第9話 旋律を



(う、うわあぁああああ!!!!)


速い。速い速い!! 速すぎる!!!

背中のもふもふに喜んでいられたのは乗った瞬間迄だった。走り出してからはジェットコースターも真っ青なスリルである。

なぜか風圧は感じないものの、視界の中で景色が後ろへと飛んでいく。


「まっ……ままま待って! 待って待ってぇえ!!」


「どうしたのだ?」


「ゆゆゆゆっくり!! もう少しゆっくり走って下さい!! お願いしますッ!!」


やっとの事でお願いをする。なんだ、速い方がいいだろうと文句を言いながらも、私が余りにも必死に言い募るものだから、シルバも途中からは渋々スピードを落として走ってくれた。


「し、死ぬかと思った……」


絶叫系が苦手じゃなくて良かった。苦手な人だったら死んでるレベルだよ、あれは。


「何だ、これしきのことで。人間とは軟弱なのだな」


「いやいやいや、無理ですよ。慣れてからならまだしも、初めてであの速さは死んじゃいます」


「空気抵抗などは感じぬ筈だぞ? 我の結界に入っておるのだからな」


「あ、成程、なんか不思議な感じがしたのは、結界に守られているからなんですね」


速ささえゆっくりになれば、シルバに乗っての移動は快適そのものだった。結界のお陰で空気抵抗もなく、それどころか不思議なことに枝や葉っぱが自然と避けてくような感覚がする。そして何よりも!


(ふわふわのもふもふ……っ!!)


この極上の毛並みの背中の乗り心地といったら……! もう天国の様である。ここぞとばかりに聖歌は毛並みを堪能していた。正直今、この世界に来て一番の幸せを感じているかもしれない。


「あぁ、幸せ……!!」


「? よくわからぬが、気に入ってくれたようで良かった」


聖歌が嬉しそうなのが嬉しいのか、シルバも途中から尻尾を揺らしながら風の森の中心へ脚を速めるのであった。















「わあぁ! 凄い……! 綺麗……!!」


「だろう?」


私の言葉にシルバがふふんっと胸を逸らして得意げな表情になる。……可愛いなこのやろう。

あれから暫く走り続けると急に視界が開け、広場のような所にだどりついた。そしてその中心には満開の桜の木がたっていた。

多分桜であっていると思う。少し違うような気もするが、1番近いのは?と聞かれるとやはり桜だろう。ただ、色がピンク色というよりは薄紫の様な色であることが唯一の違いだ。

だが、それよりも気になることがある。満開に咲き誇っている筈なのに、何処か……


「でも……なんか、元気がない……?」


「気づいたか」


思わず零れた声に、シルバが反応する。

薄紫の桜は、満開で咲き誇っているのにも関わらず所々の枝が傷んでいた。満開に咲き誇る花とは反対に枝には元気がない。何とも歪で、不自然な光景。


「なんで……だって花はこんなに綺麗なのに……」


「この大木は風の女神の宿り木で、風の森の象徴である神木だ。だからこの木は1年中咲き誇っている。だが、数年前に風の森の空気に乱れが生じた。原因はわからない。それ以降、この神木の様子がおかしくなったのだ。このままだと、花にまで影響を及ぼすだろう」


「そんな……何とかならないの!?」


私の言葉にシルバがこちらを見つめる。


「え、なっ何?」


「セイカなら……愛娘であるお前なら、なんとか出来るはずだ」


その言葉で理解した。

シルバのお願いとはこのことだったのだ。


「愛娘の旋律の魔法を使えば、この症状を治すことも可能な筈だ」


「そんな、無茶言わないで!私、まだ自分が愛娘だってことにも納得できてないのに……力の使い方なんてわからない!!」


「セイカ」


シルバの紫水晶の瞳が私を捉える。まるで吸い込まれそうな、澄んだ紫色。

何処からか、風が優しく辺りを吹き抜ける。


「ただ、お主の心のままに奏でれば良い。神木が力を取り戻すことを願いながら、浮かんだ旋律を奏でればいい。愛娘であるお主にしか、出来ぬのだ」


「そ、そんなこと言ったって……」


聖歌は目の前の桜の木を見つめる。

正直、自分が愛娘とやらであることに対してはまだ半信半疑だ。だってこっちに来てから特に自分が変わったわけでもない。

桜の周りは草原や花畑が広がっていて、広場は綺麗な円を描くように広がっている。その周りを木々が囲うような形になっており、その先はまた鬱蒼とした森が広がっている。周りと比べるとこの空間だけ、太陽の光が降り注ぎ、やけに広々としている。


(でも……此処で歌うのは、気持ち良さそうだなぁ……)


周囲にはシルバしかいない。高校や発表会みたく、人目を気にする必要が無い。

人目を気にせずに思いっきり好きなように歌えるという状況は、この上なく魅力的に感じた。


(どうせ私に本当に治せるかわからない以上、やってみないことには何も始まらないんだし……)


「じゃあ、試しにやってみるけど、あまり期待しないでね……?」


「いや、十分だ。感謝する」


と言っても具体的にはどうすれば良いのか……。いや、本能的にはわかってる。シルバの言う"旋律を奏でる"というのは、やっぱり"歌う"ということで間違いないんだろう。

人目を気にせずに歌えるというのはなかなかない。それに、この世界に来てから歌うのは初めてだ。聖歌は思いっきり息を吸い込んだ。ひどく澄んだ空気が肺を満たす感覚がする。


(どうせなら、思いっきり楽しんじゃえ……っ!)


次の瞬間、高く澄んだ美しい歌声が、風の森一帯に響き渡った。


(えっと、桜の木が元気を取り戻せるように願いを込めながら……!)


歌は、以前の高校の大講義のテストで歌ったものだ。あのテストでは、やはり聖歌は周りの視線が気になって思う様に声を出す事さえかなわなかった。でも今はあの時とは全く違う。


(楽しい……っ!!)


人目を気にせずに思いっきり声を出して歌えることのなんと気持ちいいことか!!


(ああ、やっぱり、私、歌うのが好きだなぁ……)


風が聖歌の歌声にあわせるかのようにして周りに吹いている。周りに散っていたはずの桜の花弁が風に乗って踊っている。紫色が光に照らされて、宙を舞い踊る、目の眩むような、美しい光景。

まるで、目に見えない何かが、聖歌の歌を歓迎してくれているように感じた。


(私、きっと今、今までで一番気持ち良く歌えてる……っ!)


歌の存在しない世界に来てしまったことに絶望した筈なのに、向こうにいた頃よりずっと声が出せているのがわかる。喉の調子が良いのがわかる。


(不思議……まるでこの世界が、私が歌うことを望んでくれているみたい……)


青空に届きそうなくらい、薄紫が高く舞い上がる。

その日風の森では暫くの間、空高く美しい歌声が響き続けた。



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