結論


 決着の日を勝手に決めたのは良いものの、まずはそもそも彼と会う約束を取り付けねばならない。そこが一番肝要だ。


 充電中だったスマホを取り出して、わたしは震える手でアプリを開いた。彼とのやりとりを開いて、なんと送ろうか悩み始めてしまった。わたしは人に連絡を取るのが、極端に苦手だった。特に、良太さんとのデートはもう自分から誘わない。と決め込んでいたから、どうやって誘い文句を送ればいいか、わからなかった。


 世の皆様は、よく他愛ない話をやりとりするんだろう。だが、わたしは用件がない限り、連絡を取るということをしたことがない。する必要性を、全く感じない。そういうわたしは、きっと変わっているんだろう。

 一度、彼から「もう少し連絡がほしい」とそう言われたことがあった。わたしとしては、なんだってわざわざ「おはよう」だとか「おやすみ」だとか日々のことを報告しなきゃいけないのかとか、そんなのを毎日無意味に送り合わねばならないのか意味がわからない――その理屈が未だに理解できていない――ので、曖昧に断った。


 もしかしたら世間のカップルとは、そういうところでお互いを繋いでいるのかもしれない。だが、今更送るという気にも、気持ちを改める気にもなれなかった。

 

 あくまで連絡ツールは、連絡ツールでしか、わたしには成りえない。大事なことは、全て向かい合って話したい。それがわたしの考えだった。その頑迷さが、余計に彼との溝ができるのだろうか。でも、どうせ決着をつけてしまうのだから、些末なことのように思えた。


 そんなことを考えながらも、どんな文章を送ろうかと、ずっとスマホと睨み合いを続けること数分。半ばもういいやと、とりあえずその日が空いているかどうかを聞いてみることにした。そもそも、その日がすでに予定があって駄目なら、この決意は持ち越しになってしまう。


『疲れているところ、ごめんなさい。今月の十四日って空いてます?』


 年が離れてるせいか、未だに敬語が抜けない。敬語はやめてほしいとも言われているが、つい付けてしまう。会うときは気を付けているが、難しい。もうくたびれて寝てしまったかな、と送ってから思ったが、五秒で既読はついた。早い。彼は仕事中でなければ、いつものことだが既読がめちゃくちゃ早い。別にスマホ依存な様子でもないのだが、几帳面な性格だからだろうか。本当にいつも不思議だ。


『今のところ空いてます』


 やった! 一人、心の中で快哉を上げた。だが、その日は日曜日なことを思い出す。日曜日は、お客も休みだから来てもらいたがる。貴様の休みなんぞどうでも良いから早く工事しろとせっつくお客がいることを、ゆめゆめ忘れてはならない。


『その日、会いたいんですけど、どうですか』


『まだ予定が立てられません』


 本当にこの男は! と叫んでスマホをぶん投げたくなったが、我慢した。


『もしかして、工事入る予定あるんです?』


『今のところはないけど、どうしたの』


 話が進展しなくて、だんだん面倒くさくなってきている自分がいた。


『その日、どんなに遅くなってもいいから、ちょっとの時間でいいから会ってほしいです。なんなら玄関前で待ってるから』


 強硬手段だった。彼の家の鍵は持ってない。ほしいとねだるタイミングがなかった。なので、不審者と間違われるのを覚悟で、玄関前で待ち続けるのも辞さないつもりだった。わたしは本当に意固地だ。


『風邪ひいたら困ります』


 期待している答えと違う答えだ。なんだよもう、ああ、本当にじれったい!


『時間はかからないけど、大事な用があるの。もし予定があるなら、駅前の漫喫かカラオケで時間潰すから。お願い』


 すぐに返信は来なかった。十五分くらいして、やっと通知音が鳴る。飛びつくように画面を見た。


『わかった。なにかあったら連絡する』


『ありがとう!』


 なんとか、約束を取り付けられた。とりあえず適当にかわいく喜んでる動物のスタンプも送り付け、電源スイッチを落とした。

 ほう、とため息をついて、手汗でスマホがぬるぬるになっていた。気持ち悪いのでウェットティッシュで拭ってやった。


(これで当日ダメになったら、どうしよう。あり得る)


 正直、そう思うのだが、これはもうあとは天に祈る以外に他ならない。わたしには、どうしようもできないことだ。とにかく、一息入れるために紅茶を淹れることにした。あと必要なものは、わたしの決心と、小道具だけ。


 翌日、外は最高気温が五度と雪でも降るかのような気温だった。手袋をしてマフラーにVネックのセーターとダウンコートを着ても、どこからともなく忍び寄るようにしんしんと体が冷えた。ゆえに、外に出た瞬間、回れ右をしていったん全部脱いで、タートルネックのセーターに保温性の高いインナーをと厚着をして都心のデパートまで赴いたが、それは間違いだった。


 バレンタイン一週間前ともあって、デパートのワンフロア全てを使い切った大型催事場は大盛況だった。人でごった返していて、歩くのもままならないし、厚着とインナーのせいで熱がこもってしまったわたしは吐き気を堪えながら、ダウンコートを片手に、どのチョコレートが良いかとぐるぐるぐるぐる、催事場を回っていた。チョコレートのブランドだけが、ここまで集結するのは、このバレンタインのときだけではないだろうか。ホワイトデーの催事場は見たことがないので知らないが。


 良太さんは甘い物は好きだが、あまり洋酒が効いているチョコレートは好まない。だから洋酒入りのチョコレートは外す。毎年同じ物もなんだか気が引けるので、前回買ったブランドは除外。あからさまな――ジュエリーで有名なブランドが、まったく正反対の食べ物であるチョコレートを出しているのが不思議であるのだが――高級ブランドの物は、値段が想定されそうなので、これも除外。というかわたしの財布が一番安い物でないと、太刀打ちできない。かといって、スーパーでも売ってそうなメーカー物も除外だ。……人に物を贈るのは、本当に難しい。


 結局、毎年のとおり、一時間ほどかけて、味見をさせてもらって洋酒が効いているわけでもなく、かつ味が優しい、もらったリーフレットでは海外でなんとか賞を受賞したというブランドの、一箱十二個入りの物を買った。


 人混みと熱気にやられて疲れたので、デパートの中の喫茶店に入り、一休みすることにした。一人なのでカウンターの席を取り、荷物籠が置いてあったので、足元に籠を置き、そこにカバンを入れた。万一、何かの拍子につぶれてしまうのが怖いので、買ったチョコレートは袋も小さいこともあり、テーブルに置いた。


 火照った体と疲れで、冷たい物と甘い物が必要であると体が要求していたので、その要求に素直に従いアイスキャラメルラテを注文した。それを飲みながら、わたしは自分が買ったチョコレートが入っている、綺麗で小さな紙袋をぼんやりと眺めていた。


 そもそも、なんでわたしは、こんなに時間をかけてチョコレートを決めるんだろう。変な物を渡したくない、という意地があることは認める。だがそれでも、毎年毎年、わざわざこの都心のデパートまで来て、こんなに一時間も時間をかけて決める。条件は毎年同じなのだ。適当な値段の、洋酒が入ってない物をさっと選べばいいだけの話。それなのに、どうしてだろう。


 ――単にあんたが細かくて、優柔不断なだけよ。


 心の中でもぞもぞと、わたしを否定する声が言う。本当に、それだけ? 昨日からずっと、布団に入っても、わたしは彼のことが好きなのかどうか、自問自答を繰り返していた。愛と執着は、切り離せないと思う。彼に対して、付き合って二年という時間が、執着を持たせていることも、少なからずあることは認める。

 それでも、わたしがここまで贈り物に心を砕くのは、なぜだろう。というか、買おうと思うことすらいっそ謎だった。


 別に、彼と決着をつけるのに、チョコレートがなくたってできる。バレンタインにわざわざやるのに、チョコレートがないと体裁が悪いから? いや、わたしはほとんど無意識に、良太さんにチョコレートを贈りたいと思ったのだ。


 付き合い始めのことを思い出す。二年前だった。彼から好きだと言われて、付き合い始めた。その前からも、何度か食事の誘いがあって、わたしも断らなかった。食事のときは、お互いがそれほどおしゃべりでもないので、そんなに多くのことを話さなかったが、わたしが失敗して落ち込んでいるときは、慰めてくれたりと、良い人だと思った。年は確かにかなり離れているが、休みでも彼は、仲間が困っていると現場に駆けつける人で、純粋に優しくてかっこいいなと思った。


 そういえば、新入社員として働き始めたとき、現場の人の中で一番、不愛想な人だと先輩たちに聞いていたから、最初は怖い人なんだと思っていた覚えがある。だが、新入社員の歓迎会のときに休みのなか来てくれたと聞いたので、なんとなく好印象だった。そのときは、他にもいろんな人がいて、目まぐるしいなかだったので、特に言葉を交わすこともそれほどなかったが、たまたま目が合って、なんとなしにわたしが彼に笑いかけたことがあったらしい。全く覚えていなかった。それが印象的だったと、告白されたときに言われた。とても、笑顔が印象的でかわいいと思ったと、そう言われた。年がかなり離れているから、もともと告白する気はなかったけど、やっぱり後悔したくない気持ちが勝って、何回目かの食事のときに告白されて、そう言われた。


 それを聞いたとき、確かにわたしは男の人と付き合ったことがなく、免疫がなかったこともあったが、純粋に嬉しいと思った。それに、自分自身も彼に惹かれていた。はたから見れば、いい年をしたおじさんかもしれないが、わたしにとっては、充分魅力的な人だった。その気持ちは、今でも変わっていない。

 つと、目に涙があふれて、慌ててハンカチで拭った。なんで泣きそうになるんだろう。不安、なのかもしれない。


(やっぱり、わたしは彼が好きだ。これは、変わんないんだわ)


 確信は得た。わたしは、彼が好きだ。彼が今どう思っているかは、わからないけど。

 考え事をしているうちに、氷が溶けて、味が薄くなったキャラメルラテの残りを流し込むように飲み込んで、わたしは席を立った。天が味方をしてくれることを祈りながら、自宅へ帰路を辿った。

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