第5話:京都の隅っこの話―壺―


 まずは坂のふもとにある京都陶磁器会館に行ってみることにした。

 京都だけではなく全国の焼き物が陳列されていて、高いものから安いものまで揃っている。

「これきれいねぇ」「ほしいか?」「べつに」「これかわいいめ」「ほしいか?」「のんのん」と冷やかしつつ、何も買わずに二階に上がる。

 二階は二週間替わりで様々なテーマの展覧会を行っているようで、そのときのテーマは「焼き物」だった。

 猫ちゃまは絵心があるので、絵付けの作品や動物を模した作品をおもしろそうにしていた。私は手触り以外にあまり拘りがなかった。係の人にさわってもよいと言われたので、人差し指で遠慮しながら一通りさわっていく。とりわけ気に入ったのは青白く輝く青磁だった。色味もよいしつるつるしている。

 顔を上げると、猫ちゃまが取材に来たらしい地元の新聞社のお姉さんに絡まれていた。どうやら写真を撮ってもらえるようで、手で長い髪をくしくししている。

 変なポーズをしないかと心配したが、どうやら緊張しているようで余計なことはしなかった。挙動不審の一歩手前のような顔でちらちらとこちらを見つめてきたくらいだ。

 よかったらぜひと言われたので私も猫ちゃまの隣で何枚か写った。

 他に二階に上がる客もなく。コロナのせいで被写体に飢えていたのだろうお姉さんは、素人二人に文句も言わず、難しいことを聞くわけでもなく淡々と写真を撮っていった。

「もしかしたら幽霊も一緒に写りこんでるかもしれませんけど」と思ったが、口には出さなかった。写真を撮った側に霊が移ってくれるかもしれないし。


 昼飯も猫ちゃまが例によって「なんでもいい」というので、近場にあったお好み焼き屋に入った。3000円のセットを頼むとなかなかに美味しかった。とん平焼きと山芋と豚玉と飲み物で、猫ちゃまはとん平焼きを大層気に入っていた。もやしでかさまししたよくあるものではなく、出汁のきいた卵が分厚くて、九条ネギとの取り合わせもよかった。


 お腹も満ちてあとは博物館に行くだけなのだが、まだ背中に少しの圧がある。

 どうやら新聞社のお姉さんへのなすりつけは失敗したらしい。

「どしたの?」と猫ちゃまが首をかしげている。

「なんもないよ。いこいこ」

 ときおり着物の観光客と道を譲り合いながらのんびり歩きつつ、除霊の策についても考えないといけなかった。

 基本的に除霊ができない素人がそれでも霊を何とかしようと思ったら、

 忘れるか、

 なすりつけるか、

 どちらかしかない。

 基本的には忘れる方が簡単だ。だいたいの霊は背中に張り付いている湿布のようなものだから、そのうち馴染むし付いていることにも気づかなくなる。そして忘れた頃には剥がれている。

 しかし問題なのは猫ちゃまもそこそこ霊に反応していることだった。

 帰ってから猫ちゃまにうっかりなすりつけてしまい、「怖い怖い」と延々怯えられるのは少々うっとうしいものがある。できれば京都にいるうちに他の誰かになすりつけてしまいたいものだ。

 とはいえなすりつける方法も分からないので、いろいろ試してみるより他はない。

 せっかく京都にいるので伝統的な方法を試してみることにした。

 道に迷った振りをして、一路博物館へと向かう道を少し引き返し、わざと手前の裏道から、そのまま裏手を通ってみた。

 いわゆる「方違え」だ。本来は霊や凶事に出会わないためにするものだが、出会ってしまった霊を撒くのにだって使えないことはないだろう。

 裏通りには隠れ家的としか言いようのない抹茶が売りの喫茶店があった。お腹がいっぱいなのでそのままスルーして進むと、なんだか京都らしからぬモダンな雰囲気のビルや洋風にこじゃれた住宅が立ち並んでいた。

「なんかハイカラやね」と上から下までガラス張りの窓のビルに目をやる。すべての窓の中は様々な雑貨で散らかっていた。ペンキ缶やブルーシートも目に付くし、異様に大きな板切れもある。何かの倉庫として使われているのだろうか。


「入ってみる?」なんとなく霊が気に入りそうな建物に見える。

「やだ」しかし猫ちゃまは固い顔で首を振った。ホラー路線はお気に召さないらしい。


 それなら仕方ないかと通りを抜けると、豊臣秀吉ゆかりの豊国神社と、かの有名な梵鐘が我々を待ち構えていた。青さびた巨大な鐘は行儀正しく社の屋根の中に収まっている。午前六時に鳴ることもないだろう。

「これが国家安康君臣豊楽の鐘か……」

 擦り切れた梵鐘からはその一文字たりとも見て取ることはできなかったが、それでもひとしおの感慨があった。

「おっきぃ鐘ねぇ」

 もちろん猫ちゃまにとってはただの大きな金属の塊である。

 例によって梵鐘の前で写真を撮り(フルスイングポーズ)、それから豊国神社にお参りした。おみくじは引いたがひょうたんはケチって買わなかった。それでも大吉をくれた秀吉はなかなかの太っ腹である。

 猫ちゃまにはいちおう京都に来る前に戦国無双4で予習をさせておいたのだが、「この戦、猿に任す」「む・か・ち」と信長の物まねばかり覚えてしまって、あまり役には立たなかった。へうげものは字が多くて読めないそうだ。アニメ版がネトフリに入ってくれないものだろうか。


 そのまま裏手を回ってえっちらおっちら、ようやく京都国立博物館の正面にたどり着いた。

 赤レンガ造りの明治古都館にテンションが上がり、さっそく足を踏み入れようとしたが入れなかった。耐震性が足りなくて閉鎖されてしまったらしい。明治に建てられたのだから、まあそりゃあそうだろう。

「こんなんばっかりめうねぇ」と嘆く猫ちゃまも、新館に入ると機嫌が直った。

 一階のメインの展示室に堂々とそびえ立っていたのは、名にし負う「阿」と「吽」の口をした金剛力士像だった。隆々とした筋肉美にこれでもかと言わんばかりの腕のひねりを加えた彼らは紛れもない運慶の作で、元は覚王寺なるお寺にあったのだという。

「阿の腕のひねりがいいね。めっちゃひねるやん」

「いやいや吽の左足の思い切った角度がいいんよ」と適当に小声で褒めてはちぎり、ちぎっては褒めた。残念ながら館内での写真撮影は禁止されており、猫ちゃまの阿吽の物まねを写真に収めることはできなかった。

「なんで禁止されてるんだろ。ケチだね」と猫ちゃまはぷんすこしていたが、解禁したら老若男女問わずここでまねっこ写真を撮ることは明白だった。想像するだけで煩わしい。

 他にものっぺりした顔の地蔵菩薩などを見物しつつ、上の階に上がって源氏物語絵巻を眺めるなどもした。描かれているのは「葵」の巻だった。例の禍々しい生霊が出てくる盛り上がりどころの話である。

 初めて実物を見たが、色味が豪奢なのと絵巻の長大なスケールが気に入った。鳥瞰的な視点で描かれているので、歩きながら眺めていると、主役たちよりもむしろモブの着物を着た男女が多く目につく。のっぺりしたしもぶくれの顔たちは意外と描き分けられていて、当時の絵師もそういうところを気にするんだなと感心した。

 金ぴかの浮遊感のある背景や精緻な植物の描写など、お絵かきが上手な猫ちゃまにも感じるところがあるだろうと思ったが、猫ちゃまはばばあや坊主を見つけるたびに喜ぶという実に坊主めくり的な楽しみ方をしていた。

「生霊が葵を苦しめてるんやで」と説明書きの筋をそのままなぞって説明すると、

「メンヘラ怖いめー」と分かりやすく現代語訳していた。まあ間違ってはいない。


 そうして絵巻も通り過ぎた最上階には、また「焼き物」が我々を待っていた。

 古今東西――というには古寄りのラインナップの中で、猫ちゃまがとりわけ気に入ったのはもちろん縄文土器だった。とにかく派手でパワフルなものが好きなのだ。

 目を輝かせてゴツゴツした土器に見入る猫ちゃまをしり目に、私が気に入ったのは弥生時代の、つるつるとして口のすぼまった控えめな壺だった。陶器よりも磁器、縄文よりも弥生、ゴツゴツよりもつるつるなのが昨今の私の好みである。


 弥生の壺は形に均整が取れているというわけでもなく、ただ膨らんだ姿とすぼまった口がかわいいというだけの代物だった。弥生時代に作られたのでなければ、そしてきれいな形で遺っているのでなければ、とてもここにはいられなかっただろう。

 それでもなんとなく気に入って数分と眺めているうちに、ふと、背中が軽くなった。

 思わず振り向くと、こめかみの辺りに名残のような圧を少しだけ感じた。

 振り向きなおすと、そこには当然、弥生の壺が寸分変わらず、おちょぼ口を尖らせたままそこにあった。


 背中から離れて、こめかみを抜けて弥生の壺へ――。


「君、そこでいいのか?」と思わず小声で尋ねても、

 もちろん答えは返ってこない。


 いくらかの安堵感と、少しの喪失感を味わっていると、

「これ弥生?」と猫ちゃまが縄文時代から戻ってきた。

「そだよ。つるつるしてていいよな」

「ふーん。ね、あっちにはにわがあるよ」

「埴輪か。いいね」

 

 そうして私と猫ちゃまは思うさま埴輪見物に入り、霊は名もなき弥生の壺に取り残された。

 結局あの霊がどういうものだったのかは皆目わからない。「なむあみだんぶ」で寄ってきたのだから、まさか弥生人ではあるまいが。

 それでもたぶん、おそらくは人間で。ある程度は、私と好みが合ったのだろう。


 これを書いている現時点で、もう博物館の展示期間は過ぎてしまった。

 弥生の壺は倉庫にしまわれるかもしれないし、他の場所に展示されるのかもしれない。いずれにしても、やがて誰かの目には触れるのであろう。

 あなたもいずれ目にするかもしれない。だから一つ、ここで「祟り」を教えておこう。

 弥生時代の壺の前で、「なむあみだんぶ」と唱えてはいけない。

 ただし、午前六時に起きるのが辛くなければ、さほど実害はない。――そうな。



                          京都の隅っこの話 終わり

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