第8話:GOTO名古屋編
2020年の8月も後半に差し掛かった頃。
世間はようやくコロナが落ち着いてきてGOTOキャンペーンというものが始まった。どこへ行くにもホテル代が大幅に安くなる素晴らしいキャンペーンである。一方でまだ県外移動を自粛して欲しそうな職場に気を使った私は、次の旅行を近場の名古屋近辺で済ませることにしたのだった。
そもそも愛知県に住んではいるがあまり名古屋の真ん中には行ったことがなかった。理由はもちろん名古屋近辺の運転の不快さと高めの地下鉄代のせいである。行きたい観光スポットも特にない。レゴランドに行くには年を取り過ぎたし、ナゴヤドーム(まだバンテリンではなかった)に行くには阪神ファンに過ぎるのだ。
「名古屋でなんか行きたいところある?」とそこそこ県民歴の長い猫ちゃまに訊いてみると、
「お城がいい」とはっきりした答えが返ってきた。
名古屋で城といえばもちろん名古屋城だろう。金のしゃちほこを構えた立派な城らしい。
なぜ猫ちゃまがお城に行きたいのかというと、司馬遼太郎の「城をとる話」を読んだわけでもシンデレラガールズのやり過ぎというわけでもない。我々は少し前から「お城スタンプ」なるものを集めているからである。いろんな城に行くと入口や天守閣でその城独自のスタンプを押してもらえる催しである。全部集めても特に賞品はない。でも、ロマンはある。一生かけて達成できるかどうかギリギリの難易度だ。
「犬山城でもいいよ。城の近くにモンキーパークがあるから」
「モンキーパーク?」
「猿がいるの」
「……ふうん」やばいぜんぜん猿に興味が湧かない。
「どんな猿?」
「いっぱいいるよ。可愛いのも可愛くないのもいる。ケンジくんっていうすんごい叫ぶ猿がいてね。あーっ、あーっつって檻を鳴らして叫ぶの。前に家族で行ったときに
すんごい爆笑した」
「名古屋に行くか」
「え、話聞いてた?」
〇
名古屋城の駐車場は広かった。西之丸エリアの前まで歩いていくと右手の少し小高いところに「金シャチ横丁」という通りが見えた。観光地らしく少しお高い食事処が軒を連ねているらしい。浮いたホテル代を使って帰りに寄ってみるとしようか。
西之丸に入るとすぐに写真撮影できるコーナーがあった。陽気なおじさんが金のしゃちほこセットの前でカメラを構えて写真を撮ってくれるようだ。
我々の前に三人のギャルがいて、揃って片足の踵をお尻に付ける「しゃちほこポーズ」で写真を撮っていた。なるほど観光地の写真とはそういう風にやるものかと感心していると、猫ちゃまは自分もやりたそうに瞳を震わせてそれを見ていた。
「しゃちほこポーズする?」
「ののん」と首を振る。
「きゃぴきゃぴしないの?」
「ギャルは卒業したので。おっちゃんが一緒にやるならやってもいいよ」と無理を言う。
猫ちゃまはかつて埼玉に居た頃は毎週末に原宿に行くほどのギャルだったという。ダチとアイスの早食いをするし頭にはサングラスをかけていた(目ではなく頭にかける)。
しかし愛知に引っ越してきてからはいろいろあってギャルではなくなってしまった。しんみりした苦労話を聞かされたこともあるが、おおよそ地域差の問題だろうとも思う。愛知の田舎で頭にサングラスをかけていたらうっかり車に引かれかねない。
結局なんとなくのピースサインで写真を撮り終え、いざ天守閣へ向かおうと本丸に入った。しかし天守閣はどうやら工事中のようで入ることができなかった。
「また工事中じゃん!」と猫ちゃまは怒っている。我々がこの一年で訪れたのは補修中の清水寺と改装中の岐阜城と、そして工事中の名古屋城。つくづく不運ではあるが、行先を下調べしていないせいでもあろう。
天守閣には入れなくても本丸御殿には入ることができた。狩野派のきんきらのふすま絵や、立体感のある鮮やかな欄間で彩られた絢爛な書院造りの建物は実際見ごたえがあった。絵心のある猫ちゃまは「鳥!」「人間!」「鳥うまい!」と、絵の中の生き物を見つけるたびにはしゃいでいた。
「これが、廊下じゃ。長いぞ」
「長いね」
小声で姫様系ユーチューバーごっこなどしながら廊下を歩いていると、ふと遠くの天守閣側にある売店が目に留まった。あとでアイスでも買おうかとよく見ると、先ほどしゃちほこポーズをしていた三人のギャルが何かを齧りながらたむろしていた。
――そのうち一人と目が合った。いや、合うような距離でも角度でもないのだが、ふとそう感じた。
少しきついピンクを着た彼女が他の二人に合図をすると、三人が揃ってこちらを向いた。
なんだと思う間に、彼女たちは片足をぴょこりと上げてしゃちほこポーズをすると、また何かを齧りながら歩いて行ってしまった。
――ナニに向かって?
「ちょっと、ちゃんと撮ってよ!」
売店から視線を外すと、猫ちゃまが怒っている。
「ああごめん。売店あったから。売店にギャルがいたよ」
「ギャルじゃなくて今は姫じゃろうが。えーっと、ここは廊下じゃ! 長いぞ!」
別にふざけているだけではなく、なるだけ働かずに生きていきたい我々としてはお城巡りをするユーチューバーになるのもまじめな将来の選択肢なのである。ときどきゲーム実況など挟みつつ。ちなみに猫ちゃまは消滅都市というゲームのガチ勢なのでそれなりに形になる実況はできるはずである。消滅都市でバズれるかはともかくとして。
撮れ高もそこそこできたので、涼しい本丸御殿を離れて灼熱の外に戻る。もちろん売店に向かって歩き、その間に地図を確認する。
ギャルたちが歩いて行ったのは工事中の天守閣の方向だった。その先には御深井丸という区画があり、茶席と櫓と倉庫があるようだ。
まさかオフ会をするわけでもないだろうに、ギャルたちは何をしに御深井丸に向かったのだろうか。
売店で猫ちゃまに抹茶のソフトクリームを買い与えつつ、暇そうなおばちゃんの店員さんに少し聞いてみることにした。
「天守閣の工事ってまだしばらくかかるんですか?」
「ほうねぇ」
「この先の御深井丸の倉庫って何かおもしろいものでも見れたりするんですかね」
「……うーん、まあ行ってみるのもね、いいんじゃない?」とおばちゃんは薄笑いして言葉を濁した。
おそらく特にないのだろう、が。
「この後どっち行く?」と秒速でソフトクリームを舐め終わった猫ちゃまが言う。
「天守閣の向こうに御深井丸ってところがあってねぇ。そこに倉庫があるらしいよ」
「倉庫?」と猫ちゃまは少し固まる。
「反対側の二ノ丸の方には庭がある。ぼたん園とかしゃくやく園とか。季節じゃないけど」
「うーん……。庭かな」
と猫ちゃまも言うので庭になった。どのみち天守閣に入れない時点で負け戦なのだ。そのまま東門の方から抜けて城外をぶらぶらしながら金シャチ横丁に行くのも悪くない。
涼しい売店の中ではそう思っていた。
しかし、牡丹も芍薬も咲かない灼熱の庭を歩くのはけっこうシャレにならなかった。令和の殺意じみた太陽は容赦なく猫ちゃまの頭頂部を焦がし、白とグレーのワンピースを貫通して猫ちゃまの全身を焼き切らんばかりだった。
「あちゅい、あちゅいめ」
「あちゅいの」
「気持ち悪くなってきた」
「まじかよ」
まだ二ノ丸を半分も歩かないうちに猫ちゃまの体力ゲージはなくなってしまった。熱中症になるのも怖いのでけっきょく東門まではたどり着けず。一度売店に戻って休憩してから早々と城を出ることにした。まあ本丸御殿と涼しい売店だけでもそのくらいの価値はあるだろう。
城門を出てすぐの金シャチ横丁に向かう。少しお高い観光地店が何軒も軒を連ねていたが、どの店もぞっとするくらいに客の気配がなかった。コロナのせいが5割、天守閣のせいが2割、太陽のせいが3割といったところか。
けっこう奮発してひつまぶしを食べることにした。ひつまぶしというのは要するに高級うな丼である。うな丼がどんぶりではなく大きなおひつに入っていて食べごたえがあり、途中でだし茶漬けなど自分で入れることによって味変もできる。気の利いた食べ物だ。
もちろん我々はユーチューバー志望なので食レポを撮る。閑散とした店内で、実質貸し切りだからできることではあった。
「これが、ひつまぶしでーす。……うまいな!」
「うまい」
「ひまつぶしではなく、ひつまぶしでーす。まず最初は、普通に食べます。うまい! 半分くらい減ってきたら漬物など投入します。うまい! 〆にお茶漬けにしていただきます。うまい!」
「うまいねー」
猫ちゃまはきちんとごっくんしてから喋る行儀のよいところがあるので食レポに向いている。ほんとはもっと語彙をふんだんに使ってそれなりに気の利いたことを言っていたのだが、さすがに記憶が薄れていて思い出せない。
無理して会話の流れを思い出そうとすると少しずつぶれてくる。
うなぎはほとんど食べたことがない。→絶滅するから食べない方がよい。→すき屋で頼んだこともない。→すき屋がうな丼セールやるたびに水樹奈々がいっちょ噛みしてくるのがミスマッチでおもしろい。→水樹奈々はうなぎの絶滅について1パーセントくらいは責任を負っているのだろうか? ――というような会話はたぶんしなかったはずだと思う。たぶん。
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