第32話 願い(後編)

『へぇ、ダンジョンの中って、こんな感じなのね』

『まあね。さっきも言ったけど、この中で見たことについては他言無用だから』

『わかってる』


 一層の奥地へと向かう通路を数分進んで、細長い直線の通路のどん詰まりにある角を少し曲がった位置へと到着した。

 お、いるいる。

 三好は早速、ぷるるんとしたモンスターの前に、タゲを取らないよう注意深く分厚いクッションシートを広げていた。


『じゃ、そこに降りて、このストローでその液を吸い上げて、スライムに向かって強く吹きかけて』

『え? それだけ?』

『まあそうだ。少しなら大丈夫だけど、内容物を飲んだり、目に入れたりしないように』


 霧吹きも考えたのだが、それを準備するところが銃の弾込めとみなされる可能性がある。経験値の取得ならともかく、Dカードの取得に関しては、テストのしようがなかったので、俺達はもっとも原始的で確実な方法を選択した。少しくらいなら口に入っても問題ないだろうしな。


「三好は、そっちの角からルートを監視しててくれ」

「了解ー」


 ゴーグルを付けたアーシャはシートの上に仰向けに寝ると、片足で蹴ってずりずりとスライムに近づいた。

 俺は、何かあったとき、フォローするためにそばに控えていた。


『はあはあ。良いわよ、ストローを頂戴』


 俺は黙って、彼女に長めのストローをくわえさせた。

ここから先は、全て彼女が一人で行わなければならない。


 彼女は液をストローに吸い上げると、鼻で大きく息を吸ってから、勢いよくストローに息を吹き込んだ。

 押し出された「エイリアンのよだれ」は、見事にスライムに命中した。そうしてその瞬間スライムははじけて消えて、コアがころりと転がった。アーシャは仰向けで呆然とそれを見ていた。


『なにこれ?』

『凄いだろ? 俺たちは"エイリアンのよだれ"と呼んでいる』

『酷い名前』


 アーシャが吹き出した。


『あとは、そこに転がっているコア――まるいガラス玉みたいなヤツだ。を、履いているブーツの底で、思いっきりひっぱたくんだ』

『了解』


 そういうとアーシャはずるずると体を回して座る体勢に移行した。

 俺はさりげなくバックパックを置いて、それを補助した。体に触れてるわけじゃなし、ささえてることにはならないだろう。

 そうして彼女は左足で狙いを付けると、座ったまま思い切り足を振り下ろした。

ブーツの底に張りつけた鉄板が、コアにぶつかったが、完全には破壊されていないようだった。


「先輩。向こうの角を誰かが回ってきました」


『もう一度!』

『うん!』


 再び勢いを付けて振り下ろされた足は、正確にコアを捉え、そうしてコアは砕け散った。件の黒い光のようなものが現れて消えると、そこには鈍い銀色のカードが残された。


『おめでとう』


 それを拾って、彼女に見せる。


『あ、ありがとう。これでオーブが使えるの?』

『そうだよ』


 そういうとアーシャは、俺の首に腕を回して、なんどもありがとうと囁いた。


『おい、大丈夫か?』


 後ろからネイティブの英語が聞こえてきた。


『何か用ですか?』


 三好がそれに答えている。


『いや、誰かがいたから確認に来ただけだ。なんなら俺たちがエスコートしてやろうか?』


 そう言ってこちらを覗いた軽そうな男が『おや、なんだかお取り込み中みたいだな?』と口にした。


『いや、ありがたいが、俺たちはもう引き上げるところだ。自分の探索に集中してくれ』


 俺は、彼女の腰を抱いて、レスキュー用の背負子に座らせると、ひょいとそれを担ぎ上げた。三好は手早くシートとストローを片付けている。


『何だ、怪我でもしたのか?』

『いや。まあ気にしなくても良いよ。じゃあな』


 そう言って、俺と三好は足早に、二人の外国人から離れていった。


「どうやらつけてきますよ?」

「まあそうだろうな。そうだ三好、あれを」


 俺がそう言うと、三好はポーチからひとつのオーブを取り出した。

それは彼女の父親から預かってきたオーブだった。


『オーブはダンジョンの中で使ったほうが効きが良いっていう俗説があるんだ。試してみるか?』


 彼女は少し考えたが、すぐに小さく頷いて、三好が差し出すそれを手首から先がない左手で触った。そうして深く息を吸いこむと、静かに目を閉じた。


 その瞬間、オーブは光となって溶け、光は彼女の体にまとわりつき始めた。


『んっ……ああっ』


 アーシャが思わず上げた声は、その場を見ていない者を誤解させるのに充分な、あえぎめいた声だった。

 俺は焦って素早く横道に走り込むと、彼女を下ろして、三好と経過を観察した。


『あっ……ああっ、ああっ』


 身もだえする彼女を見ながら自然と顔が赤くなる。

三好の肘鉄に右の脇腹をえぐられて、思わず涙目になったところで、それは起こった。

 彼女の体の欠損部分がもりもりと盛り上がり、手や足の形をなしていく。右半身の、服に覆われていない部分が薄く発光していた。


『ああっ……』


 一際大きなあえぎをあげた彼女は、額に玉のような汗を浮かべたまま、ぐったりと俺の胸に寄りかかった。


「せ、先輩。これって……」


 アーシャのマスクがずれて、ぽとりと地面に落ちる。

豊かな黒髪がこぼれ落ち、後には、以前思った通り、カトリーナ・カイフの若い頃を彷彿とさせる美女が、荒い呼吸と共にそこにいた。


「オーブって……凄いですね」

「凄いな」


 呆然とそれを見ていた俺たちに、誰かの足音が聞こえてくる。例の二人に違いない。俺は三好に目で合図すると、アーシャを抱き上げて移動し始めた。


「あ、背負子おきっぱなしだ」

「あれにはなんにも残ってませんから、大丈夫ですよ。むしろ調査してくれる間、時間が稼げるってものです」


 彼女を抱えているにもかかわらず、おれの腕はほとんど疲れたりしなかった。

先日検査の時に十ポイントが追加されたSTRの影響であることは言うまでもないだろう。


 これ、残りポイントを全部振ったら、本当に人間辞めちゃうんじゃないの? とちょっとだけ不安になった。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇


 代々木ダンジョンのVIPルームで、アーメッドさんは呆然として、立ち上がることも出来なかった。ドアを開けて入ってきたのは、出会った頃の妻によく似た顔立ちの、どこにも瑕疵のない玉のような女性だったからだ。


 彼女が何を言ったのか、俺たちにはわからなかったが、「ピタ」と聞こえた。きっと「パパ」って意味だろう。


 アーシャはソファから立ち上がれないアーメッドさんに駆け寄ると、抱きついて二人で泣き合っている。俺たちは目配せしあうと、そっと静かに部屋を出た。


「お疲れ様でした」


 鳴瀬さんがそう言った。


「五分後に、英国籍の二人がダンジョンに入っていきましたけど、大丈夫でしたか?」

「来た来た。会いましたよー。なんか、軽そうな人でしたね」

「ストーカーっぽくつけられたくらいで、特に実害はありませんでしたから」


「でも、先輩。あの広い代々木ですよ? 五分遅れで入って、よく私たちの居場所がわかりましたよね?」

「あの辺は人がいないからな。イギリスさんには、何かダンジョン内で人を探す秘密兵器でもあるんじゃないか?」

「おー。Qが居るんですかね?」

「さあな。ところで、原作にQはいないんだぞ。Q課は出てくるけどな」

「だから先輩は、そういうところが女性にもてない原因なんですって」


 ふくれた三好は、当てつけなのかとんでもないことを言い出した。


「ま、ダンジョンの中ではもててたみたいですけどね」

「え、何かあったんですか?」

「先輩ったら、アーシャさんをお姫様だっこですよ!」

「キャーっ」


 いや、キミたちね……


「それはともかく、芳村さん」

「はい?」


 鳴瀬さんは、いきなり仕事モードに切り替わった。


「アーシャさんの体のことですけど、あれが〈超回復〉の効果なんですか?」

「それはわかりませんけど、使ったとたんにああなったのは確かです」

「使用時の状況は――」

「ああ、WDAデータベースの、オーブ効果の説明ですか?」

「はい」

「……あれって公開しないほうがいいんじゃないですか? もしも現象だけを公開したら、人類の欲望を大いに刺激すると思いますけど」


 俺はアーシャ達のいる部屋の中を透視するように見て、そう言った。


 ポーションが公開されたとき、世界はパニックとも言える狂乱状態に陥った。

このことを公開すれば、〈超回復〉の出現には、それ以上のインパクトがあることは間違いないだろう。


「不死?」


 鳴瀬さんが思わず不穏なことを呟いた。三好は慌ててそれを否定した。


「そんな大層な! ちょっと、疲れにくくなるくらいですよ? 徹夜しても一晩くらい平気です」

「え?」

「それから小さな怪我はすぐ治ります。機能報告としてはそれくらいにしておいたほうが――」

「ちょっと待って下さい」

「?」

「もしかして、三好さんも使われたんですか?!」

「あ」


 おう。三好。脇が甘い。

俺は額に手を当てて、天を仰いだ。


「……ええまあ。販売するのに実験は必要じゃないですか」


 あ、バカ……


「って、ことは、他の未登録オーブも?!」

「ぜ、全部ってわけじゃ……ないですよ?」


 つっこまれた三好の目が泳いでいる。アホか、こいつは。


「ま、まあそれはともかくですね。まだ、はっきりとした効果は分かってないんですから、焦らない方がよろしいかと」


 無理矢理割り込んだ俺を横目で見ながら、鳴瀬さんは頷いた。


「そもそも〈超回復〉の効果が、どの程度続くのかわかりません。それに、一度大きく回復したら、その機能が失われる可能性だってあります」


 回復というのはどこからかエネルギーを持ってきて行われるわけだ。

それが無限に続くなんてことは、常識的に考えればありえない。ダンジョンに常識が通用するかどうかはともかく。


「蜥蜴の尻尾だって、一度切ってしまえば長い間使えるようにはなりません。生物として、そう簡単に不老や不死が得られるとは思えませんし……って、まてよ?」

「どうしました?」

「今、アーシャのDカードってどんな表記になってるんだ?」


 俺は三好に向かってそう尋ねた。


「あ! そういえば、私が拾ったままだ。でもこれ、本人の許可無く見てもいいんですか?」

「内容は全部知ってるんだから問題ないだろ。緊急ってことで目をつぶれ」

「わかりました。これです」


--------

Area 12 / Asha Amed Jain

Rank 99,728,765


[超回復]

--------


「スキルって日本語表示されるんですか?」


 三好がカードを見て不思議そうに言うと鳴瀬さんが解説してくれた。


「Dカードのスキル表示は、見る人のネイティブの言語で見えるんです」

「ええ? なんでです?」

「分かっていません」

「光だけで知覚しているわけじゃないんだろ……それはともかく」


「スキル名に括弧がついていて、色が薄くなってますね」

「なんだかまるで、現在は使用できないって言ってるように見えます」

「実際そうなのかもな。時間が経ったら回復して使えるようになるのか、もう二度と使えないのか、そこは分からないが」


「あとでアーメッドさんたちに説明しておいたほうがいいですよね」

「そうだな。どっかのアホな国が、スキルの効果を確かめようとするかもしれないからな」

「先輩、それって……」

「ま、ただの可能性だよ」


 誘拐されて、実験材料よろしく切り刻まれる、なんてことは考えたくない。

そういえば、もしもばれたら、三好にもその危険があるのか……はあ、ぐーたら生活がどんどん遠ざかっていくな……

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