第19話 塚本という少年

「あーあ、タケル先パイ、焼きもちやいちゃったかもぉ。僕は先パイも一緒でよかったんですよぉ?」

「ふざけないでちょうだい」


 軽口を叩く塚本に、あかりはピシャリと言った。

 てへっと舌を出して、塚本は肩をすぼめる。


「ま、いいですけど。先パイには聞かれたくない、ってことなんですね。了解です」


 二人は公園のベンチに腰掛けた。

 葉を茂らせた大きな木が、程よく日陰を提供してくれた。


 小さな子どもたちが、暑さを物ともせずに鬼ごっこをして駆け回り遊んでる。水浴びでもしたかのように髪がびしょ濡れだ。キャッキャと楽しげに笑い、叫び、転げまわっていた。

 母親たちは、その様子を見ながらおしゃべりに花を咲かせている。


「小っちゃい子って、かわいいですね」


 かわいいと口にした割に、塚本も目はつきは冷めていて、笑顔も取ってつけたような印象だった。


「無邪気で、幸せそうで。……ねえ、彼女さん。あなたは悪果を喰われたんでしょう。僕は匂いでわかるんだ。そうなんでしょ? 教えてよ」


 小枝を拾い上げると、地面に字を書いた。

 『死』の一文字。

 あかりの心臓がドクンと脈打った。


「不思議なんだよね……」


 あかりは眉を潜めた。

 この少年が何を言おうとしているのか、測りかねた。分からないうちは、こちらの状況を話すのは得策ではないと思う。あまり多くを語ってはいけない。


「塚本くんって、言ったわね」

「あ、ケンジでいいっすよ。呼び捨てウエルカムっす」

「塚本くん」

「あ……はい」

「あなたの悪果はまだ食べられてないようね。でも、ターゲットにされている。そうなんでしょう?」

「やだなあ、僕が先に質問したのに」


 塚本は頭をかいて笑った。

 駆けまわる子どもを見て、笑みとは言えない笑みを浮かべた時よりも、余程ちゃんと笑っていた。


「ソイツを追っ払いたいの?」

「違うよ。メツは僕を助けてくれてるんだ。解ってもらえるかなあ。もしかしたら、彼女さんも僕と同じなんじゃないかって感じたんだけど」

「…………」

「悪果を喰われたら、どうなるか知ってるんでしょう。心を食べられ、命を削られちゃうんだもんね。相当な衝撃なんでしょう? その人間は茫然自失となる。ホントに、自分を失くしちゃうんだね。驚いたよ。心を失くしたら人間は死ぬしかないんだって、今まで知らなかったんだ。……自殺するんだよね、みんな。そうホイホイと簡単に自分で死んでった」


 塚本は静かな声で言った。唇の端が、ほんの少し笑みの形を作っている。

 あかりに刺すような視線を送られても、そよ風のように受け流してしまう。


「だから、不思議なんだ。あなたは悪果を喰われたのに……」


 塚本はもう一度、地面に「死」の文字を書いた。


「……あなた、メツって奴に誰かを食わせたのね」

「うん」


 中学生が次々と自殺しているというニュース。テレビでは連日うるさいほど報道されている。

 この理由の分からない一連の自殺と、今の塚本の話を紐づけるのは、悪夢を喰う魔物のことを知っていれば簡単なことだ。

 この少年が魔物と組んで、仕組んだことだったのだと。


「もしかして復讐なの?」

「そうだよ。あんなヤツら死んで当然なんだ」


 あっさりと認めた塚本は、うっすらと笑っていた。その顔に、後悔や罪悪感のようなものは全く見られなかった。


「解るかなぁ。彼女さんに解るかなぁ……。見下されてバカにされて、無視され続けて……時々僕に気づいたかと思えば、面白半分に殴られる……そんな気持ち。僕は居ても居なくてもどうでもいい存在で、あいつらの憂さ晴らしに利用されるだけ。誰も助けちゃくれない」


 眩しそうに、日なたを駆けまわる子どもたちを見ながら話し続ける。


「一体、あいつらの何がそんなに偉いと言うんだろうね。同じ年のたかだか中学生が、僕の上に王様のように君臨するんだ。絶対的な支配者のように……。馬鹿げてるよ。そう思わない? 僕は虫けらじゃない。奴隷じゃない。……あいつらに教えてやったんだ」

「あなたが感じた思いは否定はしないわ。苦しみも悔しさも全部あなたのものだから。でも、その感情のせいで……自分がどんな姿になっているか、解っている?」

「もちろんだよ」


 あかりは目を細めて、静かに塚本を見据えた。

 塚本は、あの絞め殺しの木に蝕まれていた。

 小柄な少年の体にびっしりと根が巻き付き、まるで数万匹の小蛇に絡みつかれているようにも見えた。頭からは、捻くれた枝が角のようにつきだし、身長と同じくらいにまで成長している。そしてあの腐臭のする果実を無数につけていた。


「いいんだ。僕が望んだことだから……。メツは僕の悪夢を食べてくれた。そうしたら、気持ちが楽になったんだ。嫌なこと悲しいこと、悔しいこと全部なくなって楽になるんだよ。だから感謝してるんだ。僕を苦しみから救ってくれるんだから」

「違うわ。アイツらはただ食っているだけよ」

「そうだね。食べているだけだ。でも、僕にはそれが救いなんだ」

「違うわ、それは救いじゃない……あなたは逃げてるのよ」


 不意に塚本があかりの顔を覗き込んだ。真顔でじっと見つめ、それから少し憐れむような目をした。


「……あのさ、彼女さん。あなたがそれ、言っちゃうの?」


 あかりは絶句した。

 急に鼓動が早くなってくる。塚本の言葉は、核心を突いていたのだ。


「あの白いヤツを飼っているんでしょう? 苦しみを取り除いてもらっているじゃない。僕と同じだよ」


 何も言えずにうつむいた。


「僕もそろそろ悪果をメツにあげなくっちゃ……。ねえ、こっちは話したんだから、彼女さんも質問に答えて欲しいなあ。悪果を喰われたのに、なんでまだ生きてるの……なんで自殺しないの」


 ――――なんで自殺しないの。

 その言葉が、腹の中にドスンと沈んだ。

 塚本の言ったとおりだ。ハクに自ら悪果を与えている自分は塚本と同じなのだ。彼に「救いではなく逃げだ」と説教ぶってみたが、自分も同じことをしていたし、それを見抜かれてもいた。

 しかし、あかりはブルブルと頭を振った。でも、それは以前の話だ、今は違うのだと。彼の言うことはよく理解できるが、これだけは絶対に肯定なんてしてやらない。


「あなたには、関係ないわ」


 冷厳と突き放す。これ以上、この少年に話すことはない、そう思った。

 塚本は明らかに死にたがっている。そして、多くの道連れを求めている。少年達の一連の自殺は、塚本自身が自殺するためのものなのだ。より多くの悪果を実らせ、メツに捧げるための行動なのだ。

 今、自分とタケルがやろうとしていることと、正反対の事だ。


 生きたい。

 生き続けたい。

 生きて、神崎タケルを見つめていたい。


 あかりは呟くように言った。


「私は足掻くの。生きるために足掻き続けるの。そう決めたから」

「……ふーん。それはあまり美しくないね……。彼女さんはもっと刹那的なのかと思ったんだけど」


 塚本は、あかりの言葉に白けてしまったようだ。


「何があなたを死にたがりから、普通の子に変えちゃったのかな? 実はこないだ、タケル先ぱいと彼女さんが話してるとこ見てたんだよね。あの白い奴を捕まえようとしてるんでしょ? なんでそんなことするのか、それも不思議でさぁ。……色々知りたい気もするけど、ムリみたいだね。まあ、いいや。付き合ってくれて、ありがとう」


 諦めたのか興味を失ったのか、塚本はベンチから立ち上がった。それじゃと手を振って去っていくその背中に、あかりは声をかける。


「あなたのしようとしてることだって美しくはないわ。ねえ、生きてみてよ。足掻いてみてよ。あなただって死にたがりから変われるはずよ」


 ほんの少し塚本は足を止めたが、何も言わずにそのまま去っていった。

 あかりは、足元の「死」の文字を見つめる。

 塚本の言う通り、自分は死にたがりだった。ハクを拒まずに、喰うに任せているというのは、そういうことなのだ。

 だが、自分は変わったのだ。さっき言ったように、生きるために自分は足掻いてみせる。残された日々を精一杯に生きてやるんだと。



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