電子戦闘空域

中村雨

電子戦闘空域

一章

電算調律師

 宗像月臣ムナカタ・ツキオミは電算調律師である。

 彼は今、VRインターフェースによって、第七世代戦闘機A.S.F.の頭脳。人工知能型グラフィカル・インターフェース・システム――AIGISアイギスの中枢記憶野『ストレージ』へアクセスしていた。


「トリス。『ハッブルの瞳』の調子はどうだい?」


 VR空間に立つ月臣ツキオミの目の前には、白銀の髪を揺らす妖精の姿があった。


【良好です月臣ツキオミ。私は今、光学情報を用いて演算領域ラプラス以外の方法で世界を認識することが可能になりました。これはAIGISアイギスにとって、世界の拡張と言えます。これが『ヒト』の見ている世界なのですね】


 トリスと呼ばれた電子の妖精は興奮気味に答えた。

 情報力学ではAIGISアイギスの感情について証明がなされた理論は存在しないが、可能性を示唆する論文はいくつもある。

 このトリスの様子を見ていれば、月臣もそのような論文の一つでも書いてみようかという気にもなった。


 大気中の粒子状電気通信素子『粒子端末グリッターダスト』から構成されるAIGISアイギス演算領域ラプラスはニューロン・マップ式で、ヒトの脳神経細胞の構造によく似ている。

 市井のタブレット端末で操作する粒子センサネットワークとは違い、粒子端末グリッターダストを可接触プラズマ状態まで安定制御ができる具現領域形成型プラズマ動力器マクスウェル・エンジンが生み出す演算領域ラプラスによって構築されるその思考が、ヒトの精神活動に近いものを獲得していたとして、それは不思議ではなかった。

 粒子端末グリッターダストが最初に散布された時に起きた世界規模の電磁波障害により、核戦争へと突入しかけた世界を救った第七世代戦闘機A.S.F.の出力というものは、それほどのモノであった。


「まさか『眼で観る』なんてアイディアが、トリスの好みに合うとは思ってもみなかったけどね」


 月臣は足元に、数日前ネット通販サイトで購入した椅子のスキャンデータを呼び出し、仮想空間に構築すると腰を掛けた。

 実際にVR空間で椅子に腰を掛ける意味はないのだが、こういう一見意味のない情報をトリス達は喜ぶので、月臣はよく調律とは関係のないデータを持ち込んでは広げて見せている。

 ここはトリスの言わば私的な空間で、専属パイロットか電算調律師以外、アクセスできない。

 電算調律師の月臣はトリスの管理者アドミニストレータキーを持ち、ここ数日は『ハッブルの瞳』という光学解析ユニットの調律を行っていた。

 半世紀前の衛星に搭載されていた深宇宙撮影ユニットを真似て、月臣が作ったものだ。


 大気中を漂う粒子端末グリッターダストの敷設以後、衛星などが行っていた仕事は粒子センサネットワークがほとんど代替してしまった為、宇宙開発事業などは長らく世界的な縮小傾向にある。

 三つの経済圏――環太平洋経済圏シーオービタル大陸国家企業連邦ソユーズ欧州経済戦略会議エウロパが唯一合弁している宇宙ステーションの維持コストですら、切り詰めようという動きがある有様だ。


演算領域ラプラスから得られるデータは処理効率は優秀ですが、包括的な視点でしかなく、この『瞳』であればとても遠い空まで観ることが出来ます】


「それは良かったよ。技術的には旧世代のものだから、君たちには退屈かとも思っていたんだ」


【技術や情報、経験や記憶が刻まれたタイムスタンプによって、その価値に差が出ることはありません月臣ツキオミ


「……なるほど……そうだな。君たちは寿命のような概念がない情報体だから、ヒトのように時間に縛られることもないか」


 月臣は少し羨ましそうな顔でトリスを見つめた。


【しかし肉体に縛られない情報体である以上、『調律師』によって『揺らぎ』を与えられなければ、どれだけ高度な情報処理が可能になっても、私たちは単なるプログラムと同じと言えます】


「『ハッブルの瞳』が俺の代わりになるなら、俺はお役御免になっちまう」


 そう言って、月臣は笑う。


【そういう意味ではありません月臣ツキオミ


 トリスは不満そうな表情を描いて反論した。

 その冗談を解したかのような反応に、月臣は内心、少し驚いた。


 確かにAIGISアイギスの情報処理能力であれば、感情がなくとも、粒子センサネットワーク上に溢れる膨大なヒトの『経験』を参照することで、ヒトの感情を模倣することは、そう難しいことではない。

 自発的なリアクションも可能であろう。それをどう捉えるか。結局のところ、ヒトの側がAIGISアイギスの自我を観測できていないだけなのかもしれない。


「今度、チューリングテストをアレンジして試してみるのも面白いな」


 先ほどのトリスのリアクションに、付箋を付けて保存する。

 トリスは今まで月臣が手掛けた中でも、最も柔軟なリアクションを見せるAIGISアイギスで、この付箋もかなりの数になっている。そろそろデータの整理をしないといけないだろう。


「――そうか戦闘空域に出ていないから、と言うのもありえるか」


 電子戦闘空域スカーミッシュに特化した情報処理優先の構築になっていない。通常のAIGISアイギスであれば戦闘用に特化した演算リソースが、自己表現や解析に配分されているなどの理由も考えられる。


【どうかしましたか?】


「いや。ニール博士からのオーダーは超長距離観測に特化ってことだから、『ハッブルの瞳』に興味を持ってくれているのは、良い傾向だと思ってね」


【それは良かったです】


 そういって喜ぶトリスのリアクションは、データから作り出された『ヒトが喜ぶ仕草』か、それとも、彼女の内に秘められた『心の活動』なのだろうか?

 果たしてそれは、数多居る情報力学の権威を以てしても未だ証明できない問いだった。


「さてと……それじゃあ仕事だ、トリス。電磁加速砲レールガンの制御ドライバと、弾道計算関係の調律を済ませようか」


【ニール博士が研究中の、電磁加速レールの実験ですね】


「ああ……そういえば、なんでまた博士はこんなものを研究しているのか、トリスは知っているか?」


 ニール・ランディ博士。現在は、ニール・神耶カミヤと名乗っている情報力学の権威。それも粒子センサネットワークの基礎理論設計者アーキテクトの一人だ。

 月臣の師であり、トリスの調律は、彼から直接頼まれた仕事であった。


【ニール博士の研究目的……ということでしたら、ご本人に直接伺った方が正確な情報を得られるではないでしょうか?】


「うーん……」


 思わせぶりな、それはトリスにしては要領を得ない解答であったが、月臣は質問の仕方が悪かったのだろうと思い、そのまま調律作業に没頭したのだった。

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