四章

孤独の夜に

「敵機の空域離脱を確認。電子戦闘空域、解除されます……ふぅー」


 戦闘空域の解除を告げて、阿佐見アサミが深くため息を吐く。前回の襲撃のイメージから、元少佐であってすら相当に緊張をしていた様だった。

 だが、事はまだ済んでいなかった。


「お姉ちゃん! 今まで一体、どこ行ってたの!」


 戦闘が終了するまで我慢していたのだろう、堰を切ったように遊佐ユサが映像越しで叫んだ。


遊佐ユサ……」


「お父さんが居なくなって、僕は……僕は……ずっと一人で……うわああああん」


 緊張の糸が一気に切れてしまったのだろう。遊佐ユサは人目もはばからず、大泣きした。或いは、もしかしたらケイが来たことで、家族の空気を思い出してしまったのかもしれない。


「……ちょっと月臣ツキオミ、社長! なんで遊佐ユサを一人にしたの!?」


 泣き崩れた遊佐ユサを尻目に、ケイの矛先が強引に月臣ツキオミ達に向けられる。


「いやいやいや、スレイプニル全社を挙げてサポートしたって」


 と、九朗クロウ。これは本当だ。もちろん同情からではなく、ASF-X03Sフェイルノートのパイロットとしての適性――特に月臣ツキオミがトリスとの相性を高く評価したため、好待遇で正パイロットとして配属されている。

 もちろん遊佐ユサ自身の元々の人当りの良さもあって、技術部テックの人間からも可愛がられていた事は、ケイも承知のはずだ。


「珍しく言い分が強引ねケイちゃん」


 こちらも珍しく、エレインが九朗クロウのフォローをする。


「ごめんエレインさん……遊佐ユサに泣かれるの、子供の時以来で……」


 そう言われて、ケイは少し拗ねた様に言った。困っているのだ。情報処理の達人が、妹を泣かせてしまったことに。それが少し面白かった。


「ケイは正解に先回りする癖があるからな……だけど、さすがのアンサラーも、妹の気持ちの正解までは読めなかったって事か、ハハ」


月臣ツキオミ遊佐ユサを一人で迎撃に上げた件については、そっちに行ってからじっくりお説教させてもらうからね?」


「そっちかよ。乗れるのが遊佐ユサしか居なかったんだ。仕方ないだろう?」


「言い訳は聞きたくない」


「いやいやいや、そもそも遊佐ユサほっぽり出して、アルテミス・ワークスに行ったのはお前だろう! こっちだって大変だったんだぞ!」


「それとこれとは別」


「なんか、あれ以来、圧が強くなってないかお前」


「ふん――阿佐見アサミさん、着艦許可を下さい」


「え、ええ? 良いんですか社長? ケイちゃんって今は部外者ですよね?」


 急に話を振られた阿佐見アサミが、わたわたと九朗クロウの方を見る。


「いや、アルテミス・ワークスへは出向扱いになってるんだ。ケイちゃんの給料は今もウチから出てる……だよな、エレイン」


「はい。海里カイリがそのように処理したようですから、こちらもその方が助かるので、特にはなにもしてはいません」


「了解。それじゃ、先に遊佐ユサちゃん収容するから、ケイちゃんは少しの間、上空待機してて」


 阿佐見アサミがそう言うとケイは頷いて、再び月臣の方を見て「月臣ツキオミ遊佐ユサの着艦、ちゃんとガイドするのよ」と念を押した。


「母親かお前は……大体、そんなに心配なら……」


「それだけ月臣ツキオミや社長を信用してたってのに……ほんっと、男どもは役に立たないんだから……」


「いや、だから、なんで矛先が俺と九朗クロウ限定なんだ……」


 月臣ツキオミが言い返す前に、ケイの映像プレートは消えていた。


「俺はついでっぽいけどな。ケイちゃんに怒られるのは任せた」


 そう言う九朗クロウ阿佐見アサミとエレインはご愁傷様とばかりに手を振り、篠崎シノサキさんに至っては、拝んでいた。


「……トリス、遊佐ユサは静かにしてやってくれ。着艦、全部任せられるか?」


【了解しました月臣ツキオミASF-X02Sフェイルノート、オートでの着艦シークエンスへ入ります。管制、データリンク】


 月臣がASF-X02Sフェイルノートの映像プレートを見ると、遊佐ユサと艦橋とケイのやり取りをずっと見ていたトリスが、すこし微笑んで見えた。


      *


「お姉ちゃん!」


 先に降りていた遊佐ユサが、着艦したASF-X02ナイトレイブンへ駆け寄ると、コックピットから降りたケイに、飛びつく様に抱き着いた。


「お姉ちゃん……!」


遊佐ユサ……」


 小さな子供のようにしがみ付いて、ケイの胸に顔を埋める。

 艦橋から降りてきた月臣ツキオミは、月下の甲板で抱き合う姉妹を、少し離れたところで見つめていた。


「ケイ……」


 遊佐ユサが落ち着く頃合いを見て、月臣ツキオミはケイを促した。


遊佐ユサは医務室ね」


 ケイがやさしく声をかける。


「え、でも……」


「あの電磁加速砲レールガンを転用したブースター。アレ、体に相当負担が掛かってるでしょ? ちゃんと観てもらいなさい。体調管理も仕事の内。後で見に行くから」


「……わかった」


 ケイから離れるのは不満そうであったが、おとなしく従い、遊佐ユサは甲板員に連れられて医務室へ向かった。

 途中、遊佐ユサは名残惜しそうに何度か振り返る。

 その度にケイは、笑顔で手を振っていた。


「そんなに大事なら、本当になんで姿を眩ませたんだ。連絡も寄越さないで」


 ため息交じりに月臣ツキオミが聞くと、


「……読み違えたのよ。アンサラーともあろうものが……」


 後悔しきり、と言った表情でケイは苦しそうに答えた。


「それは、グラードの狙いがASF-X03Sフェイルノートだったことか?」


粒子端末グリッターダストVer2.00を過大評価していたことを、よ……さっきも言ったけど、完全な思い込みだったわ。私は何のために、海里カイリの元へ行ったんだって話よ」


 それはつまりケイが、そして海里カイリが、遊佐ユサやスレイプニル社の安全の為にASF-X02ナイトレイブンを持ち出し、アルテミス・ワークス社を立ち上げた理由だった。


「お前と海里カイリさんは、自分たちを囮にしてたんだろ? まあなんとなく想像はついてはいたんだが……」


「そう。でも莫迦な話よね、自分達を過大評価して、挙句、遊佐ユサまで失いそうになるなんて」


 遊佐ユサに続き、ケイまで泣き出しそうだ。

 よく考えてみれば、ケイも遊佐ユサと同様に辛かったはずなのだ。唯一の肉親である父を失って。

 アルテミス・ワークスでは計測限界値の情報処理IQ保持者アンサラーとして気丈に振舞ってきたのだろう。

 しかし、その頑張りが的外れで、挙句、妹の遊佐ユサを危険に晒したとなれば、姉として責任感の強い彼女の心労はいかほどだろうか。


月臣ツキオミ、今回の襲撃のデータ、全部こっちに頂戴。私が連中の目的を暴いてやるわ」


 そう言うケイの目はいつも通り澄んでいたが、しかし月臣ツキオミには、まるで血走っているように見えた。

 ケイだけではない。ニール博士が亡くなった後から、皆、少し生き急いでいるように月臣ツキオミには感じられていた。

 それは、月臣ツキオミ自身を写した鏡だったのかもしれないのだが。


「……なあ、ケイ……」


「なによ」


「……もしかして、なんだが……グラードの連中がどんな目的で、どんな妨害をしてきたって、俺たちのやるべきことは何も変わらないんじゃないか?」


「……月臣ツキオミ、君は、遊佐ユサやスレイプニルがどうなっても良いって言うの?」


「いや、そういう事じゃない」


「じゃあどういう事よ」


 ケイにしては珍しく察しが悪い。それだけ、彼女に余裕がないということだ。


「……お前がしたいのは、博士の復讐か?」


「――――ッ!」


 月臣ツキオミの言葉に、ケイは絶句する。


 彼女の苛立ちの原因は、恐らく『ソレ』なのだ。それを否定したくて、しかし、胸の内に生まれた昏く澱んだ気持ちは、容易には消えてくれない。

 それがどれだけ無為で非生産的な感情であるか、アンサラーである彼女は、この世の誰よりも理解している筈だ。

 しかし、それでも、彼女の心に巣食ってしまった『ソレ』は、ずっと彼女を蝕んでいたのだろう。


 月臣ツキオミはまだ運が良かったのだ。

 遊佐ユサが居て、トリスが居て、そしてスレイプニルが共にあった。

 だが囮として皆から離れたケイと、そして海里カイリの孤独はいかほどだっただろう。復讐心が心を蝕むには、八カ月は十分な時間だ。


「私と海里カイリが、父さんの復讐の為にアルテミス・ワークスを立ち上げたって言いたいの?」


「そうは言わない。遊佐ユサやスレイプニルを守りたかったのも本当だろう? その顔を見りゃわかるよ」


 月臣ツキオミが見つめるケイは、今にも涙を零しそうな、苦しそうな顔をしていた。

 その顔を見て、抱きしめようという気にならないのが、ケイと自分の厄介なところだと思う。


 月臣ツキオミはそのまま飛行甲板に座り込み、さっき買っておいたコーヒーと紅茶の缶を白衣から取り出して、置く。

 もうだいぶ冷めてしまっていた。

 ケイが察して、紅茶の缶の前に座る。


「……お前の葛藤は、この際、横に置いておくとしよう。もっと大事な話がある」


 引っ叩かれる覚悟で、月臣ツキオミはそう切り出した。


「そうね――それで、やるべきことって、何?」


 意外にも、と言うとケイは怒るかもしれないが、すんなり話に乗ってくれて月臣ツキオミは胸を撫でおろした。


「今のお前を見て確信した。やっぱり最後まで完成させるべきなんだ。博士の描いた夢の果て……アルテミス計画を」

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