第二幕 アヴィスの魔女
#5
ロンドン警視庁の本部があるホワイトホール・プレイス4番地まで足を向ける。スコットランドヤードのシンボルである青い街灯が見えると、そこから地下に潜り、人が寄り付かない薄暗い研究室の扉を叩く。独特な空気が漂うそこには、一人の男が大抵居座っている。
その男は本日も変わらずそこで研究に没頭していた。大量の文字に埋め尽くされた書類を研究室のあちこちにばらまいて、広くもない部屋が異常に散らかっていることにまだ気づいていないかもしれない。僕が研究室に邪魔しに来ても、気にもとめていなかった。まあ、いつものことだ。
しつこく邪魔をしてやれば、鬱陶しそうな視線を寄越してそいつとようやく顔を合わせた。
ロイスというこの白衣に眼鏡の冴えない男は、こう見えてもスコットランドヤードではお墨付きの科学者だ。
今は世間を騒がせる魔女事件についての情報収集を始めたと聞いたので、一度成果を聞いてみようかと訪ねてみたが、これはあまり期待しない方がいいかもしれない。
資料の手を止めて僕の方を見るなり、彼はひとつの単語を口にした。
「アヴィスの魔女」
咄嗟に口にすることは躊躇われるその名を耳にして、胸の内側がざわついた。黒い霧が心臓にまとわりつくような違和感を無意識に感じた。
「こいつの名前に聞き憶えはあるか」
「約400年前に、イギリス国内を恐怖に陥れた魔女の名だ。あるも何も、あの事件は有名な話だろう」
――アヴィスの魔女。
それは有名な魔女の通称だ。
誰が最初にそう呼んだかはわからない。
約400年前に突如地上に現れ、国内の人口の約半分を大量殺戮した魔女。その魔女が残した凄惨たる出来事は、歴史に残る凶悪事件として今でも国内で語り継がれていた。
「まさか、例の魔女の襲撃事件と関係があると言うのかい? 馬鹿馬鹿しい。大昔に死んだ魔女だ。彼女達の寿命は人類の約6倍だとしても、アヴィスの魔女が生きていたなんてことはありえない。彼女はその後、魔女裁判で裁かれた」
アヴィスの魔女は、惨殺を繰り返した後に総力を挙げて攻防した人間の手で拘束され、その後間もなく公の場で魔女裁判にかけられた。魔女裁判では見物する民衆の目前で十字架に縛られたまま拷問にかけられ、最後には火炙りにされたと記録に残っている。
アヴィスの魔女の裁判以降、国内では集団ヒステリーが蔓延し、やがてヨーロッパ全域にかけて魔女裁判が横行した。当時地上に溶け込んでいた魔女の処刑にとどまらず、魔女の疑いをかけられた人々も同じように裁判にかけられ、疑われたほとんどの者が処刑されてきた。魔女裁判は18世紀にまで渡る長期間に及び執行され、英国の長い歴史の中で多くの人々が犠牲となったのは史実だ。
魔女裁判が終結してから、人々の傷はまだ癒えていないだろう。
二度と同じような過ちを繰り返さないよう魔女裁判はスコットランドヤードで厳格な掟を設けて規制された。
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