タブチ
春井環二
タブチ
微かにそよ風が吹いた。
軒先の風鈴が鳴っている。
やっぱり田舎の夏は最高だな。入道雲のでかさが違うわ。
……俺は縁側で庭を見つめながらスイカを食べていた。
携帯が鳴る。口の端に種をつけたまま俺はそれに出る。
「もしもし? おお、サクちゃんか! 元気か? そっちはどうよ。みんな変わりない?
……そうかそうか。……友達? まあまあ、できたよ。もうこっち来て一ヶ月経ったし……。
うん、住みやすい村だよ。高校も、ボロいけど味があっていいわ。部活? 天文部に入った。
……ただ、ちょっとこの村……なんだか勝手が違うんだよ……なんて言えばいいのか……」
空を飛行機が飛来してくる音が聞こえる。
少しずつ大きくなる。
ごおお。
ごおおお、と。
俺は携帯を空に向けて言う。
「……あと、この飛行機の爆音も気になる。まだ慣れない」
青空に飛行機の轟音が響き渡っている。
「な、すごい音だろ。……え、なに? よく聞こえないよ。飛行機がうるさすぎて。……ああ、またな。みんなによろしく。ほいじゃ」
俺は電話を切り、またスイカを食い始めた。
飛行機の音が少しずつ遠ざかっていく。
また風鈴の涼やかな音が鳴り始める。
その音に耳を浸していると、再度携帯が鳴り出した。
ずいぶんよくかかってくる日だ。
画面を見ると今度は山本からだった。同じ天文部のメンバーだ。
「山本。どうした?」
「中島!」
電話の向こうの山本の声は震えていた。嗚咽しているようだった。
「中島! 大変だ、来てくれよ部室に! 一大事なんだよ!」
◆
……部室についた俺はその光景に立ちすくんだ。
床に部員の鈴木が横たわっている。いつも冗談を言うひょうきんな奴なのに、黙って倒れている。
彼の後頭部からは夥しい量の血が流れている。
目をかっと見開いたまま、ずっと動かない。
その傍らで山本が椅子に座って泣いていた。
……ほかはいつもどおりだった。
壁に貼ってある星座の表も、天体写真も、棚の上の天体望遠鏡も。
山本は鈴木を見下ろしながら泣き続けている。
「ごめんよ~……ごめんよ鈴木よぉ~……」
俺は混乱しながら鈴木の脈をとってみた。
そこには静寂しかなかった。
……部室の扉が開き、廊下から部長の大田が入ってきた。
「どうした~山本~? ……はああ!? なんこれ!? なんこれ? ありえないしょ? どういうことこれ? なんこれ?」
横たわっている鈴木の骸を見つけ、大田が動揺している。
山本が涙を湛え、説明を始めた。
「……今夜の流星群に備えて屋上で望遠鏡を設置しててさ……屋上の柵の外側に立って手すりから手を離して何回ジャンプできるか競うゲームやったんだよ」
大田が目を丸くする。
「あれ鈴木とやったの?」
「うん。……で、こうなった」
「……で、お前は?」
「え? 無事。……」
外からセミの声が聞こえてくる。
大田が汗を拭きながら山本に尋ねた。
「部室に運んだ理由は?」
「校庭だと、外から丸見えだし。血の跡はついてるけど……」
「ないわ……」
大田がソファにへたりこむ。
しばらく俺たちは黙りこんだ。
「……このままじゃ天文部、廃部じゃね?」
大田がつぶやいた。
「……中島」 山本が俺に話しかける。
おれは 体をびくっと震わせる。「な、なに?」
「どうしたらいいと思う?」
「さあ……」
頭をぶるぶる左右に震わせ俺は答えた。
大田が言う。
「そうだ……タブチならなんとかしてくれるかもしれない」
「またあいつかよ。タブチはただのブタ野郎だぜ」
と山本。
「そんなことないって。うちら、いつもあいつに助けてもらってんじゃん。あいつん家に行こうぜ。まだなんとかなるかもしんないじゃん」
「さすがのタブチも、今度ばかりはお手上げじゃないの?」
そう言って二人は外に駆け出していった。俺はなにがなんだかよくわからないまま彼らを追いかけた。
バスが動き始めた。
俺たちはバスの後部座席に座ってどこかに走り出した。
「あのさあ、そのタブチってのは、そんなすげー奴なのか?」
俺は彼らに尋ねた。
「あ、そっか。中島は村に来たばかりだから知らないんだ」
山本が言った。
大田もうなずきながら言った。
「タブチは最強だよ。去年学校やめちゃったけど、僕が西高の不良たちに絡まれたときも、田代ん家が火事になったときも、宮本の父ちゃんがギャンブルで借金漬けになったときも、タブチが助けてくれたんだ」
「……そ、そうか」
どうやらタブチというのはとんでもないやつらしい。
「でも、所詮あいつはただのブタだって」
と山本。
「そういうこと言うなって山本!」
大田が少し怒り気味に言う。
「OK、わかった、わかったブー。……ブヒヒ、ブヒャヒャヒャ」
山本が不気味に笑いだす。
俺はリアクションに困りながら、ただ無言で座っている。
◆
バスが停留所に止まった。
俺たちは道路に降りて数分歩き、ある家の前で立ち止まる。
「……よし、チャイムを押すぞ」
大田が言った。
山本が緊張した顔で、うなずく。
どうやらここがタブチの家らしい。
大田がチャイムを鳴らす。
「は~い。ちょっと待ってブー」
家の中からかわいらしい子供のような声が響く。俺はいろんな意味で戸惑う。
ドアが開いた。
俺は目を見張った。
中から出てきたのは「ブタみたいな奴」とかじゃなくて、大きな本物の動物のブタだった。
ピンク色で、尻尾がくるくる伸びて、手に蹄がついているあのブタだ。背丈は高校生くらい。半ズボンだけ履いた太ったブタが二本足で立って出てきた。
ブタが喋った。
「お待たせブー。……大田に山本~久しぶりブーね。こちらはどなたブー?」
「ああ、彼は転校生の中島くん」
「そうか、よろしくねブー」
ブタが蹄を差し出した。
「よ、よろしく……」
握手に応える俺。
空の遠くで飛行機が鳴り出す。
ごおお、ごおおお、と。
「で、今日はどしたブー?」
大田がそのブタの肩に手をかけて言う。
「悪い、タブチ、また一つ頼まれてくれよ……山本がやっちゃったんだよ」
「やっちゃったってなにをブーよ?」
山本が深く頭を下げて懇願する。
「とりあえず、来てくれタブチ。たのむ」
そのブタ……タブチはしばし腕を組み、考え込む。
やがて彼は後ろを向き、廊下の奥に向かって声を出す。
「お父さーん、今日お店を手伝う約束だったけど、友達が困ってるらしいんブー。明日でもいいブーか?」
廊下の奥のほうの扉が開き、中からチョビ髭を生やしたブタが出てきて、俺たちのほうを見てうんとうなずいた。
タブチが俺たちのほうを向きなおして言う。
「よし。善は急げブー!」
◆
校庭でセミの鳴き声がこだましている。
部室に入ったタブチは、横たわっている鈴木の遺体を見てまた腕組みをした。
「うーわ。 ……こういうことね。納得ブー」
うなずくタブチ。
大田が訪ねる。「どう? こういうのってなんとかなる?」
「う~ん……まずは鈴木の頭を閉じなきゃいかんブー」
タブチは半ズボンのポケットから針と黒糸を出し、鈴木の頭の傷口をぶすりぶすりと縫っていく。
俺たちはその針さばきをまばたきもせずずっと見ていた。……気づくとだいぶ時間が経っている。
「フー、縫い終わったブー。……さてと。死んだときに効くツボは、と」
横たわる鈴木のシャツを脱がし、タブチは眉間に皺を寄せツボの位置を定めた。
「……せいッ!」
タブチが気合とともに蹄でツボを押す。
しばし俺たちは状況を無言で見守る。
……やがて鈴木がむせ返りながら呼吸をしはじめた。
顔にだんだん血の気が戻っていく。
「おおお」
山本が驚愕しながら声をあげる。
大田が首を振り感心しながら言う、
「やっぱタブチにはかなわないわ」
「でも、脳は? 脳は大丈夫なのか? おいタブチ!」
山本がタブチの肩を揺らして尋ねる。
「だいじょブー!」
鈴木の頭のツボをぐりぐりと押すタブチ。
鈴木の目が開く。
「うう……」と鈴木は泣きながら、ゆっくり生まれたばかりの子ヤギのように立ち上がる。
タブチが鈴木に肩を貸す。
鈴木、大粒の涙を流し「うう……うう……」と泣き続ける。
「おおお」
山本がそれを見てまた声を漏らす。
「良かったな、鈴木!」
大田が鈴木の肩を抱き寄せ、嬉しそうに言う。
「鈴木は、これからだんだんボキャブラリーが増えていくはずブー。みんな、彼のこと、温かく見守ってあげてブー。むしろこれからブーよ」
山本が感心しながらタブチに言う。
「やっぱ、おまえすげーよ! ただのブタにしておくのはもったいねーな」
場の空気が凍りつく。
「……山本……きみ今なんて言ったんブー?」
静寂の中、俺はタブチと山本を見つめる。
タブチが山本のほうをゆっくり振り返る。あわてる山本。
「い、いや、おまえをブタにしとくのは、その……」
「山本、前からちょっと気になってたんだけど、きみ、正直ブタのことどう思ってるんブー? ブッチャケ」
しどろもどろになって山本が言う。
「いや、ブタは、その、えーと、あの、……すごくおいしいと、思います……」
皆、震えながら下を向く。
少しずつタブチが山本に近づく。
「……そうか。おいしいブーか。ありがとう。山本。ありがとう」
少しずつ後ずさりしていく山本。
「……そのおいしいブタに助けられたのはだれブー?」
「……」
「……きみブー!」
タブチが蹄で山本を指さす。
「ええと、あの、その……」
山本の震えは止まらない。
「ブヒ~……なんかだんだん自分で言ってて腹立ってきたブー……山本!いつものやついくブー!!」
タブチが手を振り上げる。
山本が泣きながら懇願する。
「あ、あれだけはやめてください、頼みます、あれだけは……」
「ヒヅメチョーーーップ!」
タブチが、手を山本の頭に猛烈な勢いで振り下ろす。
「ギャーーッ」
山本の断末魔がこだまする。
ふと気がつくと山本が床に倒れている。
ぴくりとも動かない山本。
「あれ……血が出てない」
無傷の山本の体を眺めまわして俺は声を出す。
「そう。ヒヅメチョップは頭に当たる1、2ミリ手前のところで止めるんブー。でもその迫力に、相手は気絶してしまうという、そういう恐ろしい技ブー」
……俺はもう限界を感じ、汗まみれの額を押さえていた。
……飛行機の音が遠くから響いてきた。
ごおお。
ごおおお。
「みんな、耳をふさぐブー!」
飛行機のジェット音がどんどん近づいてくる。
「この村、これさえなかったらいいとこなんだけどなブー」
大田が耳を塞ぎながら尋ねる。
「タブチ、いまなんて言ったの?」
「この村、これさえ……」
飛行機の音、最大限に大きくなり、タブチの声もかき消していく。
口をパクパクさせるタブチ。
部屋の中に、飛行機の尾翼の陰が差し込む。
天球儀が振動で、カラカラと音を立てて回っている。
頭がおかしくなりそうな音だぜ……俺は自分の耳をおさえながら目をつぶる。
暗闇の中で、飛行機の音がいつまでも、いつまでも響き渡る。
ごおお。
ごおおお。
(了)
タブチ 春井環二 @kanji_harui
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます