第10話 リオーネ



ガタッ


キルヒェンリート王国の城内の最も高貴な客人にあてられるであろう一際豪華な部屋。

その室内で一人の少女が徐ろに立ち上がったと思ったら突然窓辺の方へ歩いていった。美しい金の髪を靡かせながら、なにかに誘われるように歩いていく少女。それ迄、盛んに少女に話しかけていた者達は不思議そうにお互いに顔を見合わせたかと思うと、我先にと少女の元へ駆け寄った。


「リオーネ様、如何されましたか?」


「なにか変わったものでも見えましたか?」


そう声をかけながら、窓の外を見てみるものの、特に変わったものは見当たらず、眼下にはいつも通り訓練を続ける兵士達の姿と城壁、その向こうにはいつもの町並みとその先一体に広がる森しかみられない。いつもと変わらぬ光景だ。


「いえ……今、何処からか歌声が聞こえたような気がしたのだけど……」


「歌……ですか?」


周りの者達も耳を澄ませてはみるものの、一向にその声を捉えることは出来ない。


「……何も聞こえませんが……」


「……私にも……」


「気の所為では?」


不思議そうにこちらを見る周りの視線にリオーネは困った顔をして呟いた。


「そう……。では私の気の所為かもしれないわね……。何だか、何処かで聴いたことのある、美しい歌声だった気がしたのだけれど……」


その言葉にすぐそばにいた少女が可笑しそうにふふっと笑って言った。


「何を言っているのですか!リオーネ様より美しい歌声なんて、ある筈がありませんよ!」


その少女の言葉に周りも可笑しそうに声を上げ、その通りだと声を上げていく。


リオーネはその周りの声にも、困ったように微笑むばかりだった。


(変ね、確かに聴こえたような気がしたのだけれど……)


周りの面々をみながら、先程の歌声を思い出そうとして、リオーネはふと一人の少女の顔を思い浮かべる。

いつも下をみてばかりたけど、美しい黒髪を持った、自分が惹かれてやまない一人の少女。

同じようにこちらに飛ばされてきたというのに、あれから食事時以外姿を見かける事がない。

昨日からはついに食事時にさえ姿を見つけられなくなってしまった。

不思議に思って王子に問いかけたもののはぐらかされるばかりで明確な答えは得られなかった。さらに不思議なのは、自分以外誰も彼女の事を気に掛ける様子が見られないことだった。

正直、リオーネはそれを薄気味悪く感じていた。だが、自分が不安をみせれば、周りの者達に心配をかけてしまう。


(桐谷さん……今どうしているのかしら……?)


リオーネは何だか無性に、彼女に会いたくなってしまった。






リオーネは誰にも告げたことはないが、彼女にとって桐谷聖歌という人物は音楽の道を示してくれた、何にも変え難い存在である。



リオーネは有名な両親の元で育ち、物心ついた頃にはいつか自分も父のようなアーティストか、母のような女優になるのだろうとなんとなく思っていた。

だが、それは何となくであって、強くなりたいと思った事はなかった。

7歳の時、父の付き添いである音楽のコンサートに赴く迄は。

そのコンサートの後の夜会で、リオーネは衝撃的な出会いをしたのだ。

その日のコンサートはとある有名なピアニストを中心として開催されたオーケストラであった。その夜会でも彼女は美しい演奏を奏でた。一曲弾き終えた彼女は徐に一人の少女の名を呼んだ。恐らく彼女の娘なのであろう、美しい青い瞳を持った少女。

彼女はふと何事かを少女に話しかけると、また鍵盤に向き直り、手を伸ばした。

暫くしてまた美しい音が響きだした。それは誰もが知っているような童謡の冒頭のメロディーだった。彼女の突然の行動に誰もが不思議そうな顔をしていた時、それは起きた。


何よりも強い、衝撃。

その瞬間、美しくも力強い歌声が会場中に響き渡った。

とても、目の前にいる幼い少女から放たれているとは思えない力強い声。その声はまるで会場中を包み込んでさえいるかのような錯覚をも引き起こした。

だがその力強さより何よりも、リオーネはその美しい、澄んだどこまでも高く響く歌声に魅了された。

先程までのオーケストラよらりもリオーネにとっては目の前で歌う少女の歌声の方がずっとずっと心惹かれるものであった。


憧れた。純粋に。それまでの人生の何よりも。

そしてリオーネはその少女のようになりたいと思った。

そう、この日の出来事がリオーネにとって歌手を目指すきっかけとなる出来事だったのだ。

父に頼んで彼女のことはすぐにわかった。自分と同じ様に音楽界に影響をもつ両親の元で育つ彼女のことは父に聞けば直ぐにわかった。そしてまさか自分と同い年である彼女があの大きく広い会場で堂々と歌を披露したのだと知って強くショックを受けた。

彼女に近づきたいとリオーネは思った。

しかし、その頃の幼い自分はまだイギリスに住んでおり、日本にいる彼女と同じ学校に行くことは叶わなかった。

そして彼女が世界でも有数の知名度を誇る日本の音楽の専門に特化した高校に通うことがわかった時、自分もその高校に通いたいと父に必死に頼み込んだ。

リオーネを溺愛する父親は最初は娘を日本に送ることに強く反対していたが、その頃の妻の女優業が日本の仕事を多く取っていた影響もあり、日本にセカンドハウスを作ることになった。リオーネがそこに住むと決めたことで、彼女の希望は期せずして叶う形になったのであった。

あの7歳の日からリオーネはあの少女のようになりたい一心で歌手になる為に自分の歌声を磨き続けた。近くには行けなくても、同じ道を目指すことはできる。恐らく才能もあったのであろうが、彼女の努力は彼女の持つ美しい歌声を開花させた。

リオーネは春からの高校生活に胸を躍らせた。7歳のあの日以来、イギリスから中々日本に行く機会には恵まれず、彼女の姿は見れなかった。少し前までは雑誌やインターネットで彼女に関しての記事を見つけては喜んでいた。自分だけではない、彼女もやはり歌手を目指しているのだろうと、リオーネは思っていた。ただ、10歳を過ぎる頃から彼女の両親の記事は見つけても、その娘ーー、桐谷聖歌についての記事はとんと見かけなくなってしまったことが気がかりではあったが、春からは恐らく毎日でも彼女に会うことが出来る。実に7年越しの再会である。リオーネはそれが楽しみでならなかった。


しかし、リオーネの期待は叶わなかった。入学の案内が来た時、驚いたことに新入生の代表はリオーネであった。

リオーネは心のどこかで新入生代表は当然、聖歌が務めるのだと思っていた。

7歳の時でさえあんな素晴らしい歌声を持っていた彼女の事だ。入試の実技テストでも素晴らしい実力を披露したに違いないと思っていた。

驚いたものの、両親が大層喜んでくれた事が嬉しくて、リオーネは誇りを持って新入生代表の任命を受ける事にした。

入学式が終わったら直ぐに彼女を探そうと心に決めながら。

しかし、そこで一つの誤算が生まれた。

有名人であるはずの両親が娘の晴れ姿を見ようと入学式に出席した事で、リオーネのことは入学式初日にして学校中に広まってしまった。さらに入学式での堂々とした挨拶だけで多くの生徒がリオーネに憧れ、尊敬の念を持つようになってしまい。リオーネは入学早々、学校の期待の星として多くの人に囲まれるようになってしまった。

そのせいで桐谷聖歌を探すことは叶わなかったのだ。

おかしい、注目を集めるのは自分ではなく、彼女の筈だ。だが人に囲まれる中でも必死に彼女の姿を探してもなかなか見つけられず、ようやく見つけたのは秋が近づこうという頃だった。

一年の1学期で基礎を学び、2学期からはコースに分かれてそれぞれの講義を受ける事になる。その声楽科の講義で、リオーネはようやく聖歌を見つける事ができた。嬉しかった。舞い上がる気持ちのままに授業を終えたリオーネは直ぐに彼女の元に駆け寄ろうとしたが、その頃にはリオーネには多くの取り巻きがいて、授業後もいつものように直ぐに囲まれてしまったリオーネは聖歌に話しかける事ができなかった。

それでもめげずに何回も機会を伺っているうちにリオーネはある事に気付いた。

桐谷聖歌はいつも俯くようにして過ごして、極力目立たないように過ごしているようであった。それに、カラーコンタクトをしているのであろうか、遠目からようやく見る事ができた彼女の瞳は何の変哲もない黒色であった(それはそれで美しく見えたが)。しかしそれさえも俯くと前髪で隠れてしまう。

そして何よりも驚いたのは、声楽科での最初の実技テストで聞いた彼女の歌声はあの衝撃を覚えた7歳の時の歌声とは全く別の弱々しい歌声だった事だ。

その時の彼女の発表では何人かの生徒が馬鹿にしたように笑う始末であった。

リオーネはなんだか無性に悔しかった。彼女の実力はこんなものではない筈だ。だって自分は彼女の隣に立ちたくて、これまで努力を続けて来たのだからーー。

そしてそのテストの後、直ぐさまリオーネは聖歌の元に足を進めた。そのあまりの気迫にいつもは直ぐリオーネの元に訪れる生徒達も足を止めた事で、ようやくリオーネは聖歌に話しかける事が出来たのだ。

しかし、悔しさとなんとも言えない悲しみにより彼女くの口から出たのはまるで聖歌の歌声を非難するような言葉だった。

気付いた時には聖歌は逃げるようにしてその場から走り去ってしまっていた。


失敗したーー


違う。責めたかった訳では無い。リオーネは唯、聖歌にまたあの時のような歌声を聴かせて欲しかっただけなのだ。

直ぐに自分が考えなしに放ってしまった言葉で酷く聖歌を傷つけてしまったことに気付いたリオーネはそれから何度も彼女に謝罪しようとした。会えない間に彼女の身に何かがあったことは間違いないだろう。だが自分はこの高校に、彼女に会いたくてーー、出来れば友人になりたくて入学したのだと、何度も話しかけようとした。

だが最初の一件以来、聖歌はリオーネを避けるようになってしまった。そしてさらに悪いことに、リオーネはいつも周りから声をかけられ、話しかけられることに慣れてしまった事で、自分から誰かに話しかける事に苦手意識を持つようになってしまったのだ。特にそれが憧れである聖歌の時には顕著に現れて、いつも頭が真っ白になってしまい、気がつくと思ってる事と逆のことを言ってしまったり、誤解される様な言い回しばかりする様になってしまった。気がついた時にはいつの間にかリオーネは聖歌を嫌っているのだという噂まで流れ出してしまい、取り返しがつかない状況が生まれてしまっていたのである。

それでもリオーネは陰で聖歌に憧れ続けていた。講義や学校の成績ではあまり目立つことのない聖歌だったが、作曲の部門で多くの賞を取っていることは知っていた。彼女は歌だけではない、本当に音楽の神様に愛されているのだと、憧れは募る一方だった。

なのに自分は何処でどう間違ってしまったのか、入学して一年以上経つのに未だに彼女の友人になる事さえ出来てない。

このままではいけないと、リオーネが悩んでいる時に、次の歌のテストでは好きな曲を使って良いと講義で発表された。自分で作曲しても良いし、他人に頼んでも良い。何でも良いので、既存してないない曲を使って自分の強みを生かした歌声を発表するように言われたのだ。

リオーネはこれだ! と思った。だったら自分は聖歌に曲を作ってほしいと思った。他の誰でもない、彼女の作った曲を歌いたいと思った。正直自分では役不足かもしれないし、彼女の曲にみあった実力があるとも思えなかった。だが、リオーネはもう手段を選んでいられなかった。断られてもいい。ただ、今度こそ彼女に素直な気持ちを伝えて、友人になりたいと思ったのだ。

そしてあの日、異世界に飛ばされた日に校門で聖歌を待っていたのだ。最初はまたいつもみたいに緊張して憎まれ口を叩いてしまい、聖歌が気分を害して帰ろうとしてしまった。ああ、まただ、駄目、このままじゃいつもと変わらないーー、リオーネは慌てて聖歌を引き止めて漸く言葉を紡ごうとしたその時に、それは起こった。

そう、足もとに謎の文様のようなものが広がったと思ったら光に包まれて、この異世界に来てしまったのだ。

実を言うとリオーネは異世界に来てしまった事に混乱はしていたが、それ以上にまた聖歌に言葉を伝えられなかった事にショックを受けていた。そのおかげで正気に戻る事が早くできたのは何とも複雑だが。

なのに異世界に来てからも結局、自分は何も変われていない。飛ばされた当初は混乱も相まって不覚にも聖歌に自然と声をかける事が出来て舞い上がってしまったが、それ以降は目まぐるしく変わる状況についてくのが精一杯で初日以降全く聖歌に話しかけられなかった。

このままじゃいけない。異世界に飛ばされてしまった事に不安は隠せない。だが、それは聖歌も同じ筈なのだ。

先程の歌声は気の所為かもしれないが、7歳の時の聖歌の歌声にとても似ていた気がした。周りの反応を見るに幻聴だったのかもしれないが……。だとしたら、自分は本当に末期だ。彼女の歌声が恋しくて仕方ない。

だが、幻聴であってもその歌声を聞いたからか、今の自分を奮い立たせる力が体の奥から湧いてくるような感覚がする。


そしてリオーネは聖歌に会うために自ら部屋を出たのだった。


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