第22話 瀧本あかり

「どうした?」

「…………ん? え? 何?」


 あかりは弾かれたように顔を上げ、引きつった笑みを浮かべていた。

 どうしたのかと、タケルの眉まで歪んでしまう。


「何って、なんか変だから。急に固まっちまって……」

「あ、ああ……ごめんね。て、手紙がくるなんて、全然思ってなくて。びっくりしちゃって……」


 あかりはアハハと笑った。だけど目は全然笑っていない。

 無理やり感が半端なくて、タケルの眉間のしわが深くなってしまう。


「それ、なんかハクと関係あるのか? まずいこととか……」

「ううん、違うわ……。神崎君にも全然関係ないから、そこは安心して……」

「………………じゃ、不幸の手紙とか?」

「ん、近いかもね……」


 そのままあかりは何も言わなくなってしまったので、タケルはどうしようかと戸惑い始める。

 なんだか、ひどく怯えているようになのに、彼女ははっきりしたことを言おうとしない。何の説明もなく安心してと言われても、はいそうですかとは納得できそうにない。むしろ、自分には全然関係ないと言われたことが、タケルには少なからずショックでもある。

 だが、あかりが話したくないと思っているのなら、無理に聞き出すわけにもいかないだろうと思う。しかし、明らかに様子のおかしい彼女を目の前にして、何も聞かずにいるのもかなり難しいのだ。


 声をかけるのを躊躇していると、ピリピリと封を開ける音が聞こえた。

 あかりの指が少し震えている。緊張し青ざめた横顔だった。彼女は便箋を取り出し無言で目を通している。そして、もう一つ小さな封筒を取り出した。中身は図書カードだった。


「……何よ。これ……」


 あかりの手から手紙が、ハラハラと落ちていった。膝の上に落ちたカードも払いのけた。

 深くうなだれ、パサリと垂れた髪で顔が見えなくなってしまった。

 タケルは黙って手紙と図書カードを拾った。文面を見ないように素早くたたみ、カードと共にそっと縁側に置く。そして、空を見上げた。


 チリリ……。

 チリリリン…………。

 風鈴の音だけが響く、静かな庭だった。


 タケルは大きく深呼吸する。


「……もしさ、もしその気になったならさ、話してみるのもいいかもよ? 俺、聞くよ? でも、嫌なら何も言わなくていいし……。無理しなくていい。ホント、言わなくてもいいんだ……」


 少しして、あかりの肩が震えはじめた。小さな嗚咽が聞こえる。浅く何度も繰り返す、リズムのくずれた彼女の呼吸が、タケルを不安にさせていた。

 泣いている女の子の慰め方なんて、全く分からなかった。


「ごめん……なんか出しゃばっちゃったな……」


 同じ学校の同じ学年で、顔と名前は知っていたが、あかりとしゃべったのは昨日が初めてだ。それもハクに狙われたのがきっかけだし、会話の内容だってヤツからどうやって逃れるかが中心だった。

 少し勘違いしかけていたが、自分たちはお互いのことを全然知らないし、親しいといえる間柄にもなっていないのだ。

 それなのに、恐らくあかりのプライベートな問題であろうことに、首を突っ込もうとしたのが悪かったのだと、タケルは頭を垂れる。先ほど言われた「神崎君には全然関係ない」という言葉が、ボディーブローのように地味に効いてきた。

 

「やだ……謝んないでよ」


 あかりは俯いたまま呟いた。


「私、神崎君がいてくれて良かったって思ってるんだよ?」


 ゆっくりと顔を上げ指で涙をぬぐって、あかりは微笑んだ。誤魔化そうとして無理やり作った笑顔とは違っていた。

 しかし涙はまた零れ落ちてきて、タケルを落ち着かなくさせる。


「じ、じゃあ、涙が止まるまで側にいようか?」

「なに、かっこつけてんのよ。あの路地では、神崎君の方が怯えちゃって泣きそうになってたくせに」


 真っ赤に潤んだ瞳でふふっと笑うあかりに、目が釘付けになっていた。今のは彼女の精一杯の強がりだと分かるから、突き放すなんて考えられなかった。


「うん、瀧本がいてくれて、俺、本当に良かった」


 あかりの顔がくしゃりと歪んだ。

 すがるような弱々しい顔がタケルを見つめていた。彼女の揺れる瞳を見つめ返し、タケルは小さく頷いた。

 カッコつけてる訳じゃない。タケルも迷いや不安で胸が一杯なのだ。ただ、今はあかりを安心させたかった。あかりに誠実でいたかった。だから決して目を逸らさずに、受け止めようと踏ん張っていた。

 あかりは唇を噛み、それから何度も口を開いては閉じを繰り返した。迷いに迷ってから、彼女は話し始めた。


「あいつからの手紙がきたの。……誕生日プレゼントだって……。十六歳おめでとうだって……。バカみたい、今さら……」


 あかりの涙は止まらなくなっていた。

 感情が見る見るうちに激していくのが分ったが、タケルは何も言わずに、ただ頷いていた。


「産まなきゃよかったって言ったくせに。私を捨てたくせに。今になって何言ってんのよ、バカみたい。バカみたい! ごめんなさいだなんて! ふざけないで!」


 いきなり、ガツンガツンと握りこぶしを縁側に強く叩きつけた。柔らかい皮膚が破れ、血が滲んだ。

 これは見過ごせない。タケルは慌ててあかりの手を掴んで止めた。


「いつも背中だった。私は背中しか見たことなかった。一度も笑ってくれなかった。一度も抱きしめてくれなかった。最後には、私を置き去りにして出ていった。それを今さら!」


 まるで悲鳴だった。

 腕を振りほどこうと暴れるあかりを抱き寄せ、その頭をタケルは自分の胸で押し包んだ。


「もういい! もういいから! 無理に話さなくていいから! ……瀧本、もういいんだ……」

「あんなヤツ、あんなヤツ、母さんじゃない……」


 あかりはタケルにしがみ付き、泣きじゃくった。

 小さく肩を震わせるあかりが痛ましく、自分の至らなさを呪った。思いを吐き出すことで彼女が楽になればと思っていたが、そんな生ぬるいことでは無かったのだと、後悔するのだった。


――これが、瀧本の悪果だったんだ……。母親への憎悪が……。


 不意にそう悟った。

 具体的に何があったのか想像もつかない。しかし、あかりが吐き出した母親から受けた言葉は、タケルの胸にも痛みを与えるほどのものだった。だから、彼女が受けた傷がとても深いことだけははっきりと分かる。

 悲しみ、苦しみ、憎み、恨み、怒り。

 あかりの激しい感情は、いくつもの悪果になった。それをハクに喰われたのだ。


 こんな理不尽なことがあるだろうかと、タケルは唇を噛む。

 彼女が何十年という未来の時間を失ったのは、断じて自業自得なんかじゃない。あかりは絶対に悪くない、そう思った。

 守ってあげたいという思いが沸き上がってくる。でもこんな不甲斐ない自分じゃ、あかりに迷惑がられるだけだろうかとも思う。

 恐々とあかりの頭を撫でながら、タケルは歯を食いしばって空を見上げた。

 目が熱くてたまらない。でも、今泣いていいのはあかりだけなのだ。


「ありがとう……神崎くん」


 少し落ち着きを取り戻したのか、静かな声が聞こえてきた。

 タケルの胸におでこをくっつけたまま、ポツリポツリとあかりはまた語り始めたのだった。

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