第6話 後編 名も無き『ナニカ』と私

 目が覚めると「第三係」に寝かされていた。


「知ってる天井だ…」


 頭が痛い。胃がむかむかする。鳥肌が立ちっぱなしになっている。

 間違いなくここに来てから最悪のコンディションだ。


「あら、サトウちゃん、目が覚めた?

 気分はどう?もう平気?」

「……エゥブさん……」

「何か欲しいものはない?

 ごめんなさい、こんなときどうしたらいいか分からないの」


 エゥブさんがおろおろしている。


「何か飲み物、ください……」

「わかったわ、ちょっと待っててね」


 エゥブさんが早足で去っていく。

 お茶を入れに行ってくれたのだろう。


 それにしても、アレは一体何だったんだ……。

 なんというか、次元の違う相手だった、としか表現できない気がする。


「はい、サトウちゃん、お茶よ」

「ありがとうございます……」


 落ち着くために一服。

 濃いお茶が冷えた体に染み渡る。


 ゆっくりと時間をかけてお茶を飲み干し、私はエゥブさんに疑問をぶつける。


「アレは何だったんですか。

 ……少なくとも人間じゃないですよね」

「アレは……ごめんなさい、私にも分からないわ」


 まさか執行官であるエゥブさんにも分からないとは。

 これ以上の情報を得ようと思ったら、管理局に問い合わせる必要があるだろうか。


「たまにね、ああいう存在の担当を任されることがあるの。

 神とか、悪魔とか、そういう名前も与えられていない『ナニカ』。

 いつの間にか転生者のリストに載っていて、そして転生していく正体不明のものよ」


 いつの間にかって……。

 まさか管理局にも分からないものがあるなんて…。

 そんなもの私の正体くらいだと思ってた……。


 …‥私と同じで正体がわからないもの……。


「私たちは、ううん、管理局の職員だって、神様じゃないの。

 分からないものは分からないし、調べても分からないと分かっている以上、調べたりしないわ」

「あの、エゥブさん、私がその『ナニカ』ってことはないんです、よね?」


 不安になる。

 あの、最初から最後まで会話にならなかったもの。

 誰に話しかけているか理解できないもの。


 あんなものと私が同じものかもしれないと思うと体が震えだす。


「それはないわ」


 私の不安を吹き飛ばすようにエゥブさんはきっぱりと否定する。


「『ナニカ』は少なくとも人間じゃない。

 でもサトウちゃんは人間であることが判明してる」


 管理局で何回も精密検査を受けたでしょ?

 そう言いながらエゥブさんは落ち着かせるように私の頭を優しくなでる。


 ……そうだった。

 私はまだ冷静になり切れていないらしい。

 それほどまでに『ナニカ』から感じる違和感が強烈だった、ということだろう。


 お茶のお代わりをエゥブさんに頼んで深呼吸をする。


 そして考える。

 『ナニカ』は『見られる』ことで実在できると言っていた。

 であれば、あそこで私が『ナニカ』を『見た』せいでその存在を証明してしまった……?


 『ナニカ』が良いものか悪いものか、私にはわからない。

 だが、もし転生先で何かをしでかしたなら、それは私の……。


 ふと視界が少し暗くなる。

 私の前に誰かが立ったせいで影が差したようだ。

 エゥブさんがお茶を持ってきてくれたのかな。


「……珍しく神妙な顔じゃないか」

「……ドーレさん」


 ドーレさんだった。

 ドーレさんは私の目の前の椅子に座ると私の顔を観察し始める。

 ……体調が悪くないのか見てるのかな?


「『ナニカ』に会ったそうだな。

 ……災難だったな」

「ドーレさんが優しいと何か気持ち悪いですね。

 あとそこはエゥブさんの席です。」

「……」


 黙って立つドーレさん。

 そして私に強烈なデコピンをする。


「痛いじゃないですか!」

「痛くしたんだよ!

 ……心配して損した」

「……」


 心配してくれていたらしい。

 ちょっとはいい奴じゃないか。


「……『ナニカ』は自然災害のようなものだ。

 会ったら運が悪かったな、としか言えん。

 だがお前に『ナニカ』の危険性を教えなかったのはこちらのミスだ、謝罪する」

「……いえ、仕方ないですよ。

 そもそも私の存在がイレギュラーなんですから。

 対処が追い付かないのは当然です」

「そうか」


 ゆっくり休め、と言ってドーレさんは仕事に戻っていった。


 ドーレさんもやっぱり『ナニカ』のことは詳しくは知らないらしい。

 『ナニカ』。名前が与えられていない異物。

 私にも、執行官にもどうしようもない災害のようなもの。


 こうしたものに出会ったときにどうすればよいのか。

 かつての私はどうしてきたのか。

 やっぱり考えても答えは分からなくて。



 そんな時は考えるのをやめるに限る。

 思考放棄上等。

 どうせこのハザマの世界は分からないことだらけだ。

 私ごときの知識でどうにかしようとすることの方が間違いだろう。


 うじうじ悩んでいるより実際に『見る』方が早い。

 長々と講釈を垂れていった『ナニカ』も言っていたじゃないか。


 よしっ!と気合を入れて立ち上がる。


「サトウちゃん、お茶を持ってきたわよ~。

 …もう、大丈夫みたいね?」

「はい、ご心配をおかけしました!

 今日は途中で倒れてすみませんでした!」

「いいのよ、無理しないでね~?」


 恐怖とは未知だ。

 この世界は未知にあふれている。

 ならば未知を恐れず突き進んだ者こそ、最も恐怖から遠い存在といえるだろう。


 気合い、入れていこう!










「さっき、ドーレ君とすれ違ったんだけど、サトウちゃんが元気になったのは、ドーレ君に慰めてもらったからかしら~?」

「ちっげーよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る