第3話 鳴瀬 美晴 JDA本部

§003 鳴瀬 美晴 JDA本部


「まいったな……」


鳴瀬なるせ 美晴みはるは困っていた。


 ここ、JDA(日本ダンジョン協会)のダンジョン管理課監視セクションでは、日本におけるダンジョンの生成や攻略状況などを主に取り扱っている。

 新しいダンジョンは、それほど頻繁ではないにしろ、エリア毎に年にひとつ程度の頻度で生まれると言われていた。

 もっとも日本のように全国規模で高精度の地震計が設置されているような国はほとんどないため、まだ見つかっていないダンジョンは多数あると推測されていた。


先もそれらしい反応があったのだが――


「なにも私がヘルプで入っているときに、こんなややこしいことが起こらなくてもいいのに……いったい、なんて報告すればいいんだろう?」

「起こったとおり、報告すればいいんだよ」

「ふ、風来さん!」


 顔を上げるとそこには、美晴の上司がいた。風来ふうらい かける、二十九歳。監視セクションの係長。若くして額が後退しかかっている神経質そうな男だ。


「迷うようなことなら、なおさらだ。勝手な憶測を盛り込まれたりすると、混乱するだろう?」

「はあ」


 確かにそれはその通りなのだが、この結果は――そのまま報告したら正気を疑われそうな内容に、美晴はそれでも躊躇していた。


「なんだ、もったいつけるな。一体何がどうしたっていうんだ?」

「いえ、あの……じゃあ、計測通りに報告します!」

「だから、最初からそうしろと言ってるだろ」


 もう、知るか。後のことは上司に押しつけよう。そう決めた美晴は、立て板に水のごとくしゃべり始めた。


「十四時三十二分、新国立競技場付近にダンジョンが発生したと思われる揺れをキャッチしました」

「代々木のすぐ側か?!」


 代々木ダンジョンは、三年前、NHK放送センターと、代々木競技場の第二体育館の間にできたダンジョンだ。


「直線で一キロくらい、ですかね?」

「そんな近くに? 規模は?」

「あー、えーっと……深深度です」

「なんだと?」

「計測が確かなら、深度は千四百メートル以上あります」

「千四百メートル?!」


 代々木ダンジョンのダンジョン深度は二百八十メートルだ。そのざっと五倍。世界でも屈指の深度であることは間違いないだろう。


「まて、それなら大江戸線が大変なことになっているんじゃ……すぐに、関係各所に連絡を!」


 都心部に発生するダンジョンは、地下のインフラを破壊する。三年前、代々木ダンジョンが生まれたとき、千代田線の代々木公園~原宿間が切断されて、大事故になりかけた。今は平日午後の早い時間だ、そんな時間に、地下鉄の線路が突然無くなっていたりしたら、それは大惨事になるだろう。しかし――


「あ、いえ、青山門付近なので、おそらく無事でしょう」


 ダンジョンが実際に占有している空間は、直径数m~せいぜいが十数mの円柱状をしていることは研究の結果明らかになっていた。ダンジョン震は、その針が打ち込まれたときの衝撃で、消滅震は、針が抜けたときの衝撃であると言われていた。

 青山門からなら、大江戸線のルートまで二百メートル弱はある。計測が正しければ、どこにも被害は出ていないはずだ。


「とはいえ、報告は必要だ。入り口の封鎖も行わなければならないし、建設中の競技場への影響は避けられないな。オリンピック委員会へも――」

「待って下さい」

「なんだ?」


 このクソ忙しい事態に、といういらつきを隠しもせずに、風来はそう問い返して美晴を見た。


「それが、その……もう、ないんです」

「なにが?」

「ですからダンジョンが」


 風来は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。さっきデータを見たときの自分の顔もこんなんだったろうな、と思いながら、美晴は次に来る嵐に備えて、身構えていた。


「都内に現れた深深度ダンジョンが……」


 彼はちらりと自分の腕時計を見た。


「一時間で消滅? って、何かの冗談か?」


 冗談なら許さないぞという意志のこもった薄い笑いを浮かべながら、そう言う風来を見ながら、やっぱりこうなったかと、美晴は肩を落とした。


「ですから報告を迷っていたわけです。とにかく、十四時三十二分に新国立競技場青山門付近に発生した深深度ダンジョンは、十五時二十分現在、すでに消滅しました。デンバーと非常によく似た消滅震も記録されています。発生のわずか数分後に」


 デンバーでも最後のモンスターを倒したあと、全員が地上に帰還してしばらくすると消滅震が記録され、以降、そこには崩れた穴の痕跡のようなものだけが残されていたと報告されていた。

また、国内で踏破された浅深度ダンジョンでも類似の現象が報告されている。


「誰かが、深深度ダンジョンを、現れて数分で攻略したって、そう言いたいのか?」「わかりません。わかりませんけど、都民の平和もオリンピックへのスケジュールも守られた。それでいいんじゃないでしょうか」


 唖然とする上司に向かって、美晴はそれっぽい台詞をでっち上げ、それ以上話せることはないと頭を下げた。

 報告を聞いた上司は、美晴に向かってまじめな顔をして聞いた。


「それで、課長になんて報告したらいいと思う?」

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