千代田区・丸の内

第28話 江戸城跡における天守台と午砲台:『SAOⅡ』1

 『ソードアート・オンライン』は、川原礫氏原作のライトノベルで、公式の略称は『SAO』、読者やアニメ視聴者の中には『サオ』と呼ぶ人もいる。

 小説は、二〇〇九年から電撃文庫にて刊行開始され、二〇二〇年現在、二十四巻まで上梓、さらに、これを原作としたTVアニメも、三期に渡って計九十六話放映された。

 そのうち、小説の第五巻と第六巻に渡る「ファントム・バレット編」を原作とした、第二期『ソードアート・オンラインⅡ』の前半、第一話から第十四話は、二〇一四年の七月期に放映された。その内容は、<GGO(ガンゲイル・オンライン)>というオンライン・ゲームを舞台にした銃撃戦である。

 その第一話は、ゲーム世界のシーケンスの後、『ソードアート・オンラインⅡ』という作品タイトル、つづいて、「銃の世界」という第一話のタイトルが提示され、場面は、現実世界における二〇二五年十二月七日・日曜日の東京へと転換してゆく。


 二〇二〇年十二月六日・日曜日――

 銀座に立ち寄って、丸の内ピカデリーの時計を写真に収めた後、隠井は、東京メトロ大手町駅の<C10番>出入口付近で、スマートフォンにて時刻を確認した。


 十四時五十七分


 時刻ぴったりである。

 『SAOⅡ』内で展開している時間とは、五年の時間差があり、さらに、日付も一日ずれてはいるのだが、物語で、結城明日奈がC10番出口にいるのと完全に同じ時刻に、同じ場所に立つことに、隠井は成功した。

 原作では、第五巻の五十三ページから六十八ページまでの十六頁、アニメの中では、第一話の三分二十六秒から八分二十七秒、さらに、十九分二十一秒から二十一分、合計およそ六分四十秒の間、この場面の物語の舞台背景になっているのが、十二月七日・日曜日の皇居・大手門周辺と皇居東御苑なのだ。

 実は、隠井は、物語の日付に合わせて、七日・月曜日に皇居を訪れようとしていたのだが、皇居東御苑は月曜日は非公開なので、日付は括弧に入れ、十二月最初の日曜日に皇居を訪問した次第なのである。

 一日のずれなので、物語と似たような感覚、たとえば、この時期の場所の雰囲気や、夕焼けの様子、空気感などは味わうことはできよう。

 隠井は、大手町駅のC10出口を出発点にし、永代通りの横断歩道と、内堀通りの横断歩道を渡って、皇居の大手門に向かった。

 そして、繰り返し観たアニメの記憶と文庫本を片手に、結城明日奈と桐ケ谷和人と同じ行程で、江戸城跡である皇居東御苑を巡ってみることにしたのだった。

 ちなみに、この日の隠井の服装は、黒のスニーカーに、黒いズボン、黒いトレンチコートと、全身黒ずくめであったことを、ここに付言しておくことにしよう。

 三の丸の大手門を抜けた隠井が、十分ほど歩を進め、やや急な短い坂を上り切ると、そこには、旧江戸城の本丸跡が広がっている。アニメの中で、明日奈が感嘆したのと同じ景色である。それから、隠井は、視界の最奥、江戸城本丸跡の一番北側に位置している薄茶色の壁まで行ってみることにした。

 そこは、江戸城の天守台の跡である。


 天守とは、戦国時代以降の日本の城に建てられた象徴的な建造物のことである。ちなみに、<天守>とは建築学の学術用語で、一般には<天守閣>と呼ばれている。

 江戸城の天守は、歴史的に言うと、家康が慶長十二(一六〇七)年に、秀忠が元和八(一六二二)年に、そして、家光が寛永十五(一六三八)年に、つまり、家康、秀忠、家光と、将軍が代わるごとに築き直され、いわば、天守とは、それぞれの将軍の象徴とも言い得る建造物なのである。

 だが、明暦三(一六五七)年の火災で、家光の寛永の天守が焼失してしまい、その翌年には、瀬戸内から御影石を運ばせ、加賀前田藩の普請によって、花崗岩製の天守台が完成した。

 しかし、である。

 天守は戦国時代の象徴で、時代遅れの代物である、と考えた四代将軍家綱の後見の会津藩主・保科正之が、天守そのものの建築に待ったを掛けたのだった。その結果、これ以後、江戸城において天守が再建されることはなかった、という。

 結局、江戸城に、将軍の象徴であった天守が存在していたのは、江戸時代初期のおよそ五十年間だけであり、そして今現在、残っているは、東西四十一メートル、南北四十五メートル、高さ十一メートルに石積みされた、薄茶色の花崗岩の天守台だけなのである。


 原作の中で、和人と明日奈は、外国人観光客の親子連れに頼まれて写真を撮ってあげ、そして、その御礼として、二人も、スナップを撮ってもらう場面が描かれている。このシーンは、アニメの方でも描かれているのだが、ただし原作では、その撮影場所が何処かまでは叙述されていない。一方、アニメの方では、薄茶色の石垣が背景になっているシーンから、ここが、<天守台跡>であることが分かる。

 さらに、物語の中で、和人ことキリトは、明日奈ことアスナに、次のように語っている。

 千代田区の二十パーセントを占める皇居、その下には、「地下鉄やトンネルも通っていない」し、その上は、いかなる航空機も「飛行禁止」、すなわち、皇居とは、「東京のど真ん中を垂直に貫く、巨大な侵入禁止エリア」になっているのだ。さらに、キリトは、「東京の中心であると同時に、隔離された<異界>でもある」と表現さえしている。

 一方、アスナは、キリトとの会話の中で「世界が、≪時間≫という軸と≪空間≫という面で構成されているなら、東京(……)わたしたちの現実世界の中心は、間違いなくこの場所。そして(……)仮想世界の中心軸は、もう存在しない、あの≪城≫なんだね」と述べている。

 前日にアニメの第一話を観、さらに道中の地下鉄の中で、原作の五巻を読んでいた隠井の脳は、完全に<物語脳>になっており、このキリトとアスナのセリフの幾つかが脳内で再生されていた。


 天守台の薄茶色の石積みを背景に写真を撮った後、隠井は、考えをまとめようと、江戸城本丸跡の北側の芝生側そばに三つ並んでいるベンチの、真ん中のベンチに座った。ちなみに、このベンチは、アニメの中で、夕陽に染まった空の下、キリトとアスナが会話を交わしていた、まさにそのベンチである。

 そこで、文庫本に目を走らせながら隠井は考えた。

 旧江戸城跡である皇居は、ここに、将軍が住み、後に天皇も住んでいたとういう点において、まさに日本の中心の象徴的空間で、キリトが言っているように、「垂直」な不可侵エリアである点は、外部からの侵入ができず、プレイヤーを閉じ込め、クリアしない限り、外部への脱出もできないアインクラッドの浮き城と類似している。

 だが、VRMMOの象徴であるアインクラッドの城は、キリトによって、途中でクリアされ、浮城は崩壊してしまった。

 一方、江戸城の天守は、将軍の権力の象徴とし建造されてきたものの、これは、江戸時代初期の五十年間のみ存在しただけで、江戸時代の途中で、江戸城では不在になってしまった。

 皇居は、それ自体、現実世界と隔絶され、あたかも、仮想空間のような閉鎖空間になっている、とも考えられるのだが、江戸時代の途中で焼失してしまった天守台は、途中でゲームクリアされ、崩壊してしまったアインクラッドの城に似ているようにも、隠井には思えた。


 陽が沈みつつあり、肌寒さを覚えた隠井は、ベンチから立ち上がると、本丸跡をもう一巡りしてみることにした。

 本丸跡には、広い芝生区域が二つあるのだが、南側に位置している方を横切っている際に、隠井は一つの小さな石碑を認めた。


 午砲台跡


 この石碑も原作には出てこないのだが、アニメの方では二度描かれている。

 午砲台とは、時報通知の目的で空砲を撃ち放つ場のことである。

 一八七一年に江戸城本丸跡公園に設置され、以後、一九二九(昭和四)年までの約五十年間、江戸城跡は、午砲台によって<時>を告げる場であったのだ。

 ふと、大手門の方に目をを向けると、夕焼けに染まり始めた薄い桃青色の空を背景に、丸の内の近代的な高層ビル群が聳え立っている。

 今という時間が流れ、日本経済の代表の如き近代的なビルと、まるで時間が静止しているかのような静謐な江戸城跡という歴史的遺物の著しい対照――

 しかも、旧江戸城である皇居という空間面には、一つの時代だけではなく、天守台が象徴している、家康・秀忠・家光という将軍の象徴の痕跡、さらには、午砲台跡が表わしているように、明治から大正を経て昭和初期に至るまでの<時>の歴史が、まるで、不可視の層のように、積層しているようにも感じられる。

 『SAO』の中で叙述されているように、江戸城跡は、現代東京の時の流れと隔絶された、まるで仮想世界のような「異界」であり、江戸城跡は、一つの空間面に幾重もの時間が積み重なったようになっており、アニメの中でのみ描かれている天守台や午砲台の跡は、そうした時間軸の象徴になっているようにも、隠井には思えるのであった。


 前回、十二月七日が日曜日に当たったのは、六年前の二〇一四年のことであった。これは、『SAOⅡ』のアニメが放映されていた時期で、隠井は、この時にも、旧江戸城跡を訪れていた。次に十二月七日が日曜日になるのは、物語展開時と同じ二〇二五年になる。隠井は、この日この時には、必ずこの地を再訪しよう、と誓いつつ、今度は、平川門を通って、江戸城跡である皇居東御苑を後にしたのだった。


 

<参考資料>

<書籍>

川原礫,『ソードアート・オンライン ファントム・バレット』第五巻、東京:KADOKAWA,電撃文庫,五十三~六十八ページ.

<映像>

『ソートアート・オンラインⅡ』第一巻,ANZX-11121~11122,販売元:アニプレックス,発売日:二〇一四年十月二十二日.

<WEB>

「ソードアート・オンライン」,「書籍情報」,『電撃文庫』,二〇二〇年十二月七日閲覧.

「ソートアート・オンラインⅡ Phantom Ballet」,『TVアニメ「ソードアート・オンライン」オフィシャルサイト』,二〇二〇年十二月七日閲覧.


「皇居東御苑」,『宮内庁』,二〇二〇年十二月七日閲覧.

「天守台」,『VISIT CHIYODA』,千代田区観光協会,二〇二〇年十二月七日閲覧.

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