第8話 講習会 9/30 (sun)
日曜日の朝は、昨夜の俺の財布を暗示するかのような冷たい雨が降っていた。
傘を開いて市ヶ谷駅を出ようとすると、誰かが俺の肩を叩いた。
「先輩!」
そこには三好が、にっこり笑って立っていた。
「で、お前は何でここにいるわけ?」
「だって、先輩が、今日講習を受けるって言うから、私も一応受け直しておこうかなって」
「なんでだよ」
「先輩のエージェントを拝命したからには、昨日のトランペットとシャントレルとジロールくらいのお返しはしなくちゃと」
「キノコだけに
「うわー、オヤジギャグですね! あ、痛っ。叩かないで下さいよー。じゃあメヒカリの分も頑張ります! ほくほくで美味しかったですよね。フレンチのシェフって、なんでみんなフライが巧いんですかね?」
「そう言えばそうだな。なんでだろ?」
なんてテキトーなことを言い合いながら市ヶ谷橋を渡って左折すると、遠目にJDA本部が見えてくる。
「いつみても変なビルですよね、あれ」
三好が、透明な傘ごしにJDAの本部を見上げながら、小首をかしげて失礼なことを言った。
JDAは、市ヶ谷にある自衛隊東京地方協力本部との連係を考えて、住友市ヶ谷ビルを買い上げて利用していた。いろいろとリフォームはされたらしいが、あの変な、もとへ、個性的な形はそのままなのだった。
市ヶ谷駅から靖国通り沿いに歩いて見上げるその勇姿は、あたかもメカデザイナーがやっつけでデザインした、船か何かに変形するロボットの艦橋部分といった様相を呈している。
「そういえば、あれから翠先輩の返事が来たんです」
「へぇ、なんだって?」
「一応、全検査医療カプセルの開発は一段落していて、実働させることはできるそうなんですけど」
「ど?」
「検査概要を提出したら、検査一回で二百万くらいかかるって」
「高っ! パラメーター六種に対して、各2ずつアップで五回計測したら……六千万かよっ!」
「そんなお金、逆さに振ってもでませんよ」
「銀行は……って、貸してくれるわけないか」
「共同開発にはしたくないですよね?」
「ん? いや、別にそんなことはないけれど、今の状態じゃ、単に俺の能力が相手の開発に使われるだけになっちゃうだろうからなぁ。そこは対等になるためにもソフトウェアの利権は握りたいだろ?」
「まあそうですよね。はぁ……儲かりそうな予感がしたんだけどなー」
確かに能力の数値化は儲かると思う。
ステータスオープンとか叫んでみたいやつは、一杯いるに違いないし。
しかし、カネ、カネか……
「どうしました?」
「あ、いや、その話は一応保留にしておいてくれ」
「それは大丈夫だと思いますが」
三好はきょとんとしていた。
「いや、三好も言ってたろ? もしかして、ダンジョンで稼げるかも知れないじゃないか」
「短期間で六千万も稼げるなら、余計なことをしないでそれに集中した方がいいと思いますけど」
「そこはそれ、研究者にとってのロマンってやつがあるだろ?」
「まあ、それはわかりますけど」
ロマンじゃ飯は食えませんからねぇと苦笑し合った俺たちは、そのままロボットに乗り込むと、すぐに受付へと向かった。
「すみません。ダンジョンライセンスの申し込みに来たのですが」
「はい。もうすぐ午前の部が始まりますので、この申込書に記入した後、そのまま二階の大会議室で講習を受けていただくことが可能です」
「それでライセンスが発行されるのですか?」
「民間の方でしたら、講習の後、書類上の審査がありますが、問題なければ後日WDAライセンスカードが郵送されます」
「審査というのは?」
「はい。オーブのことがありますから犯罪歴があると審査に通らない可能性があります。あとは年齢や持病の有無ですが、特になにもなければ大丈夫ですよ」
「Dカードの呈示はなしですか?」
「はい。通常、申し込み時点では、Dカードをお持ちでない方のほうが多いですから」
「なるほど」
それは大変好都合。
「もし国外等ですでにDカードを取得されている場合は、呈示することで上位ランクのカードを発行することができます」
WDAライセンスは、設立過程で担当者の誰かが暴走したらしく、Dカードのランクとは別に、WDAへの貢献度に応じてランク分けがなされていた。
初心者はGからスタートで、Aの上にSがあるらしい。ゲームで育った世代が現場の上にも下にも行き渡った現代ならではだな。
ランクは武器や防具の購入制限や、特殊なダンジョンの入場制限、それに企業がエクスプローラーを雇う場合の信頼度や、支払いの目安などに使われている。
「あとは取得したライセンスカードの呈示で、各地のパブリックなダンジョンへは出入りできます」
「Dカードは?」
「実力を計るためには便利ですが、人の管理という意味ではあまり役に立たないのです。なにしろ成り立ちも動作もよくわかっていませんから」
「ではDカードを呈示する必要があることって、あまりないんですか?」
「そうですね。パーティ募集で、ランキングやスキルの証明に使うくらいでしょうか」
「よくわかりました。ありがとうございます」
◇◇◇◇◇◇◇◇
講習は、各種手続きやダンジョンに入る方法、それに装備などの概要を実際に即してわかりやすく解説するものだった。
一通り解説が終わった後に、フリーの質問タイムが取られていた。
「ダンジョンって、入るのにお金っていらないんだ」
俺たちの前に座っていた、現代風の可愛い系美人が、ガイドを見ながらそう言った。
「その代わり、ダンジョン産アイテムには一〇%のJDA管理費がかかるみたいだよ。あと、ダンジョン税が一〇%」
もう一人の少しボーイッシュなところのある、すらっとした正統派美人が実際にかかるお金について説明する。どうやら二人で来ているようだ。
「二割も持ってく~?」
「何いってんの、公営ギャンブルだと思えば、少しはお得でしょ」
うんまあ、競輪・競艇は二五%。
競馬も平均すればそのくらいだしね。テラ銭。
「ギャンブル扱いなの? まあ、あんま変わらないか」
「そうね。掛け金は自分の命だけど」
三好が思わず吹き出したのを聞いて、前のふたりが振り返った。
「ごめんなさい。あんまり格好良くて似合ってたから」
二人は顔を見合わせると、もう一度三好の方を見た。
「馬鹿にしてる?」
「とんでもない。思わず『命は誰もが持っている武器だが、惜しがれば武器にはならんよ』って突っ込みそうになって、我慢したら吹き出しちゃった」
ボーイッシュな方が、顔を緩めると「チャールズ・ゴードン?」と訊いた。
「まあね。だけどそれじゃみんな死んじゃうか」
三好と彼女は笑顔を見せあったが、俺と可愛い方はちんぷんかんぷんだ。
「なになに? 全然分かんないんだけど?」
「はいはーい。俺も分かりません」
「マフディー戦争を題材にした映画の台詞よ。私は
「うわ。名前までカッコイイし。私は三好。で、こっちの男性が芳村。よろしくね」「斎藤でーす。日曜日の講習に二人で来てるんですか? デートにダンジョンって、センス酷くない?」
可愛い方が興味津々で俺たちを見比べる。
「いや、会社の同僚だし。別にダンジョンデートの準備じゃないから」
キミらの関係の方がよっぽど興味深いよ、などと思いながら俺は顔の前で手を振った。
「会社って。じゃあ、どこか大手のダンジョン関連部署の尖兵さん?」
せ、尖兵?
「いや、ただの研究職」
「なーんだ」
「なんだってことないでしょ。研究職の人ならダンジョンについても、きっと詳しいよ?」
斎藤さんがつまらなそうにそう言うと、御劔さんがフォローしてくれた。
「そっか。じゃあ、今度ダンジョンについて教えて下さいね!」
「はいはい」
あざとく小首をかしげる斎藤さんに適当な返事をすると、彼女はそのまましばらく笑顔で固まっていた。
「…………」
「?」
「はるちゃん。私、魅力無かった?」
斎藤さんが御劔さんに問いかける。はるナントカって名前なのか。
御劔さんは額に手を当てて首を横に振った。
「いや、今のは相手が悪いかな」
悪いって、俺?
「えーっと、何の話?」
「あそこで普通、男の人は、名刺とかくれません?」
斎藤さんがぷくっとふくれて、そう言った。
え、そういうもんなの? そんなルールがあるわけ??
助けを求めるように三好に視線を送ると、曖昧な顔で返された。あれは「知らんがな」のサインだ。
「まあまあ、そういう朴念仁もいるんだって。昔はKYと呼んでたって、うちの爺ちゃんが言ってた」
「誰がKYだ、誰が。というか朴念仁の方が古いだろう」
「流行はすぐに劣化して、ものすごく過去に見えるようになるから」
「はあ」
お、そろそろフリーな質問タイムも終了かな。講師が立ち上がって、シメの挨拶を始めた。前の席の二人も、目で挨拶した後、前を向いて座り直した。
そうして、雨の講習会は終了した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「先輩、お昼食べて帰ります?」
びくっ。デンジャラスタイムがやってきた、のか?
「そうだな。でも昨日の今日だからなぁ……」
「じゃあ、あっさりと、ラーメンなんかいかがです?」
「ラーメンのどこらへんがあっさりなのか、小一時間問い詰めてみたいが、それだと塩か? この辺で塩って言ったら、ドゥエイタか?」
ドゥエイタは、ラーメンの形をしたイタリアンを食べさせるお店で、モツァレラチーズが浮いてたり、トマトで埋まってたりする変わったラーメンのお店だ。
「いえ、もっと中華なそばーって感じ、キボーです」
「じゃ、ニボシでスッキリ、大ヨシか」
大ヨシは、市ヶ谷田町にある、ふつーの中華そば屋さん(ラーメン屋ではない)だ。人気ラーメン店のセカンドブランドだけれど、ストレートな煮干し醤油でシンプルなおいしさだ。
「そうですね。あんまチャーシュー沢山って気分じゃないし、味玉中華にしようっと。昼間っから、ワンタン皿でビールもいいですよね!」
「おまえな……」
その後大ヨシで、三好は本当にビールを注文しやがった。しかも中瓶て、おっさんか、お前は。ま、だから気楽につきあえるんだとも言えるが……
「だけど、えらく容姿の整ったペアだったな。名刺がどうとか言ってから……お水方面の人かな?」
ぞぞぞーっと昔ながらの中華そばっぽい麺をすすりながら、そう言った。
「そっち方面にダンジョンへ潜るインセンティブはないでしょう。あまりスレてなかったから、芸能かファッション方面じゃないですかね? まわりの視線もちらちらとあったみたいだし」
「俺たちそっち方面はとんと疎いからなぁ。有名な人なら悪いことしたな」
「先輩と一緒にしないで下さい。私は人並みですー」
お前が知ってる芸能人は、ちょっと古い映画俳優くらいだろうがと突っ込みたかったが、ここはぐっと我慢した。
余計なことは言わないのが、人と上手く付き合うコツだよ?
「そうは言うけれど、芸能やファッション方面だって、ダンジョンとはあんまり関係ないだろ?」
「そうですか? 最近では、ほら、ダンジョンアイドルなんてのもいるじゃないですか」
「あー、あれな。一日デートでオーブ一個って、なんというボッタク商法?」
「まったく、見習いたいですね」
「ええ?」
「だって、払う方はそれで満足なんでしょう?」
「まあ、そうかも」
「で、貰う方はボッタクって、うはうは」
「うん」
「両方大満足で、win-winですよ!」
「まあ、そう言われれば」
「って、ぐあいに納得させられちゃうから気をつけて下さいよね。先輩、詭弁と広告に激弱ですから」
「ぶほっ……」
思わず麺を吹き出しちゃったぜ。心当たりがありまくるだけに、反論のひとつも出来やしない。
「なにも足さない。なにも引かない」の古いポスターひとつでウィスキーを買っちゃうくらいには広告に弱い。いや、カッコイイでしょ、このコピー。
「趣味と依存症を同じレベルで語ってどうするんですか。それがまかり通るんなら、ヤクの売人だってwin-winってことですよ」
そらそうだな。しかし、その発言はいろいろと物議を醸すからやめとけと言いたい。
「例えば素早い動きってのは、行動の最適化なしでは語れないと思うんです」
「そうだな」
「つまり、昨日のステータスで言うと、AGIが上がるってことは行動も最適化されていくってことじゃないかと思うんです」
「それはそうだろうな」
「DEXだと、おそらく体の可動範囲が広がったり、体の制御の精度が上がるはずです」
いろんなワザを繰り出すためには、当然その必要が生まれるだろう。
「その可能性はあるな」
「それに、ダンジョンで強化されるってことは、人間として色々強化されるってことですから。今じゃ、スポーツ選手のダンジョン合宿とか普通にあるらしいですよ」
「マジかよ」
そう言われれば、高地キャンプみたいなものなのかもしれないが……あんな経験値じゃ効果が出るのが遅いんじゃないの? それともなんとかブートキャンプよろしく、高レベルモンスター相手にハードな合宿を行うのかね?
「だから、芸能やファッションモデル方面も、ダンジョンのご利益はあると思いますよ」
「ふーん」
「そういや、俺、週明けには一度潜ってみようと思ってるんだけど、三好はどうする?」
「会社をサボってですか? まあ、有休を取っても良いですけど……ふたりで同じ日に有休を取ると、なにか誤解されそうですよね」
おま、なに赤くなってるんだよ。
「お、俺は退職するし、まあ大丈夫だろ」
「でも明日は無理でしょう? ライセンスカード、届くんですか?」
「あ、そうか。2営業日とか言ってたような気がしたから――」
「なら、念のために、木曜日にしませんか?」
「オッケー。で、武器とか防具とかどうする?」
「一応カタログも見たんですけど……」
うん。気持ちはよく分かるぞ。
武器も防具も高額なのだ。最低でもン十万円から、上は億なんて商品も存在している。
「高いだろ」
「そう! 高すぎますよねっ! なんであんな値段なんですか! 大体、剣道でもやってればともかく、剣なんか使えませんよ!」
「一応JDA預かりで、ダンジョンの中だけで使う銃が、資格を取れば使えるらしいぞ。高いし下層では役に立たないから、意外と人気がないけどな」
「銃なんて訓練してもいないのに、あたりませんよ」
「お前、学生の時はどうしてたの?」
「レンタルです」
「……そんなものまであるのか」
「まあ、ツアーみたいなものでしたから」
「実際のところ、ハンマーかナタ、あとは斧あたりが無難だろうな」
「そうですね。今回は、片手の使いやすいハンマーが良いですよ」
「お? 何かプランがあるのか? やっぱり初心者御用達、二層のゴブリン?」
「実は、1層のスライムで試してみたいことがあるんです」
「はあ?」
代々木の1層の主たるモンスターはスライムだ。ところがこのモンスター、すこぶる人気がない。
倒しづらい、経験値が低い、ドロップがでない、いいところがないのだ。
しかもだだっ広い代々木ダンジョンの二層への階段は、一層へ降りた階段のすぐ近くにある。結局、ほとんどの探索者は二層を目指すわけだ。
予想外の対象モンスターに少し驚いていた俺が我に返ったときには、皿に残った最後のワンタン争奪戦に敗れた後だった。
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