第36話 八月十六日金曜日の謎:『有頂天家族』3

 隠井は、十月前半という中秋の時期に関西を訪れていた。

 神戸で用事を済ませると、隠井は、神戸三宮駅で阪急電車に乗り込み、持参した文庫本を開いたのだった。

 それは、森見登美彦氏作の『有頂天家族』で、幻冬舎から、二〇〇七年に第一巻が、二〇一五年に第二巻が刊行されている。

 そして、第一巻を原作としたアニメの第一期は、二〇一三年の七月期に全十三話で、第二巻相当の第二期のアニメは、二〇一七年四月期に全十二話で放映された。

 神戸三宮から、大阪の十三を経由して、京都に向かった隠井は、道中のおよそ一時間十五分を、文庫本・第一巻の最初の三章を流し読みしながら過ごしたのだった。そして、京都河原町で下車した隠井は、駅から一歩屋外に足を踏み出したその瞬間に、予想以上の京都の暑さのせいで、思わず心の中で悲鳴をあげてしまったのだった。


 二〇二一年——

 この年の秋は、十月に入ってなお、気温が三十度を超える日が続き、まるで、日本列島が秋の存在を忘れ、〈残暑〉が永遠と続くかのような異常気象にあった。


 冷房が効いていた列車の中で羽織っていたサマーパーカーを、道端で脱ぎ去り、それを腰巻きにし、Tシャツ一枚の涼やかな出立ちになると、隠井は、鴨川方面に向かって歩き出した。そして、鴨川にまで至ると、出町柳方面に向かって、周囲の景色を楽しみながら、ゆっくりと川沿いの道を辿り始めた。

 周囲を眺めやっていた際に驚いたのは、十月半ば近くのこの時期においてなお、川縁にて半裸で日光浴に興じる人がいたり、四条から三条にかけての河川敷の〈川床(かわどこ)〉にて、飲食を楽しむ人々の姿を認めたからである。

 これって、まるで八月中旬の、夏の盛りの京都の情景だよな。

 そんな事を考えながら、隠井は、八月の中旬のお盆の時期に京都を訪れた時の事を思い出していた。


 盛夏の京都では、様々な〈納涼〉の催しが行われる。

 〈納涼〉とは、夏の暑さの盛りを避けるために、涼しさや快適な過ごし易さに創意工夫を凝らす事である。

 例えば、身体を冷やす効果のある飲食物や漢方薬を取り込んで、体内の熱気を取り除く事は、暑さを打ち払う、という意味から〈暑気払い〉と呼ばれている。

 また、〈納涼船〉とは、文字通り、暑さを忘れるための船遊びをするための乗り物である。

 ちなみに、納涼船は、アニメ『有頂天家族』の第四話「大文字納涼船合戦」においては、五山の送り火の日に、人でごった返す地上を尻目に、天空から優雅に涼やかな風を受けながら空を翔ける、空飛ぶ「納涼船」として、物語の中に登場している。

 そして、隠井が十月上旬の鴨川沿いで見かけた〈納涼床(のうりょうゆか〉とは、屋外にて川に張り出した座敷のことで、このように水際で宴会をすることで、涼やかさを味わおうというものである。

 こうした納涼床は、関西の夏の風物詩の一つなのだが、『有頂天家族』では、第一話「納涼床の女神」の後半のパートにおいて、四条大橋付近の納涼床は、「金曜倶楽部」のメンバーが納涼会を行なっている場に、下鴨矢三郎が矢文を打ち込み、弁天の扇を撃ち抜く場面の舞台背景になっている。


 さて、ここで肝要なのは、〈納涼〉とは、必ずしも、物理的に暑さを避けることだけを意味するわけではない、という点である。たとえば、一時であれ、暑さを忘れようとする、例えば、花火や怪談もまた納涼で、だからこそ、これらは、日本において、夏の風物詩になっているのだろう。

 八月十六日というお盆の最終日に、先祖の霊を送り出すために行われる、〈五山の送り火〉も、そういった納涼の催しの一つで、この日、例えば、いわゆる〈大文字焼き〉の見物客で、出町柳周囲は例年ごった返していたそうだ。

 そして、この〈五山の送り火〉の模様が、アニメ『有頂天家族』の第四話に取り込まれていたのは、すでに、このエッセイの別のエピソード(参考:第三十五話「天空における京都五山の送り火」)の中で叙述した通りである。

 さらに、アニメ『有頂天家族』の第一話「納涼床の女神」から第四話「大文字納涼船合戦」(原作第一巻の第一章から第三章に相当)は、そのエピソード・タイトルからも明らかなように、「納涼」が、アニメの四つのエピソードにおける共通のモチーフになっているのだ。


 ところで、この「納涼」の時期を背景にした『有頂天家族』の第一話から第四話は、具体的には、八月の何日に起こった出来事なのだろうか?

 ちなみに、第一話の冒頭の場面に、八月十一日から十六日にかけて催されている「下鴨納涼古本まつり」の看板が認められるので、第一話から第四話までは、八月十一日から十六日が時間的背景ということになろう。


 さて、第四話の主筋である「五山の送り火」は、現実の〈送り火〉を参照してみると、毎年八月十六日に行われる催しなので、この事によって、第四話の日時は確定できる。

 それでは、八月十六日に当たる、第四話のメイン・エピソードを軸に推測を試みたい。


 第四話の冒頭部で、矢三郎が、師匠である天狗の赤玉先生を、送り火見物に誘うのだが、これが、送り火前日の夕方の出来事なので、第四話の冒頭部は、八月十五日ということになろう。


 第三話「薬師坊の奥座敷」は、五山の送り火の日に乗るべき「納涼船」を持たない下鴨一家が、昼の間、赤玉先生のアパートから弁天の許へと、納涼船の手配に奔走するエピソードになっている。この話の中で最終的に、矢三郎は弁天から「奥座敷」という空飛ぶ座敷を借り受けるのだが、「奥座敷」を借りた矢三郎が、弁天から「奥座敷」の使用方法を教授され、これを京の都の夜空に飛ばすシーンが描かれているので、第三話の時間的背景は、十五日の夕方が背景であった第四話冒頭よりも前の日ということになる。


 そして、第二話「母と雷神様」は、夜の場面で終わっているので、第二話は、第三話と同日でなく、第三話より前の日であることは明らかだ。ちなみに、二話の冒頭部において、矢三郎は母から、「昨日」、矢三郎が弁天に会ったことが指摘されているので、第一話と第二話は連続した日ということになる。


 アニメ『有頂天家族』の第一話をもっと注意して見てみると、古本まつりの看板には「第二十五回 下鴨古本まつり 八月十一日(日)〜十六日(金)」と書かれている事に気付く。

 この事を考慮に入れると、第四話の主筋は八月十六日の金曜の夜、第四話の冒頭は八月十五日の木曜の夕方、第三話は八月十三日か十四日の昼から夜、第二話は、第三話よりも前の日の昼から夜で、そして、第一話は、第二話の前日の昼から夜が時間的背景になっているという事になる。だがしかし、こういった事は分かったものの、特に、第一話から第三話の日付特定の決め手が認められないのだ。


 もっと、作品を観込んでみよう。


 第一話で、赤玉先生が「今日は金曜である」と述べ、事実「金曜倶楽部」が納涼床で宴会を催している事から、矢三郎が弁天の扇を射抜いたのは、金曜日・十六日という事になる。だがしかし、第四話は大文字焼きの日なので、これまた八月十六日の出来事となる。

 つまり、同じ物語内の同じ十六日金曜日の夜に、二つの異なる出来事が起こってしまっているのだ。

 この事態を一体どのように解釈すれば良いのだろうか?


 現実を参照すると、古本市の期間も、五山送り火の日程も毎年同じなので、物語内で看板に書かれた曜日が間違っていた、とか、メタな話になってしまうのだが、アニメ制作側の設定ミスだと考えれば、簡単に事が済んでしまうのだが、もしかしたら、もっと深い意味や、何か説得的な理由があるのかもしれない。

 だから——

 もっともっと仔細に作品を観直さねばならぬ、と考える隠井であった。

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