『有頂天家族』の京都
第35話 天空における京都五山の送り火;『有頂天家族』2
二〇二一年八月十六日、二十時のことであった。
隠井は、配信サイトのライヴストリーミングで、京都にて催されている〈京都五山送り火〉を視聴していた。
八月十六日に、京都では、お盆の時期の伝統行事として〈五山の送り火〉が催される。
お盆期間とは、地域によって七月の場合もあるが、通常、八月十三日から十六日までの四日間が、その期間に当たり、十三日の〈迎え火〉が盆の入りで、十六日の〈送り火〉が盆明けなのだ。
一般には、〈大文字焼き〉という呼称の方が知られているかもしれない、夏の夜空を彩る〈京都五山の送り火〉とは、八月十三日の迎え火の日に、あの世から戻ってきた先祖の霊たる〈お精霊(おしょらいさん)〉を、あの世に送り返す儀式である。
まず二十時に、東山如意ヶ岳に〈大文字〉の字が浮かび上がり、それから二十時五分、松ヶ崎に〈妙法〉、続いて二十時十分、西加茂に〈船形〉、次いで二十時十五分、大北山に〈左大文字〉、そして最後に、二十時二十分、嵯峨鳥居本曼荼羅山に〈鳥居形〉といったように、五分おきに、次々に文字が点火されてゆく次第だ。ちなみに、点火時間は、各山ともに約三十分であり、要するに〈五山の送り火〉自体は、午後八時から九時までの約一時間の行事なのである。
ただ、二〇二一年に関しては、世界規模の感染症の影響もあって、規模が縮小された開催となり、具体的に言うと、五山合わせて十二しか点灯されず、火で絵文字が描かれたというよりも、火を点として灯して、夜空の星座にように結びつけ、見物客が想像力で線を補うものになっていた。
かくの如く、この年の送り火はもの寂しいものになってしまったのだが、次年度以降には、かつてと変わらぬ送り火が催されることを念じた隠井であった。
だが、しばし待て。
実は、かつての送り火の様子を物語に中に取り込んだアニメ作品があったはずだ。
森見登美彦氏の小説を原作とし、二〇一三年の七月期にアニメとして放映された『有頂天家族』がそれであった。
この作品は、京都市左京区に位置している「糺ノ森」に住む狸、下鴨一家が主要登場〈狸〉になっているのだが、その第三話「薬師坊の奥座敷」と、これに続く第四話「大文字納涼船合戦」では、上述した〈五山の送り火〉が物語にモチーフになっており、第三話と第四話では、オープニングテーマが流れる前に、以下のようなナレーションが入ってさえいる。
「夏の風物詩たる五山の送り火の宵、浮かれる人間どもに調子を合わせて、我ら狸もまた、夏の夜空でどんちゃん騒ぎをする。この止むに止まれぬ性癖は、遠く桓武天皇の御世から脈々と受け継がれてきたものに違いなく、今はなき父はそれを〈阿呆の血〉と呼んだ」(第三話、0:54〜1:21)
「花鳥風月を真似るのも風流だが、やはり一番味があるのは、人間を真似ることであろう。そうやって、人間の行事にどこまでも相乗りして遊ぶのが、なんだか妙に面白い。それは、阿呆の血のしからしむる所だ。(……)。夏の風物詩たる五山の送り火の宵、浮かれる人間どもに調子を合わせて、我ら狸が浮かれるのも、結局はその阿呆の血のしからしむる所であろう(第四話,0:41〜1:24)
といったように、第三話と第四話においてそれぞれ、多少、文言を変えつつも、「五山の送り火」のことが言及され、事実,第三話とそれに続く第四話においては、京都の夏の風物詩が物語の背景になっているのだ。
ナレーションにあったように、人間の行事に乗っかった狸たちは、それぞれの一家が空に浮かぶ「納涼船」に乗って、七福神の姿に化けて、送り火見物に集まっている有象無象の人間を眼下に眺めながら、夏の夜空にてどんちゃん騒ぎに興じるのだ。
物語の中では、その前年に、自分たちの納涼船「万福丸(まんぷくまる)」を失ってしまった下鴨一家は、天狗の赤玉先生から、空飛ぶ茶室の如き「奥座敷」という乗り物を借りて、送り火の日に使う「納涼船」を用意せんとするのだ。
しかし赤玉先生は、弟子である人間の「弁天さま」に「奥座敷」を贈ってしまったため、下鴨矢三郎は、なんとかして、弁天から「奥座敷」から借り受けることに成功する。
そして「送り火」の日が訪れた。
赤玉先生を招待した下鴨一家は、「奥座敷」に乗って、天空で「送り火」見物に興じる。
しかし、楽しいはずの、賑やかな夜空での船遊びの際に、下鴨一家に敵意を抱いている夷川一家が、下鴨一家が乗る「奥座敷」に向かって。花火で攻撃を仕掛けてくるのだ。
実は、下鴨一家が、自身の「納涼船」たる「万福丸」を失ったのも、夷川一家にせいだったのだが、一度目はそれを水に流した。だが流石に、二度目とあっては、下鴨一家の狸たちの堪忍袋の尾も切れ,ついに、空中で、狸同士の仁義なき戦いが繰り広げられることになる。
互いの船に花火を打ち込み合い、物を投げ続けていたのだが、近距離から止めの花火を打ち込もうとした夷川によって、「奥座敷」に鎖を打ち込まれ、引き寄せられた下鴨一家は、ついに、絶体絶命の危機に陥ってしまう。だが、奥座敷の棚の中に置かれていた、風を巻き起こす天狗の「風神雷神の扇」によって突風を起こすことによって、下鴨一家は、夷川の「納涼船」を落下させ、勝利を収めたのだ。
しかし、下鴨一家の方も、「奥座敷」の燃料たる「赤玉ポートワイン」を切らしてしまい、地に落ちた「奥座敷」は壊れ、さらに、「扇」さえも失くしてしまうのである。
これが『有頂天家族』第三話・四話の物語内容だ。
八月十六日の〈五山の送り火〉の日、例年ならば、下界にて、鴨川沿岸などに集って、送り火見物に興じる人間ども同様に、狸たちは、天空で「納涼船」に乗って送り火見物を楽しみながら、どんちゃん騒ぎをしているはずであった。
だがしかし、である。
二〇二一年は、現実の〈送り火〉は、点けられた火の数は激減され、鴨川などの人出もほとんど無かったことだろう。
それでは、『有頂天家族』の狸たちは?
今年の京都の狸たちは、はたして、空飛ぶ「納涼船」を浮かべたのであろうか、それとも、人間を真似て、自粛したのであろうか?
〈参考作品情報〉
アニメ:『有頂天家族』,制作:P.A.WORKS,二〇一三年七月期,全十三話,第三話〜第四話.
原作小説:森見登美彦『有頂天家族』,第一巻,東京:幻冬舎,二〇〇七年.
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