三章

月臣の決断

 ニール博士の葬儀は、神耶家の屋敷で近しい者だけを呼んでひっそりと行われた。

 博士の生前の功績を考えれば、驚くほど質素なものだった。


遊佐ユサ


 月臣ツキオミが焼香を終えて仏間から出てくると、人気の無い居間のソファに、遊佐ユサが一人、うずくまるように座っていた。


「月ニイ……」


 のろのろと、やつれた顔がこちらを見る。


「いつも夕食の後、三人で話しをするの……電磁加速砲レールガンのテストの時はいっぱい褒めてくれた。お前のお陰でとても良いデータが取れたって……」


 遊佐ユサの言葉は偶々やってきた月臣ツキオミにではなく、ここに居ない誰かに向けられているようだ。

 月臣ツキオミは、遊佐ユサの隣に黙って座る。


「『今の研究』が完成すれば、もっともっと遠い空へ行けるようになる……お父さん……嬉しそうに言っていたのに……それなのに……」


 ボソボソと、消え入りそうな声で、月臣ツキオミに向けて言うでもなく、自問のようでもあり、そこに居ない誰かにすがるようでもあった。

 それきり感極まってすすり泣く遊佐ユサに掛ける言葉を見つけられず、月臣ツキオミ遊佐ユサを置いて部屋を立ち去ってしまった。


 後から思えば、もう少し一緒に居てやればよかったと後悔したが、月臣ツキオミ自身、それほど心身に余裕があったわけでもなかったのだ。


      *


「……ええ。残念ながら。はい、ほぼ即死でした……ええ。侵入したのはグラードの対外諜報局S.V.Rでほぼ間違いないですが、粒子センサネットワークはもちろん、通常のカメラなどもジャミングが酷く、映像データはASF-X03フェイルノートが撮影したもののみです……いえ、阿佐見アサミ元少佐らが初動を抑えたので奇跡的に死傷者が博士だけで済んだような状況です……はい、グラードの目的は不明ですが、侵入部隊の狙いは私ども全員の暗殺であったのではないかと……はい。証拠として機能するようなものは何も……はい。アルテミス計画の細部までが大陸国家企業連邦ソユーズ側へ漏れていた可能性が……」


 葬儀の行われている神耶家の良く手入れのされた古風な庭の影で、エレインが何者かと通話している。


海里カイリさんが来ていないな?」


 珍しく黒いスーツを隙無く着こなして、焼香を終えた九朗クロウが言った。


「ああ。ケイも連絡が取れない。父親の葬儀をほっぽりだして、何考えてんだアイツ」


 そう答えたのは、先ほど遊佐ユサの元から逃げ出してきた月臣ツキオミだった。


遊佐ユサちゃんは?」


「居間のソファに座ってた。なんて声掛けたらいいのかわからん……」


「それは俺もわからんな……」


「私どもは外様ですから、一緒に思い詰めない方がよいですよ社長?」


 エレインが通話を終えて、会話に割って入った。


海里カイリさんは不在で、カドクラからは忠勝タダカツ会長と聡里サトリがいらっしゃったそうです」


「やっぱり、海里カイリさんも音信不通なのか」


「あの時の様子を考えるとな……」


 少し居住まいを崩した九朗クロウが、いつもの調子で言った。

 そうして、屋敷の庭の隅で三人、ボソボソと線の無い話をしていると、


「こんばんは――やっぱり、ケイちゃんも居ないのね」


 三人の元に現れたのは、門倉カドクラ海里カイリの姉、聡里サトリだった。


聡里サトリ


 顔なじみらしいエレインが、気さくに話しかける。


「こんなところでコソコソと悪だくみ? 九重ココノエ社長」


「いえ、その時その場に居たとはいえ、俺らは外野ですから。目立たないようにですよ」


 九朗クロウが、先ほどのエレインの言葉を真似て言った。

 とは言えここはカドクラ関係の弔問客用スペースだし、コソコソとして居たというほどでもない。


「まあ、丁度いいわね……」


 聡里は並べられていたパイプ椅子を一つ、手ずから持ってきて腰を下ろした。ハンドバッグから細い煙草を取り出して火をつけると、一息、紫煙と共に息を吐く。


「こういう堅苦しいのは、いつもは海里カイリに押し付けていたのだけど……」


「相変わらずね、聡里サトリは」


 エレインが少し崩して、呆れた顔をする。


「早々、人の性分は変わったりしないものよ」


 肩をすくめて聡里サトリ

 カドクラのナンバー2と聞いて身構えていた月臣ツキオミは、不思議なものを見るような気分であった。


九朗クロウみたいなダラしない偉いさんは、九朗クロウだけかと思ってたけど……」


 思わず口に出してしまい、慌てて口を塞ぐがもう遅い。


宗像ムナカタ君……だっけ? それ、ファンタジーよ。九重ココノエ社長なんか、大分真面目な方なんだから」


 足を組み、パイプ椅子の背もたれに寄りかかる、だらしのない姿勢で聡里サトリが言った。何も知らないで見たら、仕事帰りのOLのように見えるだろう。


聡里サトリさんは、博士とは……?」


 月臣ツキオミが何気なく聞くと、聡里サトリは少し寂しそうな顔をした。


「私も一応、神耶研究室のOGよ。ニール博士はお爺様のお気に入りだったし。悲しそうに見えないのは、申し訳ないけどね宗像ムナカタ君。博士が優秀な子だと言っていたわ」


「それは……ええっと、どうも……」


 面識のない聡里サトリに名前を憶えられているのは意外で、月臣ツキオミは少したじろぐ。


「まあ、それで貴方達三人が揃っているなら丁度いいわ――周辺固めて」


 聡里が少し離れて控えていたSPに指示を出すと、彼らは個人端末を取り出し、何かしらの操作を行ったあと、サッと散った。

 おそらくは防諜関係のアレイを起動したのだと、月臣ツキオミは察した。


「何か分かったんですか?」


 防諜用アレイが起動する時間を計算し、そこからさらに少し待ってから月臣ツキオミは口を開いた。


海里カイリとケイちゃんの件だけど、カドクラの系列内でアルテミス・ワークスという新会社を立ち上げていたわ。停戦条約機構に登録されたA.S.F.はASF-X02ナイトレイブン。パイロットは神耶ケイ。彼女はデータベース上ではスレイプニル社からの出向扱い。他にASF-1Fムラクモが実験機として本社から五機、研究用に譲渡されている」


 そう言いながら聡里サトリはカード端末を操作して、空中映像プレートで資料を表示する。


「譲渡って……研究用って名目付けたとしてもこれじゃ実質……」


「A.S.Fが計六機か。二個電子戦術航空隊スコーンドロン……ケイちゃんの能力も加味すれば、地方の小国なら余裕で制圧できるな」


 それを横から見た九朗クロウは呆れたような声を出した。


「社名からして、アルテミス計画のための新会社ですね」


 エレインも口を挟む。


「じゃあ、ケイの奴、海里カイリさんと二人でアルテミス計画の続きを……?」


 月臣ツキオミが重ねて聞くと、聡里サトリは少し考えてから口を開く。


「その事なんだけど、Ver2.00の研究データ、ソレがASF-X02ナイトレイブンのストレージに保存されていたらしくて、今、データにアクセスできるのが……恐らくパイロットのケイさんか、調律を担当していた宗像ムナカタ君だけなのよ」


「それで、海里カイリさんはケイちゃんを新会社に連れて行ったのか……大人しく着いて行ったのは意外だな。大体、研究を継続するならウチで続けたほうがいいだろうに」


 アルテミスワークスの資料を目で追いながら、九朗クロウが言った。滅多に見ない真面目な表情だ。こういう資料の分析は大学時代から得意にしていて、そこからよく良からぬことを企む。


「そうは言っても大陸国家企業連邦ソユーズの狙いが分からない以上、研究の継続はカドクラとしては簡単に承認できないのだけどね……」


 聡里サトリの言葉で、月臣ツキオミにはある一つの想像が確信に変わる。


「……ケイはもしかして俺たちを巻き込まないために? グラードに狙われてるんですよね? アルテミス計画。再開したら、また襲われるのは分かってるから……?」


 月臣ツキオミの言葉に、聡里サトリは驚いた顔をする。


「へぇ……センスがとてもいい、とニール博士には聞いていたけど……」


「なんです、それ」


「いえ、何でもないわ――海里カイリASF-1Fムラクモを五機も新会社に移した理由も、お爺様が会長権限で許可した理由も、それで説明が付くってことね」


月臣ツキオミ、いい勘してるかもな……今、人員構成をソレで整理してみたら案の定、研究職や技術職も元軍事従事者がほとんどだ。グラードと一戦やる想定の会社だな。これは」


 九朗クロウが話を聞いて、纏めた資料を新たに表示して見せた。

 確かに月臣ツキオミも知っているような研究者の名も見えるが、その経歴のところには、九朗クロウが赤でチェックを入れた元軍属や現軍事顧問などの文字があった。


「要は、みんな阿佐見アサミさんや篠崎シノサキさんみたいな人達ってことか」


 確かに、何かあったときに、全員が阿佐見アサミさんのように対応出来ていれば、ニール博士の死は防げたのかもしれない。


「俺たちを試しましたね? 聡里サトリさん」


 苦労が頭を掻きながらそう言うと、聡里サトリはフフと笑って話を続ける。


「まあ、それで……本題はここからなのよ九重ココノエ社長、宗像ムナカタ君でもいいわ。粒子端末グリッターダストVer2.00研究データ、欠片でもいいから持っていないかしら?」


 聡里サトリの表情は、カドクラ重役のソレに戻っていた。


「拒否権は無しですか?」


 九朗クロウが負けじとやり返すが「悪いようにはしないわ。海里カイリの後ろ盾が無くなって、動きづらいでしょう?」と一蹴。


「どうなんだ? 月臣ツキオミ?」


 つまり九朗クロウの方に、当ては無いということだ。


「とはいっても……俺もデュプレのストレージのコピーなんて調律用のデータぐらいしか……調律を任されてたんで、デュプレ自体にアクセスは出来ますけど」


 月臣ツキオミは困った顔で答えた。


聡里サトリは、海里カイリを出し抜いてアルテミス計画を進めるつもりなの?」


 エレインが聞くと、聡里サトリは少し考えてから、


「可能であれば……ね。グラードが特殊部隊を送り込んでまで止めようとする計画なのなら、是非はともかく、概要ぐらいは掴んでおきたいと言うのが、お父様の意向」


聡里サトリはお父様――宗一郎ソウイチロウさんの派閥ですものね」


「確か、海里カイリさんは忠勝タダカツ会長の派閥か」


 カドクラはそこまで派閥争いが熾烈なわけではないが、複合産業体ともなると、それは無視できないものだ。


「でも困ったわね……九重ココノエ社長。何か良い案はない? 貴方達にしても、アルテミス計画も、レイシキの評価試験機も手放した状態で、仕事がないのは問題でしょう?」


 つまるところ、聡里サトリはスレイプニル社を自分の傘下にヘッドハントしようというのだ。


「って言われましても。ASF-X03フェイルノートは大破状態だし、ASF-X02ナイトレイブンをケイちゃんが持って行ったとなると、ウチには何も残ってないんですよ?」


 九朗クロウは頭を掻いて言った。いつも飄々としたこの男も、無い袖は振れないようだ。

 コンペに通ったASF-X01アークバードはすでにスレイプニル社の手元にはなく、ニール博士が最後に手掛けたA.S.F.及びAIGISアイギスとして、現在はカドクラ本社のバックヤードに保管されている。


「ああ……ASF-X03フェイルノート……トリスが居るか……」


 月臣ツキオミ九朗クロウの言葉を聞いてそんなことを呟いた。


「トリスのストレージにアルテミス計画の予備データが入ってたりしないか?」


「いや、それはどうだろうな……一度見てみないとわからないけど、確か、電磁加速レール系の実験データはトリスのストレージに全部入っていたような」


 月臣ツキオミは何気なくトリスのストレージ内を思い出そうとするが、そもそも調律が本業の月臣ツキオミは、ヘッダーはともかく、データの詳細な内容まで把握していない。


「よし。じゃあ、それ持って聡里サトリさんの傘下に入るか。商売のタネさえあれば、問題ないですよね?」


 そう言って九朗クロウは拳を打った。類い稀なる大雑把さである。


九朗クロウ、おまえなぁ……電磁加速レール関係、海里カイリさんに商売にならないって言われてたろ」


「出来ればグラードが目を付けたほどのアルテミス計画がよかったのだけど……まあこの際、贅沢は言えないわね。その電磁何とかも、ニール博士の研究なのよね?」


「ええ。と言ってもほとんど趣味的なもので、情報力学やA.S.F.部門への寄与は少ないと思うわよ聡里サトリ。それでも良いの?」


「今なら、ニール博士の一番弟子、宗像ムナカタ月臣ツキオミも付いて、お得ですよ聡里サトリさん」


 九朗クロウがどさくさに紛れてそんなことを言った。


「お前。俺はスレイプニルの社員じゃないだろう」


「って言ってもなぁ……ASF-X03フェイルノートのストレージにアクセス出来るのはお前と?」


 首を傾けてこっちを見た九朗クロウが悪い顔をしている。


「ニール博士。それに後は……あ」


 そこで思い当たった名前で、月臣ツキオミは思わず頭を抱えることになる。


「あの状態の遊佐ユサちゃん一人に博士の遺品整理みたいなマネさせるのは、さすがに俺も、ちょっとどうかと思うぞ」


 まじめな顔をして九朗クロウは言うが、月臣ツキオミはどう考えても罠にハメられた気分であった。


遊佐ユサちゃんの為だと思って、な。入社しろ」


遊佐ユサを巧いことダシに使いやがって……」


 月臣ツキオミが頭を抱えていると、


「いえ……九重ココノエ社長、もうそれならいっそ神耶研究室そのものを、スレイプニル社と一緒に引き抜いて、統合して私の傘下に置きましょうか」


 と、今度は聡里サトリが『いいことを思いついた』といった顔を作る。


「正気ですか?」


 月臣ツキオミはいよいよ目が回りそうになるが、聡里サトリは本気なようだった。


「神耶研究室にしてみてもニール博士が不在ではね。研究の引継ぎをするにしてもアルテミス計画は海里カイリがもっていってしまったのだから、残ったASF-X03フェイルノートのあるスレイプニル社に合流させるのは、合理的だと思わない?」


 そう言う聡里サトリから、月臣ツキオミはエレインに助けを求めるが、


「そうですね。月臣ツキオミ君、いい加減観念して、ウチに来ませんか?」


 と、四面楚歌。

 しかし考えてみれば、ニール博士のいない研究室にこだわる必要も、ないと言えばない。故人を思うと割り切れないものもあるとはいえ、いつまでも悲しんではいられない。


――ケイと遊佐ユサをもっと遠く広い空へ――


 それが、月臣ツキオミに託されたニール博士の遺言なのだから。


「わかりました……そういうことなら一つ、聡里サトリさんに相談したいことがあります――」


 少し考えをまとめた後、月臣ツキオミは答えた。

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