三様の思惑

「お姉ちゃんは帰っちゃったの?」


 検査するために医務室に寝かされていた遊佐ユサは、見舞いに来た月臣ツキオミに、残念そうに言った。


「ああ。何か急いでたみたいで、遊佐ユサをよろしくって」


 月臣ツキオミが精いっぱい誤魔化していうが、それを聞いた遊佐ユサは吹き出すように笑った。


「月ニイ、お姉ちゃんと喧嘩したの?」


「なんで分かるんだ……」


「月ニイ、ウソが下手だから」


 そう言ってまた笑う。


「ウソをついたつもりはなかったんだけどな。アレは喧嘩……なんだろうか」


「どしたの月ニイ」


遊佐ユサ……俺はケイに嫌われていたのか?」


 詮無い事だと思いつつも、月臣ツキオミはそう尋ねた。

 それを聞いた遊佐ユサは、初めは目を丸くして、それからゆっくりと瞼を半分ほど閉じて、呆れるような視線を返した。


「月ニイ……」


「なんだ?」


「それ、本気で言ってる?」


 本気で言っているんだろうな、と思いながら遊佐ユサは聞いた。


「いや、俺だって嫌われてるとは考えたくはないけどだな……アイツ、泣いてたんだ……何かを、我慢してたと思うんだ」


「何これ惚気ノロケ?」


「なんでそうなる」


「なんでそうならないと思った? ……あはは」


 真面目な顔でいう月臣ツキオミを見ていると、呆れよりも段々と笑いが溢れてきた。本人にその自覚が無いのだから、ひどい話だ。


「あれ……でも月ニイ、泣いてたってどういう事? あのお姉ちゃんが?」


 出来た姉が泣いた姿は、遊佐ユサも一度も見たことがない。

 父の葬儀に姿を眩ませたのは、泣き顔を見られたくなかったから? そんな猫のような理由。だけど姉の性格を考えると、それもあり得る話だった。

 だとしたら、月臣ツキオミは姉に何を言ったのだろう?


「泣いてたって言ったら、怒られそうだけどな。でも何か辛そうに見えたんだ」


「何を言ったの? あのお姉ちゃんが泣くって、よっぽどだよ?」


「それが分かれば、遊佐ユサに聞いていないよ。ただ計画の話をしただけなんだけどな……」


「ほんとに?」


「ほんとだ。ニール博士のアルテミス計画の全容が大まかにだけど見えてきたんだ。それをケイに伝えようとしたら、逃げられた」


 がっくりと肩を落とす月臣ツキオミ


「……ん? アルテミス計画って、お姉ちゃんと海里カイリさんが進めてるんじゃなかったの?」


 遊佐ユサの認識では、アルテミス計画はつまり粒子端末グリッターダストVer2.00開発計画の事だ。

 一度目の、あのグラードの襲撃で頓挫しかけたそれを、海里カイリとケイが別会社を作り、妨害に対する迎撃戦力を用意してまで、今も開発を進めている。


「そうか……まだ誰にも言ってなかったな……」


 月臣ツキオミが思案するように、口元に手を当てて天井を見た。

 不意に、無音の時間が流れた。

 遊佐ユサの目には月臣ツキオミだけが映っていた。だけど今、彼の目に自分の姿は映っていない。

 姉はどうして彼を突き放して去ったのだろう。それでも月臣ツキオミの心を捉えて離さない姉の存在を、少しだけささくれて感じた。

 そんなことを考えながら待っていると、月臣ツキオミが口を開く。


「そう……だな……遊佐ユサにちょっと訓練を受けてもらいたいんだけど……」


「訓練? A.S.F.の?」


「いや、内容はこれから作るんだが……基本的にはリニア・ダスト・ラムジェットの耐G訓練の延長かな。トリスの調律と合わせてやっていきたい。いいか?」


「それがアルテミス計画と関係があるの?」


 意図は分からないまでも、ケイに逃げられた月臣ツキオミが自分を頼ってくれたことに、思わずニヤケてしまいそうになった遊佐ユサは、真面目な顔を作るためにそう聞いた。


「ああ。ニール博士が考えていた本当のアルテミス計画の……あ」


 本当のアルテミス計画。

 もしケイにそう言ったのなら、ケイや海里カイリの開発計画を否定しているようなものだ。月臣ツキオミも、どうやらそれに気づいたようだった。


「ふふ、ソレかもしれないね、お姉ちゃんが怒った理由」


「いや、別に俺はアルテミス・ワークスを否定しているわけじゃ……」


「それ、いつかちゃんとお姉ちゃんに言ってあげてね?」


「分かった」


「それじゃ月ニイのアルテミス計画、このスレイプニル社テストパイロット神耶カミヤ遊佐ユサがお伺いしましょうか」


 芝居がかった仕草で遊佐ユサが聞く。


「ああ、頼む」


      *


海里カイリ


 ノックもそこそこに、ケイは大股で海里カイリの執務室に入り、そのまま応接のソファに腰を下ろした。


「紅茶でも入れましょうか?」


 仕事の手を止めて立ち上がるが、難しい顔をしたケイから返事はない。しばらくの間、紅茶を淹れる音だけが部屋に流れた。

 紅茶を出して、自分もソファに腰を落ち着けてから話を切り出す。


「侵犯機の迎撃は成功したって聞いているけど、浮かない顔ね」


「ちょっとね……ううん、いろいろあって……」


「いろいろ……グラードの目的が掴めたの?」


 少しだけ、海里カイリの目の色が変わったような気がした。だが、彼女は急かすでもなく、自分を落ち着ける様に紅茶を口に運ぶ。


「今回の襲撃、狙いはASF-X03Sフェイルノートだったわ」


「……それは確かなの?」


「スレイプニルが攻撃されていないのも妙だし、襲撃に使われた戦力はA.S.F.三機――一個飛行隊スコードロンだった……アドラーに強硬な反応をさせないためのギリギリの数だと思ったのだけど、そもそもこっちを狙うつもりだったなら、戦力が全然足りてない」


「ここの防衛戦力は二個飛行隊スコードロン……確かに倍の戦力を相手に強襲作戦は考えにくいけど……どうして……?」


 海里カイリからすれば、アルテミス・ワークス社設立理由を根幹から覆す話。珍しく動揺が見て取れた。


月臣ツキオミにも言ったんだけど……多分、グラードでVer2.00開発と何かしら競合する計画が進んでるんじゃないかと思う」


「フェザントの情報部やアドラーの情報局はもちろん、電子戦闘空域による強襲偵察でも何も出てこなかったのよ?」


 むろん海里カイリとて、それで他勢力の内情をすべて図れるとも思ってはいないが、立場上、仮定でしかない危険を警戒するのであれば、それなりの根拠を必要とする。


「Ver2.00開発が、欧州経済戦略会議エウロパと比べても十八年前の粒子端末グリッターダスト散布被害を重く見る大陸国家企業連邦ソユーズの危機感を煽ったという分析にカドクラの安保部と貴女の見解は一致したし、それにフェザント諜報部にしても、アドラー情報局にしても、その見解を肯定しているわ」


「その見解は間違ってはいないと、今でも思ってる。でも……」


「でも?」


「どうかな? グラードにも……居たのかもしれない……」


「居た?」


「父さんや、月臣ツキオミみたいな人が。でも……多分、それはもう……」


 ケイにしては珍しく、要領を得ない言葉。

 少しの間、海里カイリはその意図するところを考えてみたが、思い当たることもなく、早々にその思考を切り上げた。


「何れにしても、一カ月後のVer2.00運用試験のタイミングが潮目ね……」


      *


「マロウ! 貴様、正気か?」


 激昂したヴァレリィが叫んだのは、対外諜報局S.V.R.の粒子端末を遮断した作戦室でのことだった。

 作戦を失敗し、部下を失い、失意のまま帰還したヴァレリィはすぐさま作戦室に呼び出され、そしてマロウの口から信じられない言葉を聞いた。


「ここまで来て、フォン・ブラウンを計画変更するだと!?」


「計画変更は上の決定だ……設計局も反対していたが覆らなかった。お前が送ってきた例のA.S.F.のデータが決定打だったよ……」


「あの銀色の機体か……だが何故今になって!」


粒子端末グリッターダストVer2.00とやらの試験運用開始が来月に差し迫っている状況で、当初からの懸念材料だった電磁加速砲レールガンが別用途に転用されていたんだ、十八年前の悲劇を知っているお歴々には天啓に聞こえたのだろう……」


「ふざけるな! 俺はそんな計画の為にここへ転属したんじゃないぞ!」


「わかるだろうヴァレリィ……粒子端末グリッターダストのインフラに頼っていない設備は、ウチや航空宇宙局ですらまだ極一部だ。十八年前の電磁障害が再び引き起こされれば被害のほどは計り知れん。仮にVer2.00に何のトラップも仕掛けられていないとしてもだ……何かの間違いでその事態が起これば軍事基盤はおろか、国の生活基盤も何もかも一瞬で消し飛ぶ。その可能性があるだけでダメなのだ!」


 冷静を装っていたマロウが、最後は怒鳴るように言った。

 それはヴァレリィに向けられたものでも、強硬手段を選択した上層部に向けられたものでも、或いはその決定を覆せなかった自分にですらなく、唯々、無念があった。


「結局、こうなるのか。戦争など誰も望んでいないのに……」


「……もう、決定は覆らないだろう」


 目を逸らしたマロウが零すように言うが、ヴァレリィはそれには答えず、作戦室を後にした。


「私も望んじゃいないさ……恐らくは上層部の連中もな……だが……もう手遅れだ……」


 粒子端末グリッターダストから隠された作戦室の中で、マロウは一人、陰鬱な言葉を埋める様に吐き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る