第12話

またあの音だ。

 その音は一定のリズムを刻んでいるものの、時々錆びているのか音が途切れる。

 前嶋が机の下でカッターナイフを鳴らしている。


 あの時に刻まれた恐怖はこの音を聞く度に鳥肌が止まらない。



「⋯⋯なんの音?」



 前嶋のカッターナイフを鳴らす音に鷺ノ宮が気づいたのだ。

 その言葉に前嶋はすかさずカッターナイフの刃を戻し、ポケットにしまった。

 流石に鷺ノ宮の前では本性は出せないだろう。



 綾宮はなんとか鷺ノ宮の一言に助けられたが、前嶋の苛立ちは治まっていないようだ。その証拠に激しい貧乏揺すりをしている。

 机がミシミシと音を立てている。




「じゃあこの用紙にこの味の評価をポイントでつけてほしんだけど!」




 まじで何の部活だよこれと綾宮は思いながらしぶしぶ用紙に丸をつけようとした時に前嶋がシャーペンをユウスケに向けて言った。



「ユウスケ先輩! 綾宮先輩が先輩の耳に直接感想言いたいそうですよぉ?」



「はぁ!?」



 前嶋のとんでもない発言に綾宮は立ち上がってしまった。

 一文字も言葉を発していないのに何を言っているのかこの子はと。

 誰もそんな事を言うわけない。用紙だってあるのに不必要な行為である。

 そう思っていた綾宮は考えていると、あることに気づいた。



「この女⋯⋯」



 わざわざユウスケの耳元で言わせるという謎行為。

 その企みの計画はいかにもあからさまだ。

 前嶋は私にユウスケに告白させたい。

 そしてこのグミの味の評価を耳元で言う。

 つまり簡単。

 前嶋は私に好・き・とユウスケに言わせたいのだ。確実に。


 この状況で私にグミの文句を言える勇気がない。ということは好評価しか言葉にすることはできない。

 なんとも鬼畜な要望なのか。

 綾宮は怒る気持ちを抑えて咳払いをした。



「あ、あらぁー。残念だったわねぇー。私、今風邪気味なのぉー。だからうつしちゃったら悪いから耳元で言えないわぁー。申し訳ないわー」



「えぇ? 別に綾宮さんが耳元で言いたいなら良いのにー」



「えっ」



 それは残念だーって普通は言っておしまいのはずだったのだが、まさかユウスケがそんな返しをしてくるとは想定外だった。

 完璧な回避をしたと思ったが、運悪く振り出しに戻ってしまった。


 その時、隣で見つめていた鷺ノ宮が何か言いたげな表情でモジモジしていた。



「⋯⋯鷺ノ宮さん? どうかされたの?」



「へぇ!? いや、あの、えと⋯⋯。あの⋯⋯」



 挙動不審になりながら鷺ノ宮の右手が机の下からゆっくりと上昇してくるのが確認できた。

 その手が止まると鷺ノ宮は少し顔を赤くしながら言った。



「わ、私、ユウスケ君の耳元で言いたいっ!」



「えっ!!??」



 三人同時に口から出た。

 何故か今日の鷺ノ宮は非常に積極的である。

 そのおかげで綾宮が耳元で言うことは無くなった。と思っていたのだったが。



「じゃあ鷺ノ宮先輩が終わったらもちろん綾宮先輩もやりますよね?」



 この女。とこまで私を追い詰めてくるのだろうか。

 何故? その流れで何故私が耳元で言わなければならないのか。

 確かに完全に断る事ができない状況下ではある。

 しかし、このままでは前嶋の手の上で踊らされているだけになる。それだけは避けたい。



「⋯⋯あ、あらぁー。じゃあ私がやったら前嶋さんもやるのかしら?」



「⋯⋯」



 前嶋が沈黙した。

 これは意外とチャンスではないのか?

 ここでやらない、なんて言ったからには私にも逆転のチャンスが巡ってくる。

 やるならやるで前嶋にとっては屈辱であろう。




「じゃあこうしませんか? 誰が一番ユウスケ先輩をトキメかせるようなお菓子の評価を耳元で言えるか⋯⋯」



「!?」



 また鷺ノ宮がとんでもないことを言い始めた。

 もはや主旨が変わっているが、これこそ絶好のチャンスだ。

 恋愛経験豊富であるこの私にとって相手をトキメかせるなんて容易い御用。そして恋愛経験一切無さそうな前嶋にとっては不利かつ屈辱のデスゲーム。

 鷺ノ宮が何故か作り出したこのチャンスをうまく利用してこの束縛から脱出せねばならない。



「⋯⋯いいですね。やりましょう」



「あら前嶋さん。意外にもやるのね。てっきり逃げちゃうのかと思ったわ」



「⋯⋯」



 前嶋の表情が一変し、悔しそうな表情になった。

 これは意外と煽り効果もあったか?

 綾宮の表情も先程とは一変し、勝ち誇ったような表情になった。



「まじか、鷺ノ宮さんがすげぇ企画立てちったけど。みんなが良いならやるか!」



 そう言いながらユウスケは立ち上がり、パイプ椅子を少し移動させてもう一度座った。



「じゃあ目瞑ってるから誰からでもいいから一人ずつ耳元で評価よろしくお願いしまーす」



 この男も凄いやる気だと思いつつ、綾宮は目を瞑り、深呼吸をして笑った。

 これに関しては自信満々だが、ひとつ心配なのは前嶋である。

 まず男をトキメかせられるのか?

 謎の心配が何故か綾宮の心の中を巡っている。

 ここまで煽られ脅され続けたことを倍返しにしてやる、と綾宮は心に決めた。


 そして、一番に立ち上がったのは鷺ノ宮だった。

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