第9話 初めてのダンジョン 10/4 (thu)
翌週の前半は散々だった。
退職届を出そうとすると、次々と偉い人が出てきて引き留めようとするのだ。しかも残されたプロジェクトの面々のことを考えないのか、だと。アホか。
大体辞めようとされてから引き留めるくらいなら、最初から待遇をまともにしておけばいいんだ。
「今回の君のミスについては聞いているが、特にそれを咎めるつもりはない」
人事の人がそう言ったが、俺は唖然とするしかなかった
「私は何もミスなどしておりませんが。営業が起こしたトラブルに、何故か謝りに行かされて、先方が取引を打ち切っただけです。謝罪にきたのが無関係な下っ端では誠意を疑われても当然だと思いますが」
「……そんな話は聞いていない」
「聞いていないと言われましても。それは御社の問題では」
要約すると『そもそも、俺はもう榎木のケツを拭きたくないんだよ』という内容を、これでもかと婉曲に訴えた。
結果、辞職願は一旦保留されたが、給与締め日までの有給は認められた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そうして訪れた木曜日。
俺は大手を振って、代々木ダンジョンへ向かおうとしていた。
「おー、光り輝くライセンス。押しも押されぬGランク。なんだか無駄に格好いいな、これ」
「なんでドベのGランクが、押しも押されもせぬなんですか?」
「後ろに誰もいないから」
「はあ……」
普通のラノベじゃ、ランクに応じて違う素材のカードだったりすることが多いが、WDAのライセンスは、ありふれたプラスチックのICカードだった。ただ、偽造防止にホログラムが埋め込まれていたり、ランク表示のデザインが凝っていたりで、やたらとカッコイイのだ。
「漫画・アニメが文化の国は、カード一枚にしても凝ってるねぇ」
三好は同封されていた、エクスプローラーガイドを懐かしそうにめくっている。
これまたなにかのゲームの説明書のような作りで、ファンタジーな雰囲気満載だ。もっと役所っぽい無味乾燥のドキュメントかと思ってた。もちろん書いてあることは、常識的な内容ばかりだけれど。
「んじゃまあ、行きますか」
「了解」
俺たちは、早朝のアパートを出て、一路代々木ダンジョンへと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
代々木はかなり広いダンジョンだけど、攻略済みの二十一層まではかなり詳細な情報が出そろっている。
細かいマップがちゃんと公式サイトに載っているし、ダンジョンビューで内部も見られたりする。ストリートビューのダンジョン版だ。全方位カメラを被って歩いている探索者を見かけることも多いらしい。
「道路の上と違って、上下する徒歩だし、障害物を避けるときなんかは画角もかわるだろうに、うまくトレースして重ねてるよな、あれ」
「ドローンとか使ってるんじゃないんですね」
「モンスターに壊されるんだってさ」
代々木ダンジョン情報局の、ダンジョン物語のページに書いてあった。
「もういっそのこと、カメラをあちこちに埋め込んで、リアルタイム監視とかやればどうですかね?」
「なにか空間的な断絶があって、電波届かないんだってさ」
「断絶?」
自分の体がバラバラになるのを想像したのか、三好が自分の体を抱きしめて身震いした。
「通過する物体に影響はないんだと」
「はあ、ダンジョンが不思議なのは今更ですけど。なら、体が通り抜けられるんですから、有線なら」
「モンスターの餌になるんだってさ」
特にスライムによる被害が凄いらしい。最初に持ち込んだケーブルは一日と持たなかったそうだ。
そんな話をしながら、俺たちは、入り口で受付をすませて代々木ダンジョン一層へと降り立った。
大抵の探索者達は、二層への下り階段に向かう最短ルートを歩いていく。
一層はスライムと、たまにゴブリンといった感じで、まるで美味しくないからのだ。さらに、二層への下り階段が、入り口のすぐそばにあるのも一層の不人気に拍車をかけている。
そんな人の流れを横目に見ながら、俺たちは一層の奧に向かおうとしていた。
「とりあえず初回だし、倒すことに慣れるところからかな」
「ねえねえ、先輩。スライムの経験値チェックをしましょう」
「なんで?」
「そりゃあもう、今のトレンドは数値化だからですよ。あとで情報として売りましょう!」
「なんのトレンドだよ。大体それって、どうやって計測したのか聞かれないか?」
「新技術で、計測器を開発したーとか」
「詐欺じゃん! それにそれなら計測器を売れって言われるだろ」
「人身売買はちょっと……」
「計測器って、俺?!」
「スキルを使った商売だって世の中にはそれなりにあるんですから、全然詐欺じゃありませんよ。もちろん方法の公開はできませんが、情報の正しさは世界中の研究者が証明してくれますって」
なんという他力本願。
しかし、同ジャンルの研究者たるもの、他人の理論の後追い検証をするのは性ってものか。
「お、いたいた」
そうしているうちに、第一村人ならぬ、第一モンスターを発見した。
道の隅でぷるぷるしている。スライムだ。
「動きも遅いし、フィクションみたいに、いきなり飛びかかってきたり、何かを噴出したりすることもないらしいけど、武器があまり通用しないらしいぞ」
俺たちに魔法はないし、スライム主体なら、火炎放射器でも持ってくれば良かったか? そんなもん持ってはいないけれど。そういや、スプレー缶に火を付けて噴出して燃やしてる動画があったっけ。
「そうですね。スライムって、ほとんど全部水のようなもので出来ていて、切っても叩いても効果が薄いんだそうです」
三好はバックパックを下ろすと、ボトルのようなものをいくつか取り出した。
「体の何処かにあるコアを壊せば死ぬそうなんですけど、一センチくらいの球が何処にあるのか見つけるのは大変ですし、面倒な割にドロップはないそうですし、倒しても倒しても、ちっとも強くなった気がしないそうですよ」
「いいところないじゃん」
「ですね。それで、みんな心折れて他へ行くわけです」
「いや、それ、俺等も途中で心折れるんじゃないの?」
「そこで秘密兵器の実験です」
「ほう」
三好はすくっと立ち上がると、左手を腰に当て、右手で、エアメガネのブリッジをくいっと押し上げて言った。
「いいですか? ほとんど液体のスライムが形を保ってるってことは、スライムの内と外では界面自由エネルギーが不安定化して、表面積の最小化が起こっていると思われます」
「おお? 三好先生?」
三好はノリノリで、すぐ先にいるスライムを指さした。
表面積の最小化が起こると球に近づく。確かにぷるぷる震える様子を見ていると、そんな気がしてくる。とはいえ――
「ファンタジーの世界に俺たちの科学を持ち込んでも良いことない気がするぞ」
実際、銃を初めとする小火器程度の兵器に効果が顕著なのは、十層あたりまでらしい。以降は、徐々に通用しなくなり、二十層ではほとんど効果が薄いと聞いた。
中深度の攻略が難しい理由だ。
火薬兵器の場合、モンスターを倒して得られる人間の成長分が、攻撃力にまるで反映されないのもひとつの理由のようだが……
「物理特性は適用できると思いますよ。で、そういう状態で形を保っているのなら、界面自由エネルギーを下げてやれば形を保てなくなるはずです」
界面活性剤か。
「石けん水でもかけてみるのか?」
「そうですね。とりあえず、陰イオンタイプと陽イオンタイプ、両性タイプに非イオンタイプを用意しました」
そう言って三好は、ヘルメットに付いたカメラのスイッチを入れた。
どうやら映像も記録するらしい。
「何か起こったら、防御のほう、よろしくお願いします」
「ああ。しかしこれでか?」
俺は取り出した、直径30センチの大ぶりのフライパンを、ブンと振った。
「先輩、武器防具は高いんですから。それにそれ、総チタンですよ? 固いし軽いし、腐食にも強い。熱伝導率も低いから、少しの炎でも平気。中華鍋型だから、丸みで攻撃も逸らせる。そこらへんの盾よりずっと優秀だと思いますよ?」
「熱伝導率が悪いチタンでフライパンを作る意味がわかんねーよ」
「保温性ですかね?」
三好も頭をひねっている。
「まあいいや。準備は出来たぞ」
俺はフライパンを持って、スライムの前で身構えた。
「じゃいきまーす。まずは陰イオンタイプですね。ドデシルベンゼンスルホン酸ナトリウム、発射!」
「魔法の呪文と大差ないな」
三好が握ったボトルは、陰イオンタイプらしい界面活性剤を噴射した。
それが命中したスライムは、表面を波打たせてフルフルと震えただけだった。
「あんまり効果はなさそうだな」
「そうですね。Gには結構効くという噂なんですけどね、ママレモン」
残念そうにタブレットにメモをする。
「では続きまして、陽イオンタイプです!」
「陰イオンタイプと混ぜて使うと、界面活性効果が落ちるんじゃなかったか?」
「いいんです、いいんです。洗うわけにはいきませんし、どうせ暇つぶしみたいな実験ですし」
「暇つぶしなのかよ!?」
しかし効果は劇的だった。
三好が噴射した、陽イオンタイプの界面活性剤がスライムに命中したとたん、パンとスライムがはじけ飛んだのだ。
「は? なんだこれ? エイリアンのよだれかなにかか?」
「主成分は、塩化ベンゼトニウムです」
「おお、なんか強そう」
「ですよね? でも一般に売られるときは、マキロンって呼ばれます」
「消毒液の?」
「はい」
「スライムって、マキロンに弱いわけ?」
「みたいですね」
「あー、第一三共の株買っとこうか?」
「世に知られても、大した需要はないと思いますよ」
そう言いながら三好は、大きめの先切り金づちを取り出すと、転がっていたコアを叩いた。すると、割れたコアは黒い粒子に還元された。
「これで、スライムは敵じゃなくなりました!」
「無視していれば、最初から敵じゃないけどな」
「だから先輩は、そういうところが女性にもてない原因なんですって」
三好は俺にハンマーと、マキロンもどき入りのボトルを渡してきた。
「先輩のスキルって、経験値も数値化するんですよね?」
「経験値っていうか、各ステータスに加える値みたいなのが数値化される」
「じゃ、それが経験値と便宜上呼ばれているものであると仮定しましょう」
「うす」
俺たちは、てくてくと歩いていく。現在ダンジョンに罠は確認されていないから、モンスターにさえ気をつけておけば、ダンジョン内の移動は気楽なものだった。
「第2モンスター発見」
「メイキング」
そう呟いていつもの画面を表示した。
--------
Name 芳村 圭吾
Rank 1 / SP 1173.03
HP 36.00
MP 33.00
STR 14 (+)
VIT 15 (+)
INT 18 (+)
AGI 10 (+)
DEX 16 (+)
LUC 14 (+)
--------
「それじゃ、やるぞ?」
「はい」
「ほとばしれ! 塩化ナントカニウム!」
「先輩……それいります?」
ブシュっと音を立てて、マキロンもどきが噴出し、スライムが破裂する。
「ワザの名前を叫ぶのは、我が国の伝統だ」
後は、転がった球を叩くだけの簡単なお仕事です。
ゴンっ。
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Name 芳村 圭吾
Rank 1 / SP 1173.03 → 1173.05
HP 36.00
MP 33.00
STR 14 (+)
VIT 15 (+)
INT 18 (+)
AGI 10 (+)
DEX 16 (+)
LUC 14 (+)
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「どうです?」
「うーんとな、増分は、0・02だな」
「0・02っと……」
三好がタブレットの表計算ソフトに結果を入力した。
「じゃ、次行きましょう!」
そうして俺たちは、タブレットの電池がやばくなるまで、黙々とスライムを叩き続けたのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺と三好は、そのまま俺のアパートに戻ってきた。
三好は早速、持って帰ったデータを、ノートPCへ転送して統計処理しようと……してないな。
「どした?」
「統計処理なんかするまでもないんです。見ればわかりますよ」
そういって三好がタブレットを渡してきた。
1 0.020
2 0.010
3 0.007
4 0.005
5 0.004
6 0.003
7 0.003
8 0.003
9 0.002
10 0.002
11 0.002
12 0.002
...
70 0.002
71 0.001
72 0.002
結局七十二匹もスライムを倒したのか。で、取得したSPが……0・182?
「いくらスライムとはいえ、七十二匹も倒してこれかよ」
「みんながスルーするわけです」
三好は台所で、先日買ってきて用意しておいた五リットルのポリタンクで何か作業をしながらこたえた。
「でも最初は……って、ん? これ、最初の十匹は、倒した数で割られてないか?」
「そうなんです。どうも倒せば倒すほど経験値が倒した数で割られていって、十匹目からはずっと十分の一みたいなんです」
「ずっと0・02のままなら、1・44のSPが入るはずなのにな」
「ん? SPってなんですか?」
「ああ、言ってなかったっけ? 今俺たちが便宜上経験値と呼んでいるものは、SPって表示されるんだ」
「んー。ステータスポイント、とかですかね?」
「かもな」
「じゃ、今後はSPで」
「了解。しかし、本来なら1・44ポイント入るはずなのに0・182はいくらなんでも格差がありすぎる」
「ゲームって強くなると経験値効率が落ちるものなんじゃないんですか?」
「レベルが上がっていくと、次のレベルになるまでの必要経験値が大きくなっていくだけで、同じモンスターを倒したときの経験値は同じだろ、普通」
「まあ、その方が自然ですよね。じゃあ今のところ――」
三好はふたつの仮説を示した。
仮説1。連続して倒すと減る。
仮説2。本来のSPは十匹以上倒したときの値で、最初の十匹はボーナス。
「1は途中で他のモンスターが出ないと検証できないな」
「一層でもゴブリンはでますよ?」
「ポップするのは、二層へ降りる階段の周辺だけみたいだぞ。で、出たら誰かにすぐ狩られる」
「じゃあ、可能ならチェックしておいてください」
「ん? 三好は?」
「明日は、先日申し込んでおいた、商業ライセンスの取得講習会があるんです。めざせ近江商人! ですから」
「あざーす。でも仕事は?」
「ふっふっふ。有給全然消化してなかったですからね。木金連休で」
「よく許可が出たな」
「先輩のおかげでプロジェクトが止まってますからね。今なら下っ端は、有給取り放題ですよ」
「いや、俺のおかげって……」
榎木のおかげだと思うんだけどなぁ。
ま、それはいい。俺はこういうコツコツした作業は嫌いじゃないし、しばらく代々木に通って……あれ?
「なあ、七十一番って、なんで少ないんだ?」
「ああ、それですね。ほら、偶然私が蹴飛ばした石が当たったやつじゃないかと思うんです」
「なるほど。二人で攻撃したから半分になってるのか。均等とはすごいな」
「すごいんですか?」
「だって、戦闘への貢献度とは無関係に、参加者数で単純に頭割りされるってことだろ? 横殴りし放題だな」
他人の戦闘中に、偶然のフリをして、ちょっとその辺の小石をぶつけるだけでいいのだ。
「……それって、あれですね」
「ん?」
「数値化されたら大騒ぎになりますね」
そうか。今は数値化されていないから、誰もそんなことになってるなんて思いもしないわけだ。このことが公開されたら……殺伐とした狩り場が生まれそうだな。
「三好ー」
「はい」
「発表しないほうがいいことが相当ありそうだから、公開するときは相談しよう」
「わかりました」
それにしても、最初期の探索者達がほとんど毎日潜っているとすると、すでに千百日くらいは冒険してることになる。
スライムでこれなんだから、もし一日平均一ポイント以上のSPを得ていたら、すでに結構なポイントが貯まってるわけで、俺が首位なのはおかしいだろう。って、ことは0・182でも普通なのか?
「で、お前、さっきからなにやってんの?」
「私はしばらく会社とかありますからね。エイリアンのよだれを作っておきました。五リットル容器で五つありますから、しばらくは持つでしょう?」
「お、助かる」
三好は、液の作成や、ボトル詰めは戦闘に影響しないんですねぇと頭をかしげていた。
「どういうことだ?」
「Dカード取得ツアーで検証されたところによると、銃の弾丸を他人が詰めると、その銃でモンスターを倒してもDカードがドロップしなかったそうですよ」
「へー。それって、そのボトルが武器とみなされていないだけな気がするな」
「まあ、とどめを刺すのはハンマーですし、実際スライムに与えるダメージはゼロなのかもしれませんね」
なるほど。この場合の武器はハンマーで、溶液は武器とみなされていないかもってことか。
「それじゃ、しばらくは一人でよろしくお願いします」
「おう、任せとけ」
そのとき俺は、スライムといえど一日に七十二匹も一人で倒すのは異常だということを知らなかった。さらに、普通は大勢でパーティを組んで潜っていると言うことも、今ひとつ分かっていなかったのだ。
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