#4
「神父様からお話は聞いているかもしれませんが、私には昔の記憶がありません。ここで目を醒ました時から、自分が生まれてきた記憶も残ってはいません。だから、どこの生まれかもわからない私を拾ってくださった神父様には、とても感謝しきれません」
人には当たり前に生まれる思い出も暗い過去も、今の彼女にはない。そんな歯痒い顔を見せつけられた。なんて言葉で返していいかわからない。
それでも、ひたむきにこれからを生きる彼女には言葉にし難い魅力を感じた。
「うん。彼のことは嫌いだと言ったけど、君を拾ってあげたあの男は根っからのいい奴だから、心配はいらないよ」
「はい。アルフレド様もなんだかんだ神父様のことを信頼されていて、安心しました」
……なんだか釈然としないが、彼女がそうやって笑ってくれるならいいだろう。大目に見ることにした。
しかし、彼女の笑顔はすぐに萎れていった。美しい花の見頃よりもそれは短い。
「お二人を見ていて、羨ましいと感じました。私には、お二人のように笑い合える友人もいませんから」
それがやはり彼女の中のコンプレックスなんだろう。思い詰めるような表情に、何か言葉をかけてやるしかない。
「君は、シスターだ。これからこの教会で、多くの人々と出会い、多くの人々の願いを聞き届ける。君が望めばきっとそんな相手がいるだろう」
日頃から犯罪者を追い詰めている僕らしくもない綺麗事を吐く。しかも相手はカトリック教会のシスターだ。何を偉そうに、と思う。
教会の壁に埋め込まれたステンドグラスの光に目を細めながら、ただ彼女も上を見上げればいいと思った。彼女が生きているこの時代はずっと恵まれている。
「それに、憶えているものだよ。思い出せないだけで。君が神に願うなら、いつか思い出す日は来るだろう」
人は忘れてしまうものだ。神のように完璧である必要はない。完璧ではないから、嫌なことは全部神に投げつけてやればいい。僕はそう思う。
そうは言ったが、もともとあまり宗教を信じていない人間が言っても説得力に欠ける。
じっと僕の目を見るシスターは、いい加減な僕の戯言に何を感じただろうか。
そのエメラルドの瞳が、暗に何かを訴えかけとしている気がしたが、彼女は言及しなかった。
「ありがとうございます」
エメラルドに輝く瞳を細めて、麗しいシスターは微笑むだけだ。甘酸っぱい果実の香りとともに、その瞳の奥には彼女だけが知り得る闇がそっと閉じ込められていた。
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