ニール博士

 同日。スレイプニル社内、第三会議室。


「それで、またケイと喧嘩したのかい?」


 ハハ、と喉を鳴らすケイとよく似た笑い方で、ニール博士は笑みを浮かべた。


「いや、喧嘩ってわけじゃないですけど……」


 ケイと同じ銀色の髪をした壮年の男、ニール・神耶。旧姓ニール・ランディは、国籍はアドラーで、元々は欧州経済戦略会議エウロパ加盟国エイルの出らしい。

 情報力学が専攻で、粒子センサネットワークシステムの基礎設計者アーキテクトの一人。

 再婚相手の神耶望カミヤ ノゾミとは死に別れて縁は切れているのだが、今も神耶カミヤ性を名乗っている。


「フェザントのことわざで、仲が良いほどなんとか、と言うのだろう? 僕は、君をケイの婿にと思っているんだけど。どうだい?」


――ブボッ――と盛大な音を立てて、月臣ツキオミは飲みかけたコーヒーをむせ返した。


「ゲホッ、ゲホッ、突然何言いだすんですか」


「冗談だよ。ケイに聞かれたら、笑顔で口を縫われそうだ」


 ニール博士はまた――ハハ――と笑う。


「そうだ、遊佐ユサはどうだい。歳は少し離れるが、ノゾミさんに似て可愛らしいだろう」


遊佐ユサちゃんに手を出そうものなら、それこそ、あのシスコンに笑顔で抹殺されますよ。勘弁してください」


 娘がシスコンなら、父親も相当な親バカだと、そんなことを考えながら話を変えることにする。


「それでトリスの事なんですけど、とりあえず『ハッブルの瞳』関連の調律は一通り片付きました」


「ご苦労様。頼み事が多くてすまないね」


「いえ、まあ。結構面白い発見もありましたよ。トリスは『瞳』――光学式の索敵システムを、新しい眼と捉えています」


「……演算領域ラプラスの効果範囲外の情報を収集するための補助としてではなく……ということかな?」


「そうです。制御ドライバと集積データベースが演算領域ラプラスの等方性センサ領域から完全に独立した、新たな観測器としてインストールされていたんで、調律はかなり手こずりましたよ。はは」


 月臣ツキオミは少し興奮気味になっていた。

『世紀の発見』と言うわけでは無いが、こういう『小さな気付き』を得ることは、研究者として幸運であり、愉悦とさえ言える。


「それに等方性の認識システムである演算領域ラプラスよりも、異方性を持つ『ハッブルの瞳』を好むようなリアクションも見られました。AIGISアイギスの精神活動……は言いすぎでしょうけども、他の電磁加速砲レールガンなどの追加装備や、俺の調律の履歴などに対して、自律的に優先順位を示したのは面白いデータだと思います」


月臣ツキオミ君、そのデータ、僕にも見せて貰えるかい?」


「ええ、もちろん」


 月臣ツキオミは快諾して、個人端末を取り出すと、ニール博士に手渡す。

 一息に喋って乾いた喉を潤すのに、もう一度、コーヒーに口をつけかけた月臣ツキオミの背後で――コンコン――と、小気味よく扉をノックする音がした。


「いいかしら?」


 開け放たれたままだった扉の脇に立っていたのは、鋭利な印象を与えるスーツ姿の、二十代半ばの女性だった。


「ああ、海里カイリ君。どうぞ」


 ニール博士が入室を促す。

 女性の後ろには、もう三人、人影があった。


海里カイリさん。九朗クロウとエレインさんに……ケイか」


 門倉海里カドクラ カイリ門倉宗一朗カドクラ ソウイチロウの次女で、会長職へ退いた祖父、門倉忠勝カドクラ タダカツを除けば、父と姉に次いで、カドクラのナンバー3ということになる。


 後に続いたスーツの割にカジュアルな雰囲気を漂わせる男は、スレイプニル社社長である、九重九朗ココノエ クロウだった。

 九朗クロウは起業の為に中退したが、彼も元は門倉情報大学の神耶研究室の出身で、月臣ツキオミともその頃からの付き合いだ。


「よう月臣ツキオミ。ケイちゃんから聞いてると思うけど、例のアルテミス計画、ウチも一枚噛むことになったから」


 と言って、後ろに隠れていたケイを指さす。


「やあ」


 ケイは、一応とばかりに月臣ツキオミに作り笑顔をすると、そそくさとニール博士の傍に逃げて行った。


「我々にとっても、魅力的なお話でしたので。00年度A.S.F.開発計画レイシキの件ではお世話になっていますニール博士。今回もまた、弊社をよろしくお願いします」


 こちらはレディスーツがよく似合うブロンドの女性。

 九朗クロウの秘書エレイン・クラインが、魅惑的な営業スマイルを浮かべて、ニール博士と握手する。

 スレイプニル社は設立後、たった三年そこそこでカドクラの傘下に入り、00年度A.S.F.開発計画機の評価試験を任されるまでになったのは、彼女の手腕によるところが大きく、実質的な決裁権を持っているともっぱらの噂だ。


「ご無沙汰しています先生。アルテミス計画の実機テストに『レイシキ』を当てることになったので、九重ココノエ社長に計画書の策定をお願いしました」


 00年度A.S.F.開発計画機――通称『レイシキ』は試作ナンバーを持つフェザントの次期主力A.S.F.開発計画でASF-X01アークバードASF-X02ナイトレイブンASF-X03フェイルノートの三機を指す。

 コンペ自体はASF-X01アークバードが採用されて終わっているが、スレイプニル社が残り二機の評価試験を継続して行っている。


「『レイシキ』を使うってことは、パイロットはケイがやるのか?」


 そういってケイの方を見ると、露骨にそっぽを向かれる。怒っていると言うよりは、機嫌が悪いといった風。

 機嫌が直るのを待つしかなさそうだと、月臣ツキオミは頭をかいた。


「相変わらず、海里カイリ君は手回しが良いね」


 ニール博士にとっての門倉海里カドクラ カイリは未だ、カドクラの令嬢や重役ではなく、神耶研究室のOGであるようで、カドクラの肩書とビジネススーツで現れた彼女に、学生時代と変わらぬ様子で話しかける。


「私はケイさんや宗像ムナカタ君みたいに、優秀な学生じゃありませんでしたし、こういう方が向いていたみたいです」


「散布炉関係の研究は、君が一番いい着眼点を持っていたよ」


 二人は和やかな雰囲気で歓談している。


「えっと……俺は席を外した方がいいですかね、エレインさん?」


 九朗クロウとは旧知の仲だが、海里カイリほどの重役がそろった会議となると、月臣ツキオミはやや場違いな気がしてエレインに聞いた。


「いえ。月臣ツキオミ君も同席してもらう為に呼んだんですよ。ケイちゃんに聞いてない?」


「あー……話してる途中でヘソ曲げちゃったからな……」


 そう言いながらケイに目をやると、表情が「あッ」と声を出さずに語っていたので、月臣ツキオミは事情を悟った。


「お前ね」


 そう小声でケイを咎めると、


「ごめんて」


 と、意外にも素直に謝罪が返ってきた。

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