第18話 不穏な目撃者

 人知れず惨劇の起きた細い路地は、静けさを取り戻していた。だが、漂う空気は陰々と重苦しいままだった。

 この路地の、タケルたちが入ってきたのと反対側の入り口近くに、壁にもたれて少年が立っていた。

 小柄で痩せこけ、つやのない肌は病的な印象を与える。だが、瞳だけはらんらんと生気がみなぎっていた。妙なアンバランスさのある少年だった。

 彼は少し前から、じっとタケル達を見ていた。ハクの食事のあたりから、静かにずっと。


「ねえ、メツ。あの白いのは、なんであの人達を食べなかったのかなぁ……」


 少年の問いに返事はなかった。黒い羽が一枚はらはらと落ちてきただけだ。しかし、少年に不満気な様子はなかった。初めから返事など期待していなかったのかもしれない。

 少年はタケルたちに向かって歩いていった。


 二人が少年の存在に気付いたのは、意識を取り戻したタケルが、後頭部をさすりながら立ち上がった時だった。

 あまり人通りのない路地だったが、絶対に誰も来ないわけではない。しかし、まずい時に人が来てしまったと、二人はちらりと顔を見合わせた。

 男の姿は既に塵なってしまっているが、ボロボロになった服の切れ端や靴なんかは、散らばったままだ。不審に思われやしないかと不安になるのだが、何気ないフリでやり過ごすしかないだろう。

 少年の通行の邪魔にならないようにと、二人は壁際でじっと立っていた。が、少年は少し手前で立ち止まっていた。


「大丈夫でしたか?」


 突然声をかけられ、タケルはドキリとする。

 先程の出来事を見られてしまったのか、とタケルに緊張が走った。しかし、通常なら人間にハクの姿を見ることはできない。少年に動揺している様子もない。

 大丈夫かとの問いかけは、頭を打った自分を気遣ってのことかもしれないと考えた。とはいえ、何があったかも分からずに、見ず知らずの人間に声をかけて来るだろうかとも思う。しかも、大丈夫ですかではなく、過去形で。

 頭の奥に注意信号が灯った。何者だこいつと、少年を睨みつけるのだった。


「久しぶりですね、先パイ」


 タケルは目を瞬いた。

 自分に先輩と呼ぶ少年に首をひねったが、ややあって彼を思い出した。見ず知らずでは無かったわけだ。警戒が少し緩んでいた。


「お前、野球部の……」


 中学で野球をやっていた頃の二年下の後輩だった。もっとも、彼は一年の春に入部して六月には辞めてしまったヤツだったから、名前もあまり覚えていない。


「塚本です。お久しぶりです。お元気でしたか」


 にっこりと笑う。

 ああ、そうだ塚本だ。たしか、塚本ケンジ。

 トロくて要領が悪いから、同じ一年も露骨にバカにしてたっけ、と思い出す。

 身体も気も小さくて、何を言われてもオドオドして黙っている少年だった。そう言えば、新聞出ていた自殺した少年はこの塚本と同学年で、彼をよくからかっていた。要するにいじられキャラだったなと、塚本に関する数少ないエピソードが思い出されてきた。


 しかし、今目の前にいる塚本は堂々としていて、先輩であるタケルに対して気後れしている様子は全くない。明るく屈託のない笑顔を見せていた。

 それにしても、壁に頭をぶつけてよろよろと立ち上がってきた自分に向かって、元気だったかと問う塚本に違和感を覚える。


 まだふらついているタケルの腕をとって支えていたあかりも、探るような視線を送っている。むしろ彼女の方が鋭い目をしていた。

 塚本は少しも動じずに言った。


「タケル先パイ。紹介してくださいよ。彼女なんでしょ。いいなあ腕なんか組んじゃって、羨ましいなあ。先パイ、カッコいいからすごくモテるんでしょう? 彼女さんも心配しちゃいますよねぇ」


 最後は小首をかしげて、ウインクをした。

 あかりは弾かれたように、パッとタケルから離れてしまった。


 タケルは何だコイツはと、あっけに取られていた。

 塚本とは、タケル先パイなどとファーストネームで呼ばれるような間柄ではないし、こんな馴れ馴れしく話しかけられる筋合いはない。


「黙れよ。お前、うぜーぞ。さっさと消えろよ」


 にらみつけた。塚本から遮るようにあかりの前に出て、上から押さえつけるように鷹揚に言う。中学時代はそうやって後輩達を従わせてきたのだ。逆らうヤツなどいなかった。


「ええぇぇ、そんなこと言わないでくださいよ。ちょっと、お話したいだけなんですよぉ。ちょっと教えて欲しいことがあって」


 塚本はタケルの威嚇には全く動じずに、にっこり笑って続ける。

 初めは確かにタケルに向かって話しかけていたのに、いつの間にかあかりを見つめていた。


「不思議なんだよね。だってその彼女さん、悪果を食べられたのにピンピンしている……でしょ?」


 下から舐め上げるように、あかりを見ていた。

 途端にタケルの目が釣り上がり、心臓が跳ね上がった。


――コイツ、知っている。いや、どこまで知ってる……?


 あかりが一歩前に出た。タケルが小さく首を振って制したが、構うことなく更に一歩、塚本へと歩を進めた。


「……あなた、私に用があるのね」

「うん、少し聞きたいことがあって」







 タケルは、苦々しくあかりと塚本を見送った。あかりが塚本と二人で話すことを望んだからだ。

 もちろん、タケルは塚本を怪しんで自分も一緒に行くと言ったのだが、あかりにすげなく断られてしまった。

 それでもめげずに粘ったが、あかりは小声であのファーストフード店で待っていてと囁いて、さっさと塚本について行ってしまったのだ。

 絶対ついてくるなと、彼女の目が言っているような気がした。

 信用されてないのか、役に立たないと思われているのか、なんにせよタケルの眉間に深い皺を刻むのには十分すぎる言動だった。


 はあっと大きくため息をつく。

 あの塚本にもハクが見えていたのだ。そして悪果のことも知っている。ということは、偶然自分達に出くわしたのではなく目的を持って近づいてきたのだ。一体、あかりに何の用があるというのだろう。不安しかなかった。

 タケルは、二人が角を曲がって見えなくなるまで、じっと見つめ続けた。


 ふわりと風が吹いて、塵が軽く舞った。あの男は塵になってしまった。

 ハクを、解放したのは正解だったのだろうか。無差別殺人は回避されたが、何を喜べというのだろう。

 あの男を哀れに思う。同時に、直接ではなくても自分が殺したのだと思うと、胸の中に石をつめこまれたような重苦しさを感じる。


 そして改めて、ハクを恐ろしく思った。

 アイツをもう一度捕らえることなど出来るのだろうか。奇襲なんてもう二度と成功しないだろう。最初に見た時よりも、あの魔物は大きくなってしまっているのだし、翼を生やし力を取り戻したとも言っていた。

 取り返しの付かない事をしてしまったのだろうかと不安になるのだ。


 トキに何か考えはあるのだろうか。あるなら、どうかアイツからあかりを解放する手立てを教えてほしい。あかりの寿命を取り戻してやりたい。そう願い、タケルは自分もターゲットであることを、無理やり意識の外に追い出す。

 あかりを救うことを最優先にしたいと思っていた。少し前までは自分が助かるにはどうすればいいのか考えるだけで精一杯だったというのに。


「心意気は買うが、あまり関心はせんな」

「うわあ!」


 顔のすぐ横で声がした。例によって、またトキが肩に乗っていたのだ。思わずはたき落としてしまう。


「うぎゃ! これ! 何をする!」

「お、驚かせるな!」


 地面に転がったトキがキーキーと喚く。


「せっかく情報を持ってきてやったというのに! この恩知らずめが」

「うるせー、役立たず! 肝心な時にいなかったくせに。大変だったんだぞ、こっちは! ハクのやつが悪果を喰っ」

「じゃから言うとるのじゃ。おなごを助けたいという心意気は良いが、自分をおろそかにするもんではないわ。自分で自分の身を護れんヤツに、おなごを救えるものか。頭を冷やせ」


 そう言って、トキはタケルの足を蹴り飛ばしたのだった。


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