第9話 彼の全力と私の全力
「でも、ほんとに何で? 何でいきなりワンピース? 誕生日でもないんだけど」
「うん、知ってる。ていうか、マリーさん誕生日いつ?」
「このタイミングでそれ聞く? 夏だよ、夏」
「よりによって夏だったかー」
「だから何なのよ。ていうか、いつの間に採寸したのよ、こっわ!」
「してないよ」
「してないのに作れるの?」
「こういうやつならね。それにマリーさん、体型は完全に日本人女性の平均だってこないだ言ってたじゃないか」
「言ったっけ……? 覚えてないけど」
「言ったの。聞いたもん。全体的にゆったりめのデザインだし、ウエストもゴムだからたぶん着られると思う。もしかしたら肩がちょっと合わないかもだけど、それは直せるから」
「成る程ねぇ。上手いもんだわ。……じゃなくてさ!」
だからね、何でいきなりこんなもの作るのよ、って話なのである。
確かにちょっと可愛いけどね? 季節も季節だし、首元の詰まった服ばっかり来てるから、たまにはこういうのも着たいけども。
「何?」
「何、じゃなくてさ。何でいきなりこんなもの作ったの?」
「えっと、それは……」
もしかしてあれかな、『とにかくワンピースが作りたい期』にでも入ったのかな。ものつくりをする人間って、『とにかく●●が作りたい期』というのがあったりするのだ。かくいう私も3年前、和モダンにハマりまくってて、そういうデザインばっかりしていたものだ。この店に最初に足を踏み入れたのもそのせいだと思う。ハンドメイド好きの友人も「ヤバいくらいハマった」とか言って一日中がま口ポーチを作っていたっけ。
だったら仕方ないか。でも悪いから、私に作るのはこれきりにしてくれないかな、と思っていた時だ。
両手で湯飲みを持っていた然太郎が、その温かな手で私の両手を包んだ。
「マリーさんのことが好きだから」
メガネの奥の青い瞳が私をとらえる。いつになく真剣な表情だ。それは友人としての『好き』なんじゃないか、という考えもよぎったが、たぶん違うんだろう。まさか、とはまだ思っていたけど。だって、然太郎はイケメンだし、私はこの通りの地味女だ。
「マジで?」
「マジで」
「何で」
「何で、って言われても」
「然太郎、そういうの全然だったじゃん」
「全然って何」
「恋愛とか全然だって言ってたじゃん」
「全然だったけど」
「そういうの枯れてると思ってた。それかスーパー草食系か」
「枯れてるとか草食系とかわかんないけど、僕だって、本当に好きになったら全力を出すよ」
「全力って……このワンピースのこと?」
さすが裁縫男子、全力のベクトルが違う。
悪い気はしない。それは間違いない。私だって然太郎のことは好きだ。ただ、まだ私は恋愛の方に舵をきれていないだけで。あと、本当に私で良いんだろうかとか、釣り合わないなとか、そういうのがひたすら心配なだけで。それに年上だし。あのね、私もう30なんですけど。
「ワンピースだけじゃない」
と、然太郎は低い声で言うと、ぱっとその手を放して、今度は私の身体を抱き寄せた。シャツ越しに伝わる体温が熱い。
「然太郎、暑いよ。熱あるんじゃない?」
「平熱が高いんだ、僕」
「そうなんだ」
「ちょっと、いま良いところなんだから、変なこと言わないで」
「良いところって何よ」
「いま全力を出してるところだから」
「ああ、そっか。ごめん。ええと、どうぞ」
「もう、調子狂うなぁ」
「ごめんって。私もこういうの慣れてないから恥ずかしいんだよね」
「慣れてないの?」
「慣れてないっていうか……ごめん、ちょっと見栄張った。初めて、男の人にこういうことされるの」
「えっ、そうなの?」
畜生、悪かったな、モテない女で。
でもアレよ? うんと小さい頃に父親にこうしてもらったことはあるからね? うん、そういう意味では別に『初めて』というわけではないけどね? うん。馬鹿か私は。それをカウントしてどうする。余計みじめになるだけだっつうの。
「あのさ、そういうわけだから、そういう何もかも『初めて』の私はあんまりお勧めしないなぁ。然太郎、まだ若いんだし、何もわざわざこんな――」
「良かった」
「は? ぐえ。ちょ、苦しい」
途端に然太郎の腕に力がこもる。お前普段ミシンしかいじってないって嘘だな? 何この腕、超硬いんですけど。絶対鍛えてるだろ。それとも何、そのミシン100kgくらいあるの?
「マリーさんはまっさらな雪原だ」
「は? 何、いきなり」
「もしマリーさんがまっさらな雪原だったら、そこに足跡をつけるのは僕だ」
「何それ、誰かの言葉?」
「僕の言葉。誰にも足跡なんかつけさせるもんか。マリーさんは僕のだ」
「然太郎ってたまに詩人みたいなこと言うよね。まぁ、良いけどさ」
でもさ、然太郎よ。ひとつ大事なことを忘れちゃいないかね。
「あのさ、私まだイエスともノーとも言ってないんだけど」
「あっ!」
やっと気付いたか。
「……まぁ、嫌じゃないけど」
「本当?」
「嫌だったら、どんな手を使ってでもここから抜け出してる」
「そ、そっか」
「そんで熱々のお茶をぶっかけてる」
「ひええ、本当? 危なかったぁ……」
「嘘だよ」
「な、なぁんだ」
そうやってわたわたしている然太郎を見るのはちょっと面白かったりする。
とにもかくにも彼は全力を出した。じゃあ、次は私の番なんじゃないか。そう思わなくもない。
だから。
「私も然太郎のこと、好きだと思う」
「『思う』なの?」
「こういうの、慣れてないんだって。私のいまの全力はこれくらいなの」
「そっか。ありがとう」
イケメンの癖に全力ベクトルが何かおかしい然太郎と、そもそもの全力がへっぽこな私。まぁ、焦らずに恋人らしくなっていけば良いんじゃなかろうか。とりあえずはまた来週、とっておきの和菓子を持って会いに来よう。
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