12章 魚座
眩しい……朝か。
今日は休みの日だ。この日を迎えるのに、随分時間がかかってしまった。
相変わらず空は真っ白だ。真っ白な雲が空を染めている。
そして、僕もいつもの喫茶店のテラス席にいる。ちょうど机に伏せていたようだ。昼寝でもしていた、そんな感じだ。
僕は席を立ち歩き出す。
街を歩いている。いや、森の中か? 僕がそう思えば、街の景色は一瞬で、森に変わる。
森の中の道を歩くと、拓けた場所にでる。そして、そこには古い洋館があるはずだ。僕がそう思えば、間違いなくそこにある。
道を進み、森から拓けた場所に出た僕の前に、見覚えのある古い洋館が待っていた。ほらね。
迷わずその館に入り、そこに住んでいたかのように進み、ある場所を目指す。
そう屋根裏部屋だ。その部屋の窓際に何度も探した姿がある。そう、彼女の姿だ。
「ごめんね。今まで気がつかなくて。随分永い間、待たせてしまったかな?」
「いえ、一瞬でしたよ。この世界では。永い時の中を待っていたのは、肯定さんではないでしょうか?」
「そうだね。もう10年以上経ってしまったかな……ちょっと永かったかな」
そういい、彼女の元へ向かう。一緒にあの時と同じ美しい景色を見る。
「君を忘れない、と誓い。夢のことは忘れずにいたけど、まさかガクちゃんがあの幽霊だったとは」
その後、彼女を見ると、美しい大人の女性の姿から幼い少女の姿に変わっている。あの時の少女だ。
姿は大きく変わったが、変わらない面影もある。
それは、白と黒の中間色の長く美しい髪。前髪は切り揃えられている。そして、穏やか過ぎるほど、穏やかな目元。
僕が大人の彼女を想像すれば、一瞬でその姿に変わる。
「いや……正しくは、僕が幽霊だったのかもしれない。あの時、消えたのはガクちゃんじゃなくて、僕」
僕は彼女にこの世界について、自分の考えを述べた。
ここは無限の世界だ。
有限の時間など存在せず、全ての現象は『永遠と同時に一瞬』に行われる世界。
彼女は無限の世界の住人で、僕は有限の世界の住人。
だけど僕は、この世界を自分が住む世界だと勘違いしてしまったため、彼女を驚かせてしまった。
まず、一つ目だ。僕はここでも有限の世界と同じ振る舞いをしていた。
朝起き身支度をしてから、外に出たつもりだった。
そして、街の喫茶店で偶然ガクちゃんを見つけた、と思っていた。少なくとも僕にはそう見えた。
だけど、それらの行いは、彼女にはこう見えていたはずだ。
当然、僕が現れ、自分の元へやってくる。
そこで興味深い話をして「また次の機会にね」といい、席を立ち背中を向ける。
だが次の瞬間、僕はまた振り返り「おはよう」と何食わぬ顔で話しかけてくる。
実に不可解な人物だ。それをずっと繰り返し続ける。そんな僕を不思議に思うのは当然だ。
有限の世界では、僕が目覚めてから、喫茶店にいる彼女と出会う。そのために必要な時間が1時間だったとしよう。
でも、無限の世界では全て『永遠と同時に一瞬』の出来事なんだ。
変わらずにそこにあり続け、変化する時は一瞬なのだ。
そして、二つ目。夜についてだ。
僕が暗くなったと感じたのは、空じゃない。僕の視界だけが暗くなっていたんだ。
ガクちゃん達は、ずっと変わらない明るい真っ白な空の下にいたはずだ。
それなのに、その空を「暗い夜だ」と言い張る僕の姿は、どう考えても不可思議過ぎるだろう。
睡眠についても同じだ。全てが『永遠と同時に一瞬』の世界では、睡眠について語るのは不可解だ。
なぜなら、有限の時間が存在しないから、それを計る秤もない。だから、睡眠などの生活サイクルは必要ない。
三つ目は夢だ。
彼女は夢を知らないようだった。それはそうだろう。この世界が有限の世界の夢なのだから。
有限の世界の住人である僕は、この夢から覚めるために、この世界で眠りに落ちたのだ。
その光景は、実に興味深いだろう。一瞬、倒れたと思うと、直ぐに何食わぬ顔で「やあ、元気かい?」と訊ねる感じなのだから。
ここは有限の世界の住人から見れば、夢の中の世界。だけど、無限の世界の住人にとっては、当たり前の世界。
突然、当たり前が通じない世界の住人が訪問し、そこを自分の家だと思って振舞うから、もの凄く困惑したことだろう。そう彼女に自分の考えを説明した。
「随分、不思議な人だと思ったでしょう? 困らせて申し訳ないね」
「いえいえ、凄く楽しかったですよ! 『また次の機会に』といい。一瞬消えて、直ぐに現れるのには、驚きましたが」
「その光景はたしかに驚くよね。これじゃ、まるで僕が幽霊だよ」
二人でその光景を思い出し、笑ってしまう。
その後、僕は訊ねたいことがあり、それを訊ねる。
「僕が眠れない時にする習慣の時に、質問する声の主って、ガクちゃんだよね?」
あの習慣の中で、「その宇宙という空間も消えたら、どうなるの?」と訊き、そこからは怒涛の質問攻めをする声の主だ。
「そうです。私、知らないことがあると、ついつい訊ねてしまうんです」
そうだと思った。だからこの世界は、いつまでも真っ白な空間なんだ。僕があの質問で、真っ白な空間を選んだから。
それから、あの声の主の正体にも納得だ。まるで子供のように身を乗り出し、身体を揺らしながら「どうして?」と連呼する。そうやって、僕を無限の世界に導いていたのか。館で無邪気に手を掴み、あちこち連れ回すように。
納得した僕は、彼女の目を見て言う。
「ありがとう。お蔭でよく眠れて、いい夢が見れたよ」
「こちらこそ、私達の世界に遊びに来てくれて、ありがとうです」
微笑みながら、彼女はそう返す。
ある程度、これまでのすれ違いの理由をお互い理解できた、と思う。
ここからは、これからのことを相談するつもりだ。僕と彼女を繋ぐ計画の話だ。
「そうだ、前に言っていた夜を見せよう。これが僕の世界の夜だよ」
僕は窓から外の空を指差し、彼女も視線を空へ移す。
すると一瞬で、真っ黒な空に小さな灯りが散る。ちゃんと銀河の星星もある夜だ。
「綺麗ですね……肯定さんは魔法使いですか?」
「魔法は誰でも使えるよ。というか、ガクちゃんも僕に魔法をかけたじゃない?」
「えっ、そうでしたか?」
「ほら、覚えていない? 僕が眠れない時、いつも『どうして?』って訊ねながら、僕を夢の世界へ案内したでしょ? あれが魔法だよ」
「それは魔法じゃないですよ! 普通のことですよ!」
「魔法ってね、『普通のこと』だから魔法なんだよ。ガクちゃんの普通が、誰かに魔法をかける」
「そういうものですかね……」
まだ、彼女は納得がいかないようだが、いつかそれを実感する日がきっと来るだろう。そう僕が、彼女に魔法をかけるから。
彼女が魔法使いのクイーンになる前に、これからのことを話すことにした。
「ところで……もし、ガクちゃんも夢を見れるとしたら? それも僕と同じ夢」
「見れるんですか!? 睡眠が必要ない私でも!?」
彼女はもの凄く驚いた様子だ。睡眠が必要ない彼女達が夢を見るのは困難だと、先ほど説明したばかりだし当然だ。
だけど、きっと彼女も夢を見れるはずだ……。
「まず、無限の世界の住人にとっての夢。その解釈を説明するよ」
僕なりの夢の解釈を説明する。
個人的に夢というは、自分の世界の当たり前とは、少し違うから夢なのだ。
そして、夢はそれから覚めないと、夢とは呼べない。
これらは、この世界でも創造する事は可能だ。
先ほど空を変えたように、彼女に眠りの体験を提供し、夢を見せ、そこから目覚めさせる。そう僕が望めば可能だが、それは無限の世界の夢じゃない。
有限の世界の夢が、無限の世界の体験ならば、無限の世界の夢は、有限の世界の体験だ。
無限の世界で、擬似的な夢を見せても全く意味がない。
そう話した後、彼女に訊ねる。
「ガクちゃん、今日の僕、どうかな? いつもなら、もう『また次の機会にね』と言ってる頃だと思わない?」
「そう言えば、今日は朧気になっていませんね。どうしてですか?」
不思議そうに答える彼女。僕は手のひらを上に向け、本を想像する。そうすれば本が現れる。ほらね。
現れた本を手にした僕は続ける。
「それは、既にガクちゃんが、有限の世界にいるからだよ」
「えっ……それは、どういうことですか!?」
いつもの目を輝かせ、興奮気味のガクちゃんの光臨だ。
「驚くよね。それは僕も同じだよ。僕が夢を見ている時も、ここからが夢だとは気づかない」
「でも私は、ずっとこの世界に……」
「ガクちゃん、いつからこの館にいる? どうやって、この思い出の館に来たの?」
「……思い出せません」
「だろうね。なぜなら、これは僕の物語の中だからさ」
「えっ、ここが物語の世界ですか!? ですが、私が生活している、いつもの世界に見えますよ?」
「実は、僕が見る夢の世界や物語の世界は、同じ無限の世界なんだよ」
僕はそういい、そのことを詳しく説明する。
物語の世界は無限の世界と同じだ。その中には、限りある時間は存在しない。場面は永遠にそのページにあり、次のページでは一瞬で場面が変わる。
その物語を読み書きする時、有限の世界の住人は限りある時間を消費する。物語を作るのに、有限の時間を消費するのは当然のことだ。だが、それを読んでもらう時にも、同じように有限の時間を消費する。
そして、この物語の文章が読まれた瞬間、ガクちゃんは有限の世界に現れる。そう、あなたの頭の中に。
読んでくれた有限の時間の中に、無限の世界の住人は生まれたことになる。
「どうだろうか? 有限の時間の中を過ごしてみた感想は?」
「これが有限の世界ですか!? それはもう最高ですよ! ありがとうございます! 私に限りある世界を見せてくれて!」
彼女は子供のように大はしゃぎだ。喜んで貰えたと思う。
だから、ありがとう。これを読んでいるあなた。彼女に夢を見せてくれて。
「ガクちゃん、相談があるんだけどいいかな?」
「相談ですか?」
「物語の世界が、有限の世界と無限の世界を繋ぐことは、理解して貰えたよね?」
「はい。物語はとても素晴らしいです! 秘密のトンネルみたいです!」
「これからも僕は、ガクちゃんと一緒に時の砂が過ぎるのを共感したいんだよ。だから、物語を作るのを手伝ってくれないかな?」
「えっ?」
彼女は凄く驚いた表情だ。僕も驚いた。彼女なら――。
「いいんですか!? 私に物語が作れますか!?」
そういうと思った。
「もちろんだよ! いつも面白い話をしてくれるし、最高の物語が作れるよ!」
そして、僕は手に持った本のページをめくる。ページには何も書かれていない。まだ白紙だ。
そこには、大いなる無限の可能性が広がっている。
その中に、自分達が選んだ瞬間を並べていく、それが一冊の本になった時、瞬間の集まりは一つの時間に変わる。
無限の瞬間が有限の時間に変わる。それが物語だ。
「難しく考える必要なんてないよ。例えば、2ページ目に山羊座がきてもいいし、12ページ全部天秤座でもいい。それも面白いでしょ?」
「肯定さん、12ページ全て天秤座だと物語になりませんよ!」
「そんなことないよ。その瞬間がお気に入りなら、それを集めた時間という物語を作ればいいんだよ」
「えー、そういうものですか!?」
「そうだよ。さあ、どうする? テツガクちゃん。これからどんな物語を作りたい? 何かを作りたい、という気持ちが一番大切だよ」
「そうですね……。では、『存在と同時に存在しない』ような物語はどうですか!?」
けっこう難しい難題がきた。でも、彼女と一緒なら楽しくできそうだ。
「面白いね。二人で力を合わせたらできそうだよ! よろしくね。テツガクちゃん」
「こちこそ、肯定さん」
僕達はこれからも何かを作り続けると思いますが、この時間という物語は、そろそろお別れの時です。
お別れの前に、テツガクちゃんに夢を見せてくれた事を改めて感謝します。
そのお蔭で、彼女と同じ夢と時間を共感できたこと。
そして、あの館の夢の続きが見れ、この物語が新しい忘れられない夢になりました。本当にありがとう。
これが感謝の証になるか分かりませんが、物語のレシピを残します。
その前に、あなたの隣にいる未来の探求者は、なんと問いかけてきますか?
その声に耳を傾けると、その探求者はあなたの手を引き、不思議な世界の冒険へ、と導いてくれるかもしれません。
冒険から戻ったら、そこで見た幾多の瞬間を書き止めて置いてください。
ある程度、その思い出の瞬間が集まったら、好きな順番に並べ、積み重ねてみてください。
その瞬間の山によって作られた時間が、冒険の思い出という物語です。凄く簡単でしょ?
是非、あなたも、あなたの探求者と共に、自分の冒険の物語を作ってみてはいかがでしょう?
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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