第12話 再会 10/6 (sat)

 今日も今日とて代々木ダンジョン一層だ。相も変わらず誰もいない。


 日本一の参加者数を誇る代々木ダンジョンだけれど、一層は本当に過疎地だった。もちろん今の俺にとって、それはとても都合が良かったのだが。


 ぽよよんとした可愛いやつを見つけては、シュッと吹いてバンと叩く。今日の作業もそれの繰り返しだ。


「ぽよん♪ シュッ♪ バン♪」

「ぽよん♪ シュッ♪ バン♪」


 こないだYouTubeでみた、薬師丸ひろ子の古いシャンプーのCMと同じメロディーなのは、単に語呂が良かったからだ。なんでそんな古いアイドルを知っているかというと、父親が薬師丸ひろ子のファンだったそうで、うちに古いCD(!)があったのだ。

 不思議な声質と音域の狭さに作曲家が七転八倒している様が見える、淡々としたメロディラインがクセになるとかなんとか、よくわからないことを言っていた気がする。


 ゲシュタルト崩壊を起こしそうなくらいその歌を口ずさみながら、賽の河原に石を積む気分で、倒した数だけ記録していった。SPは確認だけして記録はしていない。初日の予想通りだったからだ。


「はぁ、これで五十七匹目っと」


 手帳に正の字を書き加えながら、腰を伸ばした。


 スライムは天井を這っていることがある。下を獲物が通ると、降ってきて捕食するらしい。まさにスライムボムだな。張り付くと剥がれず、叩いても切っても効果が薄い。火であぶれば多少は効果があるが、くっつかれた人間も火傷する。時折そんな事故が起こるそうだ。


 そう聞いて、なるべくライトが届かないほど天井の高い場所は避けるようにしていた。


「まあ、襲われても、ナントカビームの一発で外れるとは思うんだけど……」


 自分の体で実験するのは、さすがに御免被りたい。


 なお、マキロンもどきについては、いまだに公開していない。

例のオーブリストの件で、乱獲が発生したとき人が殺到する原因になりそうだったからだ。


 そのとき、通路の先から、微かな叫び声が聞こえたような気がした。


「なんだ?」


 注意深くそちらの方向に耳を澄ませると、確かに道の奧から誰かが叫んでいるような声が聞こえる。俺は、その声に向かって駆け出した。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇


「は、早く、早くとって! やだ、何、これ!!」

「やってる! やってるけど! なんで外れないの?!」


 少し先にあった小さな広場のような空間で、初心者防具セットを身につけた二人組のパーティが、上から降ってきたスライムに絡まれていた。


 代々木一層のスライムは、頭をすっぽり覆われて窒息死でもさせられない限り、取り込まれたからと言って、目に見えるような速度で溶けていくわけではない。とは言え、長時間くっつかれていたら危険だ。


 小さい方の女の子が首筋から胸あたりまで包まれていて、大きい方の女の子がそれを掴んで取り除こうとしているけれど、自分の手もスライムに埋まってうまくいかないようだった。


 なお、服だけ溶けたりはしない。残念ながら。


「大丈夫か?!」


 俺はそう叫んで駆け寄った。


「あ、助けて! 助けて下さい!!」


 背の高い方の女の子が必死にこちらを見て叫んだ。

俺は、腰のベルトからボトルを引き抜いて、くっついていたスライム向かって、その液体を噴出した。ワザ名を叫びながら。


「くらえ! 塩化なんとかニウム!」


 一応お約束だからな。

 相変わらずその効果は劇的だった。マキロンもどきを吹き付けられたスライムは、瞬時にはじけて消えたように見えただろう。


「え?!」


 スライムを外そうと奮闘していた女の子は、あまりのことに驚いたように固まった。


「ほら、大丈夫か?」


 俺はそう言って、泣きじゃくっている小さい方の女の子に、バックパックから未使用の綺麗なタオルを取り出して渡した。


「あ、ありがとう、ごじゃいます」


 彼女はそれを受け取ると、顔と、くっつかれていたところを拭きながら、ふとこちらを見ていった。


「あ、あれ? 研究職の人?」

「あん?」


 よく見ると、その顔には見覚えがあった。


「えーっと……斎藤さん? だっけ? 奇遇だね」


 そう言うと、背の高い方の、なんだったかカッコイイ名字だった女の子が、俺の顔を見て、驚いたように言った。


「本当だ! 三好さんにくっついていた、えーっと、なんてったっけかな」

「芳村だよ。……御劔さん、だっけ?」

「はい。助けてくれてありがとうございます。だけど、その液体、人にかかっても大丈夫なんですか?」


 なにしろあれだけ何も出来なかったスライムがはじけ飛んだんだから、人体に影響があってもおかしくないと思うだろう。


「目に入ったり、飲んだりしなければ大丈夫。消毒液みたいなものだから。心配なら水で洗う?」


 そう言って、俺はバックパックから2リットルのペットボトルを取り出した。


「ありがとうございます。一応それで拭かせて下さい」


 そういってタオルを水で湿らせると、斎藤さんの首筋にあてて、「あの、ちょっと向こうを向いておいていただければ……」と恥ずかしそうに言った。


「あ、すみません。気が利かなくて」


 俺は慌てて、広場の方に向いて、一応スライムの警戒をした。


 後ろで衣擦れの音がして、小さく「ちょっと赤くなってるだけだし、大丈夫」とか「つめたーい」とかいろんな声が聞こえてくる。


 ぬう。意外と破壊力あるな、これ。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇


 講習で一緒だった女性二人組は、ボーイッシュで背が高く正統派美人なほうが、御劔みつるぎ はるか。かわいい系で、モテそうな方が、斎藤さいとう 涼子りょうこだと名乗った。


「子だよ? 今時、子! んもう。結婚しても変わらないんだよ?!」


などと妙な部分に憤慨しながらだったけれど。


 ふたりは、一応新人のモデルと俳優で、事務所が同じなんだとか。三好のプロファイリング、侮りがたし。


「でも、さすが研究職の人だね」


 すっかり立ち直った斎藤さんが、感心したようにそう言った。


「叩いても引っ張っても、全然倒せなかったのに、霧吹きひとつでやっつけちゃうなんて。それ、秘密兵器?」

「まあ、そんなもん」


 俺は苦笑いをしてそう言った。


「それって市販されているんですか? 調べたときはそんなもの見つからなかったんですが」


 御劔さんは、助けて以降、丁寧語で接してくる。


「いや、うちで、何日か前に作ったものだから、まだ市販はされていないよ」

「そうですか」


 御劔さんは残念そうにうつむいた。

そういう顔につい絆されちゃうところが、広告に弱いとつっこまれる所以なのだが、まあ性分だしなぁ。


「えーっと、何か事情があるなら、わけてあげてもいいけど」

「本当ですか?」


 ぱっと上げた顔は、熱を帯びていて、酷く子供っぽく、そうして真剣な眼差しだった。


「もう、はるちゃんのほうが女優に向いてるんじゃない?」


 私は名刺ももらえなかったのにーと、斎藤さんがむくれている。

なるほど、斎藤さんのほうが女優で、御劔さんのほうがモデルだったのか。


 まあ、どちらかというと御劔さんの方が好みなのは確かだ。

中性的で二度お得そうとかじゃないぞ。正統派の美人のほうが好きなだけだ。

昔、三好にそう言ったら、空集合のげんを選ぶのに好みもクソもありませんよと、鼻で笑われたけどな。


「ダンジョンで経験を積んだら、オーラが出るってほんとうですか?」

「は?」


 オーラ? 磁力線に沿って降下したプラズマが、酸素や窒素の原子を励起することで光ると言われている、あれ? って、それはオーロラや。

 いきなり真顔で聞かれて、俺は、一人突っ込みをするくらい面食らった。


 彼女の瞳は真剣だ。ここは、何か……何か答えなくては。


「はるちゃんはさ、今、境界にいるんだよ」

「境界?」


 岩に腰掛けて、まじめな顔でそんな話を切り出してきた斎藤さんは、逆に急に大人びて見えた。


「そう。境界っていいよね。あいまいで。私は好き」

「大人と子供の境目も、宇宙と地球の境目も。モラトリアムな場所は、一見何かを決めなくちゃいけないようにみえるけれど、それが終わるまでは何も決めなくても許される。だから居心地が良いのかな」


 こいつ、こっちが本性か。


「だけどそうじゃない人もいるんだな、これが」


 御劔さんは、グラビアモデルだそうだ。


 一応、昔からグラビアに力を入れているK談社の、少年誌や青年誌に登場できるところまでは行ったらしいけれど、読者投票ではどうしても遅れをとってしまう。

スレンダーで中性的な容姿は、グラビアには不向きだよな。


「御劔さんのプロポーションや容姿、それに身長なら、異性より同性にアピールする、ファッション方面の方が向いてるんじゃないの?」

「そうそう。研究職さん、わかってるじゃん。それで転向しようとしているわけなんだけど、いきなりは難しいでしょ?」

「まあ、簡単じゃないんだろうね」


 よく知らないけどな。


「ちょっと前から、モグラ女子なんて言葉もあるくらいだから、一応事務所にもコネはあるわけ」

「それで営業すると、コンポジットにもブックにも問題は無いんだけれど、面接で、なにか少し足りないって、最終で落とされることが多いんだ」


「コンポジットとかブックとかって?」

「コンポジットは、名刺みたいな資料ね。仕事履歴とか体のサイズとか。ブックは、まあ自分写真集みたいなものよ」

「へー」


「で、『少し足りない』って言われ続けたら、一体何が? って思うよね」

「まあ」

「で、はるちゃんはクソまじめだから、どこかのバカなやつが言った、ちょっとオーラが、みたいな軽口を真に受けちゃったわけ」


「オーラなんて、風格が出てから身についたような気になるものじゃないの?」

「でしょー? 大体そんなもん体から出てるわけないじゃん」


 それはそうだ。どんな凄い俳優だろうと、体から人の心を虜にする電磁波みたいなものが出てたりしたら大変だ。もしかしたら、スキルオーブの中に「魅了」とか「カリスマ」とかいうスキルがあるかもしれないってことは否定できないが。


「俺たちの立場で言えば、例えば動作の最適化が出来ているかどうか、なんてことがオーラに関係するのかな、なんて思うけど」

「どういうことです?」


 斎藤さんと俺の話をただ聞いていた御劔さんが突然食いついてきた。


「つまり、体を使って何かを表現する時――」

「ポーズとかですか?」

「そうだね。他にも、女優なら感情を表す目線とか、表情とか、モデルなら服のシルエットをもっとも美しく見せる歩き方とか」

「ふんふん」

「まあ、そういうことを考えていると思うんだ」

「はい」


「ただ、その意図した通りに体が動くかというと、そう言うわけには行かない」

「人間は、机の上のコップひとつを取るためにも、体のセンサーから得られる情報をフィードバックしながら目的を達成するよう、体を制御しているわけだね」

「はい」

「動作の最適化って言うのは、端的に言うと、考えたとおりに少しのズレもなく体が動くってことかな」

「ズレ……」

「人間の感覚は、細かいところに対してとても鋭敏にできているから、僅かなズレが気になるのかも知れないね」

「……動作の最適化」


「モンスターを倒して得られる不思議な効果には、力を強くしたりする以外に、素早さや体のコントロール力を伸ばす効果もあるんだ」

「つまりモンスターを倒せば、その力を得られると言うことですか?」

「普通の訓練でも良いと思うけどね」

「それじゃ届かない場所があるんです」


 そうだ。掛け金が自分の命だって言ってたのは、この娘だったっけ。

あれ、本気だったのか。


「ま、そういうわけで、ちょっと大きいオーディションが二ヶ月弱くらい先にあるのよ」


 斎藤さんが事情の説明を追加した。


「それを目指して特訓するって言うから、何かと思ったら、まさかダンジョンでモンスター退治とはね」


 顔に傷でも付いたら、オーディションどころじゃなくて、仕事生命自体が終了じゃない。なんてぶつぶつ言っている。それでも付き合う斎藤さんは、実はちょっといいやつなのかもと思った。


 二ヶ月か……

袖すり合うも多生の縁。俺はちょっとだけ協力してあげたい気分になっていた。


「これから俺が言うことは、バカみたいな話に聞こえるかも知れないけれど、試してみる?」

「はい!」


 そうして俺は、ダンジョンの境界の場所を教えた。ああ、これも境界だな、なんて考えながら。


「ダンジョンに入ったら、近くに人がいない、スライムの多そうな場所へ行く」

「はい」


 そうして俺達はダンジョンに入ると、二層へと向かう人の流れを無視して、近くに広間があるルートへ入った。スライムはすぐに見つかる。


「で、しゅっと吹いたら……」


 俺は実際にスライムに液を噴射して、コアの状態にすると、それを素早く軽く叩いて破壊した。


「こんな感じでコアを叩いて壊す」

「はい」

「ここで重要なのは、力を入れず。なるべく素早く正確に叩くことを心がけて」


 役割が適切なステータスを作り上げるなら、そうすることでAGIやDEXに優先的に割り振られるんじゃないかな、なんて漠然と考えたわけだ。


 御劔さんは、それを真剣に聞きながら頷いた。


「それから、最後に、これが一番重要なことなんだけど」


 御劔さんは、なんだろうと、不思議そうな顔で俺を見た。


「一匹倒したら、すぐに、さっきの場所の一歩先くらいまで移動して、それから戻ってきて、次のスライムを同じように倒すんだ。近くにいても、連続して倒さないように」


 二人は「?」な顔をしている。

そうだよなぁ。俺だってこんなことを言われたらそうなるよ。でも二ヶ月で効果が出るようにするためにはこれしかないと思うんだよ。


「時間の無駄にしか思えないんだけど、それ、なんか意味あるの?」


 横から斎藤さんが突っ込んできた。

あるよ! 連続して十匹倒したら、たった0・059になるSPが、これをやることで0・2になるんだよ! 効率が三倍以上なんだよ!


 しかしそんなことを言うわけにはいかず、結局出てきた言葉が――


「け、研究職を信じなさい」だった。


 斎藤さんはしばらく俺を睨んでいたけれど、ふと目をそらすと、


「はるちゃん、この男、ちょー鈍いけど、研究職としては優秀そう……な、気がする」

「大丈夫。言われたとおりやるよ」


 このことは、いろいろと守秘義務に抵触するから誰にも言っちゃダメだよと、口止めをして、満タンのなんとかニウム入りのボトルを二本と、予備のハンマーをふたつ渡した。


「なんで二セット?」


 斎藤さんが不思議そうにそう言った。


「どうせ、斎藤さんも付き合うんでしょ」


 そう言うと、悔しそうに、少し頬を赤らめた。


「ただ、お互いの倒すスライムに、石のかけらひとつとばしちゃダメだから。必ず一人で倒すように」

「わかった」

「それと、ボトルが空になったら、電話くれれば渡せるようにしておくから」


 そう言って、斎藤さんにプライベートな名刺を渡すと、「やっと名刺を貰えたよ」と言って悪戯っぽく笑った。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇


 その後、数匹分討伐に付き合った。


「いや~、これ、楽」


 斎藤さんが、嬉しそうにボトルを掲げてそう言った。


「くれぐれも人に見られないように」

「わかってるって。でも移動がメンドいね、これ」


 一匹倒す度に、入り口を出てダンジョン境界まで移動するのだ。短距離とはいえ、確かに面倒だろう。だがこれが重要なのだ。


「くれぐれも、手抜きしないで、さっきの所まで戻るように」

「わかってますって。でも、これで効果がなかったら、後でたっぷりクレームつけに行くから」

「うはっ」


 なんという恐ろしいことを。


「だ、大丈夫そうだね。じゃ、あとは繰り返しだから」

「ありがとうございました」


 御劔さんが、丁寧にお辞儀した。基本的に所作は綺麗なんだよな、このこ。


「最後に、倒したスライムの数だけは控えておいてくれるかな」

「? はい、わかりました」

「ま、それくらいならね」


 そういって俺は、彼女たちの健闘を祈りながら引き上げた。

予備のハンマーも渡してしまったため、装備がなくなってしまったからだ。

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