを聞き間違えたのかと、眉をひそめた。
『……なにかのジャパニーズジョークかね?』
『とんでもありません。あ、ヒンドゥー教徒の方ってベジタリアンでしたっけ?』
『人によっていろいろだ。うちは緩くて魚はかまわん。肉も害獣は許されている。たまにだがね』
さすがヒンドゥー教。あまりに懐が深すぎて、どんな戒律なのか一言で言えないだけのことはある。
「ではそれで」と俺は右手を差し出した。
彼は少し逡巡した後、その手をとると、力強く握りかえしてきた。これで契約は成立だ。
ドアを出ると、通訳の姿が見えなかった。三好が早速報告してくる。
「先輩。代々木の会議スペースをひとつ借りて、着替えや装備をそこに運ばせています。三時間程で揃いそうです」
「人を乗せる背負子もひとつ用意しておいてくれ。レスキュー用のやつがあるだろう」
「了解です。先輩が背負うんですか?」
「車いすに何がくっついてるかわからないしな。それにダンジョン内を車いすで移動するのは難しいだろう」
「なんだかスパイ映画みたいになってきて、ワクワクしますね」
「そんな派手な活動は願いさげなんだけどなぁ……」
「ぐーたらは遠くなりにけりですね」
「なんだそのいまさら気がついたような台詞は」
「いや、知ってましたけど」
「なら、詠嘆じゃないな。過去になったことだけを言いたいなら『遠くなりき』だろ」
「だから先輩は、そういうところが女性にもてない原因なんですって」
三好は、空気よめとばかりにふくれて、おれの足にケリを入れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
三時間後、俺たちは代々木ダンジョンのレンタル会議室にいた。
アーメッドさんはついてきたがったが、VIP用の別室で待機して貰っている。
最後までボディガードを付けたそうだったが、はっきり言って邪魔なので断った。
『それじゃアーシャ。義手も義足も、身につけているものは全部はずして、こちらの用意したものに着替えて下さい』
『え? え? 下着も?』
『全部です』
『足を開けと命じられるのと、たいして変わらないよお』と、彼女が頬を赤くして下を向いた。
「じゃ、三好、後は頼んだ」
「それは良いですけどー。足を開けってなんですか?」
「あー、よくわからんな。気になるなら彼女に聞け」
「ほー」
部屋を出て扉を閉めた俺は、そこで待っていた鳴瀬さんに面倒なお願いを追加した。
「じゃ、鳴瀬さん。俺たちが入った後、五分間は誰も入らないように、入り口を閉鎖して下さい」
「え? それじゃ、ダンジョン封鎖ですよ?」
「入り口のチェッカーの調子が悪いとかなんとか、適当にお願いします」
「ああ、職権乱用も甚だしい気が……」
「危険回避活動だから合法ですよ。他国の連中がついてくると、いろいろと面倒が起こるかもしれませんから」
「はぁ、仕方ありません……」
「ありがとうございます」
「それから、一応検索してみましたが、外国籍のエクスプローラーは、ここ三時間で入ダンしていません。その前ですと、いくつかのグループが入っていますけど」
「了解」
流石は鳴瀬さん、手回しがいい。
突然のダンジョン
いくらイギリスの諜報機関が優秀でも、そう簡単に日本人の協力者を動かすのは難しいだろう。
会議室の扉がガチャリと開くと、三好が顔を覗かせた。
「準備できましたー」
「よし、行くか!」
俺は早速、レスキュー用の背負子に彼女を背負うと、三好と三人で代々木ダンジョンを下りていった。
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