第3話 彼との出会い
おばあちゃんが昔着ていたというワンピースをもらった。昔はいまみたいに安い服が簡単に手に入るなんてこともなかったので、それなりに良いものらしい。それなりに良いもの、というのはつまり当時は高価だったということで、おばあちゃんはそれはそれは大切に着ていたのだという。道理でまだまだ現役なわけだ。
友人の影響で『終活』を意識し始めたおばあちゃんが、昔の服を整理しているという話を聞きつけ、ギリギリ滑り込みセーフで手に入れた逸品である。
ただ、ひとつ気に入らないのがボタンだった。いや、悪くはないのだ。そのボタンも含めてのワンピースではあった。だけれども、私が着るには地味すぎる。顔だけでも既にかなり地味なのに、さらにワンピースまで地味だったら最悪だ。存在感0になるかもしれない。いや、むしろマイナスかも。
どうしようどうしようと思って寝かせていた時のことだ。
当時勤めていた事務所が閉鎖することになった。所長がかなりの高齢で、続けられなくなったのである。いや、事務所っていってもあれね、モデル事務所とかそういうのじゃなくて。建築事務所。私、一応インテリアデザイナーなの。横文字の仕事、恰好良いでしょ。
で、その所長が紹介してくれたのが、そのお弟子さんのやってるいまの事務所だった。ネックなのは場所かな。まさか岩手の盛岡だとは思わなくて、親元を離れて初めての独り暮らし。
しばらくは引っ越しのバタバタでワンピースのことなんてすっかり忘れてて、最後に開けた段ボールから、それは出てきたのだった。どんよりとした空が広がる梅雨の6月。眩しいくらいに鮮やかな青いワンピースに袖を通すと、ちょっとだけ陰鬱な気持ちも晴れた気がして、散歩がてら手芸店を探してみようかと家を出た。
一応然太郎には、手芸店だとわかってて入ったことにしているけど、本当のところは店名も何も見ていなくて、ただ外観が好みだったから何も考えずに足を踏み入れた。というのが正解だ。何ならその日は定休日だったらしい。何で開いてるのよ。
美しい白壁に瓦屋根のその外観は、元は老舗のお茶屋さんとか甘味処だったんじゃないのかと思わせるような落ち着いた印象で、引き戸や窓枠は黒檀を使用しており、そのコントラストがまた美しかった。
引き寄せられるようにその戸を開くと、中にいたのはどこからどう見ても『異国の男』。作り物ではなさそうな明るい色の髪をした大柄な男が、ずいぶん小さく見えるミシンをカタカタしていたのである。そこでやっと店内の商品が目に入ったというわけだ。甘味処ならあんみつでも注文するところだったが、手芸店ということであれば、もうここでボタンを買うしかないだろう。
日本語通じるだろうかと思いつつ、びくびくしながらボタンを出してもらったのが然太郎との最初のやりとりだ。
思った以上に日本語が上手なイケメンだったなとホクホクして帰宅し、とりあえずボタンを付け替えてみると、これがなかなか良い。あの店員さん、ボタンをブローチに例えていたけど、なんかわかる気がする。ぐっと華やかになった。
しかし問題は、せっかくの美しいボタンだというのに、私のボタンつけスキルが壊滅的だということである。何だかおかしなシワが寄ってしまい、みっともない。
で、お金を払ってでも良いからつけてもらえないだろうかと思ってワンピースを持ち込んだのがその一週間後のことだった。その時、木曜が定休日だということを知った。でも例のイケメン店員は中にいて、どうしようかなと中を覗き込んでいると目が合い、どうぞ、と手招きされたのである。
で、そのボタンつけだが、彼はそれを快く承諾してくれた。その上、料金も必要ないという。もし良ければ、なんて言って、お茶まで出してくれたのだ。
「ティーバッグので申し訳ないですけど」
何が申し訳ないのかわからないが、出てきたのは緑茶だった。正直、その見た目で!? とは思ったけど。
それから、彼がボタンを縫い付けてくれている間、ぽつぽつと自己紹介めいたことをした。
彼が生まれも育ちも日本だということと、英語がまったくしゃべれないことはその時に知った。私の名前がマリーであることもその時に教えた。それから意外だったのは、彼がまだ23歳で私よりも4つも下だということだった。
「てっきりもう30くらいだとばかり……」
「よく言われるんですよねぇ。でも僕もマリーさんはもっと若いと思ってました」
まぁ、若いと言われれば悪い気はしないもので。
「はい、出来ましたよ。どうですか?」
「わぁ、さすがプロですね。シワがない!」
見た目の美しさもそうだけど、何より速い。私なんてこのボタン3つつけるのに30分以上かかったのに。10分もかかってない。畜生。ていうか、恥ずかしい。
お代はいらないと言われたけど、さすがに何もしないのは、と思い、せめて何か買って行こうかと店内を見回す。けれども、私は手芸なんてほとんどやらないのだ。少しでもかじっていたらボタンくらいささっとつけてるわけだし。
と、椅子に座ったままきょろきょろしている時だった。彼は「そうだ」と言って、両手を軽くパンと鳴らした。
「せっかくだし、着てみませんか?」
「……はい?」
「そのワンピースですよ。試着室とかはさすがにないので、バックヤード……って呼べるほどの大層なところではないんですけど、僕、覗いたりしませんから」
「へ? はぁ……、いや、でも……」
「何も買わなくて良いですから。それを着てるところを見せてください。それがお礼、ということで」
そう言われたら、着るしかない。
それにまぁ、素敵に生まれ変わったワンピースを早く着たい、というのは私も考えていたことだったし。
そうだ、この時私は、「この店員さん、ぐいぐい来るな」と正直引いていた。心は日本人でもやっぱり欧米人の血ってやつなのかな、と。
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