第6話 危険な取り引き
心臓をギュッと鷲掴みされたような気分だった。
――なんだよ、取引って……。
こんなモノと交わす取引なんて、絶対にろくなものじゃないはずだ。この化物にとって有利で、こちらは不利な条件がつくに違いないと思うのだ。そして必ず破滅に導かれるのだと。
しかも拒めば、この場で命を取られそうな気さえする。
イエスともノーとも言えずに、タケルは身を強張らせるばかりだった。
化物は自らを「ハク」と名乗った。人間が見る悪夢を食べる妖精なのだと言う。妖精というよりも、悪魔なんじゃないかとタケルは思う。
といっても化物の言うことに異を唱えられるはずもなく、自称妖精の話をただ聞くしかないのだが。
通常人間は彼ら妖精を見ることはできないが、極めてまれに見ることのできる人間も存在するのだそうだ。そういう見える人達が、伝承として彼らのことを後世に伝えてきたのかもしれない。
鬼や妖怪の話も夢まぼろしではなく、実際に彼らは存在しその目撃談に尾ひれがついていったものなのだろう。こうして現実にタケルの目の前に、自分を妖精だという不気味なものが存在しているのだから。
遠い昔から彼らは、いつも人間のすぐ側にいた。この見えない小さな隣人たちは至る所に存在し、常に人間を見つめているのだ。
ハクは悪夢を食べる妖精だが、それだけではない。むしろ、悪夢以外の「あるもの」の方が主食であり、好物なのだそうだ。
それは彼らにとって心底美味いもので、それを喰うことは唯一最高の快楽らしい。それを食べるために存在していると言ってもいいほどに。
ハクは独り言のようにつぶやく。
「俺が本当に喰いたいのは、
うっとりと唇を舐めた。食べたいという欲望で、ハクの目は潤んでいる。
いやらしく淫靡な視線に絡められて、タケルは身震いした。
悪果とは何なんなのか。心に生える木というのも何を表しているのか、全く理解できなかった。自分にもその木は生えているのだろうか。
だがハクはそれ以上説明しようとはしなかったし、タケルにも質問する余裕などない。
ぼんやりと、人間の中で成長する木をイメージしてみる。その木に実る果実を、ハクが次々ともぎ取って食べてゆく。全部食べられたら、その人間はどうなってしまうんだろう。分からないというより、その先はあまり考えたくなかった。
そして、理解が追いつかない話であっても、ハクが非常に邪悪で危険なものだということだけは、十二分に確信したのだった。
ハクはアーケードにいた、あのイカレた男の悪果を味見をしていたのだという。ずっと以前から彼に目をつけていたのだが、ハク好みの味に実っているかの確認していたのだと。
しかし、偶然そこに現れたタケルに自分が見えていることに気付き、興味を持ったようだ。妖精を見る能力のある人間は珍しい存在だからだ。しかも、昔よりも少なくなっているとなれば、興味を惹かれるのも仕方ないことなのかもしれない。タケルにとっては災難としかいいようがないのだが。
ハクはタケルがどんな人間なのか見てみようと、そっと後を追ってきたらしい。
そしてタケルの夢を覗き、喰ったのだ。そうすることで、どんな木が生えているのか、実の味はどうか分かるのだという。
ハクは、優しく怖い声で語りかけてくる。
「君はなかなかの素材だよ。いい悪夢だった……。アレも、とても美味そうだ」
ゾッとした。
腹の中に大量の氷をつめ込まれたような気がした。
ハクは、タケルに充分に脅える時間を与えてから、続けた。
「だから、ここで取引だ。オレは悪果が喰いたい。でもアーケードの男のはとっておきのディナーとしてキープしてるんだ。だもんで、腹がへってるんだよね。今すぐ悪果を喰いたいんだよ。……君、いい実がなりそうな木が生えてるからね。でも、哀しいかな、まだ悪果は実ってない。だから取引しようと提案したわけだ。ねえ、君の知り合いをオレに紹介くれない? 既に悪果が実ってそうな奴。そうしたら、君のを食うのをやめてもいいから」
タケルは、パニックに陥りそうになるのを必死にこらえ、ハクの言葉の意味を考えた。
身代わりを差し出せば、自分は助かる……。
ああ、これが悪魔との取引なんだと悟るとガクガクと体が震えた。
「どういう人間に悪果が実っているかっていうとね、例えば不平不満が多いとか、嫉妬深いとか、嘘つきだったり乱暴だったり、他人にいつも怒りをぶつけているようなヤツとか、かな。あと、犯罪を犯したヤツなんかも、いい実がなってたりするんだよね。殺人犯なんかホント美味いんだよな。俺としては、実際に殺した人数に関係なく、妄想の中で何度も殺したりめちゃくちゃ沢山殺したりしたヤツの方が、好みなんだけどね。いやいや、それはさておき…………君の周りで、なんかイイ感じのヤツいないかな? 殺人犯じゃなくても、歪んでそうなヤツならなんでもいいし。さあ、どうする? 誰かを俺に差し出すかい?」
ハクはタケルの襟首をグイと掴みあげておいて、優しく諭すように言う。
どうするもなにも、拒否できるような状況とは思えない。しかも、身代わりを差し出したって、見逃してくれる気がしないのだ。今食われるか、後で食われるかの違いしか無いような気がする。
それでも、タケルはかすかにうなずいていた。
「わ、わかった……」
「いい子だ」
唇を震わせるタケルの鼻先10センチで、ハクはニヤリと笑った。
そして不意に首を傾げる。
「おやおや? そこにも、小さいさんがいるねえ」
言うやいなや、タケルの肩に手を伸ばし何かを掴みとった。
それはキーキーと声を上げる、二十センチくらいの小さな人間だった。いや、人間によく似た形をしたものだった。
手脚は針金のように細く、平べったい足だけが異様に大きい。頭も大きく、なんともバランスが悪い。顎から長い白ひげを垂らし、薄汚れた貫頭衣を着ていた。
ハクに襟首を捕まれてぶらぶらと振り回されながら、それは怒号をあげていた。
「離せ! 離さんか! この無礼者め」
ハクは鼻で笑い、その小さなモノをタケルの膝の上に投げ落とした。それはボンっと膝で跳ねて、タケルの目の前で手足を大きく広げて迫ってくる。
うっと喉の奥で唸り思わず払いのけると、ソレはベッドの端まで転がっていった。
「な、何をする!? タケル! わしは長年ぬしの面倒を見てきてやったのに、この仕打! なんたることか!」
小さいのが、眼をむいて抗議した。
だがタケルが何も答えられずにじっと自分を見ているばかりなので、腕を組みふんと鼻を鳴らした。そしてその場で軽くジャンプすると、一瞬にして消えてしまった。
――一体何なんだ、今のは! この白いヤツといい、変なものばかり出てきやがって!
タケルの頭は、もうパンク寸前だ。自分の身に起きていることが、全く受け入れられない。
今の小さいヤツは、確かにタケルと呼んだ。何故、名前を知っているんだ。長年面倒を見てきただと? アレはずっと自分の側にいたということなのか。
頭の中は混乱の極みだった。
「はっはっは! 彼を怒らせちゃったみたいだねぇ」
ハクがのけぞるようにして笑った。
呆然としていると、ハクの指が額に触れ、タケルは強烈な目眩に襲われた。
「一日待ってやる。誰をよこすか決めるんだ」
タケル遠のく意識の中でその言葉を聞いていた。
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