第25話 八月二十一日のラジ館:『シュタゲ』2

 二〇二〇年八月二十一日、十七時三十二分、隠井は、七月二十八日以来、二十四日ぶりに、秋葉原のラジオ会館の前で、右手を白いジャケットのポケットにつっこみ、左手にはドクターペッパーのペットボトルを握りしめながら佇んでいた。

 それにしても、ラジ館とは、実に摩訶不思議な空間である。

 そもそもラジオとは、無線機や電子機器全般を意味しており、元々のラジ館には、その名が示しているように、部品を扱う店が多く入っていて、<ラジオ街>、<パーツ街>としての秋葉原を凝縮したような空間だったのだ。

 やがて、時代の経過と共に、ラジ館には家電を扱う店も入り、この事は、秋葉原の<電気街>としての性質を象徴していたと言えよう。

 そして一九七六年――

 ラジ館の七階に、NEC(日本電気)によって、コミュニケーションサロンである<BIT-INN>が開設され、ここは、パーソナル・コンピューターの前身であるマイコン・キット<TK-80>の販売とマイコンの普及を目的した場所であった。

 この<TK-80>は、後に<TK-80BS>、さらには、<PC8001>へと発展してゆくことになる。このPC8001の発売が七九年で、PCとはパーソナル・コンピューターを意味しているのわけなのだが、それでも、八十年代前半は、パーソナルコンピューターは未だ「マイコン」と呼ばれていたし、この時代の日本のマイコンは、ベーシック言語を打ち込んで、プログラムを起動させるものであったと、当時<マイコン少年>の一人であった隠井は記憶している。

 とまれかくまれ、ラジ館の七階に、BIT-INNが開かれたことが切っ掛けになって、以後のラジ館には、富士通や東芝といったPC関連メーカーのショールームも入ったそうである。

 かくして、一九七六年を契機に、秋葉原には、<電気街>という性質に<PC街>という性質も加わってゆく事になったのだ。 

 しかし、二〇〇一年の八月三十一日、このNECのBIT-INNは二十五年の歴史に幕を閉じる事になり、ラウンジが存在していたラジ館七階の壁には、「パーソナルコンピュータ発祥の地」というプレートが設置されたそうだ。すなわち、一九七六年のラジ館・七階こそが、秋葉原を<PC街>へと変貌させた<特異点>だったと言えよう。

 隠井が初めて秋葉原を訪れたのは、九十年代前半に大学進学のために上京した際に、一人暮らしのための家電を揃えるためであった。その時の自分が秋葉原に抱いていた街の印象は、<家電の街>であった。その後、学習や研究のためにPCを購入したのも秋葉原であり、今でこそ、アキバには<萌えの街>という印象が強いのだが、学生時代の自分にとっては、あくまでも秋葉原は<電気街>であった。果たしていつ頃から、秋葉原にヲタク的な萌え要素が付加されたのかは定かではないのだが、資料によれば、BIT-INNラウンジの閉鎖時点の旧ラジ館には既に、模型やコミックの店舗が入っていたとある。そして、二〇一四年にリニューアルオープンされた新ラジ館は、二〇二〇年八月現在、コミック、アニメ、ゲーム関連のグッズを扱う、いわゆる一つの萌え文化の店舗が大部分を占められているのだ。

 つまりここで指摘したいのは、無線や電子機器から、家電やパソコンへ、それからコミック・アニメ関連のグッズへ、というラジ館におけるテナントの変化は、そのまま秋葉原という街の変化と対応しており、つまり、ラジ館とは、秋葉原の象徴空間になっている点である。

 たとえばもし、秋葉原に萌えの要素がなく、電気街のままであったとしたら、という仮定は、実は、『シュタゲ』のエピソードの中に折り込まれていて、第九話においてフェイリスが「Dメール」を過去に送って、父親の死を回避した結果、秋葉原は、「萌え文化の街」にはならず、電化製品の専門街のままという「世界線」に移行してしまった状況が描かれている。

 ここで注意したいのは、現実の秋葉原は、<家電の街>から<萌えの街>に様相が移り変わったのではなく、アキバの街を歩けば、昔ながらの無線や、様々な部品を扱っている店や、家電の店、メイド喫茶やゲームセンター、アニメグッズのショップなど様々な店に出くわす。つまり、秋葉原という街の<変化>とは、AからBへの<移行>というよりもむしろ、AとBが入り混じった<混交>であるように思われる。

 『シュタゲ』のラボメンが、まさにアキバの混交性の象徴で、たとえば、ラボメンナンバー007のフェイリスはアキバのメイドカフェ「May Queen nyan²(カフェ メイクイーン+ニャン²)」のメイドだし、ラボメンナンバー002の椎名まゆりも、フェイリスと同じメイドカフェでバイトし、趣味はコスプレ作りで、つまり、この二人はアキバの<萌え>を象徴している。

 そして、ラボメンナンバー001の鳳凰院凶真こと岡部倫太郎と、003のダルこと橋田至は、東京電機大学の学生で、秋葉原の末広町付近で「未来ガジェット研究所」を主催し、様々な発明品を生み出している。いわば、電化製品の<パーツ街>としての秋葉原を象徴するような人物達である。例えば、岡部達は、レトロPCである「IBN-5100」を修理するために部品を集めるのだが(第五話)、そういったパーツを手に入れるのに最適な場所は、まさに<パーツ街>としての秋葉原なのだ。

 そして、『シュタゲ』において、<PC街>としての秋葉原を最も色濃く表わしているは、実は、作中人物よりも、「IBN-5100」という幻のレトロPCなのだ。これは、物語の時点である二〇二〇年よりも三十年以上前に発売された、超高額の激レア品で(第二話)、このマイコンこそが『シュタゲ』の物語を牽引する重要なアイテムになっている。

 『シュタゲ』におけるIBN-5100の「IBN」とは、実在のメーカー<IBM>の虚構的修正であるに違いない。IBMとは、国際的にコンピュータ関連製品やサービスを提供する企業、<国際・ビジネス・マシーン・コーポレーション>の略で、<IBM-5001>という機体もまた実在していた。

 物語の中でIBN-5100では、ベーシック言語ができる以前に作られたパソコンであるため、IBN独自のプログラム言語も解析できる仕様になっていて(第三話)、「セルン」のデータベースにはIBN独自の特殊なプログラム言語が使われているので、これを解読するためにIBN5100が必要なのだ(第四話)。岡部は、この古いPCの入手に成功するのだが(第四話)、しかし、「Dメール」を過去に送った事による「バタフライ効果」のため、このレトロPCを岡部が手に入れなかったという「世界線」に変わってしまている事に岡部は気付く(第九~十話)。IBN-5100が作られたのは「一九七五年」なのだが(第五話)、タイム・マシーンで未来からやって来た鈴羽は、このIBN-5100を手に入れるために、タイムマシーンで一九七五年飛ぼうとするのだ(第十五~十六話)。

 物語における「IBN-5100」の制作年は「一九七五年」と設定されているのだが、それは、現実における日本のPCの誕生である<一九七六年>以前の出来事であり、日本のPC誕生以前にタイムマシーンの年代を設定した点に、制作者側の拘りが感じられよう。

 

 二〇二〇年八月二十一日に隠井が仰ぎ見ているその視線の先では、十年前のこの日、二〇十〇年八月二十一日に、『シュタゲ』の作中人物達は、「シュタインズ・ゲート」という世界線に辿り着くために、タイムマシーンで七月二十八日に赴こうとしていた。

 『シュタゲ』の第二十三話の冒頭では、まず、「2010.08.21 17:32」という時刻が提示され、この時刻には、鈴羽が、未来ガジェット研究所のメンバー、岡部、ダル、まゆりに事情を説明している。

 そして同じエピソードの中では、「08.21 17:56」という時刻も提示されていて、これは、一回目の過去改変に失敗した岡部が戻ってきた時刻である。つまり、一回目の時間遡行は、十七時三十二分から十七時五十六分の間に為されたのであろう。

 そして、第二十三話の中で提示されているもう一つの時刻が、岡部の携帯に「テレビをみろ」というメールが未来から届いた「8/21 18:12」である。ということは、二回目のタイム・トラベルは、「18:12」以降になされたという事になろう(第二十四話)。

 そんな事を考えながら、隠井は、ラジ館の屋上付近を仰ぎ見ていた。そして同時に、もう一つ思いを馳せていた事があった。

「今ではもはや存在してはいないのだが、十年前、当時の旧ラジ館七階の壁面には、『パーソナルコンピューター発祥地』というプレートがあって、第一話で旧ラジ館の七階でガチャをしていたまゆりや岡部も、そのプレートを見ていたのかな?」

 隠井は、白いジャケットのポケットから取り出した赤い携帯電話を耳に当て、そう独り言ちた後で、左手に握っていたドクター・ペッパーを一気に飲み干した。しかし、格好をつけてポーズを取ってみたものの、ドクペの炭酸のせいで大きく咽てしまった。それから、ラジ館前にドクペの自動販売機の脇のごみ箱にペットボトルを捨てると、まるで何事もなかったかのようにして、ラジ館の中に足を踏み入れたのであった。


<参考資料>

<アニメ>

『STEINS;GATE』(シュタインズ・ゲート)』,2011年四月期・七月期,全二十四話.

<WEB>

「NEC、ラジ館BIT-INN LOUNGEを閉鎖、BIT-INN Aiへ統合 ~秋葉原から8bit時代の記憶が消える日」,『PC Watch』,2001年8月31日,二〇二〇年の八月二十一日閲覧. 

「秋葉原ラジオ会館に「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレートを設置」,『PC Watch』,2001年9月27日,二〇二〇年の八月二十一日閲覧.

「大河原克行の『秋葉原百景』パソコン発祥の地がアキバから消えた」,『PC Watch』,2001年11月12日,二〇二〇年の八月二十一日閲覧.

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