第3話
静寂に包まれた狭い教室に不穏な空気が漂う。
この教室でただ一人、この状況に耐えられない者がいる。
「⋯⋯木原」
「なんだよ」
女子三人には聴こえないような小さな声でユウスケが言う。
しかし、狭すぎた教室のせいで綾宮の耳には会話が届いていた。
「遊助くん、そろそろ部活の内容を説明して欲しいのだけれど」
腕を組み、脚を大胆に広げて貧乏揺すりをする綾宮。流石の学年一美少女も今ばかりはもはや別人の顔になっている。
しかし鷺ノ宮の謎で頭がいっぱいの木原は苛立つ綾宮さえも遮るように口を開いた。
「⋯⋯早く言えよ。何言おうとしたんだよユウスケ」
「⋯⋯木原。お前ってもしかして」
オレンジジュースの入った紙コップを回転させながらグイッと飲み干して舌舐めずりをした。
「ハーレム系嫌いだった?」
不穏な空気がさらに不穏な空気になったのは言うまでもない。
謎の間を空けて何を言い出すかと思えば。
みろ、綾宮の顔がさらに険しくなっている。さらに鷺ノ宮は目を細めている。
木原は知っていた。突然友達が目を細めた時、それをゴミを見る目と呼ぶのだと。
木原はすぐさま鷺ノ宮から一番遠い椅子に座った。
「えっと、突然で悪いんだけど君、誰?」
衝撃の発言がユウスケから飛び出すと同時に、その指は鷺ノ宮の方向を向いていた。
一斉に全員の視線が鷺ノ宮に集中する。
「え? 何? わ、私?」
お前以外誰がいるんだ。綾宮は口に出さず心に留めた。
「は? ユウスケ、お前が入部させたんじゃないの?」
「いや、マジでごめん。知らんわ」
ユウスケは目を点にしながら頭をかく。
では何故に鷺ノ宮がこんな意味不明な部活にいるのか?
まず謎なのは俺がいるのに鷺ノ宮が妙に落ち着いた表情を見せていることである。
昨日廊下ですれ違った時、木原を軽蔑しているような様子を見せた鷺ノ宮。それなのに様子がおかしいのだ。
「とりあえず名前教えてくれない?」
さっき俺が鷺ノ宮って言っただろ、と突っ込みたかったが、ここはとりあえず抑えた。
「────えっと」
少しの間と共に、鷺ノ宮は大きく口を開いた。
「私の名前は鷺ノ宮 涼と申します。この度、この部活に興味を抱き、入部することを決意致しました次第です。どうぞこれからよろしくお願い致します」
誰だ? と、口にしたくなる様な変わりに変わったキャラ。昔の鷺ノ宮でもなく、今の鷺ノ宮でもない。
謎にいい姿勢で、謎に敬語。こいつ、頭のネジでも外れたのか?
鷺ノ宮は今まで見たことも無いような大人な笑顔で挨拶してみせた。
「鷺ノ宮さん! なるほど、それは大歓迎だよ! よろしくお願いします!」
俺と綾宮の丁度中間ぐらいのところで、ユウスケと鷺ノ宮は握手を交わした。
不穏な空気が一気に塗り変わった、が────
「ん?」
木原は見てはいけないものを見てしまったのだ。他の誰でもなく、木原自身が。
確かに握手を交わすことは当然どんな時でも有り得ることであるが、これはおかしい。
突如、木原は一昨日に見た、とある漫画を思い出した。
その漫画は恋愛モノで、よくある主人公と幼馴染が恋に落ちる、といった物語である。
主人公は幼馴染のことが一方的に好きで、いつも幼馴染の背中を追っていた。
そこまでは許せる片想い系幼馴染ラブコメである。
翌日、主人公はとんでもないものを見たのである。
幼馴染が消しゴムを落としてしまった時に、席が隣の主人公の親友がそれを拾ったのである。その時、同時に拾おうとしたのか、手が触れ合ったのである。
これが好きな人でなければ普通にありがとうで済む話なのだが、違ったのである────
鷺ノ宮の顔が、紅い。
え? と声に出したいが、出ない。今までに経験したことの無いようなこの感情。なんて呼べばいいのだろう。
ユウスケと握手しただけで顔が紅いだと? 熱でもある? 元々体温が上昇しちゃう系女子? ────違う。
「ちょっと、私の話聞いてるの? イチャイチャしてないで早く説明しなさいよ」
木原の思考が完結する前に、空気を読めないくそ綾宮がついに口にしてしまった。
「いやぁぁ、部員が増えるのはいい事だわ。入部してくれてどうもありがとうな、鷺ノ宮」
と、ユウスケは鷺ノ宮の肩を二回ほどポンポンと叩いた。
すると、鷺ノ宮の顔は紅色を超えてついに赤色になった。
「⋯⋯えと、はい。ありがとうございます」
これを俗に言う確信犯というやつだろう。
もうお分かりだろう。
握手しただけで顔が紅くなる、そして優しい言葉をかけられ、肩を叩かれてさらに顔が赤くなる。これで気づかないはずがない。
「⋯⋯鷺ノ宮はユウスケのことが好き?」
苛立ちが止まらない、綾宮。
顔の赤さが一向に戻らない、鷺ノ宮。
スマホみながらお菓子を食べる、前嶋。
ついに発覚してしまった衝撃の事実。
木原は腰を抜かし、古びたソファーの上に座り込むことしか出来なかった。
将来結婚することを誓った鷺ノ宮との久しぶり過ぎる再会。しかし、それは鷺ノ宮の冷たい対応で終わった。⋯⋯そこでもう確定していた。木原はもう眼中にないのだと。木原が一方的に鷺ノ宮のことが好きなだけであったということ。
「よし、これから新入部員二人を加えて、新たな菓子部のスタートだ!!」
ユウスケの言葉と共に俺の意識が戻った。しかし、意識は戻ってきたが、謎の感情がまだ消え切れていないのがわかる。
そんな木原の元に、鷺ノ宮自らが近づいて、耳元に口を近づけて囁いた。
「実は私がこの部活に入ったのはね、ユウスケ君のことが好きだからなの」
言わなくても見ればわかる、と言わんばかりに木原は無言で苦笑いをした。
二人の会話はそれだけで終了し、鷺ノ宮はスキップでユウスケの元へと戻って行った。
「⋯⋯まじかよ」
初恋相手が親友のことを好き、というまさかの漫画と同じ結末。
木原の頬を一粒の涙が伝った。
────だが、俺は知らなかった。
綾宮、鷺ノ宮の二人が入部したことが、俺を巻き込むあんな悲劇を招くことになるなんて。
これは人間不信の高校二年生木原と女たちによる恋を描いた青春恋愛ラブコメディ。
ただのラブコメディではない。と、だけ読者さんたちに伝えておきます。
この日より、木原の物語が始まった。
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