#2


 街の中心街を外れ、暗い森を抜け、丘の上にひっそりと佇む古びた教会。

 白亜の外観は年月であちこちの塗装が禿げているが、これでも長い歴史があるこの街でも有数の教会だと、ここの管理職の男は胸を張って言う。

 

 

「よお、悪友。急に来て何の取り調べかと肝が冷えたぞ」

 

 見た目からしてガサツな奴が、長閑な空気をぶち壊す豪快な声を出して執務室の奥から顔を出す。恰幅のいい身体に神父の正装はとても似合っていない。だけど昔からこの男の底抜けに明るい性格と笑顔はまあ適役なのかもしれない。

 

 

「君まで心外だな。君の余罪が公になったところで僕の知ったことじゃない」

 

「ハハハッ。悪かったよ。そう気を悪くするな。うちのマリアがお前に世話になったそうだな。お前がその場に居合わせてくれて助かった」

 

 この神父の男とは古い付き合いだ。言うなれば腐れ縁。昔は格闘家を目指していたこの男が、まさか歴史あるカトリック教会の神父だなんて、神の悪戯は笑えない。


 マリア。エメラルドの瞳の彼女のことだ。キリストを産んだ聖母の名か。

 その名前は少し図々しいのではと思ったが、特に口に出すことはしなかった。子供達の相手に忙しい彼女の姿を目で追った。

 彼の教会のシスターということなら、彼の厚かましい面に免じて子供達の窃盗容疑も今回は目を瞑ることにした。この教会で保護するなら彼らも同じ悪さはしないだろう。

 


「怪我の具合は大丈夫そうだね」


「ああ。この通りピンピンしてるぞ。まったく問題ない」


「講堂の清掃中にうっかり十字架から落ちて腕を折ったなんて、キリストも失笑していることだろうね」

 

「お前という奴は……だが俺の不注意なんぞより、お前の方が心配だ。警察のお偉いさんというのは、お前には荷が重そうだな」

 

 僕の顔色を見て、彼はそんなことを言った。

 荷が重いと言えばそうかもしれない。今の立場は決して楽なものじゃない。ここ最近は案件が立て込んでいて寝ている暇もなかった。

 

 

「この辺りでも最近よく聞くようになったな。魔女の襲撃事件。もしかしてお前が捜査しているのか?」

 

 少し前から英国中で騒がれている魔女による襲撃事件。襲われた民間人の中には、何人かの死傷者が出ている。

 100年前までは欧州全域で魔女の仕業による被害が絶えなかった。魔女と疑われた者の魔女裁判は日常的に執り行われていた。だが19世紀に入ると、ぱたりと魔女の噂は聞かなくなった。そしていつしか魔女による一連の事件は、歴史の一部の出来事として社会に風化された。

 

 

「まあね。この街でも魔女の目撃情報や被害は耳にするけど、幸い大事にはなっていない。奴らがまた地上に降りてきた理由はわかっていないけど、君のところでも警戒しておいた方がいい」

 

「なんだそんなことか。心配いらんぞ。うちの教会はかつての魔女裁判で数多くの魔女を拷問にかけた奴らには因縁の場所だ。並の魔女は忌み嫌って近づけんだろう」

 

 彼が言う通り、この場所は過去に大きな魔女裁判の処刑台として度々使用されてきた。魔女裁判が衰退した今では高い丘にある立地の悪さから、市内の中心で大聖堂を構える国教会に信者を奪われつつあるが。

 これまでの魔女裁判の記録を振り返っても、彼女達は教会と名のつく場所での暴動は避けてきているように思う。それほどに教会は、魔女には近づきがたい聖域……なのだろうか。


 

 

 100年前まで魔女が人間を襲った一連の事件の背景は、未だ解明されていない。

 彼女達は何故長い歴史の中で人間を虐殺してきたのか、そしてそれを達成する前に身を引いたのか。すべての真相解明に向けて捜査は水面下で動いている。

 

 

 

「ここには色んな迷いを抱える人々が、答えを求めてやって来る。ここはそんな人々の居場所でなければならない。魔女なんぞに奪われてなるものか」

 

 

 負けん気の強い奴の目が、その決意とともに輝いていた。この古ぼけた教会には、彼が守るべきものがたくさんある。

 教会の庭の脇で一羽の蝶を追いかける彼女達を見ていると、それを思い知らされる。彼女は白い頬を子供のように膨らませて笑っている。

 

 

 

「マリアはここに来てまだ日が浅い。それに自分のこともよくわからないようでな」

 

「何それ。自分自身のことがわからないと?」

 

「ああ。自分の名前も生まれも、出会った頃は何ひとつ憶えていなくてな。アルフレド、お前に唐突にこんな話をした意味が何だかわかるか?」

 

 やけに気前のいい顔で、そいつの鼻息が近くなるほど距離を縮めてくる。むさい男の鼻息なんかやめてほしい。

 

 

「うちの可愛いマリアを是非とも支えてやってほしい」

 

「それは神父の君の役目だろ」

 

「もちろん俺も彼女の支えになる。だが支えは多い方がいいだろう。スコットランドヤード随一の警察官であるお前なら、十分それに値する」

 

 勝手に決めないでくれ。唐突に言われても意味がわからないだろう。ほぼ初対面の相手に、どうして僕が力になる必要があるんだ。

 

 

「全く君は……一体何様のつもりだい?」

 

「神父様だ。文句あるのか?」

 

「チッ。この場で君を十字架に括りつけてやりたいよ」

 

 

 

 小窓を挟んだ庭からこちらの様子を窺う彼女は、僕達の会話の内容なんて聞こえていないんだろう。

 腐れ縁に巻き込まれてうんざりする僕に薄らと微笑みかける彼女のことは、憎たらしくて、不覚にもその笑顔が愛らしいと思った。

 

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