第4話 彼女との出会い

「先日のボタン、つけてもらえませんでしょうか。あの、お金は払いますので」


 真っ赤な顔をした彼女が再びやって来たのは、そのボタンを買っていった1週間後のことだった。窓からちらちらと店の中を覗き込んでいる不審者がいると思ったら、それが彼女だったのだ。耳まで真っ赤にして、紙袋を差し出してくるもんだから、何だ何だ愛の告白か? とどきりとしてしまったものである。


 僕は、昔からモテる。

 それがこの見た目のせいであるらしいことはかなり早いうちからわかっていた。だけど、例えばこの見た目の割に英語が話せないとか、身体が大きい癖に小心者であるとか、そういう部分ですぐに振られてしまうのがオチだったけど。


「欧米人ってもっと積極的だと思ってた」


 初めて出来た彼女は、そう言って僕に平手を食らわして去っていった。何か、会う度にハグとかキスとかそういうのをしてほしかったらしく、無理やり僕に抱きついてきたり唇を奪おうとしてきたので抵抗したらそうなった。


 あのね、僕、欧米人じゃないんだ。


 そう言ってもまったく信じてもらえなかった。ハーイ、ハニー、アイラビュー、って言って、人前でも憚らずにイチャついたりしたかったのだという。見せびらかしたかったのに、何のためにあんたと付き合ってると思ってるのよ、なんて罵られた。


 そしてこの『初彼女』のお陰で――というのか、さらにもっと大きな爆弾がすぐ近くに、ほんと至近距離に潜んでいたことが発覚した。


 当時、僕の家の隣には年の近い女の子が住んでいた。といっても3つか4つは上だったけど。里香ちゃんという名前で、好きでもない女子にしつこく誘われたり、それをやっかんだクラスの男子にからかわれてたりすると、ヒーローみたいにすっ飛んで来て助けてくれた。僕のことをぜんちゃんと呼んですごく可愛がってくれたし、家族同士も仲が良かった。クラスの女子はちょっとでも仲が良くなるとすぐに好きだとか付き合おうとかそういう話になるけど、里香ちゃんだけはそんなこともなかったので、僕は本当のお姉さんみたいに思って彼女のことをとても慕っていた。


 のだが。


 僕に初めての彼女が出来た時、里香ちゃんは発狂した。いや、もう本当に『発狂した』としか言い表せない状態だった。毎晩のようにウチのドアを叩いて叫ぶのである。


「嘘つき!」

「然ちゃんは騙されてる!」

「幼馴染みっていうのは、くっつくって決まってるのよ!」

「ねぇ、私だけは特別だったでしょう?」

「あんな厚化粧のビッチのどこが良いのよ!」

「然ちゃんみたいなイケメンは、あんな見た目だけの女に騙されちゃ駄目! お化粧も薄くて素朴だけど純情な心を持っている私みたいな女性と一緒になるべきなのよ!」

「嘘つき、嘘つき、嘘つき!」

 

 そんな日々が2週間ほど続いただろうか。

 お隣さんは挨拶もなしにひっそりと越していった。しばらくは僕も家族もご近所にひそひそされていたけど、それも数ヶ月でおさまった。


 やっと静かな生活を送れると思っていたところへ、その『平手事件』が起こったわけである。そんなわけで僕はなかなかにヘヴィな恋愛をしてきた。――いや、実際のところ、僕自身は本当の恋愛なんてしていないんだけど、なんかもうこりごりなのだ。


 僕はもうこのままひとりでおじいちゃんになるんだ。

 

 そう決意したら、ふっと気が軽くなって、もうやりたいことだけして生きてやろうと思った。その結果がこのお店だ。


 女の子と仲良くなるのは怖かったし、気付けば男の子も皆、僕のことを避けるようになっていて、僕は独りぼっちだった。スポーツは個人競技でも相手がいると思ったらやる気になれず、ひたすら静かに本を読んだり、母親に刺繍を習ったりして黙々と過ごすようになった。それで裁縫に興味を持った。

 洋裁の専門学校を出たら、アルバイトをしてお金を貯めて、小さな手芸店を開こう。静かな音楽をかけて、日がな一日小物を作ったりして過ごすのだ。慣れてきたら、そこで手芸教室を開いても良い。お裁縫が苦手なお母さんのために入学用品の注文を受けても良い。そんなことを考えて。


 そうやって、ひとりでおじいちゃんになるんだ。


 

 静かでちょっと寂しいけど、そんな『ちょうど良い』生活を送っていた時に飛び込んできたのが、あの『青』だった。あんなに静かな色なのに、なぜか僕の心をかき乱していったのだ。たまたま梅雨時で陰鬱な気分になりすぎていたのだろう。それを、彼女の『青』が洗い流してくれたのかもしれない。


 少しでも彼女を知りたくて、どうにか長居してくれないかと策を練った。といってもお茶を出すくらいなんだけど。

 さて、お茶を淹れようとして、ウチにはティーバッグしかないことを思い出した。ああ、なんて気が利かない僕なんだろう。


 そして、ボタンつけなんてものはあっという間に終わってしまうものである。わざとゆっくりやっても良かったんだけど、そうすると「手芸屋の店員の癖に手際が悪い」と思われてしまう。それは駄目だ。


 そして僕は苦肉の策に出た。


「せっかくだし、着てみませんか?」


 彼女がこのボタンつけのお礼に、何かを購入してくれようとしているのは何となく気が付いていた。だから、そのお礼として、と言えばきっと彼女は断れないだろう。そんなあくどいことを考えていたのだ、その時の僕は。


 

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