海里の慟哭

【フレア・アレイを展開します。敵ホーミング・ザッパー、ブレイク。増槽内粒子端末、残量危険域】


「――ッ! やっぱり逃げに徹してる!」


 ショック・アレイで回避を誘われたところに撃ち込まれたザッパーを、デュプレのカウンターが危なげなく防御するが、ケイの心中はそれどころではない。


「さっさと墜ちろッ!」


 炸裂したプラズマの残滓をかき分けて、悪鬼の表情を浮かべたケイが乗り移ったかのように、ASF-X02ナイトレイブンの黒い機体が更に加速。猟犬を放つが如くホーミング・ザッパーを撃ち出す。


【敵機、ブレイク。増槽粒子端末、残量なし】


 各種防御アレイとAIGISアイギスのカウンターに守られたA.S.F.の戦いに、ラッキーヒットはあり得ない。

 だが演算領域ラプラスのリソース回復のための再使用充填リチャージ・ディレイを突いて攻撃できれば、撃墜のチャンスはある。


「増槽破棄パージッ! 通常演算領域ラプラス展開ッ!」


 増槽内の粒子端末グリッターダストを使い切ってしまったが、高度は7000mでこちらが上。増槽を使っていた分、リソースもこちらが有利。

 しかし――


粒子端末グリッターダスト接続エラー。互換性に深刻な問題を検知しました。レポート】


 デュプレが致命的なエラーを告げ、幾つかの赤いエラー・レポートを表示した。

 父への信頼からか、Ver2.00がまだテストもしていなかった代物であることを、ケイは完全に失念していた。


「しまっ……た……」


 憑物が落ちたような、茫然とした表情がエラー表示を見つめる。


【推力消失。空力翼最大展開。エラー領域凍結。互換可能なシステムで演算領域ラプラスを緊急再構築。不時着と機密防衛を優先します】


 推力を失ったASF-X02ナイトレイブンは、急速に減速しながら、ゆっくりと傾いで墜落軌道ストール


 事ここに至って、演算領域ラプラスを停止して電子戦闘空域を解除する手も一瞬頭を過ったが、そもそもVer2.00の研究データはデュプレのストレージの中。それに基地内にもスレイプニル社や父ニール、月臣ツキオミらの膨大な研究データが保存されている。

 演算領域ラプラスを停止することは、それらを全て奪われることを意味していた。


「そんな……」


 戦う術を失ったケイが、絞り出すように呟いた。


      *


「相手の目的が、アルテミス計画のデータだったとして、降伏する手はあるかな?」


 息を潜めて静まり返った管制室内で、九朗クロウがそんなことを言った。


「問題は、それ以外が目的だった場合ですね」


 そんな九朗クロウの甘い考えを斬って捨てるように、エレインが応じる。


「単にアルテミス計画のデータの奪取が目的なら、通常の電子戦闘空域の手続きに沿って侵攻、守備隊を突破し、A.S.F.が基地のデータバンクにハッキングをすれば良いだけの話です。事実、彼らはフェザント空軍の哨戒網を潜り抜けて。ここまでたどり着いている……それでも尚、地上部隊が投入されていると言うことは……」


 エレインに続いて口を開いた阿佐見アサミが、海里カイリの方を見る。彼女も気づいているようであった。


「狙いは研究データを奪うことではなく、開発そのものを中止に追い込むことか」


 沈黙していたニール博士が、重苦しく口を開いた。


「でも……Ver2.00の占有領域インスタンスシステムは、まだアルファテスト中なんですよ? こんなテロまがいのマネをする意味なんて……」


 月臣ツキオミが言うが、それについてはその場の全員が首を振った。


大陸国家企業連邦ソユーズかグラードにとって、ここで行われている研究開発のどれかが、彼らに都合の悪いものだった……今、判るのはそこまでね」


「……そうか……それでケイはあんなことを……」


 ケイも判っていたのだろう。彼女はずっとA.S.F.に乗って、月臣ツキオミの知らない最前線で戦っていたのだ。


阿佐見アサミさん、ずいぶん静かだけど、ここが格納庫みたいに吹っ飛ばされる可能性は?」


 九朗クロウが話題を変えようと、そんな心配を口にする。


「最悪の場合はありえますけど、体裁を考えるとA.S.F.格納庫はともかく、民間人が居る可能性のある管制塔を吹き飛ばすようなマネは――」


 阿佐見アサミの言葉を遮るように、バリケードを作って塞いだ扉から数メートル横の壁が、発破と共に爆ぜ飛んだ。

 即座に拳銃を構え、壁に空いた穴に数発撃ちこみながら障害物から飛び出す。


「――荒っぽいなぁッ! もうッ!」


 そんな愚痴を吐きながら、一拍遅れて投げ込まれた閃光手榴弾を蹴り返し、おまけとばかりに残りの拳銃弾を撃ち込んで牽制、すぐさま障害物に飛び込み、身を隠しながらマガジンを交換した。

 タイトスカートでよくそれだけ動けるものだ。


 穴の向こうでは閃光弾の音と光が炸裂。一呼吸置いて、阿佐見アサミが撃ち込んだ数倍の銃弾が室内に撃ち返された。


阿佐見アサミさんッ!」


 カバーに構えていた篠崎シノサキが、叫びながら拳銃を窓に向ける。

 言うが早いか。

 管制塔の三方のガラスに、同時に無数の亀裂が奔り、続いて黒い厚手の装束に蛍光グリーンの幾何学ラインが入った、特殊部隊にしては派手で未来的な出で立ちの男が三人。ガラスを割って突入。


 阿佐見アサミの背後の窓を破って、侵入してきた黒い特殊部隊員の着地を狙い、篠崎が銃撃。男は足首に銃弾を食らい転倒する。

 一瞬遅れて阿佐見アサミが、篠崎の背後の窓から突入し、行動に移りかけていた特殊部隊員の肩口を撃ち抜く。


 そして正面、滑走路側の窓から突入した三人目が、運悪く――そして彼らの狙い通りに、固まって屈んでいたニール博士らのすぐ近くに着地した。

 細かく砕けたガラス片が降り注ぎ、皆が頭を覆う中、一人、海里カイリが、突入してきた暗殺者に、計り知れない憎悪を湛えた瞳を向けながら立ち上がった。


      *


 ゆっくりと落ちるガラスの雨。

 その中で海里カイリは、ニール博士らを守るように立ちはだかった。

 アルテミス計画を計画したのは、海里カイリ自身だ。

 粒子端末グリッターダストVer2.00。それが何故グラードの逆鱗に触れたのか、今確かめる術は無い。だが未来を担う若者たち、そして何よりニール博士を、ここで失うわけには行かなかった。


 阿佐見アサミ篠崎シノサキが、残った侵入者へ拳銃を向けようとしているのが見える。

 自分が撃たれても、阿佐見アサミ篠崎シノサキがすぐに退けてくれるだろう。

 最悪でもニール博士さえ無事ならば、月臣ツキオミ九朗クロウのような、彼の跡を継ぐ若者は現れる。

 だから、海里カイリは自分が楯になることを厭わなかった。

――撃つなら私を撃て――

 言葉よりも雄弁に熾烈な光を宿した眼光が語り、冷徹な暗殺者の心を捉えた。海里カイリの胸に吸い寄せられるように、銃口が向けられ……そして。


 その瞬間、海里カイリは暖かい腕の中に包まれていた。


「ニール博士ッ!」


 誰かが叫ぶその声で、その腕の主がニール博士であることに気づき、抱き返したその手が触れたものは、熱い湿り気を帯びていた。

 自分を押し倒す博士のその体から熱い物が流れ出て、海里カイリの体を濡らした。


 視界がにわかに、赤く、赤く染まる。


      *


 暗殺者の放った凶弾は、決死の表情で睨みつける海里カイリに向かって放たれ、そしてそれを庇ったニール博士の、左の脇腹から背にかけて銃創が列を作った。


 第二射を制するように、阿佐見アサミ篠崎シノサキが狙いを付けずに引き金を引くが、今度は壁の穴から援護射撃に身を伏せさせられる。

 二人が怯んだ隙に、侵入した三人の暗殺者は足を負傷した一人を引きずって瞬く間に穴へと消えた。

 彼らの作戦の成否は定かではないが、素人の月臣ツキオミにすら判るほど、見事な引き際であった。


 瞬く間に嵐は去って、後には静寂が残された。


「あ……ああ……」


 海里カイリは手や腹にベットリと粘りつく鮮血を、呆然と見つめている。


篠崎シノサキ君、周辺警戒ッ! ――博士ッ! 海里カイリさんッ!」


 即座に阿佐見アサミが駆け寄って二人を診る。海里カイリは無事だ。返り血を浴びているだけで怪我はしていない。問題は――


「――ッ!」


 ニール博士の銃創を診た阿佐見アサミが、口を突いて出そうになる不吉な言葉を、危ういところで飲み込む。


月臣ツキオミ君、あたしの机から救急箱ッ!」


 言われて月臣ツキオミ阿佐見アサミの机の引き出しから、ゴツい軍用の救急箱を箱ごと取り出すと、処置の為に座り込んだ阿佐見アサミの脇に開いて置いた。


「博士ッ! ニール博士ッ!」


「傷口押えろッ! エレインは救急を呼べッ!」


 止血パッドで傷口を塞ぐ間にも、血は次から次へと止めどなく溢れて、月臣ツキオミ達の両手をも赤く染めた。

 流れ出る血液の熱さと入れ違いに、ニール博士の顔から生気が失われていった。


「そのまま傷口を押さえていてください。鎮静剤を打ちます」


 阿佐見アサミが静かな声で、粛々と手当てをする。


「――すいません博士……痛みを和らげるぐらいしか出来なくて」


 皆を動揺させない為に表情を殺した阿佐見アサミから、意味の無い謝罪が洩れた。


「ありが……とう……」


 朧な意識と泡立つ呼吸の中で、ニール博士が優しく礼を言った。


「どうして……私なんかを庇って……」


 博士の頭の側に座り込んだ海里カイリが、少女のように泣いていた。


「君は……大事な人だ……からね……」


 ヒュー、ヒューと命の零れる音が聞こえる。

 しかしニール博士はしっかりと海里カイリの手を掴んだ。


「昔、未来のある若い研究者が沢山死んだんだ。僕の、研究のせいで――ごぼッ」


「博士、それ以上は……」


 静かに声を掛ける阿佐見アサミに、博士は小さく首を振った。


「……情報力学は……A.S.F.はもっと人を幸せに出来る……出来る筈なんだ……こんな、戦争紛いの……空を飛ぶ翼では――ごはッ、ごほッ――」


「ニール博士ッ!」


 居た堪れなくなって、月臣ツキオミは思わず叫んだ。


月臣ツキオミ……お前はしっかり聞いてろ」


 九朗クロウが肩を掴んで言った。言われるまでもない。だからこそ――


「……月臣ツキオミ君……ケイを、遊佐ユサを……もっと、もっと広く、遠い空へ……連れて行ってやってくれ――ゼー、ゼー」


 ニール博士の呼吸は、どんどん細くなっていく。

 もう、阿佐見アサミは何も言わないで、目を閉じていた。


海里カイリ君……最後の頼みだ……僕の代わりに……見果てぬ空を――」


 最後の一瞬、強く海里カイリの手を握ったニール博士の大きな手は、あっという間に滑り落ちて、事切れた。


「あ――……ああああ」


 海里カイリの慟哭が、静かに博士を見送った。

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