アンサラー
2103年2月――フェザント沖、太平洋上。
八か月後、
太平洋を統べる
深夜、事務所と化した艦橋には、スレイプニル社に新設された開発部の部長に収まった
「しかし、空母とはねぇ……」
「まあ、以前の社屋兼基地は盛大に壊されてしまいましたからね。
そう言ったのはエレインだ。
「空母の技術継承にも、良いことなんじゃないですか。海軍の技術士官が随分喜んでるって話ですよ」
管制官の
「どうですか
「多分これで大丈夫だと思いますけど……こういう研究書類の整理とかって、今までは大体ニール博士がやっていましたから」
艦橋に
目下のところ、その
研究室と違う、スレイプニル社の環境に慣れるので手一杯であった。
「まあ、
「ああ。アレか……
オフィスチェアを反対向きにし、背もたれに肘を置いて座る
「正気だよ。というより『あの使い方』は俺の考えたことじゃないさ。ニール博士の研究データを元に用途を考えてみたら、ああ成ったんだよ」
そうは言う
トリスのストレージに残されていた電磁加速レール関係の研究データは、軍事用としての
「まあ、
「……まあ夢のある話ではあるが……俺が正気を疑う計画って、相当だぞ?」
高いのか低いのかよく分からない自己評価を元に、
*
一方、同太平洋上、高さ四百メートルにも及ぶ漏斗を逆さにしたような巨大な煙突、
併設された五階建てのビルの中に、ケイと
「
ノックもそこそこに、ケイが押し入ると、部屋の主が事務机から怪訝な視線を送った。
「本当よ。私が貴女と
「後ろ楯が無くなったからか――あ、コーヒー以外でお願いします」
手振りで許可を取ると、ケイはソファに腰を下ろした。
「ここまでは、とりあえず予定通りね」
「
紅茶を飲みながら聞くと、
「仲……ね。そういえばケイさんは、
しかし、ケイの方はあまり気にした様子もなく、御茶請の羊羹を突く。
「小さい頃は
そういって、ケイは自嘲気味に笑った。
「私と姉さんは……どうだったかしらね……」
「覚えてないの?」
「一緒に住んでいた子供の頃は、普通の姉妹だったと思っているのだけど、何せ家が家だけに……ね」
「ああ、まあ」
冗談とも本気とも取れない話に、ケイはお茶を濁した。
「アンサラーの直感で、何かわかったりしない?」
「直感て……単にA.S.F.の適正試験で満点取れるってだけの話で。大体『
その呼称に、ケイはあまりいい印象は持ってはいない。
称賛を含むものの、過度な期待。それは、人によっては魔法使いのように言い、無茶な要求もされるからだ。
「それに私、
本人は意識していないようだが、
『
こと、A.S.F.の適正試験は、学習能力を持つAIGISを介して行われる性質から、安定して最高得点を取ることは不可能とされているにも関わらず、同種の人間が複数観測されたことで、一種の『
「大体それであっていると思うわ。あまり連絡を取り合うこともない間柄だもの」
「その割には、随分とお姉さんを信用しているのね」
「姉さんにスレイプニル社を渡したのは保険よ。あそこの人たちも、博士の大事な遺産。それ以上でも以下でもないわ」
「貴女はどうなの?」
アルテミス・ワークス社でのケイの立場は、特別顧問ということになっている。
他の社員と違い、引き抜きという形にせず、出向という形にしてあるのは「いつでも戻ってよい」という
「分からない」
解答者の名を持つ彼女が、最初に口にした言葉がそれだった。
「アルテミス・ワークスのメンバーは一流処だし、従来式
「でも、間違いなくアルテミス・ワークスの存在は、
ソファに腰を掛けなおし、詰まらなさそうに
あれ以来、
「あの作戦、一歩間違えればグラードの立場が危うくなるほどのモノだった……テストもまだだった新式
「カドクラ……と言うか
ケイの問いに答える
だが、あの一件以来、グラードは鳴りを潜めていた。
秘匿された組織であるアルテミス・ワークスに対しても、諜報活動やA.S.F.による強行偵察は行われている為、こちらの存在がバレているのは間違いないが、その対応は定石の域を出ていない。
「このままVer2.00が完成すれば、電子戦闘空域の協定内で、グラードとの大規模な戦役に発展する可能性は予想できる。だけど……父さんがそんなことを望んでいるとも思えない」
「開発は中止した方が良いと?」
その気はないが、
「そうね……例えばアンサラーの勘というものがあったとして、その勘は、開発を止めるべきではないと言っている……何かを言い訳に技術開発を止めてしまえば、人の時代は劣化する。人……と言うか、技術や文明というものは、生み出して、前に進み続けなくてはならないモノだと――それも、父さんの教えだった」
ケイが、カップの取っ手に指を掛けて、カチャカチャと回す音が静かに流れた。
「それが……私に協力してくれている理由?」
「少なくとも……貴女は父さんを愛していて、父さんの為にアルテミス計画を完遂しようとしている。事を前に進めている」
回していたカップの手を止める。カチャンと、受け皿でティースプーンが転んだ。
「そのことで、嫌われていると思っていたわ」
「嫌ってはいたけど……嫌う理由はもう、なくなってしまったから」
「そうね……」
ケイの勘違いかと思うほど、ほんの一瞬だけ笑みを浮かべた
「……空母?」
データに表示されたスレイプニルの文字を見て、ケイは紅茶を吹きかけた。
「また、突飛なことしてるなぁ……
「現在位置は太平洋上の何処か。
「軍から独立した空母の位置情報となると直接漏れる危険性も低いし、陸上基地のような潜入部隊に襲撃される恐れも減る……けど。今時、空母って……」
ハハ……とケイが呆れるように、しかしここ最近では一番自然に笑う。
シーパワーに依存する
ケイが呆れるのも無理はない。
「空母の件は横において、
「トリスには父さんの電磁加速レール関係のデータが入っているから、その研究を進める方向で間違いないみたいね。まあ、順当なトコじゃない? あの大砲に価値を見出そうとか考えなければ……カタパルトとか、技術転用方法もいろいろあるわけだし」
電子戦闘空域において、超長距離投射砲である
父の遺した研究とはいえ、大した価値のないことに変わりはない。
「結局、博士は何のために
兵器としてはゲテモノの類で、ニール博士の頼みでなかったならば、
「なんとも。アルテミス計画と並行して研究を進めていたみたいだけど……父さんの考えることも、ちょくちょく突飛だから。頭の固い私じゃあ、よくわからないのよ」
アンサラーと言う肩書を持つわりに、自分の父親への尊敬とコンプレックスからだろうか、ケイは自己評価を低く見すぎるところがあった。
「貴女が言うと、ほとんど嫌味よ。ソレ」
「でも事実だわ……私には
ケイはカップの中に映った陰鬱な顔を、ティースプーンで混ぜ消した。
しばらくの沈黙が流れた時、室内に飛び込んできたのは、アルテミス・ワークス社の分析官だった。
「社長、大変です。ダイオミド境界線を哨戒していた
その報告にケイはソファをガタつかせながら立ち上がった。
「
「三機編隊です神耶顧問」
「あいつらかな……分かった。ありがと」
ケイはそう言って上着を引っ掴みながら、戸口へ走る。
「それと――社長」
「まだあるの?」
「直接関係ないとは思ったのですが……
「なんですって!?」
扉から出る寸前だったケイが振り返って叫んだものだから、報告した管制官は身を震わせて驚いた。
「マズいわね……寄りにもよって、なんて間の悪い……」
「位置関係のデータ見せて――……これなら
管制官に言うだけ言うと、ケイはそのまま飛び出してしまった。
「まったく、何やってんのよ
ケイは悪態を付きながら、廊下を疾走し、格納庫へと向かった。
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