電子戦闘空域
中村雨
電子戦闘空域
一章
電算調律師
彼は今、VRインターフェースによって、第七世代戦闘機A.S.F.の頭脳。人工知能型グラフィカル・インターフェース・システム――
「トリス。『ハッブルの瞳』の調子はどうだい?」
VR空間に立つ
【良好です
トリスと呼ばれた電子の妖精は興奮気味に答えた。
情報力学では
このトリスの様子を見ていれば、月臣もそのような論文の一つでも書いてみようかという気にもなった。
大気中の粒子状電気通信素子『
市井のタブレット端末で操作する粒子センサネットワークとは違い、
「まさか『眼で観る』なんてアイディアが、トリスの好みに合うとは思ってもみなかったけどね」
月臣は足元に、数日前ネット通販サイトで購入した椅子のスキャンデータを呼び出し、仮想空間に構築すると腰を掛けた。
実際にVR空間で椅子に腰を掛ける意味はないのだが、こういう一見意味のない情報をトリス達は喜ぶので、月臣はよく調律とは関係のないデータを持ち込んでは広げて見せている。
ここはトリスの言わば私的な空間で、専属パイロットか電算調律師以外、アクセスできない。
電算調律師の月臣はトリスの
半世紀前の衛星に搭載されていた深宇宙撮影ユニットを真似て、月臣が作ったものだ。
大気中を漂う
三つの経済圏――
【
「それは良かったよ。技術的には旧世代のものだから、君たちには退屈かとも思っていたんだ」
【技術や情報、経験や記憶が刻まれたタイムスタンプによって、その価値に差が出ることはありません
「……なるほど……そうだな。君たちは寿命のような概念がない情報体だから、ヒトのように時間に縛られることもないか」
月臣は少し羨ましそうな顔でトリスを見つめた。
【しかし肉体に縛られない情報体である以上、『調律師』によって『揺らぎ』を与えられなければ、どれだけ高度な情報処理が可能になっても、私たちは単なるプログラムと同じと言えます】
「『ハッブルの瞳』が俺の代わりになるなら、俺はお役御免になっちまう」
そう言って、月臣は笑う。
【そういう意味ではありません
トリスは不満そうな表情を描いて反論した。
その冗談を解したかのような反応に、月臣は内心、少し驚いた。
確かに
自発的なリアクションも可能であろう。それをどう捉えるか。結局のところ、ヒトの側が
「今度、チューリングテストをアレンジして試してみるのも面白いな」
先ほどのトリスのリアクションに、付箋を付けて保存する。
トリスは今まで月臣が手掛けた中でも、最も柔軟なリアクションを見せる
「――そうか戦闘空域に出ていないから、と言うのもありえるか」
【どうかしましたか?】
「いや。ニール博士からのオーダーは超長距離観測に特化ってことだから、『ハッブルの瞳』に興味を持ってくれているのは、良い傾向だと思ってね」
【それは良かったです】
そういって喜ぶトリスのリアクションは、データから作り出された『ヒトが喜ぶ仕草』か、それとも、彼女の内に秘められた『心の活動』なのだろうか?
果たしてそれは、数多居る情報力学の権威を以てしても未だ証明できない問いだった。
「さてと……それじゃあ仕事だ、トリス。
【ニール博士が研究中の、電磁加速レールの実験ですね】
「ああ……そういえば、なんでまた博士はこんなものを研究しているのか、トリスは知っているか?」
ニール・ランディ博士。現在は、ニール・
月臣の師であり、トリスの調律は、彼から直接頼まれた仕事であった。
【ニール博士の研究目的……ということでしたら、ご本人に直接伺った方が正確な情報を得られるではないでしょうか?】
「うーん……」
思わせぶりな、それはトリスにしては要領を得ない解答であったが、月臣は質問の仕方が悪かったのだろうと思い、そのまま調律作業に没頭したのだった。
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