「祈る印の神の折敷」現代語訳・古文

○現代語訳

 「掛奉御宝前」と書いた絵馬が、京都清水寺に掛かっており、(この絵馬は)呉服所の誰かが銀百貫目を祈り、その願いが成就して、これに名前を記して掛けたと語られた(ものだ)。今、その家の繁盛を(以前と)見比べ、一代で金銀もたまるものだと、室町で評判である。人は皆欲を持つ世だから、若恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天に頼みをかけ、鐘の綱に取り付き資本を願うが、今、世間は打算的な時代になり、この願いは叶いにくい。

 ここに桔梗屋という(元手)わずかな染物屋の夫婦が、商売を大切に正直に気遣いをして、少しの時もぼんやりせず稼ぐが、毎年もちつきが遅くなり、肴掛に鰤も無くて、新春を迎えることを悔しむ。宝船(の絵を枕に)敷いて寝て、節分豆を「福は内に」と随分まく甲斐もなく、貧しさから分別が変わり「世はみな富貴の神仏を祀ることが人の習わしである。私は人の嫌う貧乏神を祀ろう」と、妙な藁人形を作り成して、身に渋帷子を着せ、頭に紙子頭巾を被らせ、手に破れた団扇を持たせ、見苦しい姿を松飾の中に置いて、元旦から七草の日まで精一杯のもてなし(をしたところ)、この神はうれしさのあまりに、その夜枕元に出てきて「私は長い年月貧しい家を巡る役で、身を隠して、様々な貧しい家の借金の中に埋もれ、悪さをする子供を叱るにも『貧乏神め』とあてつけを言われながら、金持ちの家では絶え間なく銀貨を(はかりに)掛ける音が耳に響き、癪の虫がおこる。朝夕の鴨鱠・杉焼の贅沢な料理が胸につかえて迷惑。私は元来その家の妻についてまわる神だから、奥の寝室に入って、重ね布団・釣夜着・綿の枕に身がこそばゆく、真っ白な寝巻に残された(焚き染めた)香りに鼻をふさぎ、花見や芝居に行くのにビロード窓の乗り物に揺られて、目眩する気分になるのも嫌である。夜はろうそくの光が金(襖)の部屋に映って気に食わなかった。貧しい家の灯の、十年も張り変えない行灯の薄暗いやつの方がよい。夜中に油をきらして、女房の髪の油を間に合わせに注すなど、そのような不自由なことを見るのが好きで、毎年暮らしてきた。誰も訪ねる者もなく、なげやりにされて、私は貧しさから意地を張り、ますます衰微させていたが、この春はお前が心を込めて貧乏神を祀ってくれて、折敷に座って物を食べることは、前代未聞でこれが初めてである。この恩は忘れられない。この家に伝わってきた貧銭を、長者の二代目の奢り者に譲って、(この家を)たちまち繁盛させよう。それ、生業は色々ある。柳は緑、花は紅。」と、二三度、四五度繰り返すご利益の際立った夢で、目覚めてもこれを忘れない。

 ありがたく思い込んで、「私は染物細工であるので紅とのお告げは、まさしく紅染めのことであろう。しかしこれは、小紅屋という人が大分仕込んで、世間の需要を満たしている。それだけでなく、近年砂糖染の新しい工夫もあり、多くの智恵ある者がいる京であるので、並大抵のことで利益を得ることは思いもよらない。」と、明け暮れ工夫を考案し、蘇芳木の下染めにその上を酢にて蒸し返すと、本紅の色と変わらなくなることを思いつき、これを秘密にして、染め込んで自ら歩いて担いで江戸に下って、本町の呉服屋に売っては、京への帰りには奥州の絹綿を調達し、一挙一動に油断なく往復で利益を得て、十年たたないうちに千貫目分の金持ちになった。

 この人は数多くの手代を置いて諸事を処理させて、自分の身は楽しみを極めて、若い時の辛労を取り返した。これぞ人間の生き方だ。例えば百億円を持っていたとして、老後までその身を使い、心を労して世の中を渡る人は、一生は夢の世界(のように儚い)と知らず、(いくら金をためても)何の益もない。

 ところで、家業のことだが、武士も大名もそれぞれ国を世襲するので(出世の)願いはない。末端の侍は親の位牌・知行(すなわち親の財産)を受け取り楽々とその通りに生活を送ることは、(武士の)本意ではない。自ら奉公を勤め、官位と俸禄を昇進させることこそ出世である。町人も親に儲けを貯めさせて、遺言状で家督を受け取り継いだ(親が)残した商売で、または家賃や貸銀の利息を計算して、もったいなくうかうかと生活を送り、二十前後から無用の竹杖をつき、置頭巾を被り、長柄の傘を差し掛けさせて、世間(の目)も構わない不相応な贅沢男は、いかに自らの金銀を使っているとしても、天命知らずである。人十三歳までは何もわきまえない子どもであり、それから二十四五までは親の指図を受け、その後は自ら世の中で稼ぎ、四十五までに一生の家を固め、遊楽することに極まる。どうして若隠居などといって男盛りで勤めを辞めて、大勢の家来に暇を出して、他の主人に仕えさせ、末端の者に頼りにしていた甲斐もなく難儀な目に合わせてしまうのだろう。町人の出世とは、下々の者を面倒見て、その家(の暖簾)を大勢に分けることこそ親方の道である。

 総じて、三人暮らしまでを「身過ぎ」とは言わないのである。五人から「世を渡る」と言うのである。下人が一人もつかない人は、世帯持ちとは申さないのである。「旦那。」と言ってくる人もなく、朝夕の飯も通い盆なしに手から手に取り、女房の手盛りで食うなど、いかに腹が膨れるといっても残念なことなのだ。同じ世渡りでも、格別の違いがある。金銀は(天下の)回りもの、懸命にやれば、たまらないものではない。その人自身(桔梗屋)は夫婦だけから働きだし、今や七十五人の主人、大屋敷を願いの通りに(築き)、七つの蔵と九室の座敷、(庭には)あらゆる草木の他に金のなる名木がはびこって、しかも長者町に住んでいた。


○古文

 大絵馬掛け奉る御宝前、洛陽清水寺に、呉服所の何某銀百貫目を祈り、その願成就して、これに名を記して懸けられしと語りぬ。今その家の繁昌を見競べ、一代に金銀もたまる物ぞと、室町の是沙汰なり。人皆欲の世なれば、若恵比寿、大黒殿、毘沙門、弁財天に頼みをかけ、鉦の緒に取り付き元手を願ひしに、世間かしこき時代になりて、この事叶い難し。

 ここに桔梗屋とてわずかなる染物屋の夫婦、渡世を大事に正直の頭を割らして、暫時も只居せず稼げども、毎年餅つきおそく、肴掛に鰤もなくて、春を待つ事を悔みぬ。宝船を敷寝にして、節分大豆をも「福は内に」と随分打つかひもなく、貧より分別かはりて「世はみな富貴の神仏を祭る事、人の習わせなり。我は又、人の嫌へる貧乏神をまつらん」と、をかしげなる藁人形を作りなして、身に渋帷子を着せ、頭に紙子頭巾を被らせ、手に破れ団扇を持たせ、見ぐるしき有様を松飾りの中になほして、元旦より七種まで心にある程のもてなし、この神うれしき余りに、その夜枕元にゆるぎ出て、「我、年月貧家をめぐる役にて、身を隠し、様々かなしき宿の借銭の中に埋もれ、悪さする子供を叱るに、『貧乏神め』とあて言をいはれながら、分限なる家に不断丁銀かける音耳にひびき、癪の虫がおこれり。朝夕の鴨鱠・杉焼の至り料理が胸につかへて迷惑。我は元来その家の内儀に付いてまはる神なれば、奥の寝間に入りて、かさね蒲団、釣夜着、ぱんやの括り枕に身がこそばく、白むくの寝巻に留めらるるかをりに鼻ふさぎ、花見・芝居行きに天鵞絨窓の乗物にゆられて、目舞心になるもいやなり。夜は蝋燭の光り金の間にうつりてうたてかりき。貧なる内の灯、十年も張りかへぬ行灯のうそぐらきこそよけれ。夜半油をきらして、女房の髪の油を事欠きにさすなど、かかる不自由なる事を見るをすきにて、年々を暮らしぬ。誰訪ふ者もなく、なげやりにせられ、我は貧よりおこり、なほなほ衰微させけるに、この春その方心にかけて貧乏神を祭られ、折敷に居りて物食ふ事、前代これがはじめなり。この恩賞忘れがたし。この家につたわりし貧銭を、二代長者の奢り人にゆづり、忽ちに繁昌さすべし。それ、身過は色々あり。柳はみどり、花は紅」と、二三度、四五度繰り返し、あらたなる御霊夢、覚めてもこれを忘れず。

 有難く思ひ込み、「我、染物細工なるに紅との御告は、正しく紅染の事なるべし。しかれどもこれは、小紅屋という人大分仕込みして、世の自由をたしぬ。それのみ、近年砂糖染の仕出し、重い智恵者の京なれば、大方の事にて利を得る事思いも寄らず」と、明暮工夫を仕出し、蘇芳木の下染、その上を酢にて蒸し返し、本紅の色に変らぬ事を思い付き、これを秘密にして染め込み、自ら歩行荷物にして江戸に下り、本町の呉服棚に売りては、登り商に奥筋の絹綿ととのへ、差す手引く手に油断なく鋸商にして、十年たたぬうちに千貫目分の分限とはなりぬ。

 この人数多の手代を置きて諸事をさばかせ、その身は楽しみを極め、若い時の辛労を取り返しぬ。これぞ人間の身のもちやうなり。たとえば万貫目持ちたればとて、老後までその身をつかひ、気をこらえて世を渡る人、一生は夢の世と知らず、何か益あらじ。

 されば家業の事、武士も大名もそれぞれ国につたはりて願ひなし。末々の侍、親の位牌知行を取り楽々とその通りに世を送る事、本意にあらず。自分に奉公を勤め、官禄に進めるこそ出世なれ。町人も、親にまうけためさせ、譲状にて家督請け取り、仕にせおかれし商売、又は棚賃・貸銀の利積りして、あたら世をうかうかとおくり、二十の前後より無用の竹杖、置頭巾、長柄の傘さしかけさせ、世上構わず僭上男、いかにおのれが金銀つかうてすればとて、天命を知らず。人は十三歳まではわきまえなく、それより二十四五までは親の指図を受け、その後は我と世を稼ぎ、四十五までに一生の家をかため、遊楽する事に極まれり。なんぞ若隠居とて男盛り勤めをやめ、大勢の家来に暇を出し、外なる主取りをさせ、末を頼みし甲斐なく難儀にあはしぬ。町人の出世は、下々を取り合せ、その家を数多に仕分くるこそ親方の道なれ。

 惣じて、三人口までを身過ぎとはいはぬなり。五人より世をわたるとはいふ事なり。下人一人もつかはぬ人は、世帯持とは申さぬなり。旦那といふ者もなく、朝夕も通ひ盆なしに手から手にとりて、女房盛りで食ふなど、いかに腹ふくるればとて口惜しき事ぞかし。同じ世すぎ、格別の違ひあり。これを思はば、暫時も油断する事なかれ。金銀は廻り持ち、念力にまかせ溜るまじき物にはあらず。我が夫婦より働き出だし、今七十五人の竈将軍、大屋敷ねがひのままに、七つの内蔵・九間の座敷、万木千草のほか銀の生る名木はびこりて、所はしかも長者町に住めり。


☆単語・用語

掛奉御宝前:絵馬に書く決まり文句

清水寺(せいすいじ):清水寺

呉服所:公家や大名の指定呉服商

なにがし【何某】誰か・なんとか

貫:銀貨の最高単位 百貫は現在の一億円を超える感じ

是沙汰(これざた):評判

鉦(かね):賽銭箱の前などに置かれた綱(鰐口)で鳴らす鐘

元手:商売の資本

※かしこき時代 「畏し」ではなく「賢し」か

渡世(とせい):仕事・商売

頭(かうべ)を割る:心を砕く(=気遣う)

肴掛:正月用の食品をつるすさお

※をかしげなる 近世においては「趣ある」より「妙な・変な」の用法が主

渋帷子(しぶかたびら):渋柿で染めた帷子(麻の着物)

紙子頭巾(かみこづきん):紙子紙(渋柿を引いた和紙)で作る頭巾

なほす【直す】修繕する・正しくする・正しい位置に置く

七種(ななくさ):七草

心にある程:精一杯の

かなし【悲し】悲しい・不憫だ・貧しい

あてごと:あてつけ(他のことを理由付けして批難する)

分限(ぶんげん):金持ち

丁銀:細長い銀貨

杉焼:魚などを味噌を入れた杉箱で煮て、杉の香りを移した料理

至り:極まった

内儀(ないぎ):(他人の)妻

釣夜着(つりよぎ):軽くするため天井から紐を吊り上げた布団

ぱんや:ポルトガル語panhaの訛。木の種子の綿。

※焚き染め(たきしめ):香をたいて香りを染み込ませる

天鵞絨(びろうど・てんがじゅう):ビロード(ポルトガル語veludo)。織物の一種。

こころ【心】①心 ②気分・気持ち

うたてし ①気に食わない ②気の毒だ

行灯(あんどん):木枠に紙を貼り、中に火を灯した油皿を置く照明器具

やはん【夜半】夜中

※女房 江戸時代の町人では「妻」の用法も。

事欠き:必要なものを欠くこと。その間に合わせ。

そのはう【その方】①そちら ②(室町以降)お前(目下に用いる二人称)

折敷(おしき):木板のお盆。神前に物を供える時によく用いる。

身過(みすぎ):生活のすること。生業。世渡り。

※柳緑花紅:謡曲に頻出する言葉。天地自然そのままを悟りの境地とする禅語。

あらたなり【灼なり・験なり】あらたかだ(神仏のご利益が際立ってある)

※自由をたす 需要を満たす

それのみ それだけでなく

砂糖染:未詳。ミョウバンを用いた染色か。

しだし【仕出し】①新しい工夫。新案。②おしゃれ。身なり。

蘇芳木(すおうぎ):マメ科の植物。紫がかった赤色が出る。

本紅(ほんもみ):紅花で染めた染物。

歩行(かち):徒歩。陸路。

登り商(のぼりあきない):京へ上る時の商売

奥筋(おくすじ):奥州

差す手引く手:一挙一動。何かにつけて。

鋸商(のこぎりあきない):往復ともに利益を得ること

あまた【数多】数多く

手代(てだい):江戸時代の商家奉公人の身分で、丁稚と番頭の中間身分。

されば【然れば】①だから ②さて。ところで。

つたふ【伝ふ】①伝える ②伝え残す ③受け継ぐ

位牌(いはい):死者を祀るため名前や戒名を記した板。

知行(ちぎょう):幕府や藩が家臣に俸禄(給与)として支給した土地。

官禄(かんろく):官位と俸禄。

譲状(ゆずりじょう):遺言状。

しにす【仕似す】①似せる ②家業を継ぐ ③長年続けて信用がある

おく【置く】①置く ②残す ③(霜や露が)降りる

棚賃(たなちん):家賃

あたら【惜】形容詞「あたらし」の語幹より。

※あたらし【惜し】もったいない・惜しい

世上(せじょう):世間

僭上(せんじょう):身をわきまえない出過ぎた行い

とりあわす【取り合わす】①うまく取り繕う ②面倒を見る

くち【口】①口 ②噂・言葉 ③暮らし・生活 ④入口

通い盆(かよいぼん):給仕に使う盆

くちおし【口惜し】残念だ・つまらない

念力(ねんりき):懸命に思うことによる力

わ【我・吾】①私 ②(反照代名詞)自身

竈将軍(かまどしょうぐん):一家の主人

銀(かね):お金。貨幣。


【原文】

◆井原西鶴『日本永代蔵』巻四「祈る印の神の折敷」

(井原西鶴『日本永代蔵』森田庄太郎、1688年)早稲田大学古典籍総合データベース:https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he13/he13_01239/index.html


【参考文献】

◆谷脇理史・暉峻康隆・神保五弥注訳『新編日本古典文学全集68 井原西鶴集3』小学館、1996年

◆矢野公和・有働裕・染谷智幸訳『日本永代蔵 全訳注』講談社、2018年

◆村田穆注『新潮日本古典集成 日本永代蔵』新潮社、1977年

◆黄緑萍『宗教がどう生まれるのか―現代の「流行神」への試み―』(東北大学博士論文甲第15537号)2014年

◆塩川和広「お伽草子「福神物」に見る致富の構造:『梅津長者物語』の貧乏神を中心に」『立教大学日本文学』111、p.141-152、2014年

◆小松和彦『福の神と貧乏神』筑摩書房、2009年

◆北原保雄編『全訳古語例解辞典 コンパクト版 第三版』小学館、2001年

◆小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年

◆松村明編『大辞林 第三版』三省堂、2006年


本文は、2020年5月に制作し、ニコニコ動画・Youtubeで公開した自作動画「つづみ古文 #8」の内容を文章化し投稿したものです。


2020年5月 がくまるい

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