すれちがい

「完成……? アルテミス計画を? Ver2.00なら、もうすぐ散布試験が可能な段階には来ているけど……」


「Ver2.00の事じゃない……いや、ケイ……お前の思い違いは自意識過剰なんかが原因じゃあない。お前のファザコンが原因だ」


「ファッ! 誰がファザコンか!」


 さも当然という風に月臣ツキオミは言ったが、ケイは顔を真っ赤にして反論する。


「お前……自覚無かったのか」


「びっくりした顔で言うな恥ずかしい!」


「いやどう見ても……それはまあ良いか……海里カイリさんもニール博士の事をひどく尊敬していたみたいだし、俺たちにしたってそうだ」


「父さんがそもそも間違いの原因とでも言いたげね」


 憮然としてケイは言う。そういうところがファザコンであるのだが。

 だが、それを本人を前に言ってしまう月臣ツキオミも大差はなかった。


「いや、俺たちは博士を盲信するあまり、博士を甘く見過ぎていたんだ……」


「甘く見ていた……? 私が? 父さんを?」


 悪い冗談を聞いたような顔で、しかし、これまでの状況がケイに直感を与えていたのかもしれない。否定もしきれない。複雑な表情を作って、ケイはそう言った。


「そうだ。Ver2.00すら、ニール博士にとっては最終目標――夢の果てを描く素描パーツの一つに過ぎなかったんだよ」


「夢の果て……」


「いや夢だと思うのは、俺の感覚か……博士は恐らく、明確に計画を思い描いていた筈なんだ」


 そう語る月臣ツキオミの表情。ケイは一瞬、研究を語るときの父の面影が重なって見えて、言葉を失っていた。


「――まず、占有領域インスタンスを持つ『粒子端末グリッターダストVer2.00』、コレは恐らく大前提だったから、ケイに任せたんだろう……コレが無ければ始まらなかった。ケイや海里カイリさんの見立ては間違っていない」


 月臣ツキオミは指を立てて言った。


「次に空力制御や機体剛性強化の為のシュラウド型『バリアブル・アレイ』。こちらも細やかな演算領域ラプラスの制御が必要でケイ向きだ。おそらくソレが理由で、この二つはASF-X02ナイトレイブンが試験を行っていた」


 二本目の指を立てて、月臣ツキオミ


「なら、残りのパーツはASF-X03フェイルノートに?」


「調子が戻ってきたなケイ」


 ようやく、いつものケイらしくなったと喜びながら三本目と四本目の指を立てる。


「――爆発的な加速、上昇力を得る『電磁加速カタパルト』。粒子端末グリッターダストに頼らず超長距離の情報を収集する『ハッブルの瞳』……」


「今回、グラードが狙ったのは、その二つでしょうね」


「いや、今はグラードは横に置いとけ」


 あらゆる情報を瞬時に比較処理できるケイ故に、その思考は仕方のないモノだったが、今は他の情報は邪魔なだけだった。

 最後に月臣ツキオミは親指を開いた。


「――そしてずっと俺が探していた最後の鍵は――『AIGISアイギス』だった……そうだな? ……トリス、デュプレ」


 そう締めくくった月臣の背後に結像したのは、AIGISアイギストリスとデュプレのアバターだった。


【先に辿り着いたのは、月臣ツキオミ君だったか、ハハ】


【やはり君は、僕が見込んだ通りの研究者だ】


 トリスとデュプレはそう云って笑う。

 人の作った精巧な人工物が人のフリをすると、『不気味の谷』と云う、嫌悪感、違和感を想起する現象が起こる。

 その為にAIGISアイギスらは、やや機械的な喋り方、受け答えをするように設定されていた。

 妖精の姿をしているのも、その為だ。

 その初期設定をしたのは他でもない、アーキテクトの一人であるニール博士。

 であるならば、自然な受け答えをさせる技術を研究していたとしても、不思議ではなかった。その為の素体データに使ったのが、自分自身だったのかもしれない。


「……意地が悪いですよ――ニール博士」


 月臣ツキオミが振り返る。左右対称に浮かぶ、銀と黒の妖精は、懐かしいあの微笑みをエミュレートしていた。


「父さ……」


【ケイ……今喋っている僕は】


【トリスとデュプレのストレージに残る残響エコーのようなものだ】


 トリスとデュプレが二人で一つであるかの様に、言葉を紡いだ。


「父さんは……あの時の襲撃も予測して……?」


【ハハ、それは買い被り過ぎだよケイ】


【しかし、粒子センサネットワークは軍事技術だ。そういう想定はしていた。だからこそ何かあった時の為に、この『エコー』を仕込んだのだけどもね】


 粒子センサネットワークを軍事技術と言い、トリスとデュプレは淡く目を伏せた。


「あの後、トリスが妙に情緒を含んだ表情をするようになったのは、やっぱり博士のエコーが起動した影響ですか?」


【恐らく起動前だ。彼女らが認識できない領域に、分割して保存してあったのだが】


【僕の記録人格をストレージに内包していた関係上、彼女らに、幾らか影響を及ぼしていたのかもしれないね】


 それを聞いた月臣ツキオミは、深いため息を吐いた。

 AIGISアイギスに浮かび上がって見える感情はやはり、エミュレートされたニール博士のものだったようだ。


「そうか……いや、トリスに自我のようなものが芽生えたのじゃないかと、ちょっと期待したんですけどね」


月臣ツキオミ君は、AIGISアイギスの自我についての論文も書きかけていたね】


【変な期待をさせてしまって済まない。ハハ】


 その会話は、まるで本物のニール博士と喋っているような錯覚に陥る。


「父さん……」


 ケイはその一言を言う事すら、精いっぱいだった。


【君を残して逝ってしまった事を、僕は心から後悔していた事だろう】


【エミュレートの人格でこういうことを言うものでは無いだろうが、本当に済まないことをした……ケイ】


「そうじゃない! そうじゃないの! 父さん!」


「ケイ……」


「私は、父さんの研究を憎しみで歪めてしまったかもしれない……それが、怖くて」


 膝の上で拳を握り締めて耐える彼女は、いつかの遊佐ユサのように、触れたら壊れてしまいそうな繊細さで、大粒の涙を零した。だが――


【それは大丈夫だよケイ。いろいろと妨害を受けてはいるが、僕の研究はこれ以上ないくらい順調に進んでいる】


【死んだあとの方が想定より速いだなんて、自分を過信していたのだろうね。本当に君たちには驚かされるよ】


 冷たいとさえ思える平坦さと、一方で親しみからくる優しさが並んで一つになったようなトリスとデュプレの声音が、ケイの苦しみを、あっさりと否定してしまった。


「……まって父さん、どういうことなの、それは……」


【今、月臣ツキオミ君が言っただろう。この『エコー』は、君たちに僕が描いた最後の構想を伝える為のパーツだ】


【ケイ、君の中では僕の描いた青写真が、もう描けているんじゃないのかい?】


 二人のAIGISアイギスは、父の笑みをエミュレートしてそう言った。その作り物の笑みに、不思議と嫌悪感は湧かなかった。


「トリスのストレージには、俺の知らない領域があったんだ。それは恐らくデュプレにもある」


「デュプレにも?」


 ケイが驚いた顔をした。ケイも電算調律師の月臣ツキオミと同じく、デュプレのストレージにアクセスする権限を持っている。

 それなのに気づかなかったことに驚いたのだろうが、それは月臣ツキオミとて同じことだった。


「博士のエコーが言ったように、トリスやデュプレにも認識外の領域に保存されていたデータだ。俺も存在に気づいたのは、さっきの戦闘の後だよ」


 月臣ツキオミは、月下の甲板に浮かぶ、二人の妖精を見た。

 ニール博士によって構築された最初期から調律を行っているが、それでもまだ興味は尽きない。

 AIGISアイギス――守護者と名付けられた彼女らは、ニール博士が亡くなった後も、その遺志を護り続けていたのだ。


「トリスとデュプレ、博士の遺した二人のAIGISアイギスが揃った今、計画の全容をることができるはずだ……往こう、ケイ」


      *


 月臣ツキオミは立ち上がり、その手を差し出した。ケイの目には、それはとても魅力的な誘惑に映る。


 だからこそ、腹立たしかった。

 今も父の片腕として研究を続けてきた月臣ツキオミが。

 スレイプニルの皆に囲まれ、遊佐ユサに信頼されている月臣ツキオミが。

 いつも自分の前を行く月臣ツキオミが。

 ケイにはどうしようもなく眩しくて、どうしようもなく憎かった。


 自分は、いつだって足踏みしたままだ。

 結局は演算領域ラプラスの扱いが巧い程度でしかない自分が。

 研究者としては、所詮、偉大な父の助手に過ぎなかった自分が。

 あんなにも父が忌み嫌っていた感情に、簡単に囚われてしまった自分が。

 そんな自分が、どうしようもなく憎かった。


 その昏く深く澱んだ感情が、差し伸べられた月臣ツキオミの手を、打ち払ってしまっていた。


「――あ……」


「ケイ……?」


 何か取り返しのつかないことをしたような、血の気の引く感覚が、背中を流れ落ちた。


「……ゴメン……」


 気が付けば、ケイは月臣ツキオミを置いて、ASF-X02ナイトレイブンへと走り出していた。


「おい、ケイ!」


 月臣ツキオミの静止は届かない。

 何より逃げ出したいのは、その彼の澄んだ瞳からなのだから。

 合理的ではない問いと、間違いだと分かり切っている選択。感情は抑えが聞かず、鼓動が早鐘のように耳の奥でうるさく響いていた。

 それでもケイの足は止まらない。止まってはくれない。逃げ出す意味など無いのに。


 アンサラーを以てしても正体の分からない焦燥は、ケイを焦がし続ける。


「来ないで!」


 ASF-X02ナイトレイブンのタラップの前でようやく止まった足と、悲鳴のような声が、まるで他人のようだった。


「今、君に寄りかかったら……きっと私は後悔する。それだけは分かる」


 涙を強引に留めて、口を固く結んで息を止める。それから、ゆっくりと息を長く、長く吐き出した。


「今、初めてアンサラーの能力が、役に立つものだって思ったよ……」


「ケイ……」


「大丈夫……でも来ないで。君に寄りかかる事を覚えてしまったら、きっと私は私でなくなってしまう」


「何故だ? ……すぐそこに、ニール博士が遺した答えがあるんだぞ!?」


 月臣ツキオミは心底困惑した顔をしていた。

 そりゃあそうだろう。だって、ケイ自身が一番混乱しているのだ。

 だけど、ケイの持つ天性の才能アンサラーは、いつもの通りの最も効率のいい方法ではなく、自分が最も後悔しない方法・・・・・・・・・・・・を選んでいた。


月臣ツキオミ、きっと君はもう答えは分かっているんでしょう?」


「ケイ……」


「父さんや、君の後を、付いて歩くだけにはなりたくない――それにね……」


 ケイには、もう一つの懸念があった。

 月臣ツキオミには告げないつもりだったのだが、感情のタガが外れ掛かっていたののだろう。それは口を突いて出てしまった。


「おそらく、グラードは今回の襲撃で諦めていない……」


「なんだって?」


対外諜報局S.V.R.は作戦を失敗したからと云って、引き下がるような組織ではないし、それに、前回も今回も強引に環太平洋経済圏シーオービタルの哨戒網を突破しての作戦……月臣ツキオミはグラードが何をしてきても関係ないって言ったけど……」


「ああ、妨害工作にいちいち振り回されても仕方ない」


「それは……向こうにも同じなんじゃない?」


「ちょっとまて、向こうも同じ? どういうことだケイ」


 ああ、きっと私は、月臣ツキオミの困る顔が見たかったのだろう。そう思って、泣きの顔でクスリと笑った。

 それを見て、月臣ツキオミはさらに困惑した顔を見せる。

 父の研究は彼に任せれば大丈夫。そう頭では理解しても、ケイの心に生まれた昏く澱んだ感情は、なかなか消えてはくれない。

 だから、子供のような意地悪をして、そうして少しは気が晴れた。


「でも心配しないで……私が護るよ。君も、遊佐ユサも、スレイプニルも、全部、全部護って見せる」


「ケイ、いや、そうじゃないだろ」


 往こうとするケイを、月臣ツキオミが慌て引き留めようとしている。

 その様子が、ケイの心に平穏を取り戻してくれた。


「大丈夫……私は――『計測限界値の情報処理IQ保持者アンサラー』――だからね」


 そう言うと、もう月臣ツキオミの静止は聞かず、ケイはASF-X02ナイトレイブンのタラップを登った。

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