二章

滑走路の花

 スレイプニル社A.S.F.評価試験基地。

 まだ6月だというのに、強い日差しの照り付ける滑走路には陽炎が立っていた。


「あっつい……」


 作業用のツナギを上半分脱いで、タンクトップ姿でへたり込んだケイが、アイスバーを口に咥えながら、パタパタと団扇で扇いでいた。

 ケイの上方には空中映像プレートで作られた三角形のUVシールドが、日傘よろしく日差しを遮っているが、万能な具現領域マクスウェルも外気温まではどうしようもない。


 文明は唯一、自然にだけは敗北し続けている。と言ったのは誰だったか。


【コックピット内でしたら、空調が可能ですが】


 格納庫で最終チェックを受けているASF-X02ナイトレイブンAIGISアイギスデュプレが、ケイの肩口に黒髪赤眼のアバターを投影して語り掛けた。


「君の中でアイス食べるのはマズいっしょ。汚れるよ?」


 ケイは溶けかけたアイスをふりふり、デュプレに見せて笑う。


【それは困ります】


 何言ってんだ、といった風情の半目をしてデュプレが言った。

 コックピットの保全の為なので、答えや表情はおかしくはないが、妙にキャラクター臭いデュプレの性格が、父や月臣ツキオミの趣味である可能性は否めない。


「ホント、妙なキャラ付けられちゃって」


【そうですか?】


 などと話しながら、ケイは溶けかけたアイスを齧る。


 今日はアルテミス計画、粒子端末Ver2.00の試験二日目。

 ASF-X02ナイトレイブンは今、Ver2.00を内蔵した増槽の取り付け作業が行われている。

 増槽内で稼働し、支配下の粒子端末グリッターダストを放出し、演算領域ラプラス具現領域マクスウェルを外部に展開することも可能な新式粒子端末。

 大気中に散布された粒子端末グリッターダストというインフラに頼らない粒子センサネットワークシステムの開発。

 それがアルテミス計画の骨子だ。


「お姉ちゃん……また、なんつー格好で……」


 滑走路の隅で、半裸で胡坐をかいてアイスを頬張るケイを見止めて、遊佐ユサが呆れた声を出した。


「あら、遊佐ユサ。準備は出来た?」


「もちろん。トリスもASF-X03フェイルノートも準備ばっちりだよ。お姉ちゃんとの対戦は、本気でやっていいって社長が言ってたし」


「対戦じゃなくて模擬戦ね。私も本気ではやるけど、仕事だからね?」


「僕だってスレイプニルの社員になって二か月近く経つんだから、それぐらいわかってるよお姉ちゃん」


 準アンサラー級の情報処理IQをマークしたとはいえ、秀才型の遊佐ユサは努力を怠らない真面目な性格だ。

 それが自信につながるのはいいが、入社二か月と言うと他の社員から見れば、まだ入りたての新入社員のようなもので、その若さと能力故の時間感覚のギャップがトラブルにならなければいいが、とケイは頭を悩ませた。


「入社二か月だとまだまだ新人。調子に乗らないんだよ」


「それはそうなんだろうけどさー」


 ケイの心配を余所に、遊佐ユサは不満顔で隣に座り込んだ。


「――んぐ」


 実際、あくまでケイの予測と経験に現れる漠然とした不安でしかないのだから、うまく諭せる自信もない。

 面倒になったケイはアイスの残りで遊佐ユサの口を塞ぐと、そのまま棒を引き抜いた。


「あ、当たりだね」


 そうこう言っていると、


【時間まで後三十分です】


 と、デュプレ。


「そろそろ格納庫に戻ろう、遊佐ユサ


「ふぁい」


 溶け切らないアイスを、口の中でシャクシャク齧りながら遊佐ユサが答えた。


                *


ASF-X02ナイトレイブン第一滑走路、発進位置どうぞ」


 管制官の阿佐見曜子アサミ ヨウコの誘導に従って、格納庫から出てきたのは、黒い外装をした戦闘機の姿だった。


「何回見ても『黒いイカ』だよなぁ……」


 管制室、阿佐見の隣で、資料とデータに囲まれて状況を見守る月臣ツキオミが、率直な感想を述べた。


月臣ツキオミ、聞こえてるよ。鴉だからね、か、ら、す!」


「すまん」


 ASF-X02ナイトレイブンは軽やかなシルエットのASF-X03フェイルノートと違い、機首部分は黒い三角形の制御板で覆われ、さらには機体後部も同様に、翼部やマクスウェル・エンジンも覆い隠すように具現領域マクスウェル制御版が搭載されている。

 それは第五世代辺りのステルス爆撃機のような黒い三角形を、大小二つ縦に並べたような機影。

 少なくとも通常のA.S.F.には見えず、月臣ツキオミの言う『黒いイカ』は言い得て妙であった。


「まったく、誰がイカか。デュプレも怒っていいよ」


【本機の整備班からの愛称は『黒イカ』ですが……?】


 デュプレが小首を傾げ、不思議そうな顔でケイに言った。


「よし、後で全員殴ろうか」


「やめろって」


 拳を鳴らすケイを、呆れ顔で嗜める。


「しかし、なんだってまた電磁加速レールをカタパルトに?」


 ケイとのじゃれ合いはさて置き、A.S.F.は慣習的に戦闘機という分類ではあるものの航空力学ではなく、情報力学で飛翔する、全くの別の兵器である。

 具現領域マクスウェルの出力を用いれば、偏向ノズルを使うこともなく機体の全方向に推力を発生させられる為、垂直離着陸もお手の物だ。


「ああ、ASF-X02ナイトレイブンの形状は航空力学で言う空力特性……? に有利で、ニール博士のご要望で加速度のテストついでにやっちゃうとか……なんとか」


 管制官の阿佐見アサミが、あっけらかんとした様子で答えた。


「無理を言っている、すまないね阿佐見アサミさん」


 そう言いながら現れたのは、ニール博士だった。二か月前同様、九朗クロウとエレイン、そして門倉海里カドクラ カイリも一緒だ。


「まったくですよ。航空機用の滑走路に、わざわざレール引いたんですよ博士」


 口を尖らせて言う阿佐見アサミの小脇を突いて、


阿佐見アサミさん、相手、情報力学の権威ですよ」


 と、隣に座っていた篠崎シノサキが咎めた。

 彼はフェザント軍時代の部下で、阿佐見アサミの引き抜く際にエレインが一緒に引き抜いたらしい。


「知ってる知ってる。篠崎シノサキ君、あたしこれでもA.S.F.のパイロット志望だったんだから。選抜落ちたけど」


「A.S.F.パイロット希望の人が、なんでまた情報部なんかに居たんです」


「そりゃA.S.F.は情報力学と粒子センサネットワークで空飛んでるわけでしょ?」


「まさか『情報』部、だったからって理由じゃないでしょうね……」


「そのまさかだけど。まあ、お給料は良かったし」


「一応、情報部はエリートコースなんですけどね……」


 そのエリートコースを蹴ってまで、わざわざベンチャー企業に引き抜かれてきた篠崎シノサキも大概だとは思ったが、そんなやり取りを横から見ていて、エレインが彼らを引き抜いた理由が、月臣ツキオミにも何となく判った気がした。


「エレインさん、阿佐見アサミさんと篠崎シノサキさんを引き抜いた理由って、面白そうだから、ですよね」


 月臣ツキオミが半目でエレインを流し見ると、胡散臭い仕草で口元を隠したエレインが、眼鏡を輝かせ「わかる?」と含み笑い。


「トップ二人がコレだもんな、この会社」


「おいおい月臣ツキオミ、俺をエレインと一緒にするな」


 と九朗クロウ。どの口が言うのか、という話である。


「お前は、一層遊びが過ぎるだろ……」


 呆れてため息を吐いていると、隣の管制席に海里カイリが座り、


宗像ムナカタ君も十分、遊びの好きな人だと思っているのですけどね、私」


 と、怪しい笑みで言った。


「え、いや、俺のは、大体ニール博士のせいですよ」


「おいおい、酷いな月臣ツキオミ君」


 続いて流れ弾を食らったニール博士も笑う。「あちらに席を用意しておりますのに」とエレインが言うと、「こちらの方がよく見えるでしょ」と、海里は腰を深く掛けなおした。


「それじゃ僕も、前の方に座らせて貰おうかな」


 そう言ってニール博士もパイプ椅子片手にやってくると、あっという間に、窓際に観覧席が出来上がる。


「映像は空中映像プレートで出すんですから、別に窓際に詰める意味はないんですが……」


 口では言うものの、エレインも机を窓際まで動かし、資料を積み上げていた。


「よーし、それじゃアルテミス計画第一次試験『ASF-X02ナイトレイブンによる粒子端末グリッターダストVer2.00テスト二日目』開始しまーす」


 一同が一通り座ったところで、カッターシャツの袖を捲りネクタイをポケットに入れたラフな格好の九朗クロウが、パンパンと手を打ちながら言った。

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