アンサラー

 2103年2月――フェザント沖、太平洋上。


 八か月後、月臣ツキオミたちはフェザント沖を航行する航空母艦の上に居た。

 粒子端末グリッターダストが一定濃度以上の空にある限り、航続距離がほぼ無制限であるA.S.F.が開発されて以降、電子戦闘空域が主流となる現代戦では、航空母艦の運用は縮小傾向にある。

 太平洋を統べる環太平洋経済圏シーオービタルにおいても、それは例外ではなく、海軍でさえ予算の大枠はA.S.F.の配備と運用、開発に流れているため、大型の新造艦は長らく建造されていないような状況であった。

 聡里サトリはそんな海軍から旧式空母を安く買い叩き、スレイプニル社へと与えたのだった。


 深夜、事務所と化した艦橋には、スレイプニル社に新設された開発部の部長に収まった月臣ツキオミと、九朗クロウにエレイン、それに阿佐見アサミ篠崎シノサキの姿もあった。


「しかし、空母とはねぇ……」


 九朗クロウが艦橋から深夜の甲板で酒盛りをする社員の姿を眺めつつ、そんなことを言った。


「まあ、以前の社屋兼基地は盛大に壊されてしまいましたからね。聡里サトリが融通してくれて助かりました」


 そう言ったのはエレインだ。


「空母の技術継承にも、良いことなんじゃないですか。海軍の技術士官が随分喜んでるって話ですよ」


 管制官の阿佐見アサミの姿もある。隣には操舵士として相棒の篠崎シノサキも座っている。そして月臣ツキオミはと言うと、ここ数か月慣れない書類仕事に忙殺されていたのだった。


「どうですか月臣ツキオミ君」


「多分これで大丈夫だと思いますけど……こういう研究書類の整理とかって、今までは大体ニール博士がやっていましたから」


 艦橋に月臣ツキオミの席があるのは、電算調律師として飛行中のAIGISにも指示を出しやすいためだが、現在スレイプニル社唯一のA.S.F.であるASF-X03フェイルノートは機体フレームを含めた大改装中で、そちらの仕事はあまりない。

 目下のところ、そのASF-X03フェイルノートの仕様変更書であるとか、聡里サトリ向けのプレゼン資料、あるいはロードマップなどの制作に追われている。

 研究室と違う、スレイプニル社の環境に慣れるので手一杯であった。


「まあ、ASF-X03フェイルノート本体の方、改修は大体終わりましたし、後は電磁加速砲レールガンか……それに『ハッブルの瞳』のレンズが無事で本当に良かったよ。高精細度のカメラレンズなんて、今じゃなかなか手に入らない」


「ああ。アレか……月臣ツキオミの企画書は読んだけど……正気か?」


 オフィスチェアを反対向きにし、背もたれに肘を置いて座る九朗クロウは、相変わらずどうにも社長然としない。


「正気だよ。というより『あの使い方』は俺の考えたことじゃないさ。ニール博士の研究データを元に用途を考えてみたら、ああ成ったんだよ」


 そうは言う月臣ツキオミも、確固たる自信があるわけではなかった。

 トリスのストレージに残されていた電磁加速レール関係の研究データは、軍事用としての電磁加速砲レールガン以外の用途を示唆していた。


「まあ、電磁加速砲レールガンはそのままだと、軍部への評価も芳しくないですから、月臣ツキオミ君のプランの方がいくらか売り込みようもありますよ?」


「……まあ夢のある話ではあるが……俺が正気を疑う計画って、相当だぞ?」


 高いのか低いのかよく分からない自己評価を元に、九朗クロウはそう月臣ツキオミの計画を評した。


      *


 一方、同太平洋上、高さ四百メートルにも及ぶ漏斗を逆さにしたような巨大な煙突、粒子端末グリッターダスト精製散布炉が中央に建っている、カドクラ所有のノースポイント海上基地メガフロート

 併設された五階建てのビルの中に、ケイと海里カイリの姿はあった。


海里カイリ、スレイプニル社が聡里サトリさんの傘下に移ったって本当?」


 ノックもそこそこに、ケイが押し入ると、部屋の主が事務机から怪訝な視線を送った。


「本当よ。私が貴女とASF-X02ナイトレイブンを持ってこちらへ移ったから、姉さんが助け舟を出したんでしょう」


「後ろ楯が無くなったからか――あ、コーヒー以外でお願いします」


 手振りで許可を取ると、ケイはソファに腰を下ろした。

 海里カイリは紅茶を淹れると、御茶請と一緒に手ずからテーブルに運ぶ。


「ここまでは、とりあえず予定通りね」


海里カイリって、聡里サトリさんと仲、悪いの?」


 紅茶を飲みながら聞くと、海里カイリは難しい顔をした。


「仲……ね。そういえばケイさんは、遊佐ユサちゃんと仲が良いわよね? ――確か、お母さんが違う……あ」


 遊佐ユサの母は、ケイにとっては継母で、どちらの母親も既に故人だ。父であるニール博士が先日亡くなったことを考えると、本来他人である海里カイリが、あまり突っ込んだ話をするものではなかった。

 しかし、ケイの方はあまり気にした様子もなく、御茶請の羊羹を突く。


「小さい頃は遊佐ユサばかり構う父さんに腹を立てたこともあったけど……概ね姉妹仲は良好だったつもり。父さんもノゾミ母さんも、遊佐ユサも、みんなしてノンキな性格してたから……グレ難いったらなかったな」


 そういって、ケイは自嘲気味に笑った。


「私と姉さんは……どうだったかしらね……」


「覚えてないの?」


「一緒に住んでいた子供の頃は、普通の姉妹だったと思っているのだけど、何せ家が家だけに……ね」


「ああ、まあ」


 冗談とも本気とも取れない話に、ケイはお茶を濁した。


「アンサラーの直感で、何かわかったりしない?」


「直感て……単にA.S.F.の適正試験で満点取れるってだけの話で。大体『解答者アンサラー』なんて付けた人が悪いよ」


 その呼称に、ケイはあまりいい印象は持ってはいない。

 称賛を含むものの、過度な期待。それは、人によっては魔法使いのように言い、無茶な要求もされるからだ。

 海里カイリが冗談のつもりで言っているのはわかるが、それでもケイは少し顔をしかめた。


「それに私、聡里サトリさんって接点なくて、どうって聞かれてもわからないよ? 貴女が話をする人物像は、多少煩わしいけど嫌ってはいない、って感じ」


 本人は意識していないようだが、聡里サトリと面識の無いケイから、予想以上に自分の認識と似た回答が得られたことに、冗談交じりだった海里カイリは少し驚いた。

計測限界値の情報処理IQ保持者アンサラー』というのは、ケイの言う通りA.S.F.適性試験で満点を取れる者のことだが、そう呼称されるのは、常に最高点が取れる人物を指す。

 こと、A.S.F.の適正試験は、学習能力を持つAIGISを介して行われる性質から、安定して最高得点を取ることは不可能とされているにも関わらず、同種の人間が複数観測されたことで、一種の『天賦の才ギフト』として名付けられたのが始まりだ。


「大体それであっていると思うわ。あまり連絡を取り合うこともない間柄だもの」


「その割には、随分とお姉さんを信用しているのね」


「姉さんにスレイプニル社を渡したのは保険よ。あそこの人たちも、博士の大事な遺産。それ以上でも以下でもないわ」


 海里カイリは紅茶の中を覗き込む。そこに映る自分は、どんな顔をしているか、少し気になったのだ。


「貴女はどうなの?」


 アルテミス・ワークス社でのケイの立場は、特別顧問ということになっている。

 他の社員と違い、引き抜きという形にせず、出向という形にしてあるのは「いつでも戻ってよい」という海里カイリなりの意思表示であったが、ケイは最後まで付き合うつもりのようだった。


「分からない」


 解答者の名を持つ彼女が、最初に口にした言葉がそれだった。


「アルテミス・ワークスのメンバーは一流処だし、従来式粒子端末グリッターダストの互換問題の解決もあと少し。おそらくは数年内に粒子端末グリッターダストVer2.00は完成させられる……その研究の為に私はデュプレと一緒にここに来た」


「でも、間違いなくアルテミス・ワークスの存在は、大陸国家企業連邦ソユーズを刺激するわね」


 ソファに腰を掛けなおし、詰まらなさそうに海里カイリは言った。

 あれ以来、海里カイリは笑わなくなった。仕事は精力的に熟しているが、その顔には、退屈そのものといった表情が常に張り付いている。


「あの作戦、一歩間違えればグラードの立場が危うくなるほどのモノだった……テストもまだだった新式粒子端末グリッターダストの開発妨害に、あれだけ強硬な作戦をするということは、私たちの知らない何かがVer2.00にはある……か」


「カドクラ……と言うか忠勝タダカツお爺様はもちろんなのだけど、フェザントも珍しく怒り心頭と言った感じで、部隊を動かしてグラードの意図を探らせている……けれど、国内はともかく対外諜報となると当てにはならないわね……だからこそ、私はアルテミス・ワークスを立ち上げたのだし」


 ケイの問いに答える海里カイリの応答は、アルテミス・ワークス社へ誘われた時と変わっていない。

 だが、あの一件以来、グラードは鳴りを潜めていた。

 秘匿された組織であるアルテミス・ワークスに対しても、諜報活動やA.S.F.による強行偵察は行われている為、こちらの存在がバレているのは間違いないが、その対応は定石の域を出ていない。


「このままVer2.00が完成すれば、電子戦闘空域の協定内で、グラードとの大規模な戦役に発展する可能性は予想できる。だけど……父さんがそんなことを望んでいるとも思えない」


「開発は中止した方が良いと?」


 その気はないが、海里カイリは聞いた。


「そうね……例えばアンサラーの勘というものがあったとして、その勘は、開発を止めるべきではないと言っている……何かを言い訳に技術開発を止めてしまえば、人の時代は劣化する。人……と言うか、技術や文明というものは、生み出して、前に進み続けなくてはならないモノだと――それも、父さんの教えだった」


 ケイが、カップの取っ手に指を掛けて、カチャカチャと回す音が静かに流れた。


「それが……私に協力してくれている理由?」


「少なくとも……貴女は父さんを愛していて、父さんの為にアルテミス計画を完遂しようとしている。事を前に進めている」


 回していたカップの手を止める。カチャンと、受け皿でティースプーンが転んだ。


「そのことで、嫌われていると思っていたわ」


「嫌ってはいたけど……嫌う理由はもう、なくなってしまったから」


「そうね……」


 ケイの勘違いかと思うほど、ほんの一瞬だけ笑みを浮かべた海里カイリは、すぐに退屈そうな顔に戻ると個人端末を取り出して、あるデータを開いた。


「……空母?」


 データに表示されたスレイプニルの文字を見て、ケイは紅茶を吹きかけた。


「また、突飛なことしてるなぁ……九重ココノエ社長……」


「現在位置は太平洋上の何処か。環太平洋経済圏シーオービタル内の海の上……考えたものね。ある意味一番安全かもしれないわ」


「軍から独立した空母の位置情報となると直接漏れる危険性も低いし、陸上基地のような潜入部隊に襲撃される恐れも減る……けど。今時、空母って……」


 ハハ……とケイが呆れるように、しかしここ最近では一番自然に笑う。

 シーパワーに依存する環太平洋経済圏シーオービタルの地理的構造上、空母の戦略価値自体が大きく低下しているわけではないのだが、A.S.F.に軍事費の比重が傾いている現在、その高い運用コストが、何かと敬遠される存在になりつつあるのが現状である。

 ケイが呆れるのも無理はない。


「空母の件は横において、ASF-X03フェイルノートは全面改修で復旧するようね」


「トリスには父さんの電磁加速レール関係のデータが入っているから、その研究を進める方向で間違いないみたいね。まあ、順当なトコじゃない? あの大砲に価値を見出そうとか考えなければ……カタパルトとか、技術転用方法もいろいろあるわけだし」


 電子戦闘空域において、超長距離投射砲である電磁加速砲レールガンの有用性はほぼ皆無だ。その点に関しては、ケイの見解も同様だった。

 父の遺した研究とはいえ、大した価値のないことに変わりはない。


「結局、博士は何のために電磁加速砲レールガンなんて作ろうとしたのかしら」


 兵器としてはゲテモノの類で、ニール博士の頼みでなかったならば、海里カイリも予算を通さなかっただろう。


「なんとも。アルテミス計画と並行して研究を進めていたみたいだけど……父さんの考えることも、ちょくちょく突飛だから。頭の固い私じゃあ、よくわからないのよ」


 アンサラーと言う肩書を持つわりに、自分の父親への尊敬とコンプレックスからだろうか、ケイは自己評価を低く見すぎるところがあった。


「貴女が言うと、ほとんど嫌味よ。ソレ」


「でも事実だわ……私には月臣ツキオミのような柔軟さがなかった。父さんが頼りにしていたのは月臣ツキオミなのよ」


 ケイはカップの中に映った陰鬱な顔を、ティースプーンで混ぜ消した。


 しばらくの沈黙が流れた時、室内に飛び込んできたのは、アルテミス・ワークス社の分析官だった。


「社長、大変です。ダイオミド境界線を哨戒していたASF-1クラウドルーラーSu-77パーヴェルの編隊に撃墜されたとのこと。アドラーから、その後南下して、こちらへ向かっている可能性があるとの警告が」


 その報告にケイはソファをガタつかせながら立ち上がった。


海里カイリさん、迎撃に上がるわ。海上施設メガフロートの直衛も急いで上げさせて――数は?」


「三機編隊です神耶顧問」


「あいつらかな……分かった。ありがと」


 ケイはそう言って上着を引っ掴みながら、戸口へ走る。


「それと――社長」


「まだあるの?」


 海里カイリが怪訝な顔をした。


「直接関係ないとは思ったのですが……Su-77パーヴェルは現在ノースポイント海上施設メガフロート――つまり『ここ』へ向かっていると思われますが、その進路上に、ええと……くだんのスレイプニル社の空母が……」


「なんですって!?」


 扉から出る寸前だったケイが振り返って叫んだものだから、報告した管制官は身を震わせて驚いた。


「マズいわね……寄りにもよって、なんて間の悪い……」


「位置関係のデータ見せて――……これならASF-X02ナイトレイブンなら間に合うか……うちのASF-1Fムラクモは全部ここの守備に残して」


 管制官に言うだけ言うと、ケイはそのまま飛び出してしまった。


「まったく、何やってんのよ月臣ツキオミッ!」


 ケイは悪態を付きながら、廊下を疾走し、格納庫へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る