【恋愛】「本」「風船」「冷酷な殺戮」
真昼の駅前のロータリーは普段から人で溢れ返っている。
ざわめく声。車のクラクション。電車がホームに入ってくる時のブレーキ。
駅の内外問わずひっきりなしに電子音が鳴り、とにかく耳が落ち着くことがない。
今日は特にこの近くでイベントを開催しているようで、更に人が密集している。
いつもならティッシュを配っている位置で、スタッフらしき格好をした数人が子供達に風船を渡していた。
何が悲しくてこんなところで待ち合わせをしなければならないのか理解に苦しむ。
指定した相手はどうせ何も考えていなかったに違いない。その上遅刻の常習犯なので、今日も時間通りには来ないだろう。
ため息を一つつくと、スマホに繋いだイヤホンを耳に挿した。スクロールする文字を追うように音声が流れる。
最近専ら電子書籍に傾き、それも自分で読むより朗読を聴くことの方が増えた。
バッグの軽量化が叶い、眼精疲労も軽減されて一石二鳥だ。いや、周囲の喧騒も遮断できて一石三鳥か。
静かになった自分だけの世界で、読み上げられる言葉から物語の背景を想像する。
風景が、色が、匂いが、無限に形作られていく。
ああ、何て自由なんだろう。
背後から勢いよく抱きつかれたのはその時だった。
「っ!」
不意打ちを食らってたたらを踏む。
突然接触された驚きで、鼓動が一気に跳ね上がった。
思い描いていた鮮やかな世界が一瞬にして崩れ、怒りで血が沸騰する。
「ちょっと、いきなり何するのよ!」
「だって声かけても聞こえてないみたいだったし」
「他にやり方はいくらでもあるでしょ!?」
「絶対気づかないくせに」
「だからって私の楽しみを邪魔するなんて酷い!鬼!悪魔!」
「デートの日ぐらい本から離れてよ」
「どうせ三十分は遅れてくるだろうから、丁度読み終われる長さのものを選んだのに!今日に限って何で…」
何で、時間通りにやってきたのだ。
思わず腕時計を確認すると、待ち合わせ時間ぴったりだった。
信じられなくて、先ほどの甘美なひとときを冷酷な殺戮者のように無残に壊した相手を凝視する。
奴は悪戯が成功したかのような得意げな表情で、後ろ手に隠し持っていたものを差し出した。
「はい。プレゼント」
「……え」
「今日バレンタインデーだから」
「それで何で花束?」
花束といっても片手で持てるサイズのミニブーケで、キャンディーまで入っている可愛らしい代物だった。
「だってチョコレートはくれるんでしょ。だからお返しも兼ねて」
本を入れるためのスペースを空け、代わりにラッピングした手作りチョコをバッグに忍ばせてきたのは確かだ。
あっさり見破られたのが悔しくて、わざと素っ気なく振る舞う。
「お返しだったらホワイトデーじゃないの?」
「だってその日は…」
今度は晴れやかな笑顔で、照れ隠しさえ許さないという風に反論を封じた。
「つき合って一周年の記念日だから、別のプレゼントを贈るよ」
もちろん予定を空けておいてくれるよね。
二重でサプライズを仕掛けられ、チョコレートより甘い約束を前に陥落するしかなかった。
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