第26話 巡りゆく火曜の「すいもんばし」:『聲の形』1

 大今良時氏原作の『聲の形』は、講談社の『週刊少年マガジン』で、全六十二話で連載された作品で、単行本としては全七巻が刊行されている。そして、この漫画を原作とした劇場版アニメーションは、吉田玲子氏脚本、京都アニメーションの制作で、二〇一六年に公開された。

 『聲の形』の漫画版、これを原作とした約二時間の劇場版アニメーション、この二様の媒体の物語内容を追ってゆくと、原作の幾つかのエピソードやシーンの削除が為されているのだが、その一つ一つのエピソードに関しては、漫画とアニメの内容それ自体の違いは微細であるように思われる。しかしながら、相違点として着目したいのは、一つのエピソードが分割されていたり、エピソードの順番の入れ替えが為されている点である。たとえば、主要作中人物の石田将也と西宮硝子が六年ぶりに再会し、川に落ちた筆談用のノートを拾おうとして川に飛び込んだ西宮硝子を追って、石田将也が川に飛び込むエピソードは、漫画版では、四月十五日に起こった一連のエピソードとして描かれているのだが、これに対して、アニメ版では、四月十五日と四月二十九日にの二つのエピソードに分割され、後者の川に飛び込むシーンは、二十九日のエピソードの中に組み込まれている。


 その『聲の形』の舞台背景になっているのは、作者である大今良時氏の出身である岐阜県の大垣市という実在の都市なのだが、『聲の形』においては、都市名には虚構的修正が施されている。

 たとえば、「水門手話サークル」という掲示(第二巻・第8話;第四巻・第32話;第四巻・第41話;アニメ:23m;35m)、「水門ちいきナビ」というネット記事(第二巻・第10話)、「水門の里」という銭湯(第二巻・第14話)、「水門小」(第五巻・第35話;第41話;第六巻・第49話;第七巻・第62(最終)話)、「水門市民病院」(第六巻・第43話;第47話;第48話;アニメでは「水門市立病院」:1h00m;1h40m;1h44m)、「水門市成人式」(第七巻・第61話;第62話)、といったように、物語の随所に「水門」という名称が出てきている。

 また、アニメ版独自の表示としては、劇場版アニメのオープニング映像において、島田という作中人物が登下校時に手にしている黄色い旗に、「水門市交通少年団」という文字が印字されていたり、市内の映画館の名称が「SUIMON CINENAS」(37m)だったり、水門橋から川に飛び込んだ映像がネットに流出し、結果、一週間の停学になった時に、将也が自分が書いた反省文の内容を「すいもんばし」(45m)と音読したり、新大橋の周囲に「水門証券」(1h7m)という看板がある。

 このように、漫画においても、アニメにおいても、物語の随所において、「水門」という都市名が出てきている事から、その架空の都市が「水門(すいもん)市」である事によって、都市名が分かるような仕掛けになっている。だがしかし、架空の都市とは言えども、そもそも、実在の大垣市は水の都として有名で、さらに、大垣市内を流れている川の名それ自体が<水門川>なのだ。つまるところ、この実在の川の名称から、物語の都市名を取っているのは明らかであろう。

 そして『聲の形』では、「水門市」という実在の地名を参照した都市の名だけではなく、水門川に架かっている幾つかの実在の橋が、漫画においてもアニメにおいても、ほとんど現実そのままの姿で、物語の舞台背景として描かれているのだ。

 たとえば、大垣駅の南口を出て、駅通りをまっすぐ進んですぐの所に位置している<新大橋>がそれに当たる。この橋は、漫画では、第三巻に収録されている第22話から第23話、アニメでは、1h4mから7mあたりの背景になっている。このエピソードの中で、駅前に鯉の餌のパンを買いにいった将也は、偶然、現実の<新大橋>をモデルにした橋の前で硝子に出くわす。その際に、硝子は将也に、恋の告白をするのだ。だがしかし、硝子の「すき」という、声を出しての精一杯の告白を、将也は「つき」と聞き違えてしまうのだ。この場面が展開されているのが、<新大橋>なのである。

 ちなみに、このエピソードにおいて、漫画とアニメで大きく異なっている点があって、アニメでは、スマホの画面上の日時によって、この出来事が「5月12日火曜日」に展開している事が分かる。この日時の提示は漫画版には認められない。

 さて、この駅前の<新大橋>は、漫画版においてもアニメ版においても、ただの一度きり、物語の舞台になっているに過ぎない。だがしかし、大垣駅から水門川に沿って徒歩で三十分ほど行くと、そこに在るのが<四季の広場>で、この広場のメルクマールの一つになっているのが<滝のトンネル>である。

 この滝のトンネルは、第一巻・第4話(アニメ:19-20m)において、小学生時代の硝子が鳩にパンをあげている場面の背景になっている。また、第四巻・第29~30話(アニメ:1h27m)において、将也は、滝の裏側で泣いている西宮結弦を見かけるのだ。アニメでは、このエピソードは、夏休みに入った直後に配置換えされているのだが、この日は、硝子と結弦の西宮姉妹の祖母の告別式の日であり、結弦は、滝のトンネルの裏側で、祖母を偲んで涙を流しているのだ。

 この滝のトンネルの場面において、この流れ落ちる滝は、西宮結弦の落涙と<二重写し>になっているように思われる。そのように考えると、第4話で鳩にパンをあげている硝子もまた、その実、心の中では涙を流しているのかもしれない。

 そして、『聲の形』という物語の中で最も着目したいのが、この滝のトンネルに近接している木造の橋で、現実を参照すると、その名称が<美登鯉橋(みどりばし)>という事が分かる。この実在の橋は、漫画版では、作中人物達に、ただ単に「橋」(第22話;第29話;第32話;第38話:第50話)と呼ばれているに過ぎないのだが、アニメ版では「すいもんばし」(54m;1h27m)という虚構的名称が与えられている。この実在の<美登鯉橋>をモデルにした「すいもんばし」は、漫画の第二巻のカヴァー絵の背景にもなっており、このカヴァー絵のパネルは、<四季の広場>に近接する<大垣市奥の細道むすびの地記念館>の出入り口にも置かれている。

 現実において、この<美登鯉橋>が、『聲の形』において主たる物語の舞台として選ばれているのは、<美登里橋>が大垣市の<総合福祉会館>の側にあり、この福祉施設において手話講習会が催され得る事に、写実性を付与するためであるように思われる。

 さて、漫画版の第二巻・第7話で言及されているのだが、硝子は、毎週火曜日の手話講習会の後、「パンのおじさん」が来ないという理由から、橋で鯉に餌をやる「パン係」を務める事になっている。この設定によって、漫画においてもアニメにおいても、<火曜日のすいもんばし>は硝子出現の地であり、この時空間は、将也や、その他の作中人物達が集う場所として、『聲の形』の中で繰り返し描かれ、再舞台化されてゆくのだ。

 さらに、劇場版のアニメでは、曜日だけではなく、カレンダーやスマホの日時、あるいは作中人物の言動などによって、<火曜日のすいもんばし>の中には、日付が特定できるエピソードもある。

 たとえば――


 四月十五日火曜日、石田将也と西宮硝子は、小六以来、六年ぶりの再会を果たす。

 四月二十二日火曜日、パンを携えた将也は、硝子の妹の結弦に妨げられて、橋で硝子と会う事はできないが、この日、将也は永束と友達になる。

 四月二十九日火曜日、将也は硝子と再会を果たし、小学生時代の筆談ノートを硝子に渡す。ノートは川に落ちてしまうのだが、それを拾おうとして、硝子は川に飛び込み、彼女を追って、将也も飛び込む。

 五月五日火曜日、将也と硝子に加え、結弦と永束も、この橋の上で集う。

 その後、<火曜日のすいもんばし>は、四人に加え、佐原、真柴、川井、上野まで集うようになってゆく。

 しかしである。

 夏休み前の、七月二十二日火曜日(アニメ:1h20m-24m)、川井によって、小学生時代に将也が硝子をいじめていた過去が暴露され、これを契機に、橋に集った作中人物達の人間関係は崩壊してしまう。

 すなわち、<火曜日のすいもんばし>は、石田と西宮を中心とする人間関係の変化を表象するクロノトポスになっているのである。

 そしてさらに、<火曜日>は、『聲の形』において、ますます重要度を高めてゆく。

 駅前の<新大橋>で硝子が石田に告白する場面は、アニメでは、五月十二日<火曜日>に生起したエピソードである事を、ここで思い起こしたい。

 さらに言うと、『聲の形』では、夏休み中に、石田は、西宮の家族と一緒に花火大会の見物に赴くのだが、このエピソードは、漫画では(第五巻・第42話;第六巻・第43話)、「来週の花火大会」(第五巻,p. 169)と言及されているだけなのだが、アニメでは、「次の火曜日花火大会だぜ」(1h34m)に修正されている。

 その花火大会の日、硝子は自宅のマンションのベランダから投身自殺を図ろうとする。寸での所で、将也は硝子を救う、しかし、その代わりに、将也がマンション下の川に落下してしまうのだ。

 この花火大会の日のエピソードは、『聲の形』の物語内容を展開させる上で重要エピソードなのだが、それが、単なる来週ではなく、アニメにおいて<火曜日>に変更されている事にこそ着目したい。

 つまり、『聲の形』において、<火曜日>とは、ただ単に、出会いと別れのトポスである「橋」において、物語の状況や作中人物の心境が変化してゆくだけではなく、物語内容を展開させる出来事が生起する重要な節目、いわば、<結節点>としての曜日になっているのだ。

 このような『聲の形』にける<火曜日>の重要性を念頭に置いた上で指摘したいのが、漫画版において「九月二日火曜日、二十三時五十分(第六巻・p. 166 )」といったように、日付と曜日に加えて時刻までが表示されている点である。しかし残念ながら、アニメ版では、時計の描写がない。

 このエピソードにおいて、硝子は、「西宮 見つけた。元気? なんか、変な感じだな(笑) 俺、しのーと思ってさ…。あ。もうすぐ、火曜日が終わる。じゃーな。西宮」(1h48m)という石田のモノローグを夢で見て、うなされながら目を覚まし、ベッドから跳ね起きて、橋に駆け向かう。しかし、そこで、硝子は独り泣き崩れてしまう。

 そして、同じ日の同じ頃に、石田も病院で目を覚まし、彼もまた橋に向かい、そこで硝子の姿を見出すのだ。

 このエピソード(第六巻・第51・52話;第七巻・第53・54話の六十頁;アニメ:1h48-55mの七分 )」は、『聲の形』で最も長いエピソードになっており、内容面に関しても、将也が、硝子に「俺、君に、生きるのを手伝って欲しい」と告げるこの場面は、いわば、『聲の形』のクライマックス・シーンになっているように思われる。


 曜日とは、七日に一度必ず巡ってくる、いわば、循環する規則正しい<時>である。

 プロローグとエピローグを除くと、『聲の形』は、四月十五日火曜日から九月二日火曜までの間に、火曜日は二十一回繰り返されている。

 毎週火曜日の「すいもんばし」において、『聲の形』では、作中人物達の出会いと別れというエピソードが生起し、時が巡ってゆくにつれて、人の気持ちや、人と人との関係、あるいは状況も変わってゆく。つまり、<変化>が物語テーマの一つになっているのだ。つまり、時を<火曜日>、場所を<すいもんばし>という時空に、舞台背景を固定する事によって、かえっていっそう、物語内容の<変化>の様相が浮き彫りになっているのではなかろうか。 

 そしてさらに、駅前の告白の場面や花火大会の場面、クライマックス・シーンが<火曜日>に生起し、『聲の形』の物語内容を展開させる<時>になっている事も、ここに忘れずに指摘しておくことにしたい。


<参考資料>

漫画:大今良時,『聲の形』全七巻(『週刊少年マガジン』にて2013年36・37号合併号から2014年51号まで連載),東京:講談社,二〇一三年~二〇一四年.

劇場アニメーション:『聲の形』,アニメーション制作:京都アニメーション,二〇一六年九月劇場公開(二〇二〇年九月一日鑑賞)

<WEB>

「映画『聲の形』公式サイト」(二〇二〇年九月一日閲覧)

「聲の形 舞台ガイド」,『大垣・西美濃観光ポータル 水都旅(すいとりっぷ)』(二〇二〇年九月一日閲覧)

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