10章 山羊座

 眩しい……朝か。

 今日は珍しく意識がしっかりしている。休みの日の目覚めが、いつもこうなら最高なのだが……。


 今日の空模様は、相変わらずの陽気だが、僕の心は少し曇っている。

 彼女がちゃんと寝ているのか。それが凄く気になるからだ。

 それから、別れ際の様子。彼女には暗い夜が見えないだろうか……。

 まあ、とにかく彼女が元気だといいんだが。


 そう思いながら、いつもと同じ喫茶店のテラス席に座る彼女を探す。

 その瞬間、少し強い違和感を感じた。何かが、変だ。その答えを知りたかったが、その前に彼女の姿が視界に入る。

「おはよう、今日は眠れたかい?」

 そう彼女に問いかける。

「眠る、とはなんですか?」

 困ったことだ。今日も彼女は寝ていないのかもしれない……。

「大丈夫? もし、体調が悪ければ言って。ちゃんと眠らないと身体によくないから」

 そう言い。彼女の様子を注意して見るが、いつもと同じ。とても元気そうに見える。

 沈黙が続く間、僕は彼女について考える。そこで彼女について、とても大切なことを知らなかったことに気づく。

 それは、彼女の名前だ。

 いつも彼女からの質問ばかりで、彼女の名前を聞いていなかった……。

 友達の名前も知らないとは……随分酷い友達だ、と自責の念にかられる。このまま、名前も知らないまま、関係を続ける事もできたが、それは嫌だった。

 友達の名前すら知らない、という恥の念もあったが、実はもう一つの理由があった。僕の心の奥から湧き上がる不思議な気持ち……そう、これは『好奇心』だ。

 探求者の先駆けのような彼女の姿を見て、僕も知りたくなった。だから、訊ねることにした。彼女のその名前を。

「今更、聞くのも申し訳ないけど……君の名前は?」

「名前……ですか? 名前、とはなんですか?」

 僕に対して意地悪をしているように思えるかもしれないが、彼女の言葉にそういう悪気は一切感じられない。いつもそうだ。夜についても、睡眠についても、全くふざけた様子ではない。本当に知らないのだ。

「もしかして、名前が無いの?」

 彼女は答えないが、その様子から察するに、無いのだろう。

「じゃあ、もしよければ、友達の僕から『名前』をプレゼントしようか?」

 そう切り出すと、さっきまでの空気が一変。もの凄く嬉しそうに目を輝かせ。「お願いします!」と答える彼女。

 彼女と過ごしてきたこれまでの時間で、僕が彼女に感じたこと。彼女の象徴と言えば……それは、この一つだろう。

「いつも『それはどうして?』って僕に訊ねるよね? だから、テツガクちゃんってどうかな? 先駆けの探求者、テツガクちゃん」

「テツガクちゃん……これが私の名前……」

 沈黙が続く。気に入らなかったかな……個人的にはピッタリだと思うんだけど。

「ありがとうございます! この名前、素敵です! 大切にします!」

 しばらく嬉しそうにはしゃぐ彼女だが、なぜか突然静かになる。そして、何かをひらめき、僕に訊ねる。

「そういえば、あなたの名前はなんですか?」

 おっと、自分の自己紹介もまだか……僕はなんてヤツなんだ。

 いつも休みの日は、意識が定まっていないとはいえ、酷い有様だ。

「僕は肯定。皇帝じゃないよ。否定、肯定の肯定」

「肯定さんですか……素晴らしい名前ですね!」

 そう言われたのは初めてだ。皇帝と勘違いされ、誤解を解くのが大変な想いしかしないので新鮮だ。

 

 今日はまだ、そこまで話してはいないと思うが、突然あたりが暗くなっていく。

 時計を探すが、今日は時計も忘れたらしい。僕は何をやっているんだ。不注意が過ぎるじゃないか。

 そして、突然の睡魔に襲われ、机に伏せる。

 心配そうに僕を見つめる彼女が見える……。その姿に驚く。彼女は霞のように朧気なものに変わっていく。この光景は昔見たことだある。

 そう、これは既視体験だ。あの館の少女の幽霊のように……。

 彼女もあの少女のように幽霊だったのか……だから、いろいろ不思議な質問をしたのか。

 そう分析している時だ。激しい違和感を感じる。

 よく観察すると、朧気になっているのは僕の方じゃないか?

 だから、彼女は心配そうに僕を見ているのか……。

 視界が真っ暗になり、何も見えない。深い眠りに落ちたようだ。

 

 僕はその暗闇の世界へ消えて行く。

 次に出会う光の世界ために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る