第8話 もう一人の助け手
誰かの声が聞こえたような気がしたが、何を言っているのかよく解らない。自分の名を呼ばれているようだったが、応えるのもそちらを向くのも面倒だった。頼むから放っておいてくれ、と無反応を決め込んでいた。
だが、グイと肩を揺すらた。
ハッと我に返り顔を上げると、それは柴田だった。
「神崎、おい、神崎? どうしたんだ、聞こえてるか? なんか変だぞ」
柴田が心配そうに見ている。
いつの間にか眠っていたらしい。授業は既に終わっていて、クラスメイトたちが周りで弁当を広げていた。
「顔色悪いぞ。休んだほうがよかったんじゃないのか? ってか、もう早退する?」
「ああ、いや。大丈夫」
「……大丈夫って、そんなふうには見えねぇけどなあ。食う?」
柴田は眉をしかめながら、売店で買ってきた菓子パンを一つ差し出した。タケルが首を振ると、やっぱり大丈夫じゃねぇじゃんと少し口をとがらせた。そしていきなり、あっと声を上げる。何か思い出したようだった。
「一組の瀧本がお前に会いに来てたぞ。朝から休み時間ごとにさ。何の用だろうなぁ?」
ニヤリと笑う柴田の声には好奇心と冷やかしの響きがあった。
一組の瀧本というのは隣のクラスの女子だった。
瀧本あかり。
かわいいと表現するよりも綺麗と言う方が似合う、落ち着いた雰囲気のある少女で、肩まで伸びたストレートの黒髪は着物をきたらよく似合いそうだ。
周りのいかにも女子高生といった少女達からは浮いた存在で、目立つと言えば目立つが自己主張の少ない壁の花のようだった。
タケルは彼女と話したことはなく、名前と顔以外のことは知らなかった。
「なんでオレに?」
タケルは面倒くさそうに聞いた。自分と彼女に接点は無く、訪ねてくる理由が分からなかったのだ。
「知るかよ。本人に聞けって。あ、ほら。また来てるぜ」
柴田は、ニヤニヤしながら扉の方を見た。つられてそちらを見ると、話題の主がじっとこちらを見ていた。
日本人形のような整った顔で見つめられ、急にタケルは緊張しだした。なぜ、こんなややこしくなるんだ、とも思う。
一度にいろんなことがありすぎて、自分のキャパをとっくに越えてるのだ。よく知りもしない女子を相手にしているヒマはないのに、とタケルは顔をしかめた。
「神崎くん。少し話したいの。いいかしら?」
あかりの言葉は、疑問形でありながら有無を言わせぬものがあった。
不機嫌な顔で無言で立ち上がり、タケルは思わず彼女を睨みつけていた。
「校庭に行きましょうか」
あかりはくるりと背を向けた。付いて来るのが当然といった彼女の態度に、タケルは少しムッとする。そして、文句の一つでも言ってやろうと思うのだが、結局黙っ彼女の後を追った。
ハクの件さえ無ければ、女の子と話すのは別に困ることでもなんでもない。
むしろ自分から積極的に女子に話しかけることのないタケルには、棚ぼた的な胸躍る出来事でもある。少々強引で、生意気な感じがしても、だ。
平静を装いつつ、タケルは内心ドキドキと落ち着かなかった。
あかりは冷静に見て美人の部類だし、そんな女子に突然話たいと言われて「もしかして告白?」とときめいてしまうのは、自意識過剰ではなく至極普通の反応だと思いたい。
だが、早く付いて来いといった甘さなど微塵もない態度から、やっぱりそれは無いなというのは感じてしまうのだった。力のないため息が出た。
告白でないのは確定として、では一体何の用があるのだろう。できればややこしくない話であって欲しいと思う。
校庭に出たタケルは、少し口をとがらせてあかりの隣に立った。花壇を背に、広い校庭を眺める。そして横目でちらりと見ると、あかりが小さな声で話し始めた。
「神崎くん。あなた昨日、アレを見たでしょ」
予想外の台詞に言葉を失い、バッとあかりに向き直る。
彼女の言う「アレ」という響きに、タケルの心臓がドクリと鳴り眉がつり上がっていた。ほんの欠片ほどの甘やかな気分など、消し飛んでいた。
「そうなのね。やっぱり」
落ち着いた声だった。あかりは心の中まで見透かすような視線で、タケルを真正面から見つめていた。
「なんだよ、お前。なんでそんなこと……」
――なんだ、こいつは? なんで知っているんだろう。どこまで知っている? アレを知っているのか? あいつの仲間なのか?
タケルは、急にあかりが恐ろしくなってきた。ただの女子高生とは思えないことを、突然口にしたのだから。
ゴクリと唾を飲み込み、警戒もあらわに片足を後に引いてしまう。
「心配しないで。私はあなたを助けたいだけなの」
「助ける……?」
「そうよ。だから、そんなに怖い顔しなくても大丈夫」
ふふっとあかりが微笑んだ。温かい笑みだ。同い年だというのに、まるで十も年上のように笑うのだ。
「これをね、渡そしておきたかったの。お守りってところね」
ポケットから銀色のものを取り出し、タケルに差し出した。
腕輪だった。
タケルはあかりの顔と腕輪を何度も見比べる。受け取っていいのか迷っていた。
「手に付けなくてもいいわよ。ズボンのポケットにでも入れていおいてちょうだい。そうすれば、アレはあなたに手出しできなくなるから。銀はね、アレを封じることができるの」
あかりは腕輪を押し付けるように、タケルの胸に突き出してきた。
断れず、タケルは受け取ると、手の中の銀の腕輪をじっと見つめた。
この銀の腕輪があのハクを封じてくれる……。
「私、昨日神埼くんを見たの、あのアーケードで。すごい顔で走っていったから、きっとアレが見えたんだって思ったの。あのイカれた男の頭の上にいたものが」
「お、お前も見てたのか!?」
「ええ」
昨日のことを、あかりに見られていたなんて気付きもしなかった。自分にしか見えなくて、誰にも相談なんてできないのだと孤独と不安を感じていたのに、同じように見える人間がいたことにホッと肩の力が抜けた。
それにあかりはタケルを助けたいと言った。なぜか、あのハクについての知識もあるようだし、彼女はトキ以外のもう一人の心強い助け手なのだと思った。
期待と安堵感がタケルの冷えきった体を温めてゆくようだった。とは言え、疑問は山のように湧いてくる。タケルは腕輪を見つめてつぶやいた。
「銀がお守りって、なんで知ってるんだよ」
「それはね、話すと長くなるんだけど……。アレは……私の近くにいつもいるから」
「え!?」
「アレはいつも私の悪夢を食べてるの。あの男みたいに、私もアイツの餌なのよ。昔、悪果も食べられちゃったし」
突然ザザっと風が吹いて、あかりの髪をなびかせた。
顔の半分が髪に隠れ、笑みを浮かべる彼女の顔に深い影を作った。
彼女は何でもないことのように語ったが、タケルには衝撃的な言葉だった。きっとこれは、あかりにとって重大な秘密だったのはずだ。誰にでもはなせるような内容ではないのだから。
同じようにハクを見ることができて、目をつけられてしまったタケルだからこそ話してくれたのだろう。
タケルが、自分と同じ危険に晒されているのなら助けてあげようと声をかけてくれたのだと思うと、彼女には心からの感謝しかない。
ただ、何と言えばいいのか、タケルには言葉が見つからなかった。
キンコーン
昼休みが終わった。
あかりは乱れた髪をさっと直し耳に掛けると、にっこりと笑った。
「また、後で話しましょう」
サッと背を向けた。
タケルは銀の腕輪を握り締めながら、立ち去るあかりを見送った。凛とした彼女の後ろ姿に、つい見とれながら。守護天使という言葉は彼女にこそ相応しいと心から思った。
「ほうほう。あの娘御も、アヤツに魅入られておったか」
「うわ!」
突然、耳元で声がした。トキが肩に座っていたのだ。タケルは反射的に払い落としていた。
地面にベシャリと顔面を叩きつけられ、トキは唸っている。
「あ、ごめん。いきなり現れるからつい……って、敵情視察に行ったんじゃないのか?」
「……い、今から行くんじゃ! あの娘御の話を聞いてから行こうと思うとったんじゃ!」
思いきり歯を剥いて悪態をついてから、トキはピョンと飛び跳ねると姿を消したのだった。
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