古巣を後に

「ええー!? ケイちゃん、そのまま帰っちゃうの?」


 ケイに離陸許可を求められた阿佐見アサミが、帰省した田舎の叔母のようなことを言った。

 そうは言いながらも、阿佐見はASF-X02ナイトレイブンの離陸シークエンスを進める。先に着艦したASF-X03Sフェイルノートは既に収容されていたし、そもそも垂直離着陸が可能なA.S.F.は空母の滑走路を使わずとも直接離陸が可能だが、ケイは律儀に、というよりも他人行儀に阿佐見アサミに離陸許可を求めたのだった。


「すいません阿佐見アサミさん、また改めて挨拶に行きます」


「いやいや、そんな気にしないでケイちゃん。まだスレイプニル社の社員だからね」


「え?」


海里カイリさんがね、ケイちゃんを出向扱いにしているのよ」


 考えてみれば、ここ数カ月、雇用形態はおろか、給与明細すら目を通していなかったことを思い出してケイは愕然となる。

 海里カイリの配慮だろう。

 甲板員の退避地点に大人しく立っている月臣ツキオミを見ながら、今更ながらに、周りが見えて居なかったことを感じた。


「あー……」


「だからね、いつでも帰ってきていいのよ?」


 阿佐見アサミがますます田舎の叔母さんじみたことを言いだすので、ケイは頭を振って、甘えた心を追い出す。


「大丈夫ですよ。この一件が終われば……」


 自分は、スレイプニルに戻れる……のだろうか?

 古巣を見る目で空母の艦橋を眺めても、さほど感慨は湧かず、それは他人の家のように思えた。

 帰って来られるのだろうか? だが何のために?


 ずっと目標にしていた父の背中が失われ、思い描いていたものがやけに脆く、あっさりと色あせてしまって以来、未来を予測は出来ても、造り出すことが出来なくなってしまった。

 月臣ツキオミを頼れば、失われたものを蘇らせてくれるかも知れない。

 だけど、それに寄りかかることは出来なかった。

 失われた過去にすがるのではなく、自分の足で前に進まなければならない。例えそれが、海里カイリのものと同じ、昏く澱んだ感情であったとしても。


「ケイちゃん?」


「もう行きます」


「りょーかい――艦内各位、ケイちゃんが出発します。お見送りする人は急いでね。甲板では所定の場所から出ないように」


 そう、阿佐見アサミが気を効かせるように言った。

 ドヤドヤと、技術部テックの人たちが甲板に上がってきて、手を振っていた。艦橋の方でも、外へ出た九朗クロウ達が手を振っている。

 そんな中、甲板員が一時停止の合図を振った。

 見れば技術部主任の猪神シシガミが、運動しなれないフォームで走ってくる。


「ケイちゃん、猪神シシガミさんが渡したいものがあるって」


 そう阿佐見アサミに言われて、キャノピーを解放した。


「ケイちゃん、これ」


 猪神シシガミが手渡してきたのは、タブレット端末だった。


「これは?」


「トリスの経験XPデータ。あの二機の経験XP値は、出来る限り共有させるようにって云うのが、ニール博士の指示でね――それと……」


「それと?」


「内緒にしろって言われたんだけどね、そいつには月臣ツキオミ君が作ったデュプレ用の新しい調律データも入ってる。まあ、入れておいてあげて」


 技術屋として、正体不明のデータを渡すことははばかられたのだろう。

 猪神シシガミ月臣ツキオミに口止めされたであろうことを、あっさりと伝えてしまった。

 秘密をバラしてしまった猪神シシガミより、その技術屋としての矜持を想定しきれなかった月臣ツキオミを少し笑いつつ、


「わかりました。入れておきます。デュプレのデータ、後で送りますね」


「助かるよ。それじゃ、気を付けて」


 猪神シシガミは以前と変わらず、言葉少なに用件を済ませる。


「はい。猪神シシガミさんも、妹をお願いします」


 猪神シシガミが退避エリアまで移動したのを見届けてから、ASF-X02ナイトレイブンをカタパルトの定位置へ。


ASF-X02ナイトレイブン、離陸します」


 通常のカタパルトでASF-X02ナイトレイブンは加速。戦闘時のASF-X03Sフェイルノートに比べると、ゆったりとした速度で離陸し、その黒い機影は月の夜に姿を消した。


      *


「引き留めなくてよかったのか?」


 月臣ツキオミが艦橋に戻ると、九朗クロウがそんなことを言った。


「こっちで研究するように誘ったけど、振り払われた」


 振り払われた右手を思い出して、手のひらを見つめる。拒絶されたことよりも、ケイが誘いを蹴ったその理由を考えていた。


「なんだ、フラれたのか」


「なんでそうなる」


「口説いて袖にされたんなら、フラれたって言わんか?」


「ああ……いやまあ、そうなんだが……そもそもアイツはなんで泣いてたんだ……」


 ケイの、去り際の表情を思い出して、月臣ツキオミがポツリと言うと、


「あのケイちゃんが、泣いてた!? 何言ったの月臣ツキオミ君!」


 横で話を聞いていた阿佐見アサミが食らいついてきた。


「心当たりがないから困ってんですよ……」


月臣ツキオミ君、女の子を泣かせるのは感心しませんね?」


 そう言ってエレインまで混じってきて責める。


「いや、本当に俺のせいじゃ……ないと……思いますけど……」


 月臣ツキオミは思わず、口元を手で覆う。思い当たる節は無い。無いはずなのだが、何かを失敗したような違和感が付きまとった。


「あ、通信。聡里サトリさんからだ」


 月臣ツキオミが困っていると、阿佐見アサミが急にそんなことを言った。


「連絡が行ったんだろう。映像、出してくれ」


 九朗クロウ阿佐見アサミを促したので、話が逸れて胸を撫でおろしていると、空中映像プレートが聡里サトリの姿を映し出した。


「貴方たち大丈夫?」


 慌てた様子はなく、気のない言い方で聡里サトリはそう言った。

 本当に気にかけていないのなら、戦闘があったとは言え、カドクラの重役が直接様子を伺うなどしないだろうから、聡里サトリの諦観染みた落ち着きは彼女の性格によるものなのかもしれない。


遊佐ユサちゃんが粘ってくれましたし、ケイちゃんが駆けつけてくれましたからね。聡里サトリさんの差し金ですか?」


「アドラーから哨戒網を突破したA.S.F.の情報が入ってきて、本社の安保が大騒ぎしていたから、海里カイリの方にも情報流したのだけど……マズかった?」


 聡里サトリはやはり気のない様子でそう言った。


「いえ、それが無かったら本当に危ない所でしたね。グラードの狙いはどうやらASF-X03Sフェイルノートだったらしいんですよ」


九重ココノエ社長……それ、どういうことかしら? グラードがわざわざ『あんなもの』を狙って強襲作戦を取ったっていうの?」


 九朗クロウがグラードの狙いに言及すると、気怠そうにしていた聡里サトリが思わず身を起こす。


「『あんなもの』って……聡里サトリそれ、遊佐ユサちゃんが聞いたら怒るわよ?」


 その言い様を、くっくと笑いながらエレインが窘めたが、聡里サトリは構わず、


「ああ、ゴメン。後で謝って置いて。それよりも今は、九重ココノエ社長……阿佐見アサミ少佐でも良いのだけど、グラードの詳細な目的は掴めたの?」


「え、私ですか? それだったら月臣ツキオミ君の方が……」


 急に話を振られた阿佐見アサミの視線は泳いで、月臣ツキオミを見た。


「そういえば、ケイちゃんから何か聞いたんじゃないのか?」


 それに九朗クロウも追従する。


「なんで、この手の会議に居合わせると、いつも話が俺の方に来るんだ……」


「それだけ月臣ツキオミ君が、重要な位置に居るってことですよ。結局ケイちゃん、貴方とだけ話をして帰っちゃいましたし」


 とエレインが笑い顔でフォローを入れてくれるが、去り際のケイの表情を思い出してしまい、思わず頭を抱える。

 結局、月臣ツキオミは、ケイが嫌味で零した話を説明する羽目になったのだった。

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