月臣とケイ

 星歴2102年4月。環太平洋経済圏シーオービタル加盟国フェザント。複合産業体カドクラ私有地内、スレイプニル社A.S.F.演習基地。


「アルテミス計画?」


 休憩所の脇に設置された自動販売機が――ガコンッ――と鳴って、取り出し口に缶コーヒーが落ちた。白衣姿の月臣ツキオミは取り出したソレを、ベンチに座る銀色の髪をした碧眼の少女に放り投げる。

 フェザントでは珍しい髪の色をした彼女は、神耶カミヤケイ。粒子センサネットワークシステムの権威、ニール・神耶カミヤの長女。

 現在の月臣ツキオミはケイの父、ニール・神耶の主宰する神耶研究室の研究員の一人で電算調律師。ケイはここ、スレイプニル社の社員でA.S.F.のパイロットであった。


「そ。粒子端末グリッターダストVer2.00プランに、開発費が下りたのよ」


 ケイが受け取った缶コーヒーをコロコロと手のひらで転がしながら、休憩室の窓の外を見ると、申し訳程度に植えられた桜が花を咲かせていた。


「言われてみれば、粒子センサネットワークってそろそろ二十年来るのか……俺たちが生れた年に、最初の精製炉が作られたんだっけ」


 月臣ツキオミは――カコッ――と小気味のいい音を立てる缶コーヒーに口をつける。

 ケイの父、ニール・神耶は粒子センサネットワークシステムの設計者の一人だ。

 世界的には粒子センサネットワークとA.S.F.の基礎設計者アーキテクトニール・ランディ博士の名で知られる彼が神耶カミヤ姓を名乗っているのは、カドクラの分家、神耶の長女、ノゾミの婿養子に入ったからなのだが、再婚ということもあってカドクラの政略結婚とも、研究資金捻出の為とも、有ること無いこと囁かれている。

 悪いことに結婚の数年後、ケイの継母に当たるノゾミは亡くなり、神耶カミヤの家に残ったことも憶測を呼ぶが、月臣ツキオミの知る限り親子は勿論、髪の色の違う妹の遊佐ユサとも仲は良い。


「私たちが生れてもう二十数年……父さんは、そろそろお前たちに新しい贈り物が必要だと言っていたわ」


 そう言ってケイははにかんだ。

 世間の憶測はどうあれ母も継母も亡くし、腹違いの妹がいるにしては、ケイの家は月臣ツキオミが羨むほど仲の良いものだった。


「アルテミス計画ねぇ……俺が博士から何も聞いてないってことは、軍事機密かなんかなんだろう? 新式の粒子端末グリッターダストなんてアドラーやらフェザントやら……いや、他の経済圏だって黙ってないか。よくカドクラが了承したな」


海里カイリさんの仕業よ。それでウチにお鉢が回ってきたわけだし」


 カドクラの総裁、門倉宗一郎カドクラ ソウイチロウの次女、門倉海里カドクラ カイリ

 彼女はスレイプニル社をカドクラに取り込んだ張本人で、後見人でもある。

 門倉家の影響力が及びにくい海里の私的な研究機関。大雑把に評せば、元ベンチャー企業のスレイプニル社の現在の立場はそんなところだろう。


「……スレイプニルは00年度A.S.F.開発計画レイシキの実績もあるし、主導しているのが粒子センサネットワークの基礎設計者アーキテクトの一人、ニール博士で、カドクラの次女が後ろ盾……と来ればフェザントとアドラーは納得するか……ニール博士にそんな根回し、出来るとは思えないもんな」


 事実、月臣ツキオミがここに居るのも、そのフェザント00年度A.S.F.開発計画――通称レイシキのAIGISアイギスを調律するためだ。

 神耶研究室でも、電算調律の実力はニール博士に次ぐと自負している。


「社長もそうだけどさ、君たちはすぐそういう考え方するよね。政治とかさ」


 ケイが少しウンザリした顔で言った。


 世界的に慢性化していたエネルギー問題と経済摩擦に起因する、国家の枠を超える経済圏グループの形成。

 その中で環太平洋経済圏シーオービタル主宰国アドラーの打ち出した世界を覆う粒子センサネットワーク・システムと、それをさらに高出力で扱う為の先進電子戦計画スカーミッシュ・プランは世界を震撼させた。


 世界的に緊張が高まる中、実行された粒子センサネットワーク・システムのβテストは、全世界規模で電磁波による電子機器障害が発生する事故に見舞われる。

 その事故を、環太平洋経済圏シーオービタルからの攻撃と判断した、大陸国家企業連邦ソユーズからの核攻撃。

 それを止めたのが、ミサイル攻撃基地を演算領域ラプラスによって掌握したA.S.F.だった。

 A.S.F.の圧倒的性能を目の当たりにした企業連は、その既得損益をより強固なものにするために、経済圏グループの主導権に近い位置に食い込み、複合産業体という体裁で国家に比肩する権力を得る。


 特に核戦争未遂の要因であり、次世代の情報電力網スマートグリッドとして確立された粒子センサネットワーク関連。

 そして、それを兵器として運用するA.S.F.関連の有力な企業や研究者、技術者はどの組織に身を置くか、一様に選択を迫られたのだった。


 その内の一つが、環太平洋経済圏シーオービタルに所属する島国フェザントであり、複合産業体カドクラであり、ケイの居るスレイプニル社はその傘下であった。

 月臣ツキオミの在籍する門倉情報大学も、その一つ。


「こんなご時世だし、研究一つするにしてもなかなかね……俺はニール博士のお陰で結構好きにやらせて貰ってるけど、運がいい方なんだろうな」


「そんな他人事みたいに」


「俺や九朗クロウは、一般ご家庭の生まれだし……ケイの家とは違うよ」


 そう言う月臣ツキオミを見て、ケイは――ハハ――と、喉を鳴らすように笑う。


門倉カドクラの分家、なんて言っても、神耶カミヤの家はそんなでもないよ。盆暮れ正月と法要の集まりに呼ばれるぐらいだし。お祖父さんも、お祖母さんも、未だに世界中を飛び回ってるぐらいの貧乏考古学者だからね。父さんも似たような類」


 浮かない顔で缶コーヒーをお手玉にしながら、ケイは言った。

 自嘲ではなく、彼女は昔からカドクラから距離を置いている学者肌の神耶カミヤの家柄を誇っている節がある。

 月臣ツキオミは、前々から気になっていた疑問を口に出してみた。


「そういえばケイは、なんで大学に残らなかったんだ?」


 ケイはフェザントの中でも、数人しかいない『計測限界値の情報処理IQアンサラー』と呼ばれる天賦の才ギフトの持ち主である。

 それ故、環太平洋経済圏シーオービタルのA.S.F.パイロットとしては五本の指に入るであろうケイだが、大学時代は月臣ツキオミと同じ神耶研究室に所属し、当然、自分と同じように研究者になるものとばかり思っていた。


「あー。その話は、まあ……いろいろと。はい次」


 ケイは素っ気なさを装って言葉を濁す。話したくない話題はいつもこんな調子だ。もう少し可愛げの一つもあれば、と月臣ツキオミは常々思っていたが、口に出して言ったことはない。

 ニール博士に対してと同様、思慮深い彼女への高い尊敬と、そして少しばかりの自信の無さが今一歩踏み込めない理由だ。

 聡い彼女に踏み込みすぎる事によって、心地よい距離感を壊したくないと言うもっと情けない理由もあった。


「そうか。無理には聞かない。ちょっと気になっただけだ」


 空になった缶コーヒーを、ゴミ箱に投げ入れる。

 月臣ツキオミは学生の頃からニール博士の神耶研究室に在籍していて、今も門倉情報大学で博士の助手をしている。

 その隣に、ケイが居ることを当たり前だと思っていた月臣ツキオミにとって、A.S.F.パイロットとなったケイの選択は、青天の霹靂だったのだ。


「研究室が懐かしくなったら、いつでも大学に戻って来いよ。お前なら、研究室のみんなも大歓迎――」


 そこまで言ったところで、空を切って飛んでくる、封の空いていない缶コーヒーを危ないところで受け止めた。


「今年から遊佐ユサも入るし、それどころじゃないのよ」


 話は終わりとばかりに、不満そうに溜息を吐いて立ち上がる。


「――それに口説きに来るなら、せめてあたしの好みぐらい思い出してから来なさいな。コーヒーは嫌いだっつってんでしょ」


 月臣ツキオミを半目で一睨みすると、ケイはそのまま休憩室を後にした。


「これは……何かマズったか……?」


 投げ返された缶コーヒーを開けて、一口。

 甘い。

 気を効かせてカフェオレにしたつもりだったのだが、どうやらそういう問題ではないらしい。

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