新しい時代へ

#30


 この日は年に一度の生誕を祝う夜だった。

 街のはずれにある丘の上の教会では、蝋燭に灯りを灯してコーラスや聖書の朗読など、偉大なキリストの誕生に多くの国民が祝杯を挙げていた。



 こんな安寧の時がもたらされたのも、ほんの一月前のことだ。





「アルフレド」



 一目教会の様子を見て立ち去ろうとした僕に声をかけたのは、この教会の神父である彼だった。

 この日のためにこしらえた神父の正装に身を包み、堂々たる風格で教会の服務に従事している。そいつのカラ元気な顔は、この日の膨大な仕事量に僅かに憔悴しているようだ。



「お前も来てくれてたのか。せっかく来たならゆっくりしていけばいい」


「もう帰るところだ。僕に構うより、君にはやるべきことがたくさんあるだろう」


「はあ。相変わらず冷たい奴だな」



 彼の呆れ顔を見るのも慣れたものだ。

 もう見ることはないかもしれないと思っていた彼の顔。それがここにあるのは、あの日失ったものがあるからだろう。



 僕はあの日の雪の冷たさを、今も憶えている。

 頭を鈍器で殴られたようなショックを受けて視界が真っ白になる中に見た、離れていく君の手を、宝石のように潤んだ瞳を……。




 一月前に世間を大きく混乱させた魔女の事件は、一人の魔女の死によって終息を迎えた。

 彼女は自らをアヴィスの魔女と名乗り、その身柄を拘束された。その後は彼女の身柄は魔女裁判にかけられ、大勢の国民が怒号を上げる中で火炙りにされた。まるでかつての魔女裁判の悲劇のようだ。

 彼女を追いかけることができなかった僕は、その場にはいられなかった。あとで居合わせた教会の者に聞いた話だが、彼女は最後まで静かにその身を焼かれていったらしい。

 僕の胸には、彼女の覚悟が痛いほど刺さる。どんな時も大切な人達のために生きた彼女の姿は、警察官の道を歩んできた僕の信念を複雑に捻じ曲げた。


 魔女裁判の終結後、オーディ神父の身柄は保釈された。魔女の死によって、魔女に操られたとされていた彼の無害は証明された。

 こうして彼が今も教会の神父を続けられているのは、自らを簡単に切り捨てた馬鹿な魔女がいたからだろう。



「……オーディ、すまなかった。結局彼女を引き止めることもできず、友人である君さえ救えなかった僕は、スコットランドヤードの警察官失格だよ」


 自分のやるせなさに苛立ちも通り越して、失望を憶える。正直、ここへ足を運ぶか、ギリギリまで迷った。彼に合わせる顔なんて、こんな自分にはない。


 僕の態度を見て、オーディは僕を責めることもなく、ぬくもりを込めた大きな手で僕の肩を掴んだ。顔を上げた僕に、彼は真剣な面持ちで告げた。



「いいんだ。仕方のないことだったんだ。マリアを失ったことは確かに悲しいことだが、生きている俺達が立ち止まっていては、マリアにも面目が立たない」



 ああ。彼のこういうところが、教会の神父として相応しいのだろう。そんな言葉をかけられる彼の器量は、羨ましい限りだ。


 少し表情を緩ませた僕に、彼はさらにこんなことを提案した。


「なあ。俺達ができることをやろう。マリアの分も、マリアがやり残したことまで俺達が叶えて見せようじゃないか。スコットランドヤード随一の警察官のお前となら、俺はやり遂げられると確信しているぞ」



 あの娘の分も、か……。

 彼の言う通りかもしれない。僕達にできることを、彼女がくれた時間の中でやることの方が、後悔を募ることよりも彼女への償いになる。




 オーディと別れてから、雪が降り始めたロンドン市街を足早に通った。街の中心にある大聖堂は、夜が深まる今も多くの国民で賑わっているだろうが、裏口から回ると驚くほど静かなものだ。警備員に声をかけ、許可書と鍵を受け取ると、警備が厳重な通路を潜り、人気のまったくない教会の深層へと入り込む。

 窓の僅かな月明かりに照らされる彼女の身体が、豪華に装飾された寝台に飾られている。その姿はすっかりかつての面影もなくなって、指をすり抜ける砂と化していた。


 彼女への未練からか、こうして時間を作っては、一人で彼女の亡骸に会いに来ることが増えていた。魔女裁判以降、人目を避けてこの暗い場所に幽閉された彼女は、時間が流れていくにつれていつかは人々の記憶から消されることになるだろう。




「シルビア……」



 彼女の本当の名前を口にした。

 応えてくれる声はない。透明な鳥籠の中で、今も眠り続けている。




「君がこの世界で願ったことは、必ず実現してみせるよ。いつになってしまうかは、わからないけれど……」



 馬鹿馬鹿しいと、皆が僕に失望することだろう。君も望んでいないかもしれない。それでも、僕は構わない。君を失った日から、僕には何もないのだから。


「だけど君を失っても、この想いだけは消すことはできなかったよ」



 できることなら、もう一度君に触れたい。

 だけどそれは贅沢な願いだろう。もしもう一度君に会えるなら、今度は僕から君に口付けよう。

 



「おやすみ、シルビア」



 今も君の面影を探し続けている。

 そうしなければ、きっと僕は君がいない世界で前に進むことができない。


 あの日、君と出会わなければよかったのかもしれない。子供達を守る君の凛々しい瞳に気づかなければ、知らなければ、僕はこんな情けない僕を知る必要はなかったんだ。



 小袋に仕舞っていた赤い実を不意に取り出して、手のひらに転がしてみる。

 彼女達の願いを込めた一粒の赤い実だ。これがここにある以上、投げ出すことなんて赦されない。身を焦がす炎すら恐れない彼女達のように、自分の運命と向き合う覚悟を持つべきだ。



 アヴィスの魔女の呪いが解ける日が来るまで、君は待っていてくれるかい。その日まで、僕は君の面影に寄り添い続けよう。



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