五章

運用試験日

 2103年4月5日――フェザント沖、ノースポイント海上施設メガフロート

 粒子端末グリッターダストVer2.00運用試験当日。


環太平洋経済圏シーオービタルの哨戒情報にも目立った兆候はなし……結局、今日まで何事もなく来たわね」


 アルテミス・ワークスとしては歓迎すべき状況だが、海里カイリがいささか残念そうな様子で映像プレートのケイにそう言った。

 彼女は既にASF-X02ナイトレイブンに搭乗し、試験開始の合図を待っている。


「まるで、さっさと来てほしかったような言い草」


「そんな事はないわよ。何事もなくアルテミス計画が完了するなら、願ったりなのだから」


 その割には、その顔には何の感慨も沸いていないように見える。

 あの日の襲撃以来、海里カイリは殆ど感情を表に出さなくなっていたが、計画が進むにつれて、むしろそれは顕著になっていった。


「でもたぶん、海里カイリがガッカリする事にはならないと思うよ」


 本来なら歓迎されざる事。だがケイもまた、それを望んでいる。そのことを客観的に自己分析していた。

 客観的にそれを考えられる様になっただけでも、あの時、月臣ツキオミと話した価値はあったのかもしれない。


「襲撃するのなら相応の戦力が必要なのに、今になっても、何の動きも見られないのよ? 今更なにが……」


 海里カイリが落胆するようにそう言いかけた時だった。


「社長! 敵襲です!」


 緊急の通信プレートが開いて、レーダー観測官が叫んだ。


「ほらきた」


 ケイが離陸シークエンスを進めながら軽口を言う。


「どういう事? 哨戒機が撃墜された情報も入っていない。いきなり現れたの?」


「それが本当に、突然、海上に現れたとしか言いようが……」


 観測官の言い分ももっともだ。


粒子遮断ダストシールコート。や、この場合、粒子遮断ダストシールコーティング、かな。おそらく、軽空母か何かに施したんでしょう」


「いつの間にそんな技術を……」


「前回の襲撃は、レベル7粒子遮断ダストシールの実践テストも兼ねてたってことでしょ。基礎技術の有効性が確立出来れば、後は量産と改良だけだし」


「……まったく忌々しい」


 海里カイリの顔が歯を食いしばって歪む。再びまんまと出し抜かれた事への怒りだろうか……それにしては、その瞳の奥に見えるのは昏い喜びではないだろうか。


「行くわ」


 ケイがそんな自分の合わせ鏡を見ながら、ASF-X02ナイトレイブンを加速させた。黒い翼が風を捉え、舞い上がる。

 その浮遊感だけが、心の奥底で燻る残り火を忘れさせた。


「敵の数は?」


 そう聞くと、先ほどのレーダー観測官が答える。


「三個飛行隊スコードロンです」


Su-77パーヴェルの他は?」


「いえ、九機すべてがSu-77パーヴェルです」


「全機? ってことは対外諜報局だけじゃなくて、航空宇宙局の他の戦力まで持ってきてるってこと……?」


「フェザント諜報部から上がってきている情報が正しければ、対外諜報局にSu-77は予備も含んて六機の筈です。先日、神耶カミヤ部長が一機撃墜。スレイプニルの実験機がもう一機に損傷を与えていますから……その線で間違いないかと」


「Ver2.00を潰したがっているのは確実。でも他部署と合同の作戦が予定されていたなら、対外諜報局S.V.R.はなぜ先月あんな無茶な襲撃を……?」


「さあ、自分には分かりかねます」


 ケイの呟きに、通信が繋がったままだった観測官が律儀に返事をした。


「いいわ、フェザント、アドラー両海軍に至急増援を要請。それからスレイプニルに連絡して、敵……恐らく空母の位置を特定して貰って。あっちには光学観測が出来るの『ハッブルの瞳』があるから、粒子遮断ダストシールコートを看破できる」


「了解」


ASF-01Fムラクモ各機、話は聞いていたわね? 戦力差は六対九。不利だけど、あちらは増援を望めず、こちらは味方増援まで領域防御出来れば勝ちだ。乱戦状態に持ち込こむ」


 続いて離陸した五機のASF-01Fムラクモが、ASF-X02ナイトレイブンを中心に編隊を組む。

 全員トップエースという訳ではないが、飛行時間千時間を超える中堅を海里カイリがかき集めただけあって、淀みない動きでついてくる。

 海上施設メガフロート近海に突如出現した敵編隊と、演算領域ラプラス接触まで一分を切っていた。


【敵編隊、分散軌道。三つに分けるようです】


 レーダー表示を見れば、演算領域ラプラスの外側をなぞる様に、編隊が分散し、中央の三機だけが直進してくる。


「数の優位があるから、そりゃ乱戦は嫌うよね」


 乱戦状態の格闘戦となれば、数の有利よりも個々の技量に比重が傾く。数的優位を維持する為、そして早期決着の為に分散包囲は定跡と言える。


「……やっぱりあの男が率いてるのかな」


「こちらは海上施設を守らなければなりません。二機づつエレメントで分けますか? 相手の作に乗るのは癪ですが」


「両翼、任せられる?」


「増援まで逃げ回るだけなら何とか」


「デュプレ、飛行編隊を二機編隊エレメントで再設定」


【了解。リーダー機および僚機ウィング選出。データリンク再設定】


「もう一度言うけど、増援まで持ちこたえれば此方の勝ちよ。無理はしないで」


「了解」


 ASF-X02ナイトレイブンとその僚機ウィングを残し、ASF-01Fムラクモは左右に散開。

 正面には遠く、望遠CGで三機の機影。

 直進しているASF-X02ナイトレイブンと、間もなく。


「先制する。着いてきて!」


演算領域ラプラス接触まで4……3……2……1……エンゲージ。電子戦闘空域の成立を確認】


「撃て!」


【ロングレンジ・ホーミング・ザッパー、Fox-Two】


 バレルロールしたASF-X02ナイトレイブンが、戦端を開く赤いホーミング・ザッパーを放った。


      *


「始まったか……」


 海上施設メガフロート北側の上空で、プラズマの閃光が瞬いた。

 戦端が開いたのだ。


「社長、アルテミス・ワークスから要請、敵編隊の出現位置を『ハッブルの瞳』で観測してほしいそうです」


「ケイちゃん、遊佐ユサちゃんを戦場から遠ざけるつもりかな?」


 阿佐見アサミの報告に、九朗クロウがそんな事を言う。


「現時点で六対九……遊佐ユサちゃんも防衛戦に参加させた方が良くなくて?」


 珍しくエレインも口を挟む。


阿佐見アサミさんはどう思う?」


 九朗クロウが現時点で専門家である阿佐見アサミに意見を仰ぐ。


「軍人としてなら上位の命令が来てない限り、要請に従うのが筋ですね。それにケイちゃんが言ってるなら、見に行った方が良いでしょうし。相手に増援の用意がある可能性もなくはないかな」


「それって、相手に予備戦力があったら遊佐ユサちゃん一人で相手しないといけなくなるヤツですよね?」


 前回の反省からか、九朗クロウが珍しく消極的だ。その考えも分からなくもない。しかし皆も感じているように『ハッブルの瞳』を使えという、この要請はケイからのもので間違いない。


「……九朗クロウ、今のASF-X03Sフェイルノート遊佐ユサなら出現地点を確認後、そのまま取って返して防衛戦に参加することも可能だ。仮に相手側に防衛戦力が残っていたとしても……多分――」


 月臣ツキオミはそこで言葉を切って、繋いでいた音声通信を映像プレートに切り替える。


「撃墜して見せるよ」


「いや、普通に離脱するだけでいい……」


 予想以上の事を元気に言った遊佐ユサを、月臣ツキオミは苦虫を噛み潰した顔で窘めた。


「なんでこんな自信満々になっちゃったかな」


【今回は遊佐ユサの完熟訓練も、私の調律も完全ですから、貴方の頑張りの賜物です月臣ツキオミ


 トリスが微笑みながら艦橋に現れる。リニア・バレル・ラムジェットの調律の合間に、博士の人格データを解析してマッチングを行ったせいか、トリスも随分と表情が豊かになった。


「これは、褒められてるのか……? ああ、だけど『ハッブルの瞳』での光学観測が第一だぞ遊佐ユサ


「わかってるよ月ニイ――阿佐見アサミさん、お願い」


「はーい。ASF-X03Sフェイルノート発進用意スタンバイ


【電磁加速カタパルト同期。離陸後は通常推進を用います】


ASF-X03Sフェイルノート発進します」


 珍しく普通の管制で阿佐見アサミが告げると、甲板員の旗が落とされ、カタパルトでASF-X03Sフェイルノート急加速。

 青い空へと、銀の翼が舞い上がった。


「よし。スレイプニルはアルテミス・ワークス機の演算領域ラプラス圏内に侵入。近づきすぎない位置で様子を見よう、篠崎シノサキさん。お願いします」


「了解。微速のまま、海上施設メガフロート側へ寄せます」

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